第204話 死霊掃討に向けて
明日か明後日辺りに、悪魔さん第36話投稿しまス。
気付けば真っ暗闇な何処とも知れぬ空間に、俺は一人佇んでいた。
どこだ、ここ?全身気怠さの残る中、暫しの間を何をするでもなく佇み続ける。
「……寝直すか」
やがて暗闇である以外、取り立てて目を引くもののないこの空間を眺め続けるのにも飽きてしまう。手近にあった柔らかなクッションらしきものに身体を預け、安眠を貪るべく再び目を閉じる。
―――オ前ハ、コノ闇ガ恐シクハナイノカ。コンナワタシニ身ヲ委ネテ……クレルノカ?
眠りに落ちる寸前になり、そんな声がどこからともなく響いてきた気がする。心持ち何かに怯えた風にも思えるその声に、俺はどう答えたのだったか。ただひたすらに疲れて眠かったのもあるし、それに―――
「夜の闇ってな、人を眠りの安寧に誘う大事な要因だろう?悪いが今は眠くて仕方が無いんだ、続きはもう少し体調がマシな時にまた頼む…よ……」
―――分カッタ、○タ○○ナ。
そいつが最後に返してきた言葉の内容はあまり覚えていない。もう意識が半分以上、眠りの海へと沈み込んでいたからな。
「――ってな事があった気がするんだけどな」
「……前々から感じていたけれど。お前、莫迦でしょ?あの地下に縛られた存在に自ら身を差し出してどうすんのよ」
次に目を覚ました時には『堕ちたる者の棺』最深層を彷彿とさせる玄室っぽい空間で、今度はややご機嫌斜めな様子のリセリーが目の前に立っていた。そこで未だ夢現の状態だという事実をようやく認識し、眠りにつく前にあった出来事を話してみたら思いっきり呆れた顔を向けられてしまう。どうやら俺は、深層意識内にてあの教会地下に祀られていた無貌の女神とやらのご本尊を抱き枕と化し眠りこけていたらしい。
「一先ず魂が磨り潰される事だけは回避出来たみたいだけれど、話を聞く限りだとそいつ、また来そうねぇ」
「……もしかして、あれってアンタと同様の存在とか?」
「現場には太古の死霊も居たのよね。であれば、答えは言わずもがなでしょう。何故か、までは分からないけれどもね」
リセリーの見解を聞いてみればやはり間違いないらしい。遺棄地域に入ってすぐにこいつとのチャンネルが断線をしてしまったのが、あの領域が奴の影響下にある良い証左なのだそうだ。
「とはいえ謎だわね。少なくともワタシが封じられた時点では付近に同様の存在が堕とされた覚えは無いし……うーん」
「とすると、アンタの後に堕ちてきたって事か?」
「なのかしらね?何れにせよ、お前はアレに触れ自ら約束を交わしてしまった。それを縁としてアレとの邂逅の時は間違いなくまた来るだろうから、それなりに覚悟はしておきなさいね?」
げ……寝ぼけていたとはいえ、俺は何て事をしちまったんだ。半眼で身を迫り出しながら眼前に人差し指を付きつけてくるリセリーの言葉に、思わず嫌な汗が流れ出てしまうのを感じる。
「……ま、アレはどうも未だ封印から解放されてはいないみたいですし。あの領域以外であればワタシの影響力の方が遥かに勝っているからね。お前には、うん、それなりの感謝をしていなくもないし。幽世側に関しては、ま……護ってやらなくもないわよっ!」
「見事なツンデレっぷり、ご馳走様です」
当然のことながら、直後赤面甚だしい怒れるおねいさんによって何故か俺自身の深層意識部分より蹴り出され、何とも微妙な起床を果たしてしまったのは言うまでもない。
「頼太。ほ、本当に大丈夫なのかっ!?大事をとってあと数日程は安静にしていた方が良いんじゃないかっ?」
「あのね扶祢君。既に丸々一日寝ていた訳だからして、しかもリセリーからも太鼓判を押されているんですよ。だからそろそろ解放して頂きたいものなんですがね」
「駄目だっ!わ、我の幽霊恐怖症のせいでこんな事になったんだ。せめて責任を持って看護位はさせてくれっ」
起きたら外務省に引き籠っていた筈の扶祢が何故か借宿の一室に出向いてきており、更に言えばまたまた黒扶祢と化していた。黒とはいってもただの呼称で、こいつは元々黒髪黒眼なので外見上はそう変わる訳でもないんだがね。
そんな扶祢からはベッドの脇で涙ながらに懺悔の言葉を一時間程聞かされるし、他の連中はそんな室内状況に生暖かい目を向けてとっくに退室してしまったこの状況。どうすりゃいいのこれ!?
《お前達の乳繰り合いは良いとして。このままいけばこの帝都はそう遠くない内にアレの領域に飲み干され、目出度く死の都市の出来上がり、ってところかしらね》
(誰が乳繰り合いだ……そうするとせめて、あの死霊に取り憑かれた死体の群れだけでも一掃しないといけないか)
《それと太古の死霊もね。恐らくはあれを起点として現世への縁を辿り、他の有象無象が無限に湧き出ているのでしょうから》
ううむ。流石は魂に関する専門家、昨日までの調査内容と提示された情報を渡しただけでここまで詳細が解明されてしまうとは。これであの無貌の女神以外についての原因はほぼ判明したものの、未だ何点かクリアしなければならない問題点が残されていた。
「そうだな。扶祢、悪いが皆を呼んできてくれないか?ちょっと今後の予定について話し合いたい」
「……その間に、一人で調査に出たりしないだろうな?」
「しねーから!こういう時にいきなり飛び出すような事なんて一度もなかっただろ?俺だって命は惜しいっつの」
「む、言われてみればそうかも。分かった、呼びに行ってくるから少し待っててくれ」
そう言って扶祢は退室していった。ふぅ、どうもあの黒い扶祢は平時に比べ随分と直情的というか、思った事を即実行に移すきらいがあるんだよな。先程までも俺を甲斐甲斐しく看病をしてくれていたし、部屋を出る際も扉が閉まるまでの間ずっとこちらを心配そうに見守ってくれていたりとなぁ。そりゃ嬉しくないと言えば嘘になろうが、少しばかり心配し過ぎじゃあないのかと思わないでもない。
《ふふん。誰かに慮られる、っていうのは悪くない気持ちよね?》
(……楽しそうっすね、おねいさん)
《ええ、とっても》
こちらはこちらで顔が見えればきっとニヤニヤとしているであろう、そんな分かり易い思念を飛ばしてくれていた。今はそんな暢気なやり取りをしている場合ではなかろうに。
その後、揃って部屋に押しかけてきた一同へとリセリーよりの情報を伝え、判断を仰ぐ事となった。
「お話は理解しました。ですが全ての元はあの太古の死霊で、更に今後は加速度的に死の領域が広がるかもしれないなどと……そんな途方もない内容を何故、頼太さんがそこまで詳細に知った上で断定を出来るのでしょうか?」
ここでやはり問題となったのはこの情報の出所に関してとなる。あの遺跡へ同行した皆に関しては良いとして、協力者の一人であるミーアさんには流石にそこまでは伝えてはいない。だから当然こう返されるであろう事も予想は出来ていたんだ。まぁ、だからといって上手い返しが思い付いた訳でもないんだけどな。
「それに、ですね。あの遺棄地域を脱出してよりこの方感じ続ける、魔気の中に隠れた神気の類まで……あなたは本当に、頼太さん本人なのですか?」
「あー、普通はそう思うよね」
「だなっ!仮に余がお前の立場であれば、問答無用で拘束しているところだぞっ」
警戒感とでも言おうか、俄かにその様な雰囲気を押し出して言うミーアさんの言葉に、俺達は思い思いの反応を返してしまう。うーむ、そう来られちゃったか。
思い返してみれば俺は、無貌の女神像からの不可視の衝撃を受けて昏倒してしまったんだものな。それが目覚めてみればいきなり想像も付かない様な事を、しかも自信を持って言ってしまっては、俺の抱える事情を知らぬ者にとっては得体が知れぬとばかりに警戒されてもおかしくはない。
「うーん、どうする?」
「俺っちにゃ判断が付かねぇな。ここは姫さんに任せっか」
「ボク達、所詮雇われの身だもんね」
「お前達、最近それを言い訳にして余に決断を押し付けてばかりな気がするのだぞ?とはいえ、ふぅむ……」
やはり出雲もリセリーの存在については言うべきか悩んでいる様だ。こればかりは下手すれば一国の問題どころの話ではないものな。それに、アトフさんより伝えられた帝国周辺の状況を鑑みれば―――
「――いえ、やはり結構です。お話を聞く限りでは、皆さんの間では特に問題となる程の事でもない様子ですし。無論私個人としてはとても気にはなりますが、姫殿下までもがそういったご様子という事はご政務絡みな部分もあるのでしょう。知らずに済む話であれば、知る者は少ない方が良いでしょうから」
「うむ、そういう事だなっ!」
「ですが、これだけは確認しておきます。あなたは、本当に頼太さんなのですね?」
最後に強い口調で問うてくるミーアさんに対し、俺もまた確固とした意志を以て肯定の意を返す。一先ずこれで、目下の問題は解決したか。リセリー本人は人類に対し、種としては小虫の如き存在としか見ていないと公言もしているし、今や封印から完全に開放済のこいつの事だ。別に一人二人知る者が増えたところで、どうという事もなかっただろうけれどもね。
「それでは次の問題となりますか。我等やミーア殿はともかくとしてですな、あの太古の死霊を祓うには些か手持ちの駒数に不足感があるのは否めません。外務省側の方々は現場向きではありませんし、我等も死霊相手の有効な手立ては持ち得ませんからなぁ」
「だよなぁ。むぅ、どうしたものか」
トビさんの言う事はもっともだ。一度は帝国軍の討伐隊をも退けた程の太古の死霊、そしてそれが率いるアンデッドの群れを相手取るには些か以上に分が悪い。これが一番の問題ではあるんだよな。
正味の話をさせてもらえば、扶祢がまた黒化しているこの状況でならば遺跡の最深層で見せた黒の波動を直撃させれば倒せそうに思えなくもない。また有り得ない仮定の話ではあるが、あの太古の死霊ですら教会に張られた結界を完全には突き抜けられなかった事実を鑑みるに、サリナさんクラスの神職による結界なりで動きを封じ込める事さえ出来れば黒の波動による都市部への被害を考えずに太古の死霊のみを消し去るのも容易ではあろう。
しかし、たらればの話を始めてしまえばきりがない。なのでやはり、ここは手持ちの札である扶祢の黒の波動に期待して、どうにか死霊の動きを封じる手段を練るしかないか。そう、思っていたのだが……。
「だっ、大丈夫だ……今度は、我だって参加する。ゆ、幽霊なんか怖くないんだからっ!」
「あ、駄目かも」
うん、ピノの言葉ではないがこれ駄目なやつだ。既に今でも口調が戻りかけているし、下手すりゃ太古の死霊を視認した時点で黒の波動をぶっ放す前に恐怖で元に戻りかねねぇな……。
「一先ず、帝都支部に調査結果の報告だけでも行っとくか」
「だね」
「それでは私もご同行しますね」
お、そりゃ助かるな。先日に帝都支部へ謝罪しに行った際はミーアさんの取りなしのお蔭で随分と救われたものだし、それじゃあ今回もお世話になります!
そして俺とピノ、それとミーアさんも含めた三人は考え込む出雲達を置いて一度帝都支部へと調査報告に赴くのであった
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「……お前達の報告のみであれば到底信じる事は出来なかったが、ミーア殿にまでそう証言をされてはな」
「はい。兄の携わる政策の機密事項に関わる事ですので、詳細については申し訳ありませんが兄本人にお問い合わせ下さい。ですが、一定以上の成果を見込める情報だと自負しております」
結果としては前回のハッタリが功を奏したか、ボルドォ代行自らが会談に応じてくれた事でどうにか半信半疑といった程度には話を聞いてもらえたらしい。ミーアさん自身も詳細を知らず納得出来ない部分も多々あるだろうに、アトフさんに負けない程の弁舌を以て説得をしてくれたのは素直に頭が下がります。
「それで、なんですが。代行の配下の方々に広域結界を張れる程の神職の方なんて、いたりしませんかね?」
「俺の配下、というかこの帝都支部にはそこまでの神職はいないな。上司のジェラルドに相談すれば、あるいは他の派閥より増援を頼めるかもしれないが……」
「そっかー」
やはり、そうそう上手くは都合が付かないか。代行が口を濁した理由は分かる。軍属の中では比較的中立に近い立ち位置である、ジェラルド将軍麾下の代行一派であるからこそこの様な対応をしてくれるのであって、そこに他の派閥までが入ってくるとなれば最低限、理由の開示まではせねばならなくなるだろう。そうなってしまえば最早リセリーについて隠し通す事も不可能であり、結果として俺は間違いなくモルモットエンドまっしぐら。扶祢にしたってそうだ、黒の波動をぶっ放す姿を見られてしまえばどうなるか分かったものではないからな……。
「それじゃあ報告だけに留めておきます。お手数かけました」
「……あぁ、ご苦労だった」
代行はその後も何やら考えている風に難しい顔で腕組みをし続けていたが、もうここにこのまま居ても俺達に出来る事は特には無い。領域が加速度的に広がる危険がある事だけでも伝えられたので良しとするしかないか。
そしてやるべき事を終えた俺達は、ギルドカウンターにてそれなりの調査報酬を頂いた後に帝都支部を後にしたのだった。
先日にもこの帝都支部を訪れ、騒動の切っ掛けを起こしてくれた若者達が去った後のこと。ボルドォはギルドマスターの執務室にて新たな報告書を書いていた。そこには若者達による遺棄地域の調査依頼報告内容と併せ、現時点での若者達に対する懸念事項、またアトフ外務相の関与についての考察等多岐に亘り、そして文面の最後にとある決意をも書き添えた上で締めくくられる。
報告書を書き上げたボルドォは徐に席を立ち、冬の寒さが入り込む窓を開けて護法文書を解き放つ。陽が傾き赤らんできた夕暮れ空の中、暫しの間それを見つめていたボルドォはやがて窓を閉じ、身の回りの整理も終えてより部屋を後にした。
「お疲れ様です、代行……」
ギルドロビーへと顔を出したボルドォへ向け、何処か沈みがちな様子の受付嬢が一礼をして迎える。それに鷹揚に頷きを返したボルドォは続き、簡潔に命令を伝えた。
「二時間以内に動ける獣化部隊を集めろ、それと数は少なくとも良いから浄化の可能な神職もだ。出撃する」
「……はい。それでは私も浄化を兼任致します」
「あぁ。お前は実戦に関しては優秀だからな、期待している」
「この身に替えましても」
この身に替えても――その言葉を聞いたボルドォはついその厳めしいと評されがちな相貌を崩してしまう。先日に自らが相方へ向けて口にした言葉ではあるが、一方で聞く側としては堪ったものではないなとも思う。成程、これではジェラルドの奴が心配性になってしまうのも頷けると僅かな反省の意を自認しながらも、殊更に優しげな表情を形作り部下へと言葉をかけた。
「肩の力をもっと抜けよ、カンナ。なぁに、今夜はただの様子見程度だからな。他の連中にも言ってやれ、希望者だけで構わんとな」
「いえ、他ならぬ隊長のお言葉です。恐らくは動ける者全員が集まるかと存じますよ」
「む……」
思わぬところでそんな返しをされ、ボルドォは言葉に詰まってしまう。そのまま思い悩む様子を見せてはいたものの、結局は何も言う事もなく肩を竦めるに留めるのみ。
「無理に副官モードになる必要は無いからな。こんな所でまたぞろボルドォ専用命令権なんぞを出されたら堪らんよ」
「ええ、分かっておりますとも。あの若者達の前では精々、規律の取れた軍属の在り方というものを見せておきましょう」
最後にそう言い合って互いに笑みを交わし、それぞれの為すべき事を見定める二人。その目は既に臨時の冒険者ギルド職員を演じるそれではなく、軍人としての覚悟と矜持の顕れに満ちていた―――




