第195話 帝都裏路地逃走劇
明日9/29日(木)、悪魔さん第34話投稿しまス。
帝都クランウェルのほぼ中央に位置する、王城ケラトフィリス。初代皇帝の意向により、公都クムヌに建つ王城マグナよりも僅かに高く設計をされた等と実しやかに噂されてはいるものの、情報伝達手段が地球程に発達をしていないこの世界でその謎が解かれるには未だ暫しの時を要する事だろう。
さて、その王城より数分程を馬車に揺られた大通りの向かい側には、諸外国の大使を迎え入れる寝所を兼ねた、帝国外務省の存在がある。
「……ふぅ」
来賓用にあてがわれた部屋へと通された後、娘は最上級の寝台へと身を投げ出した。柔らかな枕に頭を埋め、そのまま意識を手放したくなる衝動との小突き合いを続ける事暫し。
「――よし、特に不審な物音も聞こえんな。者共、お勤めご苦労っ!」
「つっかれたぁ~!」
この部屋へ入ってからも文字通り耳をそばだて、何かを探る様子を見せていた出雲がそう言うと共に、場に張り詰めていた緊張感が霞の如く溶けていく。
「お疲れさん。まさか着いた直後にいきなりあちらさんとの会見があるとはな」
「深海市へと訪れる以前より手の者を帝国内に配してはおったからな。日程はある程度調整が付く様にしておいたのだ」
「ふはぁ。そんな前から根回してたんだ……」
事も無げに語る出雲に扶祢と釣鬼の二人はと言えば、感心するやら呆れるやらといった表情を露わにしてしまう。片や出雲は既に馴染み深いとも言えよう得意気な表情を形作り、先程までの会見の疲れすら感じさせぬ様子で裏事情にまで踏み込みながら補足や説明などをしていた。
「ところで、あの二人なんだけどさ。大丈夫かな?」
出雲の語りも一段落がつき、メイドに扮した配下のシノビ達より疲れを癒す効能があるという強い香りの茶を振舞われた段になり、ふと思い出すかの様に扶祢が言う。
「帝都支部の連中がほぼ軍属の成りすましだって事くれぇは、説明しておいてやっても良かったかもしれねぇな」
「だが、あいつ等の事だ。事前に教えてしまえば厨二病を拗らせて妙な勘ぐりをし、向こうに警戒をされかねんからな。突発的な事態への咄嗟の対応の方が連中の素性の暴露に当たっては、余等に利する方向へ作用をすると思うのだよな」
実際に扶祢と釣鬼も、あの二人が馬車を降りた後に出雲よりそれを聞かされた時には驚いたものだ。聞けばその軍属が軍のどの系統に配されているかを知るのが帝都来訪の理由の一つであり、その点でヘイホー支部、延いては民間所属を自負する冒険者ギルドとしての意向との利害の一致を見て此度の指名依頼に至ったのだという。
成程そういった背景があれば代役の件を別にしても、演技をする事のない素の状態では感情が表に出やすい扶祢や、その場に居るだけで色んな意味で警戒をされかねない釣鬼がこちらに配されたのにも納得はいく、いくのだが……。
「うーん……最近でこそ収まってはきたけれど、ピノちゃんってピコに害意を向けてくる相手には容赦しないからな~」
「だな。以前の宿屋の件から考えても、下手すりゃ帝都支部を更地にしかねねぇよな」
その結果、消去法で選ばれたのがあの二人という点に一抹の、否、多大なる不安を覚えてしまうのだ。故に残る二人はこうして口々にその不安を零してしまう。
「あいつ等もそこまで見境無しではなかろう。信頼をして任せるべき部分は任せてやるのもまた、仲間の務めというものぞっ」
「お互いの性格をきっちり把握した上で至らない部分への的確な対応を練ってあげるのも、仲間としての思いやりという考え方もあるわよね?」
「あの野郎も、たまにその場のノリで自重っつぅ言葉を忘れる時があっからな」
「……やはり、一度こちらからも探りを入れておくとするか」
結果として数時間後に出雲の下へ届いたその報告に、一同揃って頭を抱える羽目となってしまうのであった。
Scene:side 頼太
俺達はひた走る、帝都の街並みを縫う様に。
まだ陽は十分に高く、人通りもそれなりにあるが故か追手の気配を感じることはない。だが相手は冒険者を騙る特殊な事情を抱えた軍属だ。いつどこで罠を仕掛けられるか分からないし、捕獲されてしまえばどんな目に遭うかも知れたものではない。
「せめて出雲達の滞在場所を実際に見てからギルドに出向けば良かったね……」
「つーか一体ここは何処だ?妙に寂れてんなぁ」
方向感覚にはそこそこ自信のある俺だが、今も走り続けている裏路地に逃げ込んでからというもの、あまりに入り組んでいる道に現在位置を見失ってしまっていた。陽の位置や立ち並ぶ建物の隙間より時折見える王城の尖塔を参考にすれば大まかには帝都の東側に位置する事位は分かるものの、この一帯は坂や段差があまりにも多く小汚い路地がひたすら続く、言うなればスラム街といった印象か。時折すれ違う住民達の身なりはお世辞にも上等とは言えず、また向けてくる眼差しも生きる事に真摯なものと見えた。
故にこれもまた必然の流れか。幾度目かになる袋小路へぶつかった辺りで引き返そうと振り返ってみれば、そこには脇道よりぞろぞろと湧いて出る十人程の人の列。
「よっしゃ乱闘イベント上等!あいつ等が追ってくる前にさっさとぶっ潰してやるぜぁ!?」
「いや、待てお前達。お前達は軍の狗に追い込まれ……」
見えぬ追跡者に追われ続けた弊害か、自分でも気付かぬ内に溜め込んでいたストレスを発散するべく若干好戦的な気分になってしまったらしい。先頭に立つ野性味溢れた男の話を聞くこともなく、手近な台を活用し沸いて出たスラムの住民らしき者の一人に高度差を利用した急襲を仕掛ける。
「……ちぃっ!」
「なぬっ!?」
だがしかし喧嘩レベルでの必殺を期した筈の不意打ちを、その男は舌打ちをしながらもあっさりと往なしてしまう。
「こいつ等手強いぞ!油断すんなよっ」
背後のピノにそう言いながらも再び障害物を利用して塀の上に駆け上がり、周辺を見回してみると……居るわ居るわ、この場に面する連中に倍する数が続々と集まってきていた。これはまずい、とっとと離脱しないと王手寸前じゃあないか。
刻一刻を争う状況に頭に上った血もすっかりと醒め、慌てて地面へと着地をした後にピノを抱きかかえて一言二言耳打ちをする。その内容にピノの顔が若干引き攣った様に見えたが見なかった事にしよう、非常時だからなっ。
「喰らいやがれっ、逆ギレ妖精弾っ!!」
「後で覚えてろー!?」
次の瞬間、俺の全力により空中へと投擲をされたピノが光と音の炸裂弾と化し、辺りの視界が塞がれてしまう。その炸裂弾の影響で一時的に喪った機能が回復した後に周囲を取り囲んでいた者達が見たものは、もぬけの殻と化した袋小路。そしてその背より虹色に光る幻想的な翅を生やし、遥かな上空を飛び去る少女の姿であった。
「くそっ!まさか白昼堂々ギルドロビーを爆破した上に、躊躇無く住民に扮した俺達へ攻撃を仕掛けてくるとはなっ。平和ボケした公国出身の連中と侮ったか」
「それ以前の話としてあの様に平然と仲間を投げつけてきて、更にその仲間があんな形で目晦ましをかけてくるとは……連携の良さもさる事ながら想定外に過ぎて対応が遅れ、申し訳ございません」
「いや、あれにはオレも些か驚かされたからな、仕方があるまい。それにしても、先日のあの巨像といい、ここのところ常識とは一体何なのかと問いたくなってしまう事が多いな」
「まったくですね……」
その後も少しの間を何事か相談をしていた男達だったが、やがてその場を離れていくであろう複数の足音が僅かに響いていった。それからたっぷりと千を数えた段になって袋小路の端に立つ置物が僅かにずれ、一つの影――つまり俺の頭がひょっこりと地上へとせり出した。
「敵影確認出来ず、っと。ふぅ、何とか助かったな」
「わぎゅぅぅ……」
「お、悪いなピコ。急な事だったからお前にまで説明してる暇がなかったぜ」
ピノによる『朦朧破』が炸裂した際、それが引き起こした目晦ましの音と光に紛れて振動剣で地面を切り抜いた俺は付近の排水溝へと繋がる裂け目を作り出していた。然る後にピコ諸共に自身の身体もその裂け目へ押し込み、こうして疑似的な隠れ身の術を敢行したという訳だ。その際に同じく視界と三半規管をやられてしまったピコは、今も至近距離から漂ってくる生活排水の臭気とのトリプルパンチで悶絶していたけれど、これも非常時故のこと。許せよ。
「こりゃ陽の高い内に動くのは危険だな。ピコには悪いが、もう暫くはこのまま仲良く臭い中で過ごすとすっか」
「わひぃんっ!?」
こうして哀れ姉に見捨てられてしまったピコは、泥臭い排水溝の臭い漂う窮屈な裂け目の中で夜までの長い時間を過ごす事となる。今も横で弱々しい鳴き声を上げ続けるピコの口を手持ちの布で塞ぎつつ、先程の男達の話していた内容とギルドの帝都支部であった出来事の関連性について、時が満ちるまでの間を自分なりの考えを纏める時間に費やすのであった。
尚、ミチルはピコの二の轍を踏むまいと言わんばかりに断固として俺の内側へと引き籠り、主人の呼びかけにすら答える事はなかったらしい。こうしてみれば自在に霊体化が出来る能力が如何に有用かが実感出来るというものだが、薄情に過ぎる弟分の態度に更なる涙を流すアルカディアン・マスティフ(偽)の姿があったという、哀しい事実も忘れないでほしいものだ。
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「――よし。そろそろ動くか」
「……わぅ」
陽が西の空に沈む頃合いとなり、隣で精根尽き果てた様な鳴き声で応えるピコと共に地上へと這い出した。それまでの間にも時折置物をずらし地上の様子を見てみたのだが、どうにもこの辺りの住宅からは生活の気配といったものを感じないのだよな。人影は全く見られなく、また物音の一つも無し。野良動物に関してはまぁ、ピコの気配に恐れをなしてという可能性もあるが……そういえば、神秘力感知をされていたらアウトだったのか。ピノの派手な陽動で上手いこと裏を突いたのが幸いした形となるが、今更ながらに見つかっていたらと思うとぞっとしてしまう。
その後、有事の際に身軽であれる様、ミチルは引き続き俺の内側に留めたままに周囲の探索を開始する。思い出したついでに神秘力感知を絡めて辺りの様子を探ってもみるが、やはり特段何も感じる事はない。
俺の場合は感知出来る範囲もそう広くはなく、どちらかと言えば所謂虫の報せといった勘頼みな部分に特化している節がある。精々が近場での目に見えた異常があれば揺らぎの様な形で見える事もある程度だし、ピノの様に能動的な感知をするなどという芸当は到底出来やしない。お前の場合、そんな事をするならば気配を読む方がまだましだ、とまで言われた事がある程だからな。
ピノ曰く、この辺りは生まれた時より日常的に認識をする訓練等も必要らしい。無いものねだりをしても仕方がないので早々に諦め、いつも通りに探索の基礎に忠実に少しずつ周囲の状況を確かめていった。
「この辺り、誰も住んでいないみたいだな」
「わふ?」
暫しの間付近を探索した結果、やはりこの一帯には人っ子一人存在しないらしい事が判明する。あの連中が帝国軍だとすれば、昼にあんな事があったにも拘らず見張りの一人も置かないというのは杜撰だなとも思いつつ、いつの間にやら薄暗くなっていた寂れた路地を一人と一匹は歩き続ける。
―――いの。
「ん?」
今、何処かで微かな声が聞こえた気がする。ふと聞こえた声に足を止め、耳を澄ませてみればやはり、聞こえるな。
「……しいの」
ふむ。不透明に響く声だけでははっきりとは聞き取れないが、年の頃で言えばピノ……は見た目と実年齢が乖離しているので置いといて、ミアやマリノと同程度といったところかな?
「なぁ、ピコ?」
「わぅう……」
俺はふと辺りの情景を見廻しながら、現在置かれているであろう状況を再確認する。
場所は過去の住民より打ち棄てられたらしき廃墟の街並み。
何故だか見張りの一人すら残さず去っていった軍人と思わしき人物達。
俺の傍らには目に見えて怯えた様子で尻尾を丸め震えるピコ。
そして……時刻は日暮れ直後の逢魔が時。
「前方よーし、左右よーし、後方よーし――破滅したくなきゃ逃げろぉっ!?」
「ぎゃいーん!?」
「……さみしいの」
「……くるしいの」
「……くやしいのぉおおおおお!!」
こんな時に限って全力で仕事をしてくれる神秘力感知能力に心の中で悪態を吐きつつも、不意に襲い来る絶望感に絶叫を上げると同時に揃って全力ダッシュをする。そんな俺達の周囲より突如複数の亡霊然とした何かが現れ、打って変わって怖気のするその声色に全身総毛だってしまう。
「これ、あれか!バンシーってやつか?それともデュラハン!?どっちにしても追いつかれたら終わるぅぅぅ!?」
「わひゅぃぃ……」
ピコからの言葉は通じなくとも心は同じくしていることだろう。狭苦しい路地内を窮屈に並走する俺達の胸中は、袋小路にだけは当たってくれるな、だった。幸いにして今のところはその祈りが届いているらしいが、このままでは埒が明かないのも事実。ここはひとつ、祈りと言えばで思い出した新たな切り札にご登場願うとしよう。
(助けてリセリーおねいさーん!?)
しかし たすけは こなかった!
待てど暮せど返事どころか、憑いていた時特有の包み込まれる様な気配すら無し。チャンネルを繋いだとかいう話はどこいった!?その後もひた走りながら幾度か心の中で呼びかけてはみるものの、音沙汰無しな状況に遂には切羽詰まった心境に至ってしまう。
「ひいっ!ひいっ!ここ、何処なんだよぉぉ……」
いい加減涙目になりながらも執拗に追いかけてくる亡霊達からの逃走を続けていると、不意に空間が開け若干大きい通りが視界に入ってきた。それは良いのだが、よく見れば通りの周囲には火の玉が飛び回り、向かい側からはバイオな災害などのお供にありがちな、身体のあちこちにガタがきた感じの血色悪い人型が無数に立ち並んでいた。それらは俺達の姿を確認するなり、おぼつかない足取りで一斉にこちらへと向かってくる。
「……うわぁあああぁあっ!?」
「ぎゃうーん!?」
後になって冷静に振り返ってみれば、如何に生ける屍とはいえども肉体のある相手ならば落ち着いて対処をすればどうにかなりそうにも思える。だがこの時は日本人特有の幽霊に対する潜在的な恐怖感といったものが、現実に対面した事で表面化してしまったのだろう。その上で更に目の前のゾンビパニックにより思考がぐちゃぐちゃになっており、必然的に死の恐怖を連想させる存在から逃れる為に横手の古ぼけた教会へと飛び込んでしまう。
「お、おた……お助けぇぇ……」
「――こんな夜分、それも打ち棄てられたこの一帯にやってくるとは。どういった御用でしょうか?」
返事を期待していたわけではないが、思わず出てしまった言葉に答えてくる声が一つ。先の亡霊達にも似ていようその声からはしかし、己を律しようとする意思の様なものが感じられた。
「あっ、た、助かったっ!外に、亡霊とゾンビ…が……」
蝋燭に照らされるのみの薄暗い建物の中で、一縷の望みを見出す錯覚を覚えた俺が見た姿は。
「あぁ、やはりあなたも死霊達に追われてしまったのですね……私の顔に、何か?」
纏う衣装は修道女のそれ。落ち着いた立ち振る舞いの中にも凛とした気配を感じ、澄んだ瞳を備えるその顔は……人のそれとは到底思えぬ、緑の色に染まっていたのだ―――




