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狐耳と行く異世界ツアーズ  作者: モミアゲ雪達磨
第九章 無貌の女神編
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第187話 引き裂かれた者達

 巨大質量の大規模な移動に影響され、辺りには土砂の崩れ落ちる音が響き続ける。

 つい先日に誕生の祝いを迎えた娘は、あの日に知った驚きの偶然に心躍ってしまった昂りからも今や醒め、巨大な像すら目に入らぬ様子で傍らにぽっかりと口を開ける、奈落への穴をぼうっと眺め続けていた。


「頼太、どうして……」

「……他に欠員はおらんな?」

「うん……扶祢、立てる?」

「あ、う……」


 投げかけられる言葉そのものは耳に入ってはいた。しかしどこか現実から乖離してしまった思考とは対照的に、身体の方はあたかも動かす機能そのものが喪われてしまったかの体だ。娘は腰砕けのままにそれが精一杯といった様子で震える手を穴の側へと伸ばしていたが、やがて緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのだろう。遂には絶望感に苛まれた意識を手放し、そのまま全身を弛緩させ倒れ込んでしまった。


「あの、向こう見ずの馬鹿野郎が。面倒を見ろたぁ言ったが、何も自らを顧みずにここまでしなくてもよ……」


 娘が地面に倒れ込む既の所でそれを支え留めた大鬼は、あの刹那、躊躇なく虚空へと身を躍らせて娘の腕を掴み地上に投げ放ち、引き換えに奈落へと飲み込まれていった若者へ毒づかずにはいられなかった。若者の咄嗟の行動のお陰でどうにか娘を掴み引き揚げることは出来たものの、結果としてはあの大崩落の犠牲となった者が入れ替わったに過ぎない。

 そんな気持ちを込めた大鬼の言葉に残った二人も厳しい表情を形作り、暫しを言葉も無く立ち尽くしてしまう。


「……まずはトビと合流するぞ。対策を練るのはそれからだ」


 やがて遠方よりこちらの姿を確認し、駆けてくる馬車の音を聞き付けたもう一人の娘の言葉に一同力無く首肯を返す。そして短い無言の行軍の後に馬車の手勢と合流を果たし、互いの情報交換を始めるのであった―――








 Scene:side 頼太


 ―――その目覚めは、決して心地良いと言えるものではなかった。


「んぁ――痛ぅッ!?」


 起き様に左上腕部と脇腹付近へ激痛が奔り、その衝撃で意識が一気に現へと引き揚げられる。


「ぬがっ、ぐ……こりゃ、脱臼じゃなくて折れてんな」


 その激痛にまずは自らの身体の具合を確かめ、そう判断した俺は応急処置を始めようとする。しかし目の利かぬ程の暗闇の中で片腕ながらの不自由さも相まって、折れた部分の固定が中々上手くいかない、あいだだだだっ!?


「くぅーん」

「ん、その声はミチルか?」

「わうん」

「……そっか。お前も一緒に落ちたんだな」


 俺が腕とあばらの痛みにもがいていると、それまでその場には居なかった筈の一匹の犬の気配が現れ、俺を気遣う様に鼻をすり寄せてきた。どうやらミチルはあの時、霊体化をして俺の中に戻って来ていた様だ。思い返してみれば落下途中に無我夢中で降り注いでくる破片を蹴り飛ばしたり、落下の勢いを防ぐべく岩壁に腕を引っ掛けたりと、文字通り気が遠くなって意識を失う程の高さより転げ落ちたにしては随分と傷は浅く、装備もそう痛んでいる風には見えなかった。どんな原理かは分からないが、こいつが俺の内側に入り込み鎧化でもして衝撃を緩和してくれたのだろうか。


「ミチル、サンキュ」

「わふわふ」


 さて、そろそろ動かないといけないのだろうが、如何せんこの真っ暗闇では動き様も無いな。


「ちょっと待ってろよ――『着火(ティンダー)』っと」


 おお、点いた点いた。ここの処、文明の利器にばかり頼り忘れがちだった生活魔法の存在だが、こういった緊急時にはやはり思いの他役立つな。ふと一年前の自分では夢想だにしなかった、魔法効果を生み出し操るという現実に、現在の置かれている状況を俄かに忘れついつい頬が緩むのを自覚してしまう。


「おっと、さっさと火を移さないと効果時間が切れちまうな。非常用の蝋燭はっと……あったあった」


 幸い携帯用で脇に抱えていた小さなリュックの中身も、そう酷く損傷をしている品はないらしい。二十四時間は保つと評判の燈明蝋燭に火を灯し、それを組み立て式のガワに入れて吊り下げればカンテラもどきの出来上がりだ。


「うっし、これで何とか動きが取れるか」


 さて、灯りを頼りにミチルに押さえ方などを手伝って貰い、どうにか患部の固定も完了した。相変わらず痛みは強いものの、意識を失っていた間に脳が痛みの信号に慣れてでもきたのだろう。固定した部分を刺激せずに激しい動きさえしなければ、どうにか耐えられなくはない程度に収まってきた。


「……そういや、道場で初めて腕を脱臼した時は本気で泣き叫んだものだよな」

「わうん」


 ふとそんな事を思い出し、僅かながら当時を振り返ってみる。あの時はミチルの散歩のついでに道場に寄り、運が悪くというか葛見先生が不在な時に怖い事務所のお兄さん方の用心棒みたいなのが道場に乗り込んできたんだっけ。

 当時の俺は中学に入りたての生意気盛り、リアル厨二病を発揮してその用心棒のお兄さんに纏わり付き、軽く揉んで貰った結果見事に肩が外れてしまってね。もうあの時の痛さといったら無かったな。お恥ずかしながら、痛みと衝撃で身動きを取る事も出来ないままに泣き叫び、それに主人の危機と見たらしきミチルが用心棒のお兄さんに襲い掛かってしまいましてな……。


「あの時戻ってきた葛見先生が止めてくれなかったらお前、あっさりと保健所行きして今頃天国に旅立ってたかもな……」

「わひゅう……」


 昔の懐かしい思い出で鬱屈とした空気を振り払うはずがお互いあまり思い出したくない過去を振り返ってしまう事となってしまった。一通り気分を沈み込ませてしまった後に、これはいかんと揃って首を振り気を取り直して辺りの状況を調べ始める。


「んん?そういえば上からの光が一切見えないな。ミチル、俺どの位寝てた?」

「わぅあぅ」


 おーけぃ、何言ってるかさっぱり分からん。俺からの言葉はミチルには通じている様だが、逆は然りとならずなんだよな。それでもニュアンス的なもの位は分からなくもないのだが、こういった数字的な場面になると多分に不便を感じてしまう。


「んじゃ指を立てていくから時間単位で答えてくれな?」

「あうっ!」


 少しの間頭を捻って考えた結果、ミチルの認識能力を利用してどうにか回答を得る事に至った。こいつは生前でもそれなりに言葉を理解していた節があったが、狗神として復活してからはほぼ会話が成り立つレベルに達している気がするからな。ピノによれば割と普通にピコと雑談などもしているらしいし、やはり言葉が通じるという事実に心が温まってしまう。


「一時間にも満たない、か……」

「わふ!」


 俺があの大崩落に巻き込まれたのは、そろそろ探索を小休止でもして早めのお昼にしようかといった時間帯だった。だからあれから一時間程度しか経過していないというのであれば空から恵みの光が降り注いでいて然るべきなのだが、それにしては外界の光が一切感じられないときた。落下途中にどこかの窪みに嵌まってしまった可能性も否めないが、一体どれだけの距離を転げ落ちてきたのだろうか。無事地上に戻れるかどうかが不安になってきたぜ……。


「まぁ、今それを言っても仕方が無い事か。行くぞ、ミチル」

「わん!」


 俺の声にミチルが応え、嬉しそうに尻尾を振りながら脇に寄り添う様に付いてくる。うん、やはり孤独ではないというのは精神面での安定度が段違いだ。俺一人だったらこの怪我もあり、もしかしたら途方に暮れていたかもしれない。ここはミチルに感謝だな。


 ・

 ・

 ・

 ・


「――ふむ、こんなところか」


 海洋世界の一件でもお世話になったザイルを使い、マス目風にマッピングをしながらこの穴の底を調べること暫し。どうやらここは、本当にどこかの窪みの中らしい事が推測された。

 途中歪んだ場所も多々あったのではっきりとは言えないが、底の広さとしては縦100m、横が40~50m程の歪な菱形といった感じか。調べている最中に風の流れを感じる箇所を幾つか発見した。恐らくはそこから流れてきた空気のお陰で、思った程にはこの空間の空気も澱む事も無く窒息死を免れたと言えるだろう。


「『着火(ティンダー)』はさっき一度使ってるから、今日は使えて後二回ってところか……節約すっか」

「わぅぅ……」


 リュックの中を漁れば落下の衝撃でボロボロになってしまってはいたものの、器を移しかえれば食べられそうなカップ麺の残骸も何袋かは入っていた。だが、まだそこまで極限状態でないとは言えど、ここで水まで大量に使うのはなぁ……迷宮へ入るという事で念の為に皮袋に入れておいた水の残りもあまり多くはないし、最悪は飲尿も覚悟するしかないか。とはいえ精神面での抵抗感も然ることながら、尿には塩分が含まれており、飲んでしまうと脱水症状の危険もあると聞く。だから、それは本当に極限状態に陥った際の非常手段となりそうだ。

 ごめんな、ミチル。お前の分も何か食わせてやりたいけれど、今は脱出の目途すら立っていない状態だからな、狂乱牛(マッドブル)ジャーキーの欠片だけで我慢してくれよ。

 こうして気持ち口を湿らせる程度の水分補給を終え、お次は比較的登攀が可能と思われる緩い傾斜を辿り横孔の一つへと向かう事にする。負傷の影響で患部は熱を持っているし体中怠くもあるが、そんな体調でも日々の鍛錬のお陰か、まだまだ動き回る余力は有りそうだ。常日頃の釣鬼先生による殺人的な訓練メニューや、たまにうっかりでクリティカルアタックを入れてくる扶祢との油断大敵スパーには辟易していたが、お陰でこんな非常事態に於いても気力体力共に余裕が残っているというのは皮肉なものだね。


「よっ……ぐあっ、痛ぅ~!」

「きゃふっ!?くぅん……」

「あぁ大丈夫だ。登る時につい脇腹に力入れちまっただけだから」


 手近な横穴への急な傾斜を登りきり、身体を一気に引き上げた所でまたも脇腹に奔る痛みに悶絶してしまう。やはり体力的には余裕があるとはいえ、今の俺は怪我人だからな。毎度毎度こんな激痛を味わうのも御免ではあるし、今後は無理をせずに動く事を心がけよう。つくづく健康第一という言葉が身に染みるぜ。


「ん……風の流れはこの道から来てるのか?」

「クンクン……あぅあぅっ!」


 ミチルも空気中の臭いを嗅ぎ、恐らくは俺の問いへの肯定の意を返していた。ならばこの洞穴の内部の道無き道を進んでみるとしようか。そう考え、洞穴の内部へと歩を進めた直後の事だった。


《――堕ちたる者を封ずるこの棺の最深部へ入ってくるとは物好きな、何用か?》

「むっ?」


 奥の方から囁く様な、年齢も性別も不明な声の様なものが響いてくる。一瞬幻聴かとも思ったが、ミチルも同じく反応を示しているな。この迷宮の名にもある通り、堕ちたる者を封ずるなどと言ってもいるし、やはりこれはそういった存在の声なのだろうか?

 だが、それにしては……。


《聞こえていないのか?……あぁ、恐怖に打ち震えているのだな。心配するな、先の鎧巨兵は目覚めたワタシの波長に反応し、封印を解かせぬ為に緊急始動をしただけだろう。ワタシへのこの忌々しき封印は、未だ生き続けているという事さ》


 この通り、少なくともその声からは敵意といったものを一切感じないのだ。同時に地上で感じた凄まじいまでの圧力が再び身の周りへと覆い始めるも、二度目だからだろうか、あの時程には圧迫感といったものをあまり感じられなかった。


「……行ってみるか」

「わふぅ?」


 不安そうに俺の顔色を窺うミチルの頭を軽く撫でてやり、俺は声のする側へと歩き始める。どの道、水も食料もそう余裕は無いんだ。このまま手をこまねいているよりも、今は少しでも情報を得て地上へと脱出する道を見つけたい所だからな。


《どうした、まさか死にかけているのか?久方ぶりの客人なのだから、そんなつまらない事を言わないでくれよ》


 ここで俺はこの声の言葉より、拙いながらも相手が何を欲しているかを想像してみる事にする。そしてその結果、取った反応は―――


「このまま話せばそちらに聞こえるのかな?俺はちょっと道に迷ってしまっていてさ、ついでに怪我もそれなりにしている脆い人間なんで、その辺りを考慮して話に付き合ってくれると有難いな」

《ふん?偶に迷い込み震え上がるだけの小虫共とは毛色が違うみたいね……コホン、良いだろう。どの道ワタシはこの封印の場より身動きが取れないからな。精々が我が気配に押し潰されぬ様、気を張ってワタシに逢いに来るのだな》


 そんな謎の声が言葉を切った後、それまで一帯に張り詰めていた圧力が嘘の様に掻き消えていった。これは、声の主といった存在が俺の希望を聞き入れてくれたという事なのかな?

 何れにせよこのままでは埒が明かないのも事実。あるいは新たな展開へ進めるかもしれないという希望も含め、声の誘いに付き合うとしようか。

 俺は再び静寂に包まれた洞の内部を一歩また一歩、ゆっくりと歩みを進める。そしてたっぷり五百を数えた後に、少しばかり開けた空間へと出た。

 そこに居た……いや、在ったのは。


《我を封じし小虫共の末裔よ。この忌まわしき過去の玄室へ、ようこそ》


 部屋の至る箇所よりある一点へと伸びる多量の黒い鎖の群れ、中心には床から天井にまで突き抜ける、巨大な一柱(ひとはしら)。そして……その柱に身体の半ばまでをも埋め込まれ、両腕を鎖に絡め取られた一つのヒトガタが、愉しげに妖艶な笑みを浮かべていた―――

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