閑話⑬ ASコンビの公都見聞録②
公都クムヌの朝は早い―――
元は小規模の領地を持つ貴族達が寄り集まり、その君主が大公として纏めこのクムヌを首都として立ち上げた一つの小国がこのサナダン公国の前身と伝えられている。それが数百年とも千年を超えるとも言われる長い歴史の中でいつしか他に比肩し得るもののない大国となり、やがて必要に駆られ王政を布かれる事となった流れはこの大陸の歴史に触れた者達には広く知れ渡っている話だ。
それはそれとして、国の首都であるという事はつまり、その象徴たる公王の住居となる王城が存在するという事だ。国家の政治面軍事面双方での中心的拠点でもある王城が建つ以上、国防上その機能が眠る事は許されない。それが故に必要に応じ各種取引場や関連の店舗等も連鎖的に活発づき、街の中央に位置する市場もこうして早朝より盛況を醸しているのである。
昨晩は早々に酔い潰れてしまったサリナの面倒を見る為にあまり酒が入っていなかったアデルは、夜明けの光を感じると共に目覚めてしまった。そして日課となる早朝トレーニングを終えた後に、現在は散歩がてら朝の市場へと足を運んでいた。
「いらっしゃいっ、この街で耳長族のお嬢さんとは珍しい。どうだい、朝の採りたてメガプラムの果汁一番搾り。生臭物を好まない耳長族の方々にも人気の逸品だよっ!」
一部不夜城とも言われる程に街全体が活発で賑やかな公国随一の大都市ヘイホー、また公国内観光旅行先として人気の高いクシャーナの定期開催市程ではないにしろ、それなりに活力の感じられるクムヌ市場。その一角にて、漂う料理の匂いに釣られ一つの露店の前へふらふらと立ち寄ったアデルに、店主らしき中年の親父がそんなお勧めをしながら声をかけてきた。
「んーそれも悪くないけれど、ちょっと小腹が空いちゃってね。何か腹に溜まる肉料理は無いかな?」
「おやま、ベジタリアンが多い耳長族にしちゃ予想外な返しだな――ってアイブリンガー伯爵令嬢サマじゃないですか!?こ、これは失礼をば……」
「や、久しぶり。大声でそういう事を言われると気楽な散策がし辛くなってしまうから、勘弁願いたいものだけれどもね」
今のアデルはいつもの白銀鎧に戦乙女の羽根をあしらった兜という冒険者然とした出で立ちではなく、街中用として季節に合わせた黄暖色のチュニックにシンプルなスカートといった、比較的落ち着いた服装で出歩いていた。だからこそ、幾度か自分とも面識のあるその露店主もすぐには気付く事が出来なかったのだろうな、などと考えながら苦笑を浮かべそう返す。
元々冒険者としても独立してやっていける程に有名なアデルとしては、公国権力の御膝元でもあるこの公都にて無闇に家名で呼ばれるのを好まない。無論、冒険者として注目を受ける分には吝かではないのだが。
「アイタッ、こりゃ重ねて失礼を。んじゃアーデルハイトさま――も、問題ありますよねぇ。アデルさんの此度の来都はお忍びですかい?」
「そういう訳でも無いのだけれどね。ほら、今冒険者ギルド本部で次期サブマスターの候補戦が始まったという話は店主も耳にしているだろう?昨日は記者達がこぞってやってきていたからね」
「あぁ、そういやそんな噂話も出ていましたね。何でも保守派と改革派の泥沼の争いで次々と候補者達が脱落していってるとか、そんなネタがこの市場でも流れていたよーな」
アデルの説明に耳を傾けながら、店主はサービスだとばかりにメガプラムの天然ジュースを寄越してくる。その自然な振る舞いに、アデルはくすりと笑いを零しながらもその心遣いを有難く受け取り、未だ早朝トレーニングの余韻が残る火照った身体に程よく冷えた自然の恵みを染みこませていく。
「うん、程良い甘みで爽やかだね。それで、話の続きだったか。わたしはその候補者の一人の護衛として、ヘイホーから久々にこの公都へやってきたという訳さ」
「なぁるほど、冒険者ギルド御用達のお仕事でしたか。それじゃあ相応に精の付く品を見繕ってきますよ。少々お待ちをば」
「宜しく頼むよ」
注文を受けた店主が厨房へと引っ込むのを確認した後に、アデルは露店前の小テーブルの椅子へと腰をかけ、改めて辺りを見回す。どうやら既に早朝の競りは終了したらしく、先程まではやや閑散としていた通りにも徐々に人の往来が増え活気付き始めていた。
「手前ぇっ、この泥棒猫の肩を持つ気かぁっ!?」
「――うん?」
そんな朝の賑やかながらも穏やかな時間が流れるこの露店通りに、突如無粋とも言える耳障りな大声が木霊する。その声に振り向いたアデルが目にしたものは……まだ幼少の頃とも言える、明らかに人族とは見えない蒼い肌を震わせながら紅い瞳からは大粒の涙を零す子供。そしてその子供を庇い、恫喝とも言える大声を張り上げる商人らしき人物へと立ち向かう、これまた頭部より二本の捻子くれた角を生やす少年の姿だった。
「だから儂がその代金を払うと言っているだろうが。それの何が不満なんだ?」
「そういう問題じゃねえんだよっ!」
「ぴぃ……」
まだ法整備も整っていなかった数十年前の裏街や、貧しい田舎町などにはよくあったであろう物取りの類。だが、ここ十年程の公国内での落ち着いた政情下でこの様な場面に出くわすのは珍しい。そんな感想を抱きながら他の野次馬達と同じく席を立ち一連のやり取りを聞き始めたアデルではあったが、どうやら今回の件については少々事情が違うらしい。
「いいか魔族の餓鬼?ここは市場で労働を終えた連中が来て、美味い飯をかっ喰らってだらしねぇ幸せ顔を晒す場所だ。だから俺もこんながなりたくはねぇんだがよ?対価も無しに、しかも他のお客さんが今か今かと待っていた大豚串を目の前で掻っ攫っていく。そんな真似をされちゃあ黙っちゃいられねぇってモンなんだ」
「だからといってこの様な年端もいかぬ孤児を、魔族魔族と大声を上げて鬼気迫る顔で追い詰めて良い訳が無かろう。儂が魔族だから言っている訳ではないが、それは魔族差別というものではないか?」
「これをそのまま笑って優しくしてやったら、その餓鬼はやっても良いものと勘違いしてまたやっちまうだろうが!俺は別に種族差別をする気はねぇが、それで今後その餓鬼が同じ事をやらかして、それが原因で迫害でも受けちまったら手前、どうするつもりだ?」
成程、よくよく聞いてみれば串焼き屋の店主の言う事も尤もではあるし、それに対する少年の言い分も子供故に仕方の無い事だ。見れば当事者である店主はアデルにも見覚えのある、子供好きで有名な強面親父であるし、大事に至る事はまず無いだろう。
アデルを含めた聴衆達は概ねの事情を把握した事により満足し、そこで大半の者達は場から去っていく事となる。そして最後に取り残されたアデルはと言えば……いつもの旺盛な好奇心が頭を覗かせ、気が付けば当事者達の目の前にまで歩み出してしまったらしい。
「あん?何だ姉ちゃん。俺は大事なケジメの話をしてるだけだぞ」
「む……いや済まないね。久々に面白い物が見れると思って見ていただけなんだけれども」
「はぁ?」
その間の抜けた返しに強面親父からは呆れ果てた顔を向けられ、アデルは気まずげな面持ちでそそくさとその場を去ろうとする。しかしそうは問屋が卸しはせんとばかりに、その思わぬ闖入者に光明を見出した少年が強引にアデルの手を引き、よりにもよって宣戦布告の如き宣言をしてしまう。
「よくぞ来た、儂と思想を同じくする正義の者よ!この悪辣非道な差別主義者を即刻撃退し、か弱き孤児を護るのだ!」
「……えぇー。そんなに日々の暮らしにも困る程ひもじい思いをしているなら、大人しくお巡りさんに付いていって詰所でご飯をご馳走になった方が互いの為じゃあないのかな?」
これは面倒臭い事になった、と内心うんざりしつつそれなりに現実に即していると思われる意見を出してみるアデルではあったが、謎の正義感に燃え盛る少年の単純な行動原理がそんな薄っぺらい言葉で変わろう筈もない。遂にはその少年は街中で魔法の詠唱をし始めてしまう。
「おっ、おいおい!?姉ちゃん一体どういう了見だ?いきなり割り込んできてこんな場所でドンパチやらかすつもりかよ!」
「え。や、違うんだよ?わたしは何故か見知らぬこの少年に仲間に引き込まれてしまっただけというか」
「やっぱりこの餓鬼の仲間だったのかっ……俺はただ、このままこの餓鬼共が道理ってモンを知らぬ大人になってしまったら後々酷い目に遭うんじゃねぇかと、良かれと思って説教をしていただけだってのに……」
これはまずい。アデル本人としては全くそんなつもりはないどころかむしろこの串焼き屋の親父の意見に同意を示したい程だというのに、現実的な立ち位置としては何故か子供達の側に組み込まれ、対決ムードになってしまっていた。気付けばこの親父だけではなく露店通りの店舗の面々までがアデル達を取り囲み、何やら不穏な表情で睨み付けてくる。
(あれ、おかしいな。わたしはただ朝ご飯前の余興に野次馬をしにきただけなのに……)
そんな世の不条理に内心涙しながらも、どうにか現状に突破口を見出そうとする。しかしそうしている間にも魔族の少年による拙い詠唱は完成を見てしまい、それが今にも放たれようとするのを目にしたアデルが咄嗟にとった行動は―――
「悪逆非道の人族共を蹴散らすが良いっ!爆ぜよ雷精、雷撃……」
「一先ず君は自重しようか。盲目な正義感は時には害にもなり得るものだよ?」
「むがっ――はぎゃぎゃぎゃっ!?」
その両の手に完成させた『雷撃破』諸共に、咄嗟の事で概ね加減も無しなアデルの抱擁により包み込まれた魔族の少年は、自らの雷撃に焼かれつつサバ折りの憂き目に遭う事となる。
「ぴっ、ぴいっ!?」
「ふうっ、危ない危ない。そっちの子は――あらら、あまりの怖さにお漏らししちゃったかぁ」
「姉ちゃん、大人しそうな見た目に反して随分とエグい事をしやがるぜ……ほら餓鬼、これやるから涙を拭きな」
「……あの。その言い方だとまるでわたしが悪者みたいに聞こえるのだけれどもね?」
ふと辺りを見回せば先程の雷撃の弾ける轟音により一度は去ったかと思われた野次馬達が再び事件現場へ舞い戻り、一見可憐に見える耳長族の娘が引き起こした惨状に揃って恐れ戦いていた。その代表格でもある串焼き屋の親父は今や恐怖に粗相をした幼児を甲斐甲斐しく世話しているし、幼児の方も先程までの泣き顔は何処へやら、満面の笑みを浮かべながら串焼きをむさぼっている程だ。
「おい、あの耳長族ってもしかして――」
「あぁ、魔導学院での魔法分野の成績は下から数えた方が早いのに、卒業試験課題の複合実技で前代未聞の総合点を叩き出して特級扱いで卒業した、通称『破壊公』だ」
「俺、後になって先生達から聞いたんだけどさ、学院生当時【破壊王】の称号が付きかけたらしいな、あいつ……」
今も自分達を取り囲む野次馬の中には、どうやら自分の素性を知る者もちらほらと居るらしい。ここは逃げるが勝ちとばかりに気絶した魔族の少年を抱え、アデルは今も幼児に甲斐甲斐しく餌付けをする強面店主へと声をかける。
「その様子ならその子を任せても構わない様だね。場の状況からしてわたしは一度ここを離れた方が良さそうにも思えるし、この少年についてもこのままではまずいだろう。ほとぼりが冷めた後に改めて出直すので、続きはその後でも良いかな?」
「……さっきは俺も妙な勘違いをしちまってたみたいだな。こう見えても俺は人情派店主として知られてんだ。姉ちゃんが戻るまでは俺が責任持ってこの餓鬼を見といてやるよ」
「あぁ、知ってるさ。わたしもここの串焼き屋の常連客だからね」
そして視界に警邏兵の姿を確認したアデルは挨拶もそこそこに、魔族の少年の雷撃でボロボロになってしまった衣装をたなびかせながら間近の塀の上へと跳び上がり、純血の耳長族もかくやといった身軽さでその場を去っていく。
後に残るは扇情的とも取れる服装になり、露わになったその肢体に魅せられた大多数の男共と……一部相方から伸びた鼻を引っ掴まれ、痴話喧嘩に発展してしまう少数のカップル達。そして―――
「アデルさん。また注文するだけしといて雲隠れかよ……折角脳筋族の郷付近から大量に仕入れた、極上の狂乱牛の香草蒸しを作ったんだけどなぁ……」
いざ注文の品を調理し終え、表に出てきた最初の露店の店主が状況を把握した後にぽつりと呟いた、そんな哀しい言葉にアデルの人となりを知る周囲の面々がこれまた店主への同情に涙したのだった。
一方その頃、相方は宿屋にて相変わらずの二日酔いで寝込んでいる模様。




