第173話 海洋覇者の悲哀
要塞の位置する孤島の沖合の海上より、海竜の嘆きの咆哮が響き渡る――今も孤島の砂浜で躯と化した首を晒す、自らの子供の死を憐れむかの様に。
その哀しみの咆哮はやがて周囲を泳ぐ大海蛇達にも伝わっていき、大合唱となった。そして一部の例外を除き、この海域に棲む全ての生物が食物連鎖の長たる者の怒りに触れるのを怖れ、一匹また一匹と泳ぎ去って行く。その例外とは言うまでもなく、今も孤島に群れる見慣れぬ小さき者達の事だ。
竜達はまだ知らない。小さき者達の一人が携える、とある武器に秘められた、敵対するものを滅ぼす破滅の光の存在を。それは竜達にとって不幸な事ではあるが、例え予てより知っていたとしても、それがたとえ自らの終わりを告げるものであろうとも。この海洋に於ける食物連鎖の頂点に立つ者として、逃げる事の許されぬ矜持がある。何より、我が子の首をあの様に浜へと晒し辱める、奴等が許せなかったのだ。
《お前達は、許さない!あの子の痛み、あの子の苦しみ、万倍にして味合わせようとも飽き足らぬ……お前達だけは一人残らずこの牙で引き裂き、他の子供達の餌として生きたまま喰らわせてやる!!》
小さき者達の中でその咆哮の意味を識った者は、極僅かだ。だが、海竜にとってはそんな事はどうでも良かった。海竜はその心の中に吹き荒ぶ怒りの暴風を示すべく、明確な敵意を込めた一際大きな咆哮を小さき者達へと叩き付け、それを合図に海竜の群れは浜へと向かって泳ぎ出す。我が子の仇であり、そして不遜にも海洋の覇者である海竜たる自分達へ刃向かう、小さき者達を蹂躙するが為に―――
Scene:side 頼太
「――あの言葉、伝えない方が良いよネ?」
「そうだな……」
一際大きく響く竜の咆哮が鳴り響いた後に、ピノとクロノさんがそんな言葉を漏らす。そういえば二人共、物言わぬ存在からの意思の様なものを聞き取る事が出来るんだったな。俺を含めた他の面々にはあの咆哮の意味は分からなかったが、この二人の反応からしても恐らくは碌な内容ではあるまい。それは皆も同じ意見だったらしく、誰一人とてそれ以上を聞こうとする者はいなかった。
「何れにせよ殲滅せねばならん相手だ。的が多少大きくなりはした様だが――何、射る分には好都合というものだろうさ」
そう冷静に言いながらクロノさんの番えた『矢』が弓砲により放たれ、それは射出直後より眩い粒子の奔流と化して射線上に迸る。
『GURAHHHHHHHHH!』
―――キュドッ!!
しかし敵もさるもの、弓砲による発動の予兆を見て取るとほぼ同時に、自らも水龍波を打ち付ける事により見事にクロノさんの射撃を相殺していたのだ。
「こりゃあ、長引きそうだな……」
釣鬼がそう零すのも無理からぬ事だろう。満を持して持ち出した必殺の弓砲が、大海蛇はともかくとして海竜にはまともに通じてはいなかったのだから。そしてその予想は残念ながら的中する事となる。
海竜率いる群れとの戦闘に入ってすぐ使用法の説明を受けたクロノさんの射撃により、本来であれば大海蛇達は既に全滅していてもおかしくはなかった。しかし……最初の二頭を射殺した時点で海竜が対策として後方へ周り、水龍波による弓砲への対処をし始めた事により、状況が若干変わってしまう。
そして現在、戦闘開始より優に三十分は経過をしたのにも関わらず、海上には未だ六頭の大海蛇、そしてその親にしてボスである海竜の姿が確認出来ていた。
その一方で海竜達も海での生活に適応し水中活動に特化した連中だ。俺達が陸の上に居る限り、時折襲い来る大海蛇の薙ぎ払いの如き攻撃以外は然したる危険もなく、こうして互いに長時間の間牽制を余儀なくされる状態だった。
「あの海竜の水龍波が厄介だな。まさかこの弓の一撃に匹敵する威力だとは」
「流石は、竜種の名を冠するだけはあるって事か」
「どうしようカ?」
そこだよな。弓砲の一矢は確かに凄まじい威力ではあるが、弓「砲」と名付けられただけはあり次の砲撃までのリチャージというか、再装填時間が長いんだ。
この弓砲、原理としては弓を射るという行動をトリガーにし、この弓から小型の粒子砲が発射されるといった仕組みらしい。それ故に発動の予兆が丸見えであるのが欠点の一つと言えよう。現に遥か沖合でこちらに最大限の警戒を見せている海竜の行動に見られる通り、対抗する手段さえあればこうして予兆を察知してからでも相殺が間に合ってしまうのだ。
無論、粒子としてのまとまりのある水を多量に含む水龍波であるからこそ、物質全てを焼き尽くすビーム砲とも言える、この弓砲の射撃を防ぐ事を可能にしているのだろう。厳密には指向性を持たせた粒子の流れを水流で散らす事により砲撃の到達距離を低減させている訳だが、そのお陰でこちらとしては決め手に欠け、そして海竜の側も大海蛇による散発的な直接攻撃程度しか打つ手が無い現状だ。
「それにしてもあの海竜、分が悪いのは重々承知でしょうに。逃げる素振りすら見えないのよね」
『コドモタチヲカラレタイカリデ、アトニヒケナクナッテイルノデショウ。アノナガクビニ、オオクノコドモタチヲタベラレタワタシタチトオナジク、イマモカナシミニアケクレテ……』
「……そうか」
俺達からしてみれば害獣でしかなくとも、あいつ等も生きているんだからな。これが完全に野生の動物であれば迷わず逃げもするが、竜種とも呼ばれる程の存在になればまた違う。今も砲撃を待ち構え反撃の機会を狙う意思を見せている通り、確たる知性とそれに伴う感情により、不利を感じた本能を抑え付けてでも子供の仇を討たんとしているのだろうな。
「――だが、奴等には奴等の立ち位置と主張がある通り、余等にも為すべき事がある……そろそろ終わらせるぞ、お前達」
パピルサグ達と海竜達。その生存をかけた争いに、今俺達は明らかな横槍を入れようとしている。だが俺達は何処までいっても人間だ。どうしても、身近の親しい者の力になりたいとは感じてしまうし、それ故に敵に回った者への攻撃行動を辞さぬ場合もあるものだ。
今から始めるのは言わば俺達のエゴだ。それを重々承知した上で出雲は言った、自分達の都合の為に、海竜達を淘汰する、と。
誰もが躊躇っていたその言葉を、僅か齢十五のまだ子供とも言える齢で迷い無く言い切る。決して想像力に欠けていたり自愛極まるといった訳ではなく、自らの発言の意味する所をも噛みしめた上で、確固たる意志と覚悟を以て宣言するのだ。
異世界ホールを通ってよりこの方、出逢った当初の皇女という立場を前面に押し出していた頃と比べれば、憑き物が落ちたかの様に一個人として日々を満喫し続けた出雲。最近はやんちゃな盛りのお転婆娘にしか見えなかったものだが、こう見えてもやはり一国の皇女、その人格を形成するに足る相応の経験を積んできているという事なのだろう。
「終わらせる、ってどうするつもりナノ?」
「……あれを使うのかな?」
「うむ。そこで扶祢とピノ、お前達はクロノに付いていてもらいたいのだ」
多分に危険ではあるが、クロノさんの速度に扶祢とピノの神秘力サポートがあればきっと巻き添えを喰らう事は無いだろう。こうして俺達は若干の作戦会議を交わした後にクロノさんを残し、一人また一人と気付かれぬ様、要塞内へと戻っていった―――
『マモナク、センリャクテキホウゲキキコウ【三都破壊者の槍】ノハツドウジュンビガカンリョウシマス。サン、ニィ、イチ……ハツドウタイキジョウタイニイコウシマシタ、イツデモホウゲキカノウデス』
「まだだ、まだ。慌てるなよ……逃げる事すら出来ぬ様、もう少し奴等を集めてから――今だ!クロノッ、引け!そして撃ぇッ!!」
『リョウカイ、ファイア』
出雲の合図が外部スピーカーを経てクロノさんへと伝わり、即座に反応して要塞内部へと逃げ込んだのを確認した後にマーフィーさんが砲撃を敢行する。先日にも目の当たりにしたばかりである、神の雷の如き光の奔流。前回の砲撃データを基にして再計算を完了し、地形への影響も最小限に留めた角度での砲撃が為された。それはクロノさんによる弓砲への対応に追われ反応が僅かに遅れた海竜と、その取り巻きの大海蛇までをも諸共に巻き込み、一帯の海域を貫き通す。
『タイショウカイイキノタンサヲジッコウ……シードラゴンノセイタイハンノウ、ショウシツシマシタ。トウバツカンリョウデス』
「――うむっ!皆の者、大儀であった!」
「これで一応は解決ってか」
光が収まり再稼働したモニター画面と、その脇に表示されるグラフ等をチェックしながらのマーフィーさんの報告にまず出雲が皆を労い、その言葉を聞いた俺達もようやく緊張感から解き放たれたのだった。
「ふぅっ――この弓砲も大概だが、何なのだあれは……世界の終わりが訪れたのかと思ったぞ」
「ですよねぇ」
「ホント間一髪だったヨネ。あとちょっと防壁を閉めるのが遅れてたラ、余波でボク達も蒸発しちゃってたヨ」
どうやらクロノさんとそれに付いていた二人も無事、要塞内に避難出来たみたいだな。廊下の奥から響く複数の足音と共に、口々にそんな感想を話し合う声が聞こえてきた。
「クロノさん、お疲れさまっす。扶祢とピノも全力の多重障壁を張って疲れただろ。今日一日はやっぱり海が大荒れするらしいから、後は要塞内でのんびりだな」
『ゼンカイヨリハカイテイヘノヒガイモスクナイデスシ、コンヤハンニハナギニモドルトオモイマスヨ』
という事らしい。俺もまだまだ本調子ではないし、釣鬼も三界訪問当時の再生時間の例からすれば腕が生えるまでは後一日かそこらはかかりそうだからな。休息の理由としては丁度良いか。
「それじゃあ今夜はクロノさんの歓迎会かな。あの子達もきっと喜びますよっ」
「……クロノ、頑張ってネ?」
「それは、何というかそこはかとなく不安にさせられる物言いだな……まぁお手柔らかに頼むとしよう」
あの賑やかな幼生達の事だ。きっと今夜は疲れて眠るまで、はしゃぎっぱなしでクロノさんに纏わり付き続けそうだな。その様子を想像して、少しばかり和んでしまう。俺達のそんな緩んだ顔を見たクロノさんが今度こそ不安気な顔をしながら色々と質問をしてきたが、簡単にネタばらしをしては後の楽しみが減ってしまうというものだ。ここは一つ全員で口にチャックを締め、クロノさんにも見てからのお楽しみを味わってもらうとしますかね。
こうして、この海洋世界の接続口付近に於ける一連の騒動は、この一帯の海洋を統べていた海竜の消滅を以て幕を閉じることとなる。
三つの世界の時とは違い、ある意味自然環境での淘汰に対する明らかな介入をしてしまった事にはなるが、不思議と後悔といったものは無い。だって、今も俺に肩車をされながら嬉しそうに纏わり付いてくるレサト達の、これ以上の哀しみの連鎖が防げたんだからな。
この子達の笑顔の為に俺達が取った行動。それは現地に棲む者達にとっては、過去に地球でも多々あったであろう侵略者のそれと何ら変わりは無い。そこだけは後付けの正当化などで事実から目を背けること無く、胸に刻み込まねばならないだろう。さもなくばいつしか力に溺れ、在りし日に守ろうと願った笑顔すらも自らの手で消す事になりかねないのだから……。
モニタールームを後にする際、最後に砲撃の影響で再び荒れ始めた海洋を覗き見る。そこには僅かに原型を留める海竜の鱗や骨が浜より流された我が子の骸へと流れ付き、寄り添う様に渦の中へと沈み込んでいく様子が見て取れた。
その哀しい光景を僅かな間、何とも言えない気分で見守った後に、それらが完全に海中へと没したのを確認し、俺は今度こそ部屋を後にした―――
これにて異界迷走編、後編終了となります。次回エピローグを経て今章完結です。




