第172話 地上への帰還
―――んぁ。ええと、一体何があったんだったか。未だ頭の奥に重く残る眠気に引きずられながらも、どうにか寝る前の記憶を思い出そうと試みる。
……あぁ、そうか。俺達はこの要塞の地下深くにある宝物庫で、あの守護者との交戦をしたんだったな。
「ん、起きたか」
背中にかかる僅かな気配の変化を察知したらしき釣鬼が首だけを僅かに俺の側へと向け、その鈴の鳴る様な、凛とした声で囁いてきた。
「――綺麗だなぁ」
恐らくはまだ多分に寝惚けていたのだろう。うっかりそんな失言を零してしまった俺は、当然ながらそんな寝言を零された相手より鉄拳落としという報酬を頂く事となる。
「目が覚めたか?」
「ふぬぉぉ……さーせん」
相変わらずな頭頂部のツボへの的確な一撃により悶絶をしながらも、お陰で頭の方はすっかり覚醒したらしい。目の前で呆れた表情を形作りつつも若干顔を赤らめるおねいさんに、まずは浮かんだ疑問を投げかけてみる。
「あれ、釣鬼がその姿に変化してるって事はもう夜なのか?」
「だな。お前ぇ、四時間以上も寝てたんだぜ?」
俺達がこのフロアに降りてきたのは昼過ぎだ。あの守護者との遭遇から一度宝物庫の各区画へと散らばり、そして戻って来てからの戦闘を全て含めても二時間と経ってはいなかったとは思うんだが……身体機能を喪う程の重傷は無かったお陰でピノの回復魔法により傷だけは塞がっているものの、やはり血も足りてはいないし体力も相応に消費をしていた様だ。道理でそんなに寝ていたというのに起きるのがきつかった訳だ。
その後のあらましをざっと聞いてみると、あの守護者の破壊後、天井をすり抜けて降りてきたマーフィーさんとエレベーターの修理時間等の相談をしていたらしい。そして修理が終わるのを待つ間、地下に居る釣鬼達は対大海蛇用の武器を確保しようと手分けして捜索を始め、俺はずっと釣鬼の背に負われていたのだという。
「一人で歩けるかぃ?」
「歩く程度なら何とかなるかな。ちょっと色々不足してるっぽいから、激しい動きは無理そうだけどな」
「そうかぃ。なら俺っちは、この先ではしゃいでるお子様三人をそろそろとっ捕まえにいくからよ。ゆっくり歩いてきな」
お子様三人――あぁ、ピノに出雲、それとレサトの事か。守護者も倒し安全となったからか、またぞろお宝の数々に目が眩んで一足先に奥の区画へと入っていったんだな。トビさんも居ない事だしきっと出雲に引っ張り回されている事だろう。お目付け役も苦労しますな。
その後、俺は少しの間、預けられた水筒の中身でバルタンフィッシュの燻製を胃の中へと流し込みながら僅かばかりの体力の回復を図り、一息吐いた後に奥に見える名弓エリアの区画へと入っていった。
―――キュゴッ!!
「……なっ、何だ今の!?」
名弓エリアへと足を踏み入れ最初の角を曲がった直後に、その区画のエントランス付近を何か、眩く光る謎物体が通り過ぎ……それが通った空間が直系2m程の広さで焼け焦げていた。おいおいおい!?あと十数秒このエリアに入るのが遅かったら、俺完全にあの射線上で蒸発してたぞ!
―――ゴッ、ゴン、ゴンッ。
謎の射撃が飛んできた方向に恐る恐る向かってみれば、更に奥の部屋の中から何か硬い物で別の硬い物を叩く様な鈍い音が聞こえてくる。やっぱりあいつ等が犯人か……。
「ピエー!オネエチャン、ゴメンナサーイ!」
「ウググ、もうちょっと手加減しろヨ!」
「ぬぉぉ……頭が割れるぞっ」
部屋の中に入ってみると、先程の射撃だか砲撃だか分からん謎の発射により半壊した内部の惨状と、案の定釣鬼に拳骨を落とされ涙目になったお子様三人が床に蹲る様子が視界に入って来た。
「全く、迂闊になんでも試しすぎだ!あいつに当たらなかったから良かったものの、もし当たってたらどうする気だったんだ!トビ、お前ぇも甘やかしてねぇで少しは止めろっての……」
「いやはや申し訳ございませぬ。儂もこちらの仕込み小弓に目を奪われてしまいましてな」
すっかり平常運転へと戻ったこいつ等の言動を見て、ついつい呆れ笑いが出てしまう。トビさんも、引っ張り回されるどころかまさか一緒になってお宝発掘に精を出していたとはね。
「ア、頼太やっと目が覚めたんダ」
「オニイチャン、オハヨウゴザイマスッ!」
「よっ、守護者に打たれた身体の方はもう平気なのか?殻が割れてたみたいだけど」
「ハイ!アレ、ダッピシタダケナノデ」
脱皮だったんかい。聞けばレサト達パピルサグは、ある程度の衝撃を受けると殻が割れ、その後すぐに脱皮をする事により受けたダメージを軽減する術を身に付けているらしい。あの時は頭が真っ白になってしまったが、特に異常も無かった様子で何よりだな。
「んで、何だアレ?なんかとんでもない砲撃みたいなのが逆の区画側まで突き抜けていってたんだけど」
「ふははっ、見よこの弓をっ!これであの大海蛇なぞ目ではないぞ!」
「ヤッター!カッコイー!」
「フフフ、ついに見付けちゃったのヨ」
俺の問いかけにお子ちゃま三人がまた見事なドヤ顔を見せ付け、謎砲撃の発端となった付箋付きのその品を差し出してくる。
「どれどれ……【弓砲ルドラエーヴァ】か」
海陸風モンスーンを神格化したとされるルドラ神。後のヒンドゥー教に於ける最高神が一柱、シヴァ神の前身と言われる事からも、その名を冠したこの弓砲の威力が連想出来ようというものだ。悪魔の都市三つを三叉戟により焼き尽くしたというシヴァ神の逸話も、元を辿ればルドラ神の一矢による三城破壊の伝説が変質したものなんだよな。
故に、《これぞ咆哮を上げる者》って事か。出雲の持つ渦旋槍もそうだが、ここのお宝には神々の逸話を科学技術?によって模した物が多い傾向にあるらしいな。科学技術と言い切らずに疑問符を付けてしまったのはあれだ、最早その技術レベルが俺達の想像の範疇を遥かに超えちゃってるからなのさ。
弓の専門家でもないピノが、幻想世界での小弓の経験のみで適当に引いただけであの威力。俺の分子振動剣はまだSFのイメージで分かり易いが、魔法を付与されてる訳でもなく個人レベルであそこまでの規模の砲撃を可能とさせる武器ってな、一体全体どんな仕組みなんだかね?
充分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない、とはよく言ったものだとつくづく思う俺だった。
「これなら距離補正で多少ずれたとしても当たるよネ?威力も見た通りだしサ」
「だな。あとはエレベーターの修理がいつまでかかるかだがよ」
得意気に言うピノの言葉に釣鬼も頷き同意をし、これで一応大海蛇対策は揃った事になる訳だ。
マーフィーさんによれば、この要塞の自動修復機構により時間が経てば守護者による粒子銃で破壊されたこの階層のエントランス部分も修復するそうだが、早くても半日程がかかるのだという。これは一晩、この宝物庫で過ごす事になるのかね。
「そうそう、マーフィー殿はこうも言っておりましたな。守護者も時間が経てば修復するとか」
「まじでっ!?」
「わはははっ、トビも人が悪いなっ!守護者は構造が複雑だから、単純な構造物とは違って半日やそこらでは復活する事は無いとも言っておったではないか」
はぁ~、良かった。エントランスの修理を待っている間にまたあんなのの相手をしなきゃならないのかと、一瞬絶望に駆られてしまったぜ。
結局その晩は手持無沙汰気味だったのもあり、夜更けまで宝物庫の内部を巡りお宝発掘に励む事になった。あくまで大海蛇退治用に借り受けるだけという約束ではあるし、全てを持ち出すなんて事は出来ないのも分かっているが、やはり色々と面白い物が見れて楽しかったな。扶祢の奴、地上でこっちの映像を見てさぞかし歯痒い思いをしてる事だろうな。
翌日―――
『オマタセシマシタ、シュウフクカンリョウデス』
時間としては午後になり、そろそろやる事も無くなってお子ちゃま三人が宝物庫の棚を使いながらの鬼ごっこなどをやり始めた頃、再びマーフィーさんが地下へと降りてきた。
では地上に戻るかとお子ちゃま達を回収しに行ったところ、レサトとピノはすぐ捕まえられたんだが、出雲の奴が何故かしぶとく逃げ続けていたんだよな。仕方が無く、俺と釣鬼とトビさんの三人で追い込み漁っぽく狩り立てていって、どうにか捕獲作業を完遂させた。
「年頃の娘を男三人で寄ってたかって追い詰めるとは何事だー!?余は、怖かったのだぞっ!」
「抜かせお子様!まるで釣鬼みたいなアクロバット機動で避けまくりやがって、お陰で余計な時間喰っちまったじゃねーか!おら、さっさと行くぞっ」
「いーやーだー!余は、まだお宝を探すのだ~!」
そんな泣き言を言い続ける出雲の襟首を引っ掴み、俺達は修復の完了したエレベーターへと乗り込んだのだった。全く、手間をかけさせてくれるぜ。
・
・
・
・
「あ、おかえり!武器回収ご苦労さまっ」
「地下の方も大変だった様だな。ともあれ、全員無事で何よりだ」
「「「………」」」
武器も揃い、休息も取った。俺と釣鬼は負傷の為に暫くは戦力外であるものの、メインとして期待されるのは弓砲によるクロノさんの一射だ。だから、後は囮の一つも使って大海蛇との戦闘に持ち込む事さえ出来れば問題は無いと思っていた。
しかし実際にはどうしようもない現実的問題が、俺達の目の前に物証として置かれてしまっていたのだった。
「あの、このグロい生首はなんすかね……?」
「つい先程、件の大海蛇を討伐して斬り落としたものだな」
「……どうやってあの海の化物を、討伐出来たんだぃ?」
「へっへー、聞いてよ!それがさぁ――」
お分かりいただけただろうか?この二人、幾ら地上側で待つだけで暇を持て余していたとはいえ、まさかの大海蛇退治を二人だけで成し遂げてしまったらしいのだ。その事実が示す現実問題とは――既に状況が改善されてしまい、わざわざ俺達が地下であの守護者を死闘の末に倒した意味が立ち消えてしまったという事だ。
……いや、まぁ。大前提である根本的な問題が解決したんだから別に良いっちゃ良いんだけどな。どうにも納得いかないものがあるぜ。
ともあれこれでこの要塞に棲むパピルサグ達を取り巻く脅威も取り除けた訳だ。こうして俺達は若干の脱力感に包まれながらも、鬼の首を取った様な興奮ぶりで話す扶祢の自慢話と、所々訂正を入れながら冷静に補足をするクロノさんの話を聞き続ける事となった。
「……はぁ~。このぷにキエールにそんな使い方がなぁ」
「そう!びっくりよね。お陰で案外あっさりと斃せちゃったのよ」
「それにしても、その青竜戟の硬度と切れ味は凄まじいな。未熟とはいえ竜鱗に包まれたこの大海蛇の鱗をあっさりと破断して、一撃で首を斬り飛ばしていたからなぁ」
結果判明したのは、このぷにキエールは塗りさえすれば地下の守護者にもかかっていた通り、敵味方関わらず塗った部位を強制的に固めてしまう事。そして大海蛇は海中ではエラ呼吸がメインで肺呼吸での息はあまり続かない、という事実だった。
では実際にはどの様に討伐行われたのかというと――まずは大海蛇よりも移動速度の速いクロノさんが大海蛇のエラ部分にぷにキエールを塗り付けて、エラ呼吸を封じ海中に潜れなくさせた上で以前と同じく双刀による滅多斬りにより注意を逸らす。そこに扶祢が同じく水上走行で近付き隙を衝いて青竜戟の一撃を叩き込む、といった寸法だったらしい。
冗談みたいな名称でも流石は過剰文明産のオーパーツ。地下での戦闘といい、ぷにキエールの貢献度がやべぇわ……。
「――ふぅむ。まぁ、余は新たな得物も手に入れたし、楽を出来るならそれに越した事は無いがなっ!」
「む……それを言われると俺も掘り出し物が拾えたし、良いのかな?」
最後はどうにもしまらない結末となってしまったが、本来討伐案件とは如何にして味方に被害が及ばず達成出来るかが肝要であるからな。結果としては上等に過ぎるし、これで文句を言うのは我儘というものかね。
『ミナサン……』
お、マーフィーさんも出てきたな。早速大海蛇討伐の旨を報告するとしますか、俺達は何もやってないんだけれどもね。
そして麗らかな陽の光が当たる中、こちらへ向かって来るマーフィーさんを皆でのんびりと迎え入れようとしていたその時の事だった。
『チガイマス、ソノナガクビハマダコドモ。コドモガカラレタノデアレバ、イカリクルッタオヤガヤッテキマス。キヲツケテ!』
「え――」
マーフィーさんがこちらに向かいながらも張り上げたその叫びとほぼ同時に、背後の海上に幾つもの噴水が立ち、そしてそれに伴う複数の咆哮が聞こえてくる。
―――ギシュアアアアアアアッ!!
―――シャアアアアアアアッ!
―――ゴァアアアアアアアッ!!!
海上に首をもたげ現れた大海蛇の数、実に八頭。そして、その更に奥には―――
『――GYAUHHHHHH!!』
大海蛇達に倍する巨躯を誇り、そして四肢を備えた刺々しい形態。我が子を殺され怒りに猛る、海竜の咆哮が一帯の海域へと響き渡ったのだった―――




