第160話 それぞれの「魔」:後編
若干の気怠さ残る微睡みの段階を過ぎ、徐々に自身の意識が覚醒へと向かうのを自覚する。そして然るべき体内プロセスを経た後に俺は目を覚ました。
瞼を開き、まず目に入ったのは見覚えのあるシャンデリア。どうやら俺は今、薄野山荘のリビングの床に寝かされているらしい。ええと、一体何があったんだっけか……?
寝る前にあった事を思い返しながら周囲を見回そうとすると、まずニヤニヤとしたいやらしい笑いを浮かべながら寝転がる俺を見下ろしてくるシズカと目が合った。次に妙に近くで興味深そうに俺を覗き込む出雲の顔が飛び込んで来る。更には頭の裏側に感じる若干の暖かみ――あぁそうか。
「痛ってぇ……出雲お前な、せめて着弾前に勢いを弱めるくらいしろって」
「済まんなっ!途中で止めるのはどうにもすっきりせんし、ついやってしまったぞ」
悪びれた様子もなくいつも通りに元気いっぱいな口調で俺へ謝ってくる出雲。その言動からはあまり反省の色が見られないが、その代わりにこうして膝枕をしてくれるんだしまぁ良い…か……?
「……何でお前が膝枕してくれちゃってんの?」
『もう全て無かった事にしてさっさと消え去りたいっす……』
不本意極まりない事に俺の影法師くんが膝枕をしてくれていた、しかも俺とお揃いの女装ペアルックで。何この違った意味での破壊力。
「ククッ!ざまぁないわ。この童に対し揃って無礼千万な態度を取ってくれた報いじゃ。あぁ愉快愉快」
「これがフゾクセイとかいうこの国特有の文化なのだな。よく分からんがぞくぞくとくるものがあるぞっ!」
「把握しました悪の元凶め。その腐れ根性叩き直してやらぁっ!」
まぁ、言うまでもない話ではあるが。かっとなって跳ね起きた俺は即座に反応したシズカと何故かそれに飛び込んできた出雲の即興コンビ殺法により、影くん共々逆に叩きのめされてしまいましたとさ。
『……なんで俺まで』
「わり、あまりの理不尽な扱いに正常な思考が保てなかったわ……」
「くふふ。存分に堪能したでな、今宵の弄りはここまでにしておいてやろうぞ、『頼華』よ」
まだそれ引っ張るのかよこのクソ狐!
尚、着替える前に同年代らしき子と妙に百合百合しい様子で腕を組みながら帰ってきた扶祢にこの姿をばっちりと見られてしまい、これまた大騒ぎになりかけた事をここに記しておく。ぐすん。
「な、中々やるわね……アンタの連れって」
「……頼太にこんな趣味があっただなんて」
「ちげーから!」
『誤解だっての!?』
どうやらこいつらにも俺の女装姿は相当なインパクトだったらしい。俺が二人に増えている事よりも女装ペアルックの方に重きを置かれていた辺り、世の女性達の業は深淵の如きと思います……。
影共々着替え直して再び薄野山荘のリビングへと戻ってきた頃には、扶祢達も落ち着きを取り戻し仲良くソファに座っていた。隣の子はコスプレ会場に居たっていう扶祢のライバルの子じゃなかったっけ。当然の如くこの場に居合わせているけど良いのかね?
その疑問を込めて視線を向けるが、シズカは一度その子の側をちらと見た後に首肯で返してきた。なら特に俺が言える事も無いか。
「えっと。それでどうして頼太が二人もいるのかな?細胞分裂でもしちゃった?」
「普段お前は俺をどう見てるんだと問い詰めたい気分になれる質問ありがとうな」
「や、そうじゃなくってね?最近の頼太って不思議現象に妙に縁があるからさぁ。今回もまたそんなかなーって思って」
ぐ。あまり強く言い返せないのが辛い……。
確かに、あの電光掲示板と遭遇してからのこの数日なんか何かに祟られてるんじゃないかってくらいにトラブルが頻発してるからな。そしてその極め付けが、今も目の前に堂々と居座る俺の影法師という訳で。
「祟りという程ではあらぬが、障り、つまり霊障に近いモノはあったでな。魑魅共の大半は祓ったとはいえ、それも一時的なものじゃからな」
「もう凄かったヨネ、あの数」
「うむ、余の槍が途中で耐え切れずに折れてしまったくらいだからな。国に帰った時にどう言い訳するか困ったものだ」
それで出合い頭のフランケンシュタイナーだったのか。
こいつらの話をまとめると、どうやらよくない類のモノが俺に憑いていたという事らしい。それが溜まりに溜まったところで偶然付喪神然とした意思を持った魔魅穴――この場合あの異世界ホールの事になるが、それと接触した事により周囲の魑魅達が刺激されてしまった。その結果、あの天神奉納障害走での野郎共の妬み嫉みの想念によって更なる活性化に繋がり、今回の大騒動に至ったのだという。
「本来ならばもっと早くに限界が訪れ、憑かれた者が狂気に侵されてもおかしくなかったのじゃがな。汝の魔への適性が余程良い緩衝材の役割を果たしたのじゃろうて。あの状態で童の鬼気を受け続けても尚、まだまだ余裕があったのではないかや?」
「え、別にいつも通りというか何かしてたのか?相変わらずとんでもない気だなとは感じたけどさ」
「……これじゃからな。長年修行に明け暮れておった健治でさえもが耐え切れぬ程の質と量の瘴気なればこそ、わざわざ結界を張りその内部で事に至ったのじゃがのぉ」
素直な感想を伝えただけだというのに何故か呆れた顔で肩を竦められてしまう。でもやっと腑に落ちた事も幾つかはある。特にあの障害走での桂木率いる若者軍団の驚異的な粘りなんて、何かに憑かれていたと言う他無かったもんな……そうか、俺が原因だったのか。
「安心せぇ。障りの本体はこれこの通り、ここに居る汝の影法師の形となったでな。祭りで障りに煽られた連中も今頃は正気に戻っておるじゃろうて。強いて言えばこの影法師が何故か妙に汝に友好的に見えるのだけが腑に落ちぬが、実際そうなのじゃから詮無き事よ」
『そこで納得されるといよいよもって俺の存在価値が無くなっちまうんだけどな……』
シズカに促された俺の影法師がげんなりとした顔でそんな愚痴を零す。
実体化した直後はどこか現実味の無い影絵っぽかったこいつだけど、今や僅かに肌の色が黒いかな、程度で殆ど見分けが付かなくなっていた。俺がこの場に居なければ皆疑う事もなく俺自身と認識してしまうであろう、二重存在とも言える程に。
しかし、こいつは明らかに自身を「俺」、俺の事を「お前」と言っているし、別に成り代わろうとかそういった思惑も無いらしい。今でこそあの時のシズカは芝居が入っていたのだと理解したけれど、あの時はそれを知る由もなかったし、こいつが知らせてくれなければ結界から逃げ出せやしなかっただろうからな。だからこいつは、あの時一度俺を助けていた事になる。
「じゃあ結局お前って何なんだ?シズカも言っていた通り、俺の影法師っていうモノだというのは分かったんだが」
『そうだな。俺はお前の裏返し的な存在なのは間違いない』
「じゃな。して、本来心の葛藤を生み、あわよくば成り代わらんとする存在である汝が、何故自らの存在意義に真向から反する真似をする?」
だな。今まで聞いた話を統合すれば、こいつが結界内で実体化した時点で何をおいても真っ先に、俺に襲い掛かってきて然るべきだった。
昨日まで普通に付き合っていた友人が、ある日突然人が変わってしまったという話を聞いた事は無いだろうか?
そういった分野に明るいシズカや健治さん曰く、それは心の内に棲む影と本人との関係がひっくり返ってしまい、主導権を奪われてしまった者達のなれの果てである可能性が高いのだそうだ。勿論、現実世界ではどちらもその本人に帰属する性質であるから、成り代わりイコール偽物に乗っ取られてしまうといった深刻な話では無く、あくまで本人の内の心根の話ではあるのだそうだがね。
だがこいつの言動からはそういった意思が一切感じられない。個としての自我を持ったとかそういう訳でも無く、性格もほぼ俺そのものなんだよな。
『――恐らく、なんだけどな』
そして俺達の疑問の視線を一身に受けた影は、暫くの間考え込んだ後にゆっくりと口を開き、そう前置きをする。
『元が平凡な性質だから、ひっくり返しても平凡の振れ幅内に収まっててあまり変わりませんでした、って事じゃねーの?』
「「「………」」」
これはひどい。よりによって自身の影に存在が平凡って断定されちまった平凡野郎が居たらしい。
「そういう事かっ!これで合点がいったわ!!」
「さも名案を聞いたみたいな腑に落ちた顔で言うんじゃねえよ!?」
「大いに納得ダネ」
「言われてみりゃお前ぇって、筋と礼節こそ通すがあまり善悪も拘らねぇし、立場に対しちゃどっちつかずだからなぁ」
「……ぶふっ」
影の推測にシズカのみならず、パーティ面子にまでこう言われる始末。安心したのも束の間、何だか無性に哀しくなってきたぜ……あと、最後の非凡極まるゆる狐にいつか姉妹共々天罰が下りますように。
「どうせ俺は自分の影にすらこんな扱い受ける平凡野郎ですよ。分かってた、分かってたさ。ただちょっと最近ファンタジィ要素にどっぷりと浸かって勘違いしちゃってた痛男ですよ。もうこれ、別に俺が表に出てなくても良いんじゃね?」
あまりの哀しみを背負い、つい自虐モードに入ってしまう俺。しかし、そこに影が苦笑を漏らしながら語りかけてきたんだ。
『それだよ「俺」よ。どうせ俺もお前も大して性格変わらないんだし、別に俺が成り代わる必要を感じないのさ。ついでに言えば俺は少なからずあの魑魅共の影響を受けて生まれた存在だ。幸い魔の適性のお陰か思考を引き摺られる事こそなかったけどな。だから「俺」が「俺」である為には、この俺が表に出ちゃいけないと思うのさ』
「お前……」
こいつ、自分という存在を正しく把握した上で本来の頼太のままである事を望んでいるのか……その為には自身が動いては邪魔になる。だから何もしないんだ、と。
『……まぁ、欲を言えばちょっとくらいは賑やかなお仲間達と旅歩きをしたくはあったけどな。魑魅に歪められた存在の癖に本体になり替わる気も無い俺が、いつまでも未練たらしく居座るってのは筋が違う。そういう訳で、お役御免になった俺はそろそろお暇させて貰うとするぜ』
そして俺の影法師は言うだけ言って言葉にならない状態の俺達を満足そうに見回した後、徐々にその姿を薄らめていきやがった。そして完全に消える直前シズカの側に寄って一言二言何かを耳打ちし、それを受けたシズカが何故か顔を赤らめていた。残念ながら俺の耳では聞き取る事が出来なかったが。
「シズカ、最後になんて言ったんだ?あいつ」
「~~~ッ!ええいッ、喧しいわ!余興は仕舞いじゃ、童はもう寝るぞよっ!」
シズカのやつ、一方的に宣言してさっさとリビングから出ていってしまった。
ただ流れで軽く聞いただけなんだけどなぁ。あそこまで過剰反応せんでも……。
「……なんだ、あいつ?」
「ふふっ。シズ姉ったら、照れてるみたいよ」
シズカの剣幕に圧され呆然としている俺に、相変わらずソファで隣の子にべったりとくっついていた扶祢が悪戯っぽい表情でそう言ってきた。見れば同じく獣の血を引く証を持つ出雲もニヤニヤとした顔で頷いており、二人の様子に場の皆が次の言葉を心待ちにする。
「シズ姉さ、あの鬼気持ちだから本性を現すと今まで耐えられる人が居なかったらしいんだよね。私はその場に居なかったから分からないけど、余程の鬼気を出してたんでしょ、今夜のシズ姉」
「あ~そうだなぁ。多分初めてあれ受けたら大抵の人は気絶すっかも」
「いやいや頼太君!?あれはそんなものではなかったぞ。小生ですらシズカさんの鬼気を目の当たりにした時は天魔の類かと思った程だ。常人があれにまともに中てられればその場で死んでしまってもおかしくなかったよ」
俺の感想に健治さんが慌てた様子でそんな補足を入れてくれた。まじかよ……凄まじいとは思ってたけど、まさか健治さんがそこまで言う程だったとは。俺、本当に何も息苦しさとかは感じなかったんだけどなぁ。
「だからさ、きっと嬉しかったんだよねシズ姉。影の方の頼太が言ってたよ『今度は結界の外でも、あっちの俺から自然にその鬼気が受け入れられる様になれば良いな』って」
「それは……」
あぁ、だからか。妙に嬉しそうな表情を見せながらあの中で俺に絡んできてたのは。芝居の一環だと思っていたけれど、だとすればあの時のあいつは……。
「……もしかして、結界の中でシズ姉に何かされたりした?」
扶祢のやつ、ここぞとばかりににやけた顔で俺を覗き込んで来やがった。俺達が騒動に巻き込まれている間、一人友人と仲良くのんびりとしてた癖に最後に美味しい役どころだけ掻っ攫ってきやがったな、くそ。
「別にー、何もねーよ」
「へぇ~?その割には顔、真っ赤だけどね~」
「……チッ」
それから暫くの間、妙にテンションが高く普段以上に緩くなっていた扶祢と、いつも通りに面白そうだという理由で混ざってきた出雲の二人に絡まれてしまった。他の面子もテレビを見始めたり、既にソファで眠っていたり。扶祢の友人らしき子だけが皆の様子を興味深そうに見ていたけれど、まぁいつもの日常に戻った感じかな。
こうして俺に憑いていたらしき障りというモノは、仲間の皆のお陰で何時の間にか祓われたようだ。今回は大事に至らず済んだけれども、俺が持っている「魔の適性」は予想以上に厄介な代物だったようだ。健治さんが言うには魑魅の類を引き寄せ易くなっている、つまり霊媒体質に近い状態らしいが、今のところ心に留めておく、くらいしか手立てが無いのが困ったものなんだよな。
まぁ、幸い今の俺にはそういった現象や存在の専門家達が身近に居るし、今後もこの性質と上手く付き合っていけという話なのだろう。困った時はお互い様、いずれ誰かが厄介な状況に陥った時にでも力になるとしますかね。
―――リビングより漏れ出た光と共に、日常へと戻った者達の談笑の声が響いてくる。
「ふふ。シズカったら照れ隠しがなってないね」
「……ふん。影の奴め、最期の最後で生意気なことを抜かしおってからに」
部屋の中とは対照的に薄暗い灯火のみが照らす廊下では、未だ火照る顔の熱冷めやらぬままに憎まれ口を叩くシズカ。そしてそれを楽しげな様子で眺めながら、自らの名の現す通り静かに柔らかい微笑みを形作る静の二人が立っていた。静は憮然とした表情で廊下の壁を背にして立ち尽くすシズカへと歩み寄り、そっとその躰を抱きしめる。
「――でもあの子の言う通り、いつか、わらわ以外の誰かとも。こうして抱き合える日が来ると良いね」
「……ん」
静の言葉に答える声は普段のシズカからは想像も出来ない程にか細く、俯き加減に抱かれるままのその表情は互いの躰に隠れ、本人達の他に見る者は居なかった。
そして二人は互いに寄り添いながら、廊下の奥と去っていく。後に残るは冬を目前に迎えた寒空の下、窓の外よりその場を照らす朧月。
こうして魑魅騒ぎの終息した夜は、静かに、静かに過ぎていく―――
頼太の魔の適性についてのお話でした。




