狐の八 幻想世界・極限モード⑧
「……何じゃこれ」
「オウッ!来たなお前達。遠路はるばるご苦労だった」
「その声、もしかして大神さまです……?」
社の内陣に当たる空間には凡そ直系3mにも亘る極彩色の断面、としか表現出来ない様なモノがふよふよと浮かんでいた。その光景に茫然と立ち尽くしてしまったシズカ達の前には黒色の狼……をとことんデフォルメすればこうなるかな、といった感じの謎のぬいぐるみモドキがその短い手をブンブンと振りながらシズカ達へと話しかけてきた。
「あぁ、オレは大神だ。分霊ではあるがな――ところで静、お前は何故いきなりオレを抱きかかえているんだ?」
「かわい……この方が収まりがいいかと思って」
「……まぁ構わないが」
大神はそう言いながら恐らく呆れた表情のつもりなのだろう、元々目付きの悪いその目を更に半眼にし、妙に滑らかな動作で自身を抱え込んできた静を睨み付ける。
姉妹してこういったちんまい系に目が無い辺り、血は争えないようだ。
見ればシズカも若干そわそわと落ち着きない様子で手を動かしていたが、静が真っ先に大神を抱きかかえたのを見て無念そうな様子で手を下ろす。
「ふぅん?アンタああいうのが好きだったんだ?」
「い、いやあの側頭部の毛がちょっとハネていたでな。知らぬ仲でもない故お手入れをしてしんぜようと思ったのじゃが、うむ。静が既にやっておるようじゃし童が出るまでもなかったの」
「へぇ~?」
その後もいつものお返しとばかりに瑠璃に揶揄う様子で纏わり付かれ、ばつの悪そうな表情で黙り込んでしまうシズカ。その間に大神を抱えた静達は本殿へと移り、事のあらましを説明し始めたのだった。
『信じられない事だけれどぉ。つまりピーノ君が見付けたバニシングポイントをここに持って来て解放したら、別の実世界へと繋がっちゃってぇ、その影響を抑える為に大神さんがそうなっちゃったって事ぉ?』
「そしてとうさまと共に向こう側の不安定な座標を調べにきたわたしが空間を閉じ込む際に、どうやらこちらのバニシングポイントを開放した影響で諸共巻き込まれてしまってね」
「うちのパーティーメンバーがご迷惑をおかけして申し訳無い」
文姫の確認を引き継いだレムリアはそう言いながらピーノを小突く。ピーノも最低限の常識として自分の行いにより人二人程を巻き込んだ責任は感じているらしく、むすっとした顔をしながらも大人しく小突かれ続けていた。
そして、レムリアが次に言った言葉に場の殆どの者が驚愕する事になる。
「気にするな、お前達とは現実世界の側でもそれなりに面識があったからな。どうやらこの幻想世界とやらでも相変わらず無駄にトラブルと遭遇しているようだ」
「「えっ」」
この言葉には他人ごとでは無いライとミタマもつい目を丸くしてしまった。
「汝、扶祢達の知り合いじゃったのか」
「やっぱりそこの竜人は扶祢の現身だったんだな。あぁ、よーく知っているさ――前のわたしの最期を看取ってくれた二人の内の一人なのだから。もう一人は、そこのライ……いや、頼太だよ」
代表して問いかけたシズカに対しレムリアは何かを懐かしむように瞼を閉じ、穏やかならぬ事を言う。しかしその顔からは険といったものを感じる事は無く、話ながらもピーノの頭を楽しそうに小突き続けていた。
「だーっ!いつまでも叩くな!ボクの頭が馬鹿になったらどうしてくれるのさっ」
「大丈夫だ。お前は頭は良いのだろうが同じ位にお馬鹿だからな」
レムリアの実に的を得た意見に瑠璃以外の皆が一斉に吹き出してしまう。
現実世界でも自然の体現たる妖精族の身でありながら科学の実験と称しては様々な自然災害を起こしたり、この幻想世界でも管理者である文姫達ですら見つけ出す事の出来なかったバニシングポイントをあっさりと探し出すという偉業を成し遂げながら無計画に開放し、大神を含め多数の相手を巻き込んでしまったりとやりたい放題なピノ達だ。何とかと鋏は紙一重とも言うが、この程度の酷評はむしろご愛嬌というものだろう。
「こやつの戯けぶりは同意するとしてじゃな。あやつ等め、隠れたところで中々に重い体験をしておったのじゃなぁ」
「まぁあの二人にはその後にこの姿も見せているからね。引きずるような事は無いだろうさ」
「何じゃつまらん」
そう返しながらも何処となく安堵した表情を見せるシズカ。それを見た静がくすりと笑い、シズカを覗き込みながら悪戯っぽい仕草で言う。
「お姉さんしてますなー」
「……何処ぞの実姉がその手の仕事を放棄しとるようじゃしな。詮方無いの」
「へ~?……そろそろ大神さんのバトンタッチをしようかと思ってたけど、そんな事言う捻くれ者には代わってあげないよ」
「ぬぐっ」
「別にオレはお前達の愛玩用人形じゃあないんだがな……」
未だ静に抱かれながらそのやり取りを目の当たりにし、呆れた様子でつい溜息を吐いてしまう大神であった。
『それじゃあ大神さんはあの穴が閉じさえすれば力も戻るし、また一般NPC達の統括を行ってくれるという事で良いのかしらぁ?』
「あぁ、そこは任せておけ。空の結界も万一に備えての内側へ向けたものだしな。だから本体には新たな分霊を寄越す必要はないと伝えてくれよ」
『本体の方もそこについては同意見だったみたい~。真相が明らかになるまでは様子見しておくって言ってたわよぉ』
「ま、オレの本体ならそう言うだろうがな」
こうして分霊大神サイドとも連絡が取れて解決したかに見えた幻想世界騒動ではあるが、まだ原因が判明しただけであり未だこの穴を塞ぐ手段は見つかっていなかった。何より―――
「結局のところ、わたし達はどうやって三つの世界へ戻れば良いのだろうね?」
このデータの世界である幻想世界。そこに紛れ込んでしまったレムリアと、共に巻き込まれて来たという「とうさま」、この二人をどのようにして元の世界へと送り届けるかという問題が残っていた。
『う~ん……貴女達がどういった状態で来たかの精査をしたいところなんだけれどぉ。こっちからだとデータ上では全く認識出来てないから良く分からないのよねぇ』
「そうかぁ。知人に縁深い君達に出逢えたのは嬉しい事だが依然とうさまの所在は不明だし、わたし達が元の世界へ戻る方法も分からない。いくらとうさまとは紋様通信で話せるとは言っても少しばかり寂しいものだね」
あまり望ましい答えを返せぬ文姫に、やはり寂しそうな表情で小さな溜息を吐くレムリア。
その様子に間接的にも関わりのある者達は皆言葉を続け辛い様子だったが、一人部外者で蚊帳の外に取り残されていた瑠璃がその言葉に潜む違和感へと真っ先に気付く。
「――ん?アンタ、今『とうさまと話せる』って言ってなかった?」
「え。あ、そういえば言ってたね」
「うん?あぁ、わたしの身体に仕込まれている紋様技術を使った独自の通信方法でね。いつでもという訳にはいかないけれど、話す事自体は可能なのさ」
『異界の発想、ってやつかしらね~。この幻想世界内でも通じる仕組みってどんなのか気になるわぁ』
どうやらレムリアは何らかの形で自身の父との連絡が取れる手段を持っているらしい。仕組みは不明だが、これならば文姫達のサポートがあれば居場所を特定しその父親を回収する事自体は比較的容易であろう。
聞けばレムリアの父はその世界では高名な錬金術師らしい。
一般的に錬金術と言えば現代社会では「うさんくさい物」と思われがちのフレーズではあったが、一説には錬金術こそが自然科学を生み出したとも言われている。
当時の自然科学が発展していく背景には錬金術と呼ばれる学問に携わる者達による試行錯誤の膨大な実験結果が基となっており、そして化学にとってはその多様な物質同士の分離精製の過程と結果の一部始終こそが格好の研究材料になったのだという。
そしてレムリアの父は、魔法的な技術が使われているとはいえ遠距離の無線通信手段を独自に作り上げ、それを技術として定着させる程の人物だ。それ程の錬金術師ならば合流を図り詳細な情報交換をすれば、あるいは現状の問題の解決を見られるかもしれない。
こうして特に文姫を含む管理者三人の強い希望もあり、次の目標はレムリアの父の確保となった。
「ところで、お父様のお名前は何て言うの?」
「とうさまの名前は、ヘルメス。希代の錬金術師であり、大いなる黒幕、ヘルメスさ」
『まさか異界の人からその名前を聞くとはね。その紋様通信を知るだけでも名に違わぬ高度な研究者であり発明家だというのは推測出来るけれども。希代の錬金術師の肩書もあながち誇張には思えないから不思議だよ』
ヘルメスの名前を聞いてついに我慢出来なくなったようだ。それまで文姫に会話を任せていた弄人が会話に入ってきた。それ程、技術者でもあり発明家を自負する者としては心躍る名なのだろう。
「ヘルメス、のぉ。よもや、な……」
「――シズカ?どしたの?」
「む。いや、特にどうという事はあらぬよ」
解決ムードに沸き始める空気の中で一人シズカのみがその名に引っかかりを覚え、考え込む姿が対照的だった。
そろそろ解決編に入ります。10話で終われば良いなァ。




