狐の七 幻想世界・極限モード⑦
気持ちの良い秋風のそよめく中、シズカ達一行は辺りの景色を楽しみながら一歩また一歩と参道を進んでいく。
道中参道を覆うように発達した木々の合間を練り歩きながら差し込んでくる木漏れ日の柔らかい光にほうっと息を吐き、それを抜けた後に広がる、更なる高みよりの景観にこれまた感嘆の声を上げる。
「――駄目だな。やはり空からでは弾かれてしまうようだ」
「お帰りー。姫さんの言った通りだね」
「あぁ、我一人が入る隙間も無い程に固められているな」
そのようなやり取りを経たところに、先行して頂上付近の様子を見に行っていたミタマが戻り一行へ合流する。
麓でのアサカ捜索の用件は既に終えていたので、二度目の登山はミタマのペットである古代竜に乗り一気に頂上へ飛んでしまおうという案が出た。しかしそこで文姫から、
『それがねぇ。大神さんの分霊からの連絡が取れなくなったとの同時期に、この大神の杜周辺の上空には侵入防止の結界が張られたみたいでさ~。管理者達でも内部の情報がよく分からないのよね』
という何とも頼り無い情報提供をされてしまったのだ。
仕方が無しに唯一飛行可能なミタマが一応空からの侵入を試み、並行してシズカ達が徒歩で参道を登る事にしたのだが……どうやら文姫の情報通りに空からの侵入は不可能となっているようだ。
「それじゃあいざという時の古代竜の参戦も不可能、か。頂上付近のあれだけの空間があるのにあの巨体が活かせないのは勿体無いわねぇ」
「前に【大神】に遭遇した時も社の内部だったし、どの道無理だったかもしれないな。大人しく今居る面子での対応を検討するとしようか」
そして一行が山登りを再開しようとしたその時だった。
『――我等の主の治める御山に立ち入る不届き者は己等か』
気配に敏い彼等は既に気付いていたようだ。その言葉の直前に飛来した礫は各自難なく叩き落とし、次いで放たれた術の類は静のそれにより相殺される。
「さて、如何にも中ボスといった感じのが出てきよったが……瑠璃よ、どうやらあやつは汝にご執心のようじゃな?」
「……そのようね。あの面、忘れる筈も無い。あの時の馬鹿天狗の長じゃないの」
シズカの揶揄うような言葉にそう返しながら睨み付ける瑠璃のその先には、先日現実世界の大神の御山にお邪魔した時に千人がかりで襲い掛かってきた天狗。その長である赤っ面の鼻高天狗そのままの姿があった。
『御山に入り込む不届き者に天誅を――』
『天誅を――』
『天誅を!』
半ば機械的に繰り返される天狗達の声。しかし殺気立ったその視線は一様に瑠璃へと向けられていた。
『ごめんねぇ。現実世界の大神さんからはほぼ全データを貰っちゃってるから、この前の最新ヴァージョンへの更新で瑠璃さんに対する敵愾心までインプットされちゃったのかもぉ』
「あの逆恨み甚だしい鼻高野郎っ。次に遭った時には無駄にいきり立った鼻を物理的にへし折ってやる!」
こうして瑠璃の吐き捨てるような言葉と共に、天狗達が一斉に襲い掛かってきた―――
「――やれやれ。ようやく片付いたようじゃな」
「ぜぇ、はぁ……もう天狗の顔は暫く見たくないわね……」
「お陰で天狗達のドロップアイテムがかなり溜まっちゃったな。社に入る前に売却用のNPCでも居れば楽なんだがなぁ」
「幻想世界内部じゃシズカの『ポケット』も使えないからかさばるもんね」
その後数十分をかけて五人がかりでどうにか天狗の群れを制圧したシズカ達だったが、流石に連戦の疲労が強く出たようだ。特に始終大天狗と相対していた瑠璃に至っては地面に倒れ込み、胸を大きく上下させながら息も切れ切れに言葉を紡ぐのがやっとといった有様だった。
現実世界では一人でもまだ手加減をしながら制圧する程度には余裕のあった瑠璃ではあるが、やはり能力を大きく制限された幻想世界内。それは思い思いに座る他の面子も同じく、暫くの間体力の回復に努める事にしたようだ。
とは言え天狗側も神通力の類までは再現出来なかったようで、能力が制限された現状でも五人がかりならばどうにか撃退する事も出来た。
「お陰でわらわ用の金剛杵も手に入ったし満足かな」
「それが唯一の収穫だわね……」
この世界への投影とは言え元は密教の修験者とも伝えられる天狗の長だけはあり、そのヴァジュラとも言われる金剛杵を駆使し伝承に違わぬ雷を操ってもいたがそこは多勢に無勢。瑠璃が暫くの間大天狗相手に脅威の粘りを見せる中、周囲の天狗を掃討し終えた仲間達が参戦してからは劣勢を覆すことままならず、こうして戦利品として静の武器が揃ったのだった。
そして全員の息も整い、山登りを再開する一同。
その後、今まで辿ってきた道程と似たような風景を何度繰り返しただろうか。
気付けばシズカ達の眼の前には山の頂に平らに広がる空間と、その中心に生える樹齢幾千とも見える圧倒的な存在感を持つ巨大な御神木。それを奥に臨む位置には恐らくこれが本当の意味での大神の杜なのだろう、一面白に染まる木造の広い建築物が建ち、一帯は静謐とした雰囲気に包まれていた。
「ふぅ、ようやく到着したか。相変わらず徒歩でここまで来るのは疲れるよなぁ」
「仕方があるまい。御山の境界には結界が張られていて空からは近付けないのだから。それさえ無ければヴィアスマウグでひとっ飛びだったんだがな」
やれやれとでも言いそうな素振りで肩を竦めながら慣れた様子で辺りを見回すライとミタマ。そういえばこの二人は以前にもこの杜へ来た事があったのだなと思い返しながらシズカ達もそれに倣い、暫し山の頂上からの見晴らしの良い景色を眺めていた。
「――ん?お客人かな?」
「げっ……」
そんな異なる反応と共に杜の中から二種類の声がする。その声に釣られたシズカ達が首だけを動かし声が聞こえた側を振り向くと、その先には杜の入り口に立つ見覚えのない巫女装束に身を包んだ薄紅色の髪の少女と、髪型や身体付きなどは若干違うものの間違いなく見覚えのある……。
「……もしや。汝、ピノかや?」
「何でライとミタマだけじゃなくてシズカまで居るんだよ!?ここ幻想世界でしょ!」
やたら慌てた様子でまくし立てるその小人族の少年が、妙に滑舌の良い物言いをしながら逃げ出そうとしていたのだ。
しかし隣に居る巫女装束の少女にあっさりと首根っこを捕まえられそれでも少しの間もがいていたが、やがて観念した様子でそのまま腹話術人形のような姿で垂れ下がってしまった。
「どうやらピーノの知り合いのようだね。こんな所で立ち話もなんだし奥に案内しよう、お客人。わざわざこんな場所までやってきたんだ、大神さまに御用なのだろう?」
「これはご丁寧にどうも。ところで君は一体誰だろう?以前はここには居なかったよね」
そんなピノを片手で軽々と持ったまま、やけに物分かりの良い様子でこちらへと話しかけてくる少女。見た目は齢の頃十四、五歳といったところか。若干ウェーブがかった薄紅色の髪が肩口で切り揃えられ、その動作につられてふわふわと揺れる様と本人ののんびりとした様子も相まって非常に保護欲を誘う愛らしさを感じる。
だが見る者は見逃さなかった、身に纏う雰囲気や表情とは反してその目に宿る鋭い光、そして隙の無い立ち振る舞いを。
「人に名を聞く時は、と言いたいところだがどうやらお前達は以前のこの場所を知る者のようだしな。その疑問も当然か――わたしはレムリア。とある事情でこの世界に迷い込み、現在この大神の社にお邪魔してお遣いの真似事をさせて貰っている者さ。そしてこっちの少年が」
「……ピーノ。久しぶりだな、二人共」
不貞腐れた様子でそっぽを向きながらライとミタマに再会の挨拶をするピノ、もといピーノ。
「何と言うか、安直な名付けじゃな」
「うっせ!これには訳が……何でも無い」
勢いよく反論しかけたピーノだったが、何かを言いかけたところではっと我に返り口を噤んでしまう。どうやら何かしらの理由があるようだが、今は置いておくとしよう。
今把握すべきは、ある意味一番足取りを追うのが難しいと思われたピーノの方と先にあっさりと邂逅し、こうして確保出来てしまったという事だ。
『レムリアさんについては色々聞きたい事があるけれど~。ピーノ君がここでのんびりとしているって事はぁ、もしかして……?』
「そうだよ。もう世界の消失点はとうに発見済さっ。流石は探索者を極めたボクだね!」
相変わらずレムリアにぶら提げられたしまらない恰好で胸を反らせドヤ顔を決めるピーノ。文姫のいつもの間延びした中にも若干の焦りの様なものを感じさせる口調といい、ピーノの言った世界の消失点といい、社の内部には何かしらの大きな変化がみられるらしい事が容易に予想のついてしまうシズカ達だった。
そして一同はレムリアに誘われるままに、社の戸をくぐり内部へと足を踏み入れていった―――




