第134話 山の中腹にて
亜人風情が。頭が高いわっ―――
まぁ、あれが妾の子の。獣とまぐわるだなんて何て悍ましい―――
貴様は我が一族に仕える道具としてアレに産ませた外法者だ、二度と俺を父などと呼ぶでない―――
それは、幼少の頃よりのやりきれない記憶。
僕は一体どうすれば、良かったのですか?父上……いえ、御屋形様。
僕の生まれたワキツ皇国は人族の皇王を頭とする封建制度により治められている。人口の約九割は人族、そして残りの一割は他種族との混血で構成される国家。そこでは大半を占める人族を至上とする風潮があり、僕をはじめとする混血の民は外法者と呼ばれ蔑まれていた。
兎人族である僕の母は皇国での住民権を得る事が出来ず、僕が生まれて間もなく屋敷からも追放されて国外へ退去させられたそうだ。その後の足取りは十五年程が経った今でも不明で、再び会える事は恐らく無いと思っている。
でも、僕の母は生きて国外に出られたのだからまだ救いがあると思う。外法者の親となった者達は用が済んだ後は無残な最期を迎えていると、あにさまが言っていたから。
あにさま、あの冷たい風吹くお屋敷の中で唯一僕を庇ってくれていた優しい人。僕がもっと小さかった頃は毎日のように御屋形様に折檻をされていたものだけれど、時には御屋形様に真向から対立してまで助けてくれた事もあった。父も母も無い僕にとってはあにさまこそが唯一の家族であり、僕にとっての全てだったんだ。
でも、ある日の晩の事。いつも通りに深酒をした御屋形様とあにさまの間で口論が起き、御屋形様があにさまを斬ってしまった。僕が駆け付けたその時にはまだ息はあったけれど、そんなあにさまに御屋形様は更に斬りかかろうとして―――
――気が付けば僕の両手は真っ赤な血に塗れて、あにさまが息も絶え絶えな様子で必死に僕を抱き留めていたんだ。
「ここに至ってしまえば最早お前を護り通す事は出来ぬ。御屋形様の乱心によりこのような不祥事を起こしてしまった以上、我が一族はお家取り潰しとされるだろう」
だから、逃げろ。国の外へ――それが、あにさまからの別れの言葉だったんだ。
その後の事はよく覚えてはいない。当然ながら僕には追手がかかる事となった。
僕の生まれの皇国は、元々人族以外は人間に非ずというお国柄だ。何処へ行こうともこの目立つ耳により人族からは悪意を受け続け、いつしか人族全てが恐怖の対象となっていた。それでも耳を隠しながら国内を放浪し続け、どうにか関所を抜けてやっとの思いで国境にまで来たところで遂に追跡のシノビ衆に見つかった。
雪山の中に追い立てられ、荒れ狂う猛吹雪に見舞われて。寒さで意識が朦朧となってきた頭の片隅で、僕は一つの言い伝えを思い出す。
この山の頂上には彼の有名な傭兵の郷があるという。その山中は年の九割方が大雪に見舞われており、道中に出没する氷の精霊達の洗礼もあるが為に一度入れば等しく死が待つのみ。
あぁ、そうか。外法者であるこんな僕でも、死ぬ時だけは人族の皆と何も変わらないんだ――ここに至ってそんな皮肉な真実を悟り、僕は目の前の光景を直視する。そこにはこの吹雪の中で悠然と翼を羽ばたかせる氷の翼竜の姿。
「僕は……」
最期に何を言おうとしていたのか、それは僕自身にも分からない。それでも口を衝いて出た言葉を自覚して、その滑稽さに不意に笑いがこみ上げてしまう。
僕はここで終わってしまうんだな――元より希望など何も無く、目の前に形となって現れた生命の終わりを諦観の思いで迎え入れようとしていたその時の事だった。
「『竜巻天地返し』ッ!!――逃ッゲロー!」
「ナイスピノ!」
―――GYAOOOOOOOOH!?
「……え?」
度重なる寒さと疲労で幻覚でも見てしまったのだろうか。不意に身体を虫食む寒さが消えたかと思えば、今しも僕にとっては死そのものと言えよう氷の翼竜が天高く打ち上げられていったんだ。
その現実離れした光景に呆然とする最中、僕は更に信じられない事態を目の当たりにしてしまう。吹雪の中で踊り狂っていた氷の精霊達を、よりにもよって何の変哲もない人族が、素手で殴り倒しながら雪山を突っ走るという冗談のような光景。それを見た僕が思わず身の危険も忘れて立ち尽くしてしまったのも無理はないだろう。
気付けば先程まで僕の生命を削り続けていた周囲の吹雪はその一帯を避けるかの様に通り過ぎ、消え去った氷の精霊達の数に比例して辺りには仄かに暖かな空間が残されるのみ。
「今際の際の幻覚にしては突拍子もないなぁ……」
ついついそんな気の抜けた言葉が口を衝いて零れてしまい、思考を放棄しながらに途方に暮れてしまう。でもその悩みはそこまで長くは続かなかった。
「――あくっ!?せ、精霊力が……吸わ、れて……」
まるで体の中にある精霊力が根こそぎ奪われるかのようなその吸引力。
それを要因とする脱力感はここに至るまでの長旅により溜まった疲労を思い出させるには十分過ぎる程の刺激であり、僕の意識は今度こそ抗えぬ闇の底へと沈んでいった―――
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「――う。僕は一体……」
とても爽快とは言えない目覚めの後、僕は状況が把握出来ずに痛む頭を抑えながら身を起こそうとする……が、既にこの身体は何者か手により支えられ。その事実を実感すると共に我が身を縛っていた恐怖という感情を思い起こしてしまう。
「やぁお嬢さん、無事な様子で何よりだ。何処か痛む所はあるかな?」
「え……ひうッ!?」
何を言っても言い訳にしかならないのだけれども。その時は目が覚めた直後でまだ頭がはっきりしていなかったから、といった言い訳が使えなくはないかなとも思う。何よりその人族の顔は、意識を失う前に目を爛々とさせた凶悪な形相で氷の精霊達を殴り倒していたあの顔で。
―――すっこーん!
つい、反射で思いっきり蹴り上げてしまったんです。行き倒れていた僕を介抱してくれた恩人に対して……。
なんてこった。まさかお嬢さんではなくてお坊ちゃんだったとは。
いやッ!大事なのはモフれるか否か、付いているかどうかは関係無いっ!流石にゴウザみたいな厳つい中年のをモフる気は怒らないが、この子の柔らかそうな兎耳であれば……いやいやそうではなくてだな。
「あの時使った護符、見つからないと思ったらこんな所に落ちてたのか」
やや納得のいかない哀しいすれ違いが起きた後となり、混乱した様子を見せる兎耳の少年との対話が始まった。その傍らピノにより行われた精査では行き倒れていた筈のこの子の体調に特に問題はないとも判明する。どうやらあの試作品の護符の一つを氷の翼竜騒ぎが起きたこの一帯で落としていたらしく、そのまま起動し続け貯蔵されていた神秘力が尽きた後に吸引モードに入ってしまったらしい。
幸いその副次的効果の賜物で周囲を取り巻く強い氷の精霊力もが根こそぎ奪われた事により、九死に一生を得た訳ではあるが、ヴィクトリアさんも体の弱い子供やお年寄りが居る場所での吸引は避けた方がいいとも言っていたし、衰弱したこの子の身体には相当堪えてしまったのだろう。
「それに君も巻き込まれて気を失っちゃったのね。君に吸引の対象が向かなかったのが不幸中の幸いかしらね」
「この護符ッテ、本当に呪いの品かもネ」
全くだな。こんな広範囲に亘る氷の精霊力を一晩中吸い続けてしまうとは。
結果寒さが払われて人一人の命を救った事にはなるが……予想以上に危険に過ぎる護符の効果に揃って慄いてしまい、今後の取り扱いには最新の注意を払おうと心に誓うのだった。
「は、はい。お陰で生き残ってしまいました……いえ、有難うございます」
うーん。この言葉から見て取れる通り、どうやら複雑な事情があって雪山へと登ってきたみたいだな。その身に纏う装束はどこも擦り切れ、更には雪解けまでもが染み込んで相当に不快そうに見える。
「あ、あの!ところで皆さんはどうしてこのような場所に?」
「えっと。実は私達ヘイホーの……サナダン公国の冒険者ギルドから依頼を受けてこの山に来たのよ」
「という事は、やはり伝説の傭兵の郷がこの頂上にあるんですね!?」
「伝説、かぁ。逸話は沢山あるようだけどどうなんだろうね?」
それを聞いた兎耳の少年は暫し躊躇う様な素振りを見せる。やがて何かを決意したような表情を作り、改めて俺達へと向き直り口を開く。
「まずは名前も名乗らず失礼致しました。僕はナタと申します。ワキツ皇国アルテナ独領出身の――外法者です。出来れば郷へ入る許可を頂きたいのですが……」
「そういえばお互い名前も聞いてなかったわね。私は扶祢って言います、よろしくね」
「ピノダヨー」
「俺は頼太。こんな所で長話もなんだし、後は郷に戻って落ち着いてから話すとするか」
外法者という言葉の意味そのものは分からないが、それを口にする時に見せた昏い瞳の光からしても碌な意味ではないのだろう。残る二人も特にそこには触れず、気持ち軽い調子を作りながら名乗り合う。
そんな一瞬の空気の緩みが出た、その時だった。
「シャアッ!」
「おらよっと」
―――ギィン!
「けふっ……」
俺の券鍔が相手の短刀を弾く、金属同士がぶつかり合う耳障りな音が響き、直後それの発生源となった者に掬い上げるかのような青竜戟による薙ぎ払いが直撃する。数メートル上空に打ち上げられた黒装束は体勢を整える事も出来ずに地面へと墜落し、過呼吸を起こしながら痙攣を見せていた。これはアバラが完全にいっちゃってるな。
「殺気が駄々漏れなんだよ馬鹿野郎が!」
「それ以前にボクの感知網から逃れられる訳も無いんだけどネー。『大気障壁』ッ!」
どうやら岩陰にも何者かが潜んでいたようだ。最初の一人が打ち倒されるのを確認した直後に複数方向からの飛び道具が飛来するも、ピノの『大気障壁』により全て絡め取られ無効化された。
「チッ――引く」
「はっ」
その言葉を皮切りに次々と煙幕が張られ、波が引いていく様に遠ざかっていく複数人の気配。俺にさえ感じ取れたのであればピノによって人数等の情報は既に丸裸にされているだろうし、この視界の利かない中で無理に追いかける必要もないか。
「あれは。アルテナ領の――」
「ナタ君。怪我無かった?」
「はい、有難うございます。ですがやはり、僕はもう……」
「ナタ君の事情は分からないけどな。こんなことがあって見捨てちまったらうちの先生達に何言われるか分かったもんじゃないからな、まずは郷に戻ってから話そうか」
「そうダネー」
先程の襲撃を受けたナタ君は絶望的な表情でそんな事を言って来るが、こうして出会ったのも何かの縁だ。見るにあの黒装束、いきなり俺達を巻き込んで殺しにかかってくる時点でまともに表を歩ける業種の人間ではないだろう。ここは保護をするのが妥当かね。
そろそろ釣鬼達の手続きも終わっている頃か。丁度良い頃合いと判断し、俺達はナタと名乗ったこの少年を郷へと連れ帰ることにした。




