第109話 レムリア-亡霊の世界-
―――此処は、何処だ?
心地良い黄泉路への微睡より一転、不意な覚醒をさせられる不快の念を得てしまう。
見下ろせば何やらフラスコのような巨大な培養槽の中に満たされた液体に一糸纏わぬ姿で全身を浸され、一寸の身動きすらとれぬ自身の身体。だが何処となくその見た目に違和感を感じる様な……。
「やぁ、お目覚めかな?お嬢さん」
何時の間にこの部屋へ入ってきたのだろうか。貫頭衣に身を包んだその男は培養槽の内部に居る存在、つまりわたしへと語りかけてくる。
(貴様は……そうか、公国の現暗部には希代の錬金術師が居ると耳にしたことがある。通称【黒幕】)
「おや、まさか僕の事を知っていたとはね。その通り、当時は最早時間が残されていなかった君からあの二人を託され、しかし情勢の都合により二人を逃がす程度しか出来なかった……【黒幕】とは名ばかりのただの道化だよ」
わたしの指摘にそう頷き肯定をする、見覚えのある優男は自嘲気味にそう語る。その物言いから推測するに、どうやらあの二人にはあまり歓迎出来そうもない悲劇が訪れてしまったらしいな。
(フン――所詮わたしは既に死した過去の亡霊だ。あの後の二人の行方に関わる資格などとうに失っているさ。それで、貴様はその亡霊を無理に現世へと呼び戻し何を企む?)
「企むだなんて心外だなぁ。僕はただあの時のお礼を兼ねて、しぶとく残っていた君の魂を新たな身体へと定着させただけだというのにね」
どうやら目の前の錬金術師は前の『主』と並ぶ程の狂人であるようだ。
確かに人造人間には核なる物が存在すると言われてはいたが……仮にそんな物があったとして、それを新たな身体へ移植したところで元通り人造人間として復活出来る訳でもあるまいに。
そんな落胆を隠そうともせず妄想狂の錬金術師を冷たい目で見下ろす自身を自覚しながらも、思わず我が運命を呪う言葉が口を衝いて出てしまう。
(やっとあの狂った『主』から解放されたかと思えば、次は妄想に耽る貴様の駒として――か。つくづく、我が生涯は救いといったものとは無縁であるようだ)
「……いや、僕は君には本当に感謝しているんだよ、終わりの人造人間よ。故にその身体には既に縛りなど有りはしないさ。今此処に、その証拠を御見せするとしよう」
侮蔑の色を露わにするわたしの言葉に対し、先程までその貌に浮かべていた軽薄そうな薄ら笑いから一転、真摯な目をこちらへと向ける【黒幕】。何かの機器を操作し、フラスコから培養液を抜いていく。身体を支える物が無くなり床に倒れ込んだわたしは肺にまで入り込んだ液体を嘔吐いて身体の外へと追いやり、暫しの後に呼吸を整え立ち上がろうとする。久々に動かすであろうその身体は鉛の様に―――
「――重くは、ないな。違和感はあるが……」
「そりゃあ前の身体とは全くの別物だからね。ほら鏡、見るかい?」
身体の具合を確かめるわたしに対して【黒幕】が示した姿見を使い、自身の身体を再認識する。そこに映りこんでいたのは久々に見るであろう耳長族の似姿ではなく、見覚えのないか弱き娘のそれであった。
「何とも愛らしい姿だ。貴様の趣味か?」
「……遥かな昔に生きる事が出来た筈の、『前』の僕の知己の姿を借りただけさ」
まだ濡れていてはっきりとはしないが肩までかかる若干ウェーブがかった薄紅色の髪。そして外見上の齢の頃で言えば十四、五歳といったところか、年齢相応の丸みを帯び始めた肢体は何ともか細く触らば手折れてしまいそうな姿の少女が、目の前の姿身には映し出されていた。
「まぁいい。その様な些事よりも、だ――」
―――ダンッ!
姿身から振り返る勢いそのままに、自身諸共【黒幕】を部屋の反対側の壁へと押し込み叩き付ける。
「かはっ……いきなり酷いなぁ」
「ほぅ?以前程の出力こそ無いが、バランスは絶妙だな。余程良い調整をされているらしい」
「そりゃあその身体は以前の君の様な戦闘特化型とは違って汎用型だからね。それに今の君は最早人造人間ですらない、全く新種の人口生命体なのだから」
「……どうやら、そのようだな」
成程、目の前で衝撃に嘔吐く【黒幕】が言う通り、こいつが此度の創造主であるならば人造人間には必ず刷り込みされる筈の、主へ対する加害行為禁止の強制力といったものがこの身体からは感じられない。どうやら人口生命体という別種のモノであるらしいが……。
「理解して貰えて何よりだ。これは、この公国を中心とした人類領域における人造人間計画を潰す決定打を与えてくれた、一人きりで戦った……終わりの人造人間である君に対する僕からのささやかなお礼だよ」
「ふむ――」
言われてみれば、とわたしは想い返す。当時の『主』がその様な事を言っていた覚えがあるな。ならば既にわたしと同様の存在だった者達は……。
「だから『終わりの人造人間』という事か」
「そうだね。この世界が神を捨てると同時に生まれし、始まりの人造人間より幕を開けた動乱の時代は、終わりの人造人間であった君により幕を閉ざされた。本来ならば君こそが英雄として称えられて然るべきだというのに、最期を看取る事も出来ず、済まなかった……」
―――ふぅ。
悔恨の念に満ちた【黒幕】の告解とも言えよう言葉を受け、何故だか全身の力が抜け落ちて、一つの溜息を吐いてしまう……もう、良いか。
「ふん。戦う道具として生み出され、それしか能が無かったこのわたしがその様な称賛を受けるなど分不相応に過ぎるというものだ……それで、貴方はこのわたしに何を望む?我が新たな主よ」
「……え?」
余程意外だったのか、続くわたしの言葉を受け呆ける今生の『主』の表情を愉しみながら、思わず悪戯っぽい笑顔を向けてしまう。
この男の本音を聞き今のわたしが縛られた存在ではないと判明した以上、最早あの夜の戦いにより絶え果て終わってしまった『わたし』が『アーデルハイト』に拘らねばならぬ最後の理由も無くなった。
ならば精々この贈られた追加の生を、他の誰でも無いわたし自身として……人間になる事の叶わなかった我が兄弟姉妹達の為にも生き続けていこうと思う。
今は亡き公国の闇に生きた亡霊達よ、お前達が生きざるを得なかった救われる事の無い世界は過去のものとなった。傲慢と言われるかもしれないが、せめて今を生きるわたしの目を通して見ていて欲しい、わたし達が最期まで憧れ続けた人間としての生を―――
「結局のところ新たな生を受けたとは言えどもね、わたしはアーデルハイトの複製品として生きた僅か半年足らずの経験しか持ち合わせていない訳だ。ならば今後どう生きるかを決める上でも、生みの親の庇護は欲しい。だから主よ、その対価としてわたしは出来得る限り貴方の望みを叶えようと決めたんだ」
「そりゃまた随分と生々しい話だね。うーん望みかぁ……」
わたしの宣言に少々呆れの色が混じった苦笑を向けながら、主はあれこれと悩み始めた様だ。
しかし何だな……その優しい眼差しとお道化た素振りを見ていると、何だか、その……。
「じゃあ、そうだなぁ。ええと……まずは君の名前をどうしようかな?」
「ふぇっ?あ、ああっ。名前だな、ええと名前……」
人造人間であった頃には味わうことの無かったその感情に何故だか動揺しながらも、主の質問に対し思考を切り替え考えようとする。する、んだが―――
「――いや、それに関しては考えるまでも無かったな……わたしの名はレムリア。レムリアと呼んでくれ、我が主よ」
「亡霊の世界、ね。君もつくづく義理堅い性格をしてるなぁ。ハハハ」
「……何とでも言ってくれ。と、ところでだな……あ、主の名前は何と言うのだ?」
「ん、そうか。通称は知られていても本名までは流石に分からなかったみたいだね。それにしてもその主って呼び方は何だか堅苦しいなぁ……そうだ」
言って主はふとニンマリと、何かを企んだような顔を向けてくる。何故だろう、嫌な予感がするな……。
「僕の名前はヘルメス。かつて伝承に謳われた【三重に偉大なヘルメス】そのものであり、そして同時にこの公都に住む錬金術師でもある。君が僕を主と慕ってくれるならば、どうか親愛の情を込めてこう呼んでほしい『とうさま』と」
「……な?な、なな……一体何をっ!?」
いきなり何て事を言い出すんだこの主は!?わたっ……わたしは、ただの創りモノで。だから、えぇと……?
「済まないとは思ったのだけれどもね、その素体に魂を定着させる際に元の核となっていた物から全ての記憶を垣間見させて貰ったのさ。そういえば君、人造人間として生まれた直後に当時の主を『とうさま』と呼んでいたじゃあないか。うん、そういう触れ合いに憧れていたんだよね。分かるよー、とっても良く分かる」
「――うわぁああああっ!?」
もう顔は熱くなって心拍数も上がってしまい、まともな思考など望めない。これが本当の羞恥心という感情なのか……主はそんな悶えるわたしの様子を暖かみがありながらも何とも悪戯っぽい表情で眺め続け―――
「――その生暖かい目でわたしを見るなぁ、ばかあっ!」
「へぶぁっ!?」
「……あ」
つい、やってしまった。
今や戦闘特化ですらないこの身体とはいえ、そこは希代の錬金術師ヘルメスが長年をかけて創り上げた現時点での最高傑作。このか細い見た目の小さな身体であっても、鍛えていない人間一人を手打ちで卒倒させるには十分な力を発揮する性能を持ち得ている。つまりわたしは、そんな身体で感情迸るままに今生の主の頬を力一杯張ってしまった訳で……。
「痛ったぁ……流石に、効くなぁ。あははっ」
「すっ済まない主!こんな事をするつもりでは……」
「いや良いよ良いよ。君はついこの前まで、感情すら制御されていた筈の人造人間だったんだからね。初めて接する人としての感情に混乱してしまうのを想定していなかった僕の自業自得さ――ところで呼び名」
「はうっ……いぃいいやそのそれはだな」
ううっ、何なんだその目はっ。もう心臓が早鐘の様に鳴り響き顔は相変わらず熱を持ち続けているし、声は裏返って出てくる言葉もしどろもどろ。主の顔をまともに見ることすら出来やしない。一体どうすれば良いっていうんだっ!?
「僕も久方ぶりに娘が出来るかと思って嬉しかったのだけれども。そうか、とうさまとは呼んでくれないか……哀しいなぁ」
「ううぅ……」
もう、駄目だ。何故だか胸がはち切れそうになって涙すら出て来てしまったけれど、でも……。
「――ヘルメス、とうさま。今後とも、このレムリアを宜しくお願いいたします……」
「うん、此方こそ宜しくね。僕の愛しい新たな娘、レムリアよ」
―――わたしは、弱くなってしまった。
この暖かさを知ってしまったら、もう昔のただ戦うだけのモノになど到底戻る事は出来そうにないよ……これもみんな、とうさまのせいだ。
―――チリンチリン。
屋敷の玄関の呼び鈴を鳴らす音が聞こえてきた。この前とうさまが言っていた来客者達だろうか?
「……ようこそ、我が主ヘルメスの屋敷へ。お客様方はどのような御用向きでしょうか?」
君は物言いが少々ぶっきらぼう過ぎる。あの後とうさまにそう言われ、礼儀作法の一環としてわたしは現在メイドの真似事をしていたりする。
元はと言えばアーデルハイトとして成り替わる為に、膨大な知識を詰め込んだ経験があるこのわたしだ。表面的な言葉遣いや作法などは容易に身に着けてしまい、今では本職の方々からのお墨付きを貰う程になっていた。
とはいえ、本質はそうそう変わるものでもないのだがね。
「あ、ども。俺達ヘルメス……さんの知り合いなんですが、今日訪問するって話が通っていると思うんすけど、居ますかね?」
「はい、とうさまは先程研究も一段落して現在休憩中です。ご案内致しますね」
こいつ、確かあの月夜の晩にわたしと直接戦った二人の片割れだったな。まだまだ粗削りではあるが、その身のこなしには光る物があったのを覚えている。幾度かはあった直撃するかと思われた攻撃を既の所で避けきって、そして当時合成獣の成れの果てであったわたしの巨体に纏わり続け、見事に足止めの任を果たしていた印象が強い。本当に鬱陶しい奴だったな。
見ればその際に共に相対した相棒らしき狐人族の娘も同行していた。それと、あの二人も―――
「皆様、本日はようこそいらっしゃいました。とうさまが参るまでの間、わたしが代わりお世話させていただきますね」
アデルとサリナ、今はクロノにシェリーと名乗っているらしい。少しばかり『眼』に力を込めて口の端を吊り上げ、二人へと最大限の敬意を込めた一礼をする……うん、あちらさんの顔色も変わってくれた事だし、挨拶はこんなところで良いだろう。その反応に満足し、客人達を応接室へと案内するべく先導する。
さて、とうさまは今どちらに居たかな。今日か明日には来客の予定があるのは報せておいた筈だし、屋敷の外に出ているという事はないと思うけれど。客人達が焦れる前に探し出さねばね。
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「……あの『眼』は」
「ほんの一瞬だったけれど。あの色、それに波長も貴女のそれと同じ……」
クロノとシェリーを出迎えたメイドが一瞬見せた挑戦的な表情。そこにクロノ自身、一族に伝えられるあの力を感じ取り俄かに思考が凍り付いてしまった。
そして何よりも。あの芯の強い戦いへの覚悟を感じる瞳は、あの夜に出遭った……。
「二人共、どしたんすか?」
「っ……い、いや。何でも無い、行こうか」
「ええ、お気にならさず……」
旅の道すがら皆から聞いた話によれば、今からクロノ達が対面する相手はあの夜に自分達を救い出してくれた、現公国暗部の最高司令官らしい。あのメイドの少女のことは気になるが、だからといって恩人の屋敷で大事を起こす訳にもいかないだろう。二人は視線を合わせ、示し合わせる様に頷いた。
「何だかクロノさんもシェリーさんも具合が悪そうですね。少しお休みしときます?」
「う…ん……」
「申し訳ございません、とうさまったらまた屋敷の中をほっつき歩いているようでして。長旅でお疲れのことでしょうし、体調が優れぬようでしたら直ぐに別室をご案内致しますが……」
「――ええ、それではお願いします」
そして再びメイドの少女が先導に立ち、二人はその後について別室へと入る。
「それでは、何か御用がお有りの際はこちらの呼び鈴を鳴らして下さいまし」
「はい、有難うございます」
「………」
メイドが一礼をして退出した後、それまで無言であったクロノが口を開く。
「あいつ、部屋を出る前にまたあの『眼』を……」
「……クロノ。私は大丈夫だから」
シェリーは思わずクロノを抱きしめる。それ程までに、今のクロノの眼の色からは危うげな印象を受けていたのだ―――
―――ふぅ、危ない危ない。少しばかり挑発し過ぎてしまったかな?
ドアを閉め、平静を装って歩き出す事十数秒。一先ずは背後よりの襲撃の気配が無い事を確認した後、以前の身体よりも心持ち慎ましやかになった胸をほっと撫で下ろす。
やり合うのは別に構わないが、今この場でぶつかり合って屋敷に損害を出してしまえば後でとうさまから罰としてどんな無理難題を言われるか分かったものではない。この前なんか失礼な客人に少しばかり躾けをしただけだというのに、丸一日メイド服のスカートを膝上丈に切り詰めてた上でうさ耳と尻尾を付けろとか意味の解らない事を言われた位だし……無論とうさまが望む事だからやりはしたけれども。
やっぱりとうさまは世間一般的には変人の類ではないのだろうかと思う。
「とうさま、こんな所に居たのですか」
「やぁレムリア。真実への探求というものは、こういった日々の何気ない一点にこそヒントが隠されているかもしれないと取り組む事にあるのだよ。だからこそ僕は暇さえあればこうして自ら足を運び……」
戻る途中に階段脇の物置が少し開いており、もしやと思い覗いてみたら案の定。秘密基地ごっこをやってる子供ではないのだから、もう少しわたしのとうさまらしく威厳を持って欲しいものなのだが。
最近の癖になりつつある溜息を吐きながら、とうさまを脇から抱え応接室へと運び始める。
「先日お話していた客人達は既に応接室へお通ししておりますよ。これ以上失礼になる前にさっさと顔を見せて下さいね」
「ありゃ、もうそんな時間だったか。これは僕としたことがつい集中しすぎちゃったね……ところでこのまま応接室まで輸送されてしまうと、対外的な僕の威厳と言うものがだね?」
「時間が惜しいのでとうさまの要望は却下します。客人をお連れしてから一体何分経ったと思っているのですか」
「うえぇ……僕の世間体がー」
わたしの返答にがっくりと肩を落とすとうさま。仕方が無いじゃないか。わたしだって本当はこんな事をしたくはないけれど、折角この機会にとうさまをこうして抱きしめられる大義名分が出来たんだ。少しでも長くこの温もりを感じていたいんだよっ。
複製アデル改め、レムリアさん。感情のリミッターを外されて悪い男に引っかかるの図。




