第108話 三界散策紀行⑦
次回12/31より1/3までの四日間、年末年始の連日投稿となります。
「……んにゃ」
夜も更けて町の営む音が消えた頃のこと、ミアは少しばかりの息苦しさを感じ一人微睡より覚醒する。久しぶりの暖かいベッド、それと少しばかり忘れかけていた人肌の温もり。何故か身動きが取れない程に自分を優しく抱き寄せるその腕の暖かさに再び眠りについてしまいそうになる誘惑を振り払い、疲れた頭を懸命に働かせながら自身の身に何が起きたのかを思い出そうとする。
「そだ、ミアは昼間に怖い人達から助けられて――」
元が猫であったミアの感覚ではもう随分と昔の事に思えるが、今を遡る事三月程前に飼い主のマリノとはぐれてしまい、それからこの町に辿り着くまでの間を当ても無く彷徨い続けていた。
猫の身体であった頃にはそれでもまだ自らに残っていた僅かな本能により小動物などを捕獲し、時にはマリノが食べても良いよと言っていた覚えのある種類の山菜などを食みながらどうにか飢えを凌いでいた。だがこの町に着いた後に人の形へとなってからというもの、相対的に必要な栄養量が増え食べても食べてもお腹が空いてしまう。
そもそもが何故人型になどなってしまったのだろう。自分はただマリノの下に戻りたかっただけなのに。
そんな想いと長きに亘る人恋しさ故、久方ぶりに目にした町の景色へ感化され無意識的に猫又としての変化に至ってしまった事を、しかし今のミアは知る由もない。
「おねえちゃん、よく寝てるみたい」
ミアは抱きしめられるままにどうにか身体の向きを変え、自身を抱く者の姿を見上げる。
整った目鼻立ちながら無防備に目を瞑り静かな寝息を立てる年頃の娘。その顔を間近で見ていると何故だかどきどきしてしまう。そんな謎の感覚に焦ったミアが顔を朱に染めながらも視線をずらすと共に、自らを抱く力が少しばかり強くなり、結果再び弾力に富んだ胸へと顔を埋められてしまった。
「……むぎゅ」
「ん~んへへ、ぷにぷにで可愛いぃ」
直後に聞こてきた声に、もしかして起こしてしまったのだろうかとどうにか顔を上げその顔を覗き込んではみるものの、自分を抱きしめる娘は幸せそうに顔を緩ませながら眠り続けていた。どうやら寝言を言っていただけらしい。それを見てミアがほっとするも束の間、更に拘束が強くなり、今度は背中側から抱きすくめられ完全に身動きが取れなくなってしまう。
それでも先程に比べれば息苦しくも無いし、自分を抱いているこのひとの柔らかさも心地良い。ふとマリノに抱かれ共に夜を過ごした幸せな過去を思い出し少しばかり泣きたくなってしまう気持ちを堪えながら、今はこの暖かみへ意識を再び埋没させようと自身を抱く腕に手を添えて目を瞑る。
しかし、そこに思わぬ現実という名の刺客が現れてしまう。
「……おしっこ、したくなっちゃった」
如何に妖怪変化の類と言えども肉の身を持ちこの世に生きる者である以上、どうしても避けて通れないものがある。当然生理現象もその一つであり、故に現在のミアは可及的速やかに対処をせねばならぬ危機に瀕していると言えよう。だが、ここでもまた自らのひ弱さを痛感してしまう悲劇に対面してしまう事となるのだ。
「おねえちゃんの腕、外せない……」
これはまずい。このままでは助けてくれた恩人達に対して粗相という仇で返す真似をしてしまう事になる。
焦ったミアは形振り構わずジタバタともがくものの……悲しい哉、年齢相応な人型の子供形態では相手との体格差もあり如何ともし難い状況であった。
「うぅう……」
そして―――
Scene:side 頼太
「扶祢がおねしょしタ!いい年しておねしょしタ!」
「違うのぉ!?これはミアちゃんがっ」
「自分の粗相をこんな幼気な子供に押し付けるとは……見損なったぜ!」
「くうぅっ。あんた達、絶対解ってて言ってるでしょ!」
―――いやぁ、これは見事な世界地図ダネ。
翌朝になり目が覚めて部屋を出るとピノが大騒ぎをしていた。どうやら同室だった扶祢のベッドシーツが朝起きたら諸事情によりぐっしょりと濡れており、しかし声をかけても寝起きの悪い本人は目を覚ます気配が見られない。仕方が無しにシーツをめくってみたら、扶祢に抱きすくめられ身動きが取れないままに泣きじゃくる子猫が居たらしい。
「ぶにゃあああ…ごめんなさぁぁい……」
「まぁ、気にすんなぃ。動けなかったんだからしょうがねぇやな」
「そうそう、不可抗力ってやつだ」
「身体も汚れて気持ち悪いでしょう?洗ってあげるからミアちゃんも一緒に裏の井戸に行きましょうね」
「うぅ、ベタベタだわ……」
この様に何時までも泣きながら謝り続けるミアを皆で宥め、シェリーさんが扶祢とミアを裏手の井戸へと連れていった。うーん、最近シェリーさんが俺達問題児の保護者ポジになってきちゃってる気がするな。
宿屋の主人達もこれには揃って苦笑い。こうして、朝のほんわかした時間は過ぎていくのでありました。
・
・
・
・
「さて、ミアちゃん。君はこの後どうしたいかな?わたし達はあと数日間はこの国に居る予定でね、その後でも良ければヘイホーに連れていってあげられるけれど」
「ほんとっ!?ミア、マリノにまた逢いたい!」
「そっか。それじゃあ暫くの間、わたし達と一緒に旅をするということで決まりかな」
おねしょ騒動も落ち着き、朝の食卓にて。朝食もある程度食べ終わり一息ついたところでミアの処遇について話し合う。
やはり本人もヘイホーには戻りたいらしく、アデルさんの質問へと即答で返していた。
「ただ、ミアちゃんの今の見た目だとマリノさん?だっけ、その人に判って貰えるかどうかが心配よね」
「向こうじゃ妖怪の存在って認識されてるんですかね?正直うちの世界でも表向きは居ない事にされてる程の希少な存在なんですが」
「うーん、稀に人に化ける魔物の類の噂などは聞きますけれども。大抵の場合そういったモノは地元の伝承や英雄譚等で退治される役どころ程度にしか語られていませんわね」
「ですよねぇ……」
予想通りなサリナさんの返答に俺達は皆唸ってしまう。ヘイホーに連れて帰るのは容易いとしても、その後が面倒な事になりそうだよな。
いや、それ以前にこの認識をどうミアへと説明したものか。つい数日前までは猫だったみたいだし、果たして説明の内容が理解出来るかどうかが不安だな。
「それでも、ミアはマリノに逢いたい……です」
―――おや?
「今言ってる事、解ったノ?」
「うん……もう一緒には居られないかもしれないけど、ミアとマリノは生まれた時からずっと一緒だったから。このままもう逢えなくなっちゃうなんて、嫌だよ」
そうか……頭の良い子なんだな。生まれた時から一緒ということは即ち、飼い主であるマリノという子と姉妹の様に育ち、共に色々なものを見聞きして覚えたのだろう。ミアと会ってからまだ半日程しか経過してはいないが、その短い間のやり取りだけ取っても幼い性格に反し会話の受け答え自体ははっきりとしたものだからな。そう考えてみれば、ピノピコに似た境遇と言えなくもないか。
そんな印象を懐きながらふとピノの顔を見てみるものの、頭に疑問符を付けた様子で首を傾げられてしまった。やっぱり似てないかも。こいつの場合知的好奇心が高くて物知りなだけで、基本的には思慮に欠け気味なお子ちゃまだもんな。
「――ああ!思い出しましたわ!」
「うおっ!?なんだどしたサリナ嬢?」
しんみりとした空気の中、いきなりサリナさんが大声を上げ隣に居た釣鬼を驚かせてしまう。そして大声を上げた当人はと言えば、皆の注目が集まったのを自覚したらしき様子で少々恥ずかしそうに咳払いをし直した。
「コホン、失礼しました。ミアちゃんのお話を昨日聞いてからずっと何かが引っかかっていたのですが、そういえばマリノさんという方が三月程前でしょうか。確かにギルドへ飼い猫の捜索を依頼しに来ていましたわね。あの子が逃げる訳が無いと大層ご立腹の様子で、当時依頼の申し込み窓口を担当していた受付の子と喧嘩していた記憶がありますわ。相当ご心配なされていた様ですよ」
「マリノ……お願いしますっ!ミアはみなさんに付いてきますので、どうかヘイホーまで連れていってください!」
その言葉を聞いたミアは感極まった様子となってしまい、何度も何度もお願いしますと懸命に頭を下げ続ける。そんな必死さ溢れるこの子の懇願を見て絆されぬ面子がこの中に居る訳もなく……。
「あぁ、暫くの間宜しくだな。良かったな、ミア」
「うんっ、ありがとうおじさんっ!」
「俺っち、まだ大鬼族の中じゃ若者な歳なんだがなぁ……」
またしても素直ながらに突き刺さるミアの感謝の言葉に、釣鬼も苦笑いを浮かべて応えるしかなかったらしい。
こうして俺達の旅路にはまた一人、小さな道連れが増えたのでありました。
その後、宿を出払った一行はキルケーが倒れていた海辺の洞窟へと向かったのだが……久々に来てみたら何故か半魚人達が群れていた。なんぞこれ。
「……我等ガ一族ニ代々伝ワル偉大ナル水妖様ノ寝所ニ何用ダ!立チ去レ、人間共メガ!」
「代々って。俺等が前に此処来たのつい十日程前なんだけど」
「ナッ……マサカアノ御方ヲ退ケタノハ貴様達ダト言ウノカッ!?」
退けたって。いや確かにキルケーをサカミに連れていったのは事実だし、キルケー自身現在もあそこに住み続けている訳だから言葉の意味としちゃ間違ってはいないけどさぁ。
「ド、ドウシマス酋長。コレデハ我々ノドサクサ紛レノ聖地作成計画ガパァニ……」
「バッ馬鹿者ッ!ソンナ大キナ声デ言ウンジャナイッ、奴等ニ聞コエテシマウダロウガ!」
「せこっ!?」
「あぁ、この前まではキルケーがこの洞窟に居た関係で地元の漁師達も恐れて寄り付きもしなかったからな。それで空いたこの場所を、半魚人達の陸への拠点として占拠しておこうということか……」
「実効支配というやつか、成程考えたものだね」
我等が地球でも主に大陸の方々がシナやオホーツクな海辺りでよくやっているあれですな。確かに、情報の伝達手段が限られているこの世界でならば、このやり方は非常に有効と言えるだろう。しかし、それにしてもせこい。
この半魚人達と遭遇してより二刀を抜き警戒の構えを見せていたクロノさんも、これには呆れた様子で構えを解いてしまう。アデルさんに至っては最初から背中の大戦槌を降ろそうともしていなかったし、今も呑気に頷いていたりする。
仮に大競技祭を体験する以前にこいつ等と遭遇していたらどうなっていたか分からないが、釣鬼達釣り仲間と共に競い、最後には飲んで騒いでいたあの半魚人の戦士を見た後だと何とも人間臭さを感じ力が抜けてしまう光景だ。あの競技祭は確かに、俺達にとっても魔物と呼ばれる存在達へ対する偏見を取り除くのに大いに役立ったと言えるだろう。
「ところで偉大なる水妖って、キルケーちゃんの事かな?キルケーちゃんだったら今はサカミの街に住んでるけど」
「キルケーに御用がお有りでしたら、私から言伝でも致しましょうか?」
「ナッ!?ナナナナント、マサカアノ御方ハマダゴ存命デアラレタト言ウノカッ!」
「酋長、ヤバイデスッテコイツ等!裏事情全部バレテルミタイデスゼ?」
うん、バレバレっすね。むしろこんな分かり易く説明して貰っちゃってびっくりだよ!
「エエイ、コウナッタラ一カ八カ!者共、コヤツ等ヲ力ヅクデ叩キ出セイッ!」
「「ウオー!ヤッタルデェー」」
襲い掛かってきたその台詞まで何とも力の抜ける半魚人達。憎めない連中ではあるが、まぁ襲い掛かられたんじゃあ仕方がねぇよな。
・
・
・
・
「――ほいっ。一丁上がりっと」
「バッ、馬鹿ナッ!マサカコンナ平凡ナ人族ニマデ素手デ叩キノメサレヨウトハ!?」
「平凡は余計だこの魚野郎!」
「グホッ……」
最後の最後に失礼な事を言ってくれた酋長らしき半魚人に暴言のお返しとしてもう一踏み。見れば他の皆も適度に手加減をしつつあしらっていた様だ。ミアにちょっかいをかけようとした半魚人も居たらしく、そいつのみは手加減無しの集中攻撃を受けてボロ雑巾の如き惨状と化していたが。
「ググ、オノレッ」
それでも悪びれずこちらを睨み付けてくる半魚人の酋長であったが……何時の間にやらその背後に釣鬼とタメを張りそうな見覚えのある巨大な影が一つ、泰然と佇んでいた。
「――何ヲシテイル、オ前達」
「ゲッ、兄貴!?」
「お?お前ぇはドゥリオじゃねぇか」
「先日振リダナ、我ガ宿敵ヨ」
そこには本人の言の通り、つい先日にサカミにて釣鬼と釣り大会の優勝を争った、半魚人一族の戦士の姿があった。
・
・
・
・
「成程ナ……コノ馬鹿の考エソウナ事ダ」
先程の乱闘により相応に荒れた洞窟内より場を移し、洞窟の陸地側に位置する出入り口付近へとやってきた。然る後に近くの岩場に腰かけながら麗らかな秋の日差しの中、半魚人の戦士――ドゥリオへと事情のあらましを説明をし終えたのがつい先程となる。
「兄貴、仮ニモ酋長ノ俺ニ向カッテ馬鹿トハ酷イデハ無イカッ!大体何故人間共ト仲良ク話シタリシテオルノダ!?」
「戯ケ。先日ノ天響族トノ話、他ノ民共ハ兎モ角酋長デアルオ前ナラバ耳ニ入ラヌ筈モ無カロウ。ダカラコソコノ俺ガ、ワザワザサカミニマデ出向キ水妖ノソノ後ヲ確認シテ来タトイウノニ、セコイ真似ヲシオッテカラニ」
「ウグゥ……ソ、ソレハ」
「最早時代ハ動キ始メタノダ。誇リアル海ノ民デアル我等ダカラコソ、時代ノ潮流ニハ率先シテ乗ラネバナラヌ。イイ加減オ前モ偉大ナル先代ニ拘ッテ、若クシテソノ立場ヲ継ガネバナラナカッタ自ラヲ無理ニ比較スルノハヨセ。今出来ル事ヲ最大限ニ力ヲ尽クシテヤリ遂ゲレバ、功名ナド勝手ニ後カラ付イテクルモノダ」
彼等は彼等でどうも複雑な事情でもあるらしい。一族の英雄とも言われる程の戦士であるからこそ言える意見にも思うが、言わんとするる事は理解出来なくもないな。
とはいえ、ぶっちゃけると面倒だしそのまま説き伏せて欲しいというのは正直な所なのだがね。
ドゥリオの説得によりようやく半魚人の酋長も折れ、騒がせたお詫びそして未来の友となれるかもしれない俺達人類への歓迎の意味を込めて、新鮮な魚介類尽くしの豪華な昼飯にありつく事が出来た。
ミアも最初はびくびくとしていたが、栄螺の壺焼風の焼き貝の香りが漂ってきた辺りで餌を待ち切れない獣状態と化し、猛烈な勢いでご馳走を貪り始めてしまう。猫って貝類や烏賊・蛸を食べるとまずいんじゃなかったか、なんて思ったりもしたが特にそんな気配は無いらしい。まぁ本人はご満悦の様子であったし、細かい事は別に良いか。
その後も皆、思い思いに魚介類のフルコースを堪能した後、俺達は半魚人達と別れクシャーナを後にした。
公国公都内、とある錬金術師の研究所にて―――
「――ふむ、どうやら無事に定着も済んだ様子だね」
研究所の主である【黒幕】は巨大なフラスコ内部へと満たされた培養液の中で漂うそれを見上げ、満足気に独り言つ。
未だ意志の光宿らぬそれの双眸は、あの始まりの悲劇が起きた夜に【黒幕】自身が目撃したモノと同じ、白銀色の淡い光を宿していた。
―――To the last scene "Lemuria"
そろそろ三界の旅も終わりに近付きます。次回、公都にて―――




