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合戦の知らせ

 その日、隠し田のある山林の奥から村人が帰って来た。

 殆どが子供とその母親たちだったのは村に残る男達が必死の保護をした結果でもあった。

 隠し田とは正規に領主へ届けていない耕作田の事であり、年貢を賦課されることを免れるための水田である。余りにも重い年貢を取られ、食って行く事が難しい農村ほど山林やまを切り開いているものなのだが、無許可の耕作地が領主に見つかった場合その罰は重い。開墾後間もなく発見され米一粒すら収穫しなかったとしても、良くて数年前まで遡って加算された年貢を賦課され、それを出す事ができなければ死罪になることがある。

 そんな危険を冒してまでも隠し田を開墾するのは、飢えて死ぬよりはましだったからだ。

 農村は常に貧しく、日々口を糊する事が難しい。そこに合戦や人夫として賦役を課されれば働き手までもが奪われ、自然、村は極貧となり消滅する。

 この村は、正に消滅する直前でもあった。

 一方、関東を遠く離れた畿内周辺では、前時代にそうと云うものが成立していた。これは百姓達の自衛の集まりとも言え、それまでは耕地に点在していた家屋を一か所に集中させて村落を形成したものだ。盗賊などから身を守る意外にも耕地の水利、畝道の修築、田畑の境界争いなどを治める為の集まりなどが自然と出来上がったものだとされている。

 結果、惣村を守るために百姓達の武装化が進み、武士団と呼べる集団へと進んだものを地侍と言う。

 そしてその代表を住民らが選んで領主達と交渉できるほどの自治権を持つまでに到っていたのだが、一時代が過ぎた今も関東にはその様な強力な組織は無く、大まかに纏まった郷村があるのみだったのだ。

 鎌倉のころまであった荘園支配が、地頭が台頭してしばらく過ぎた今に至ってもその流れを引き継いだままになっている関東の村。行く末に滅びの運命がぽっかりと口を開けていたところに運良く新九郎の気まぐれがやってきた。そして救われた。

 その救われた村では、ぽつぽつと歩けるまでに回復した者が足柄の男達の手伝いを始めており、重病人だった者も食が太くなり随分と顔色も良い。もう暫くすれば全員が元のように田畑にまで出られるようになるだろう。

 幸運だったのかもしれない。

 村に帰って来た女子供も甲斐々々しく看病をしている。

 そんな中、幸運の手を差し伸べた新九郎は救護所となっていた屋敷の縁側に腰をかけていた。

 目の前にある庭は足柄の男達が雑草まで抜いてくれたお陰で明るく広い。これならば直ぐに麦打ちや大掛かりな脱穀などもできるだろう。崩れかけた垣根なども結いなおし、茅葺屋根に生えた草も引いてやれば、人が住む程度には随分とましになるものだ。あとは、水に漬かったままの荒れた田に入って土を深く起してやればまだ田植えには間に合う。

 そんな思いに耽っていた新九郎の目の前に、日に焼けて皺だらけの、水分が抜けて縮んでしまったような老爺が大盥を両手に持って歩いて来た。

 運ぶ水が跳ねていかにも危なっかしいが、そこまで回復出来た事を新九郎は素直に喜んだ。

「調子はどうかね」

 老爺は井戸から水を汲み上げて屋敷に戻る途中たまたま縁側を横切ったのだが、新九郎がそこに座っているとは思いもよらなかったのだろう、驚いた拍子に盥の水がいくぶんか強めに跳ねあがった。

「あ、これは旦那様」

 跳ねた水のために小袖が濡れてしまったようで、その老人は裾を絞りながら慌てて地面に膝をついた。

 当の新九郎は笑みを絶やさずに縁側に腰を掛けたまま老人を眺めている。

 いや、老人なのかどうか。常日頃から田畑で日に焼かれ、時には賦役で引き出され、その上に過酷な年貢で食うや食わずの日々が続いたところに病で倒れたのだ。見た目には老爺に見えるが、もしかすると随分と若いのかもしれない。

「お陰さまでこのとおり」

 その仕草はどこか、神楽舞を思わせた。この村にも、いつ誰が勧進かんじんしたのか不明ではあるが苔むした神社が鎮座している。その境内には朱色もくすみ、所々塗りもはげ落ちた舞台があるのだが、目の前にひざまずく男はその舞台で舞う里神楽の舞手なのだろう。

 両の腕をさっと広げて見せた老爺は「すっかりと癒えました」と、嬉しげであった。

「それはなにより」

「村の連中も、まだ歩くまでにはなりませんが、床から体を起こせるほどになりました。これも皆、お陰さまにございます」

 老爺はすっと頭をさげると、そのまま新九郎を拝むように手を合わせた。まるで目の前に寺の秘仏でもあるかのような仕草だ。

 この老人の目には、新九郎が奇特な有徳人と言うより、まさに村を救ってくれた地蔵菩薩か何かのように映っているのだろう。暫くの間、目に涙を溜めながら手を合わせていた。

「何をしておる、儂はまだ死んではおらんぞ」

 これは新九郎一流の諧謔なのだが、それを本気であると思った老人は飛び上がるようにして驚いた。

「な、何を言われますやら、死んだなどと縁起でもない。ワシの目には旦那様が菩薩様にみえるのでございます」

「儂が菩薩か。そんな良いものではないわい」

 田舎臭い、大仰な世辞が面白かった。室町に居てはついぞ聞かない言葉がなぜか新九郎の心の勘所を知っているかのようにくすぐって来る。ふつう大袈裟な世辞は嫌味にもなるものなのだが、この老爺にいわれると気恥ずかしいのみで嫌味には聞こえない。いつの間にか新九郎は照れた。頭を掻いている。

「いえいえ、村を救って下された菩薩様じゃ。お礼の申しようも無いほどでございます」

 流れ出る大仰な言葉に、ちと大層よな、と思わぬでもなかったが、ここで殊更ことさらに否定しても老爺の心底を折る事になる。新九郎は言われた言葉を腹の底に仕舞いこんだ。

「まあよい、そのような大盥まで持てるようになったのだ。なにはともあれ、良かった」

「……旦那様のようなお人がご領主様であればよかったものを」

(おや? これは)

 新九郎はこの言葉に疑問を持った。

 どこかの流れ者とはいえ自分達の領主の愚痴を他人に聞かせるなど重罪と看做みなされる。つい口が滑ったものであっても領主に繋がりのある者などに聞かれればたちまち捕縛の憂き目にあうものなのだ。

 しかし、ここではそれを忘れるほどに統治の仕方が悪く、住民に恨まれるものなのだろうか。命に関わる言葉が、いくら新九郎が恩人であるとはいえ言葉尻にでたのだ。

「そういえば、お前達の領主とはどんな人物か聞いておらなんだな。話してもらえぬか」

「は、あ、いえ……」

 老爺は一瞬ではあったが、気まずい顔をした。新九郎の思った通り、村を救った男とは言っても出自の知れぬ者に対して領主の不満を口にしたのだから気の緩みだったのだろう。目が泳いでいる。

 老爺の焦りを察知した新九郎は言葉を変えた。

「そう畏まるな。誰に口外する訳でもないわい」

 老爺は冷や汗を拭きとる為か袖口をまばらに伸びた月代さかやきにまであて、しきりに首回りを掻いている。束の間、思い切ったかのように顔をあげて見せた。

「……そうですか、ならば話して聞かせましょう。しかし、口外無用にお願いしますぞ」

「分かっておるよ」

「こう言ってはなんでございますが……」

 話す決心がついたとはいえ緊張が解ける訳ではない。言葉を続けながらも頭を撫で、体中に流れる汗で痒いのか首と言わず脇腹と言わず汗を拭っている。

 死罪と隣り合わせの言葉だ。畏まるなと言われてもそうそう緊張がほぐれるものではなかったのだろうが、話をしてくれたのは新九郎に対する礼でもあったのかもしれない。

「……迷惑なお方なのは間違いないですなぁ」

「上杉(扇谷政真)様かな」

「太田様にございます」

「道灌殿か」

 これは意外な気がした。道灌の噂は御所にいても聞こえるほどに坂東武者としては有名なのだ。

 武勇に優れた人物で、若くして兵学を学び武経七書ぶけいしちしょに通じ、易学すらも治めた人物だと聞いていた。また歌道にも通じている風雅人でもあると噂を耳にしている。主家の扇谷を助けて家を大きくした人物であれば、治世にも明るいかとも思ったが、

(ちがったかな)

 それだけの人格者であるとの噂を聞いていたのだが、何事も人に勝ると思うのは早計なのだろうか。領主としての道灌はこれと言って特長の無い凡下の人物だったのかもしれない。

「何様でもかまわんけども、ワシらの暮らしが立つようにして欲しいもんじゃ」

 口が滑らかになってきた。愚痴と云うものは興が乗ると淀みない流れのように腹の底から湧き出て来る。

 目の前の老百姓もつい言葉に力が入った。

「そうか」

「先程お前様の言われた上杉様も、わしらにしてみればどちらも同じ穴のむじなでございます」

「むじなとは、なかなか手酷いな」

「なんの、わしらにしてきた仕打ちを考えれば酷いもんかね」

「しかし道灌殿は京にも名が知れた人物なのだが、それほどまつりごとはひどいか」

「道灌様は上杉様の血肉の争いのためにあちこちに使われておるげでな、ちょっと前までは道灌様の従える家人や郎党は、中間ちゅうげん小者こもの荒子あらしこを引き連れて其々に合戦に行ったもんだが、あるとき『京風が良い』と突然御触れをだされたんじゃ」

「それはどんな触れだね」

「百姓で功名を上げたいものは申し出ろ、他にも厄介住み(次男三男以下)となっている者は賦役を申しつけると言われましてな」

「賦役だと」

「はい、人夫使いですよ。田を継げない次男坊や三男坊は皆戦にかり出すのでございます」

「それは、足軽で使うと言う事ではないのか」

「よくご存知で。そう、たしか足軽稼ぎがなんだとか言われておりました。わしらは足軽がなんだかわからんけども、いくさにかりだされるのは間違いない。働き手を取られる事には違いはないんじゃ」

「なるほどのぅ」

 日頃の愚痴をすべて吐き出せたのか、老爺の顔は清々しいものになっていた。

 腕を組んで黙り込んだ新九郎の前で、老爺が盥を持ち上げて目礼すると屋敷に入って行った。寝ている者の看病を始めるのだろう。

 老爺の去った縁側には緩い風が流れ、目の前でくるくると土埃を巻き上げている。そろそろ日差しが強くなってくる季節になっていた。

関東こちらにも足軽を使うものが現れたと言う事か)

 足軽とはこの頃、畿内でぽつぽつと出現して来た武士でも百姓でもない武装した者達だった。

 近頃畿内では合戦様式が変わってきている。つい一昔前までは畿内でも源平の世よろしく騎乗の侍に下男、荒子数人がついて回る戦い方が一般的だったのだが、この足軽というものが随分と使われるようになっていた。

 足軽は主従の関係を結ばない雇い入れがほとんどであり、いざ合戦となった場合のみ募集をかけた。近在には惣という武装集団を抱えた農民の集合体があるためこれがうまくかみ合って臨時の歩兵部隊となって行ったのだ。

 足軽は騎馬に比べて軽装なため敵が急襲してきたときの対応や、重要な場面では一騎打ちが主体だった戦い方から集団密集戦に変わった戦闘の一大改変でもあった。

 しかし、惣の波はいまだ関東には遠く及んではいない。

 惣の自衛集団である地侍がいない関東には平安期からの武士団はいたが、それぞれが各郷での地頭であり、特に武蔵・相模・上下野方面では武蔵七党むさししちとうという地頭集団が名を馳せてはいる。だがこれは足軽組織を持つものではなかった。

 その新式軍団である足軽を関東で大量に賄うためには賦役を課すのが最も効率が良い。

 何度か上洛を果たし、最新の用兵を目の当たりにしていた道灌がその新工夫を見逃すはずは無く、いち早く取り入れる事になったのは時代の流れだったのだろう。

 これからの戦は足軽を主体とした集団戦が主な戦い方になる。新九郎もそれには漠然とながらも同意であった。その工夫に遅れた武家は滅ぶとも思う。

「京周辺でも惣を取り籠める程の力を持てば、或いは守護勢力をも倒せるかも知れんな」

 だが、と別な考えも浮んだ。守護勢力を倒せるほどの惣を取り込む力をどうやってつけるのだ。結局は自分が守護職にでもならなければその力は持てまい。

 新九郎は我ながらこの堂々巡りの考えに笑いがこみ上げてしまった。

「どうされた」

 縁側でひとり笑っている新九郎に声をかけて来たのは小太郎だった。この男は体が細く重さもそうそう無い為か、足音がまるで聞こえない。ふらりと現れるとふらりと消えて行くといった表現が見事に当てはまる男なのだ。乱破とはこうも変わった特技があるものなのだろうか。

「いやなに、ただの地頭が守護職になる為にはどうすればよいか、考えごとをしていたのさ」

 明るく笑いながら大言を吐く新九郎だったが、小太郎はその言葉を真剣であるとは受け取らなかった。ふつうこの時期、同じ様な言葉を守護代ほどの権力者が吐けば喫緊の脅威であると取られるかもしれないが、たかが地方の一地頭が吐いた所で本気とは受け取ってもらえるものではない。

 権門貴族等の血統が権力構造を作り上げているのだ。天皇を頂点としてその下に源平藤橘他、各氏が居並び、日本中の武家はその一族の何れかであると吹聴している。

 血族支配は日本の構造そのものでもあった。それを壊して別の者が権力中枢に取って代わろうなどとは考えられるものでは無い。

「大層なほらをお吹きなさるなぁ」

「法螺と思うかね」

「それはそうでござろう。各国には公方様から領地を頂いた守護が綺羅星の如く居並び、その家来たちは守護と代々婚姻を重ねて血に連なる一族になっておりますぞ。守護を上に頂く地方の御家人は強固にまとまっておりましょうからなぁ。今後、天地をひっくり返すような大乱が天下に広がりでもしなければ、その隙間に入り込むことすらできますまい」

「そうかも知れん」

「そうですとも」

 言葉が終わると、二人の間に静寂な寸暇が流れた。柔らかな日の光が心地よい。

「ところで、何か儂に用でもあったのかね」

 小太郎は明るい日差しに目を細めていたが、思い出したかのように掌をぽんと叩いて見せた。

「あぁ、そうそう、お前様の話しを聞いていたら何しに来たか、うっかり忘れるところだった」

「それほど愉快だったかね」

「うむ、お前様の話しは荒唐無稽で楽しゅうござる。でな、そのお前様がやらかした関所の火事だが、いよいよ来たぞ」

 新九郎は関所を焼く直前、中にいた武士達にかけた言葉を思い出した。要は太田と上杉に濡れ衣を着せたと言ってもよい。

 どちらにせよ領地が隣接している太田と豊島は、合戦が近い事は知れた事実だった。

 元々豊島氏とは応永二十三年(一四一六年)に起った上杉禅秀の乱のおり、現古河公方(鎌倉公方)足利成氏の父である足利持氏(四代目鎌倉公方)に味方した勢力であった。

 相手方の禅秀とは犬懸上杉氏の出である上杉氏憲である。

 この氏憲が前管領であった山内上杉憲定失脚後に管領の地位に付いたのだが、鎌倉公方を補佐するその地位には飽き足らず、鎌倉府そのものの実権を握ろうと暗躍を始めた事があった。

 語らったのは持氏の叔父である足利満隆(鎌倉公方二代目、氏満の子)や妾腹の兄弟である持仲(鎌倉公方三代目、満兼の子)である。

 鎌倉府の権力構造上、頂点に近いところを動かそうとしたため、各地御家人達は自分達の利益の為に其々に味方を選んだ。

 結果、応永二十三年に禅秀の乱がおこり、足利満隆が挙兵。氏憲も鎌倉府に向かい持氏を取りこめようとしたが、持氏は直前に鎌倉を脱出することができた。

 のちに室町将軍足利義持に助けを乞うと、満隆・氏憲討伐の軍が興され、結果上杉禅秀は滅んだ。

 このとき、武蔵領では上杉氏に敵対して足利持氏についたのが江戸氏、豊島氏らの武士集団であった。

 またその後、関東管領を罷免されていた禅秀の後に関東管領となった山内上杉憲基が乱の翌年に死去すると、山内上杉氏の分家、越後上杉氏から養子となって山内上杉氏に入った上杉憲実が関東管領となると再び乱が起こった。

 永享の乱(永享十年:一四三八年)である。ここで持氏は討たれ鎌倉公方は一時滅んだのだが、その後の持氏遺児を擁した結城合戦を経て持氏の子である永寿王丸が鎌倉公方を再興させた。この永寿王丸が後の鎌倉公方五代目であり古河公方初代、足利成氏なのである。

 この時の結城合戦でも持氏の遺児、永寿王丸の兄である春王丸・安王丸に豊島氏は味方している。豊島氏は鎌倉公方の親密な御家人として代々続いていたのだ。

 そして成氏が成人後のことだが、成氏が父持氏を上杉憲実・憲忠父子に殺されたことを骨の髄まで恨んでいたためか後顧の憂いを取り除こうと、上杉家の家臣である長尾景仲と扇谷の上杉持朝の二人が成氏を攻めようとした事があった。だがこれは成氏の勝ちとなる。後に伝わる江の島合戦である。

 根の深い公方成氏と管領上杉氏の確執は留まるところを知らない。

 享徳三年(一四五五年)、終に下総結城領を拝する結城成朝の家臣、多賀谷氏家・朝経兄弟が成氏の指示のもと、鎌倉の成氏居館である西御門邸で憲忠を暗殺した。

 これが享徳の乱の始まりである。

 憲忠の死後、翌年の四月に管領職補佐の綸旨を拝した憲忠弟上杉房顕と公方成氏との戦乱に発展すると、室町からも追討令を出された成氏はその居館のある鎌倉を追われ下総の古河の地に居所を移したのだが、この古河城に対抗するために扇谷上杉家は家宰職であった道灌に命じて江戸城、岩付(岩槻)城・河越城を造らせたのだ。

 豊島氏にしてみれば主の住む古河城に敵対する為に、目の前に旧敵が江戸城を造ったのである。

 太田氏と豊島氏、ひいては管領上杉氏と公方足利氏の因縁深い対立があるために少々の切っ掛けでも争いになる事は疑いがないことであった。新九郎はそこを突いた。

「太田と豊島が合戦になるか」

「応さ、お前様が火を付けて関所を荒した事が太田の殿の仕業と広がっておった。やはりここに留まって良かったわい」

「ならば小太郎、お前も稼ぎに出向くのじゃな」

「そうよ。これで少しは懐がぬくまる」

 新九郎は縁側の板張りを踏みしめると、さっと立ち上がってみせた。小袖に括り袴の姿ではあったが、どこと無く威厳を感じさせるのは、やはり御所仕えが長かったお陰だろうか。

「小太郎、儂と佐平次を共に連れて行け」

「なんと、他国者よそもののお前様がこの戦に出ると言われるか」

「馬鹿を言え、足軽稼ぎなどするものか」

「では合戦に出向くのではないので」

「儂は関東の合戦の有様を見届けに参るのだ。あわよくば道灌殿の用兵術も見たい」

「なるほど、わかった。ならば明日の虎の刻、儂は道灌殿の陣に赴いて名簿帳みょうぶちょうに名を書こう。道灌殿と顔を合わせたらお前様の事を推薦しておくよ」

「そうか、それは有難いな。宜しく頼む」

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