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夜盗

「佐平次、とりあえず死人を葬るぞ。それが済んだらまずは飯の支度だ」

「なんと仰せある。新九郎の殿は扇谷の道灌殿に会いに行かれるのではないので」

「道灌殿には会うわさ。だがまずはこの村の手当てが先よ。病も飯を食わねば治らぬわ」

「ずいぶんと殿はお人がよろしいことでございますなぁ」

 どこの誰ともわからぬ者に施しをするなぞ、このご時世、寺の坊主どもですらやらぬこと。それをこの備中の変わり者は墓まで掘って死者を葬り、飯を食わせて病人を癒すそうだ。

 村近くの墓地を見つけた新九郎がせっせと墓穴を拵えて行く姿を佐平次は呆れ顔で見ていた。

 しばらくして新九郎と共に墓穴を掘り始めた佐平次だったが、二人懸りでも数多く穴を掘る作業は中々骨が折れるもの。墓穴を掘り終わるのにほぼ日中一杯かかってしまった。

 休む間もなく次の作業に取り掛かり、日の暮れかかった村中から病死した者達の遺骸を運んで一人一人埋めて行く。

 残念ながら墓標までの世話はできなかった。

「さて」

 額に玉の汗をかきながら埋葬に疲れた腰を叩いて上体を起した新九郎、未だ土を被せている佐平次を見た。

「家ごとに病人が居ては看病の手間がかかり過ぎる。皆を一つ所に集めようかい」

「それはかまいませぬが、村人が嫌がるのでは」

「嫌がれるほど元気なものには手伝わせれば良いわさ」

「それもそうでございますな。しかし、飯はどうなされます。手持ちの干し飯を湯で戻す程度では流石に足りぬでしょう」

「うむ、それはちと考えておる。銭で米を売ってくれる市でも立てば良いのだが、そうそう市は立つまいからなぁ」

「ならば、米の湧いて来る宝の升でもお持ちでございますか」

 佐平次は戯れた。だが、新九郎は考える素振りを見せた後、掌をぽんと叩いてみせた。

「そう、それよ。宝の升、これが済んだら取りに行こうか」

 戯れた筈の言葉に新九郎が食いついて来たので佐平次は一瞬あっけにとられた。この荏原の地頭はいきなり何を言い出すのか。

「そのような升に心当たりがおありなので」

「まあ、無い事も無い」

「本当にございますか」

「儂は時と場合で嘘を云い分ける。此度は云わぬほうじゃ。まぁそこはそれ、まずは病人を一番大きな屋敷に集めるぞ」

 納得の行かぬ顔をしていた佐平次の尻を叩くようにして二人は手分けして家々を巡ると、なんとか自力で動ける者は肩を貸し、動けないものは背負って歩き、村で一番大きい屋敷に荷を下ろすように並べて行く。

 村の住人としてはいきなりの訪問者に怯え、抵抗しようとしていたが病で体力は奪われ体が思うように動かない。新九郎主従のなすがままに一つ屋根の下に集められてしまった。

 村で一番大きい屋敷とはいっても豪農の屋敷では無い。茅葺の、粗末な造りの小屋のような見た目だが、百坪ほどの建て屋がある。

 家の中では馬が繋がれていたであろう馬小屋と土間が一つ造りになっており、土間を上がった所が囲炉裏を切った居間になっていた。

 その奥の板襖を開けると二十畳ほどの板間があった。

 病人を運んだのはその板間である。堅い板の間に蓆があれば蓆を敷き、なければ稲藁を無造作に敷き詰めた上に寝かせて行く。

 村では死んだ人間を数えるよりは生きた人間を数えた方が早い程に死人が出ており、ここに集められた人数も二十人はいない。

 その村人達の前に立った新九郎はきんきんと通る声を発した。

「お前達、これから病を治して進ぜる。よって快癒するまではこの屋敷で寝起きせよ」

 そこでにこりと笑うと、

「はよう元気になれよ」

 そう言って早速手持ちの薬を村人に分け与え囲炉裏に火を入れた。

 殆どの者が高熱を発していたので当り構わず布切れを探し出し、長持ち等があろうものなら急ぎこじ開けて衣服までも引っ張り出して持って行く。

 家の裏には井戸があったのでそこで盥に水を張ると、そこにありったけの布を漬けこんで枕元まで運んだ。

 病で寝たきりになり、身を清めることもできなかった者には濡らした布を堅く絞って清めてやるのだが全員の体を清め終わった頃には既に戌の刻限が迫っていた。

 すでに辺りは暗闇で覆われており、囲炉裏の炎だけがぼんやりと屋敷を照らし出している。

「まずは一段落」

「ですな」

 袖口で汗を拭きながら作業を続けていた主従は、土間と座敷の間の上がり框に腰をかけて肩で息をしていた。

「さて、次は宝の升でございますな」

「そうよな。まずは近くに武家屋敷があるか探してみよう」

「宝の升とは武家屋敷でござったか」

「それが一番手早い。が、だめなら山賊でも懲らしめに参るか」

「何を怖い事をいわっしゃる。わしら二人だけでは反対にやられてしまいますわい」

「ならばやはり武家じゃな」

 そう言い捨てると、足元に置いてあった水盥を掴んだ。

 するすると上がり框から囲炉裏端まで上り、天井から吊るされた自在鉤にかかっていた鍋に水を流し入れて干し飯を一袋流し込む。

 二十人もの腹に収めて満足できるほどの量はないが、水で膨らませれば幾らかましになるものだ。

 水から湯になる頃には鍋一杯に粥が出来るだろう。

「佐平次、台所を見つけて碗をあるだけ持ってこい」

 へっ、と返事をした佐平次が碗を持って戻り、しばらくした頃には粥も出来上がった。

 二人は形もとりどりな碗に粥を分け、倒れた者達に飯を食わせて行く。

 この家に連れて来られたばかりには何をされるのかと恐れていた者達も、飯を口まで運んでくれる不思議な有徳人かねもちに感謝を現したのか、それぞれに手を合わせて拝むような仕草を見せていた。

 さすがに今日明日とも知れない病人達だったため食も細い。少なく見えた粥も鍋に少し残している。

「まぁ、致し方のないことじゃ」

 新九郎は残った粥を碗に空けると、自力で動けた物に残りを全て与えた。

「動ける者がまず食わんと病人を助ける事はできぬ。まずはお主が全て食え」

「……お、お有難うございます」

 老爺とも見える男は涙を流して手を合わせていた。

「さて佐平次、参るぞ」

 暗がりの中、病人であふれた屋敷を出る新九郎の向かった先は、石神井の城と呼ばれる豊島氏の本拠とされる城がある地域であった。

 豊島氏とは桓武天皇の流れ、高望王の子孫であり、武蔵国秩父郡の中村郷に土着してから秩父氏を称した一族の末裔である。

 時が下り南北朝期に石神井郷を所領としたころ城を築いて本拠としていた。

 だが室町期に入り鎌倉公方足利成氏と、幕府軍とされる関東管領上杉氏との間に享徳の乱が発生すると、公方成氏が幕府軍に破れて下総国古河の地に拠点を移す事になった。

 この時、上杉一族の中でも有力一族とされた扇谷上杉氏が武蔵の地を支配していたために家宰である太田道灌に、古河に対する備えとして江戸城、河越城、岩槻城を築城させている。

 その三城の内の江戸城が豊島氏の拠点である石神井城に近かったため、土地の権益を著しく太田氏に害された豊島氏は太田氏と対立を強めていた時期であった。

 現在の当主は豊島勘解由佐衛門尉(泰経)と言った。

「殿様、どちらの武家へ行かれるのですか」

 小走りで夜道を走る新九郎の後を追う佐平次は、先ほどの囲炉裏から火を移した松明を持って走っている。

「豊島のところへ」

「お城に行かれますか」

「まさか」

「はて、ならばどうされるので」

「城は街道筋に造られるもの。その街道には関所があるだろう」

「あの面倒なところでございますな」

「そうよ。その面倒なところは通る商人や旅人から銭を奪う」

「わしらも三河では面倒な目に会いましたなぁ」

「だが、その関所では税として奪った銭や米が置いてあるもの」

「ま、まさか、その関所から米を奪いまするか」

「よう見た!」

 新九郎はからからとした笑い声を深夜の空に放った。

「そのような事ができますのか」

「やらずばなるまいよ」

「されど、それではまるで夜盗でございますな」

「そう。夜盗じゃ。だが場所を選ぶ夜盗よ」

「はぁ、何やらようわかりませぬが、しくじったらどうされます」

「そのときは逃げる」

 物言いの明るい新九郎の言葉に、佐平次はその様なものかなと奇妙に納得をしていた。

 一方の新九郎は胸の内で鼓動が高鳴る。自らの運だめしを実行する事に強烈な自信を漲らせてもいた。

 二人は闇夜の街道筋を走った。

 平野とは言っても至る所に森があるもので見通しが聞く所ばかりとは限らない。

 途中の森では火明かりが灯った怪しい場所もあり、追剥の類が屯しているのか、もしくは扇谷の小部隊が駐屯しているのか。

 おそらくは前者ではあろうと思われたが、そこは素通りを決め込み松明の火を靡かせながら二人は走った。

 そして一里程も走ったころ、街道の先に、竹がきが結いまわされた板葺きの小屋が視界に入った。

 すでに明かりは落ち、夜番のものも寝静まっているのか人の起きている気配が無い。

 息を切らせた主従は近くの草むらに身を隠した。

「あったな」

「……やりまするのか」

 少々腰の引けた佐平次が、新九郎の決心を聞いて来た。

「やろうず。佐平次、その方は裏手へと回れ。儂が騒ぎを起したら、裏手から懸かれ討ち取れと騒ぎ立てよ」

「大人数で押し入ったように見せかけるのですな」

「その通り。中には多くても十人はおらぬ」

「そうでございましたか。しかし、どうやってその十人を討ち取りますので」

「全員を討つ訳ではない。一人のみ、犠牲になってもらう」

「そのお方もちと憐れではありますな」

「まぁそう言うな。小の虫を殺して大の虫を助けるじゃ、いや、これはちと違うな」

 呵々と笑う新九郎が笑いをやめると、急に真面目な顔に戻った。

「だが、それより人数が多かったらちと、まずい事になるかも知れんぞ」

「な、なんですと」

 佐平次が問いかける間もなく新九郎は関所の小屋へと足早に向かって行ってしまった。

「こりゃ、只では済まんかもしれんな」

 佐平次はぶつぶつと独り言を云いながら小屋の裏手へと急いだ。

 新九郎の草鞋から伝わる街道の感触はひたすら堅かった。踏み固められた剥き出しの土は砂粒を含み、荷車が通っても轍すらできないのではないかと思えるほどに堅い。

『儂の足元の嬉しい事よ』

 そう言いながら独り、闇夜の中で笑っている。

 これからの大事の行く先を足元の土で占う新九郎。足元が踏みしめられて堅い事が嬉しいらしい。

『儂のやる事が盤石であるという卦が出たな』

 新九郎、占いのやり方など知らなかったが手近なもので吉凶を占った。勝手なものだが、要は夜盗が成功するというわけだ。

 板葺き小屋の戸口に到着すると、一つ大きく息を吸い込み、戸を何度と無く叩き始めた。小屋が崩れるのではと思えるほどの叩き方である。

 突然の夜中の騒ぎに飛び起きたらしい中の者達が慌てて動き出す気配がする。数人が、がさがさと得物を取り合って戸口に近付いている音が戸口まで聞こえて来た。

 そこまで来て警戒したのか、一瞬の静寂の後に先ほどまで打ち抜かれる程に叩かれていた引き戸がゆっくりと開かれた。

 ゆっくりと開かれた戸口から、にゅっと首が出て来た。

「この夜中に誰ぞ」

 声は警戒している。

 無精髭を伸ばしたままの男は首だけをぬっと突き出したまま周りを見たが、辺りは暗い。

「……なんぞ」

 男の後ろから別な男の声がした。

「ふむ、なにも見えん。誰かおるのじゃろうか」

 そう言い残して身を引こうとした時、月の光を鈍く灯らせた一筋がすぽりとその男の首を切り落としていた。

 男は自らの首が落とされた事にすら気付かなかったのか、声もあげずに首が落ちたところで目だけを動かしている。首の離れた体の方は自然、後ろに下がって行った。

 その体を追うように新九郎、落とした首の髻をむんずと掴むと、後ずさりしている首なしと一緒に小屋の中に入り込んだ。

 奥にいたもう一人が仲間が入って来たとおもったのか、新九郎に話しかけていた。

「誰かのいたずらであろうかの」

「いたずらでは無いわい」

 その言葉は仲間が言ったのかと、一瞬とまどった様な素振りをした男だったが、次にぎょっとした表情で新九郎を見た。

「だ、誰じゃ」

 驚きのあまり声が上手く出ないらしい。

 ずかずかと小屋の中に踏み込んで行く新九郎は、掴んでいた首をぽいとその男に投げ与えると大音を発した。

「ぬしらが公儀に歯向かう豊島の輩であるか、今宵管領が室町の指図によってその方らを成敗しに参った。覚悟せよ」

 目の前の男は言うに及ばず、奥の方でぞろぞろと出て来た者達も新九郎の声に呑まれた。

「な、なに、管領と申したか」

「まさか、山内殿が直接は出向くまい」

「ならば政真様か」

 ざわついた侍達だったが、その内の一人はそれなりに肝が据わっていたと見え新九郎に向かって声をあげた。

「その方、管領と申したが太田の私怨の夜討だな、上杉様の名を騙るとは言語道断じゃ。返り討にしてくれる」

 新九郎は抜いた太刀をその侍に向けると、大口を開けて大笑して見せた。

「どちらでもよいわ。だが儂がここに一人で来たと思うてか戯けども。我が配下の者どもが既にここを取り囲んでおる、おのれらを一々取り押さえて首をねじ切り、管領殿への手土産としてくれよう」

 くそっと誰かが叫ぶと、新九郎に向かって斬りかかって来る者、小屋の裏口に逃げようとするもので小屋が騒いだ。

「いまじゃな」

 佐平次は言いつけがこの時とばかりに小屋のあちこちを叩きまわり走り回り、途中で拾ってきた木の棒を当るを幸いに殴りつけて数十人が裏口に隠れているように見せかけた。

 声も誰かに話しかけるかのように使ったのは、佐平次が意外な役者であったからかもしれない。

「くそ、裏口も人数が詰めておるのは本当のようじゃ」

「これは適わん、豊島の本城に逃げるぞ」

 侍達がそう言っている間にも新九郎は太刀を振り回して手当たり次第に斬りまわり、障子と言わず板襖と言わず、切れるものならば派手に切って見せている。

 しかし何故か侍達を斬らなかった。

 豊島の関所に夜盗の如く押し入った新九郎の鬼気迫る迫力に怖気づいた侍達は、新九郎が入って来た戸口の木戸を蹴り倒し、我先に逃げ出しはじめた。

「まて、逃げるか!」

 新九郎は少々芝居がかっている。

 逃げ出した人数に戻られてしまうと厄介なことになるのだが、そこは新九郎も役者に徹したようだ。

 ばたばたと逃げ出した関所の侍を戸口に立って見送る新九郎、良く見ると逃げ出した侍は四人しかいなかった。

 なるほどこれでは充分な反撃をしてこないわけだ。と腑に落ちたのは、佐平次が静かになった関所小屋の中に入って来てからだった。

「殿様、よくぞご無事で」

 佐平次が中に入ってみると、新九郎は肩で息をしていた。

「おぉ、佐平次か、苦労じゃった」

 自らが仕出かした騒ぎだったが『意外なほどに緊張していたな』と気がついたのは、右手が中々柄から離れなかったことと、相手が逃げ出すまで人数の把握をしていなかった事に今更ながら気がついたことだった。

 我ながら危ない橋を渡ったものよ。とは思う。しかしこれで手始めの運だめしが成功し、食料と金子が手に入った。

「しかし、本当に夜盗になってしまいましたな」

 佐平次が不安げな表情になっている。

「豊島のお城から人数が寄せて来ませぬかのぅ」

「儂らは管領の指図と言ったからな。もし奴らが取って返したとしても、儂らは夜盗じゃ。どこの誰かまでは分かりはしないさ」

 息が静まるとともに心に余裕がでた新九郎はからからと笑って見せた。

「しかもここにある米と金子は、元はと言えば無用の通行税じゃ。これを有難く在郷の者に使えば領主も本望じゃろう」

「しかし使う相手は領主が違う領民ですが」

「そこは世の面白いところよ」

 緊張がとけた主従はしぜんと笑い合っていた。

「さて、米と金子を荷車に乗せて担ぎだしてしまおう。それが終わったら佐平次、ここを焼き払え」

「な、何ですと」

 焼き払えとの言葉に佐平次は驚きを隠さなかったが、新九郎は二度、「焼き払え」と下知をしていた。


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