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落居

 子の刻。

 悶々としながら一睡だにする事が叶わなかった新九郎は、物音を立てぬように褥から抜けだし、寝所の戸を開けた。

 手燭も持たずに伊勢屋敷の廊下を歩きながらも、先程の天下国家が未だに尾を引き胸を熱くさせている。

「できるか」

 まずは何か、思う様に試す事がよかろうか。

 新九郎は一度足を止めると、深く息を吸い込んだ。

「今日の儂はどうかしておる。このように心が千々に乱れては、さして難しくも無い事まで不本意に終わる。ましてや今出川様を館から落とし参らせる事など到底覚束ぬ」

 自らの頬を両掌でぴしゃりと打つと、まずは天下国家の言葉を腹の底に沈めて足早に伊勢屋敷を抜け出た。

 屋敷から外の通りに繋がる門には、既に先の六人が待っていた。

 皆怪しまれないようにしている為、普段着の素襖ながらも足周りのみをしっかりと造っている。

 これからどこか、都合の良い辺りで今の素襖を着がえて旅装束にするつもりなのだ。其々が着替えの入っている荷を背負っていた。

「皆、居るな」

 居合わせた六人は無言で頷いた。

 月が明るい。

 松明がいらない月夜の晩に、全員の顔がはっきりと見える。

「ならば、是より今出川館に参る。まずはあの小者がいる長屋門へ」

 六人が月明かりの中、都の小路を走り抜け今出川の門に辿り着いた。門にはあの小者の佐平次が手引きをする為にかんぬきを外して待っている。

 一行はするすると今出川館の長屋門に入った。

「佐平次、屋敷の動きはどうじゃ」

 今夜の佐平次は緊張した面持ちで新九郎達を待っていたようで、眠気などは微塵もその表情にはなかった。

 しかも既に脚絆に手甲をつけ、括り袴もきりりと結い上げている。

「へぇ、館は静かなものでございます。まだ日の高い内に花の御所からのお使いが三人程参りましたので、御前様は病で伏せっておりますと追い返したくらい」

「そうか、御所から人が来たか」

「なにか、まずい事でも」

「いや、そうではない。何も気づかれなければそれで良い。佐平次、ちと間借りするぞ」

 新九郎は中に入った六人に、其々身支度をさせると、自分も装束を改めた。

「お前達は儂が戻るまでここに居よ。館には儂が一人で入り、今出川の御前を連れて参る」

 そう言った新九郎の動きは早かった。

 長屋門の引き戸を音も無く開けると、すっと走り出て館の中庭にある廊下に向かった。そこには手水鉢がある。

 置いてあった柄杓を使って水を救うと、そのまま玄関に向かっていく。そこには木戸が嵌めこまれているのだが、その溝に先程の柄杓から水をさっと注いだ。

 柄杓を打ち捨てると小柄を引き抜き、音も無く木戸を開けた。

 式台のある玄関は薄暗い。

 所々に燈明があるのだが、ただの目印程度にしか辺りを照らせないのは好都合。

 足音を忍ばせながら今出川館の廊下を進んで行った。

 義視の申次衆であり、今出川館に出仕していた新九郎にとって館内は手に取るようにわかる。

 寝ずの宿直とのいをする侍が居る場所もわかっている。そこを避ければ案外簡単に義視のもとへ辿りつけるものなのだ。

 そして火明かりの灯る一室に辿り着いた。

「御前、新九郎参りました」

 新九郎の言葉が終わったとき、ふわりと火明かりが揺れた。

 そして人が立ちあがり、新九郎の座る障子越しに近寄って来た。

「もはや出立の支度が整いました故、お急ぎくだされ」

 障子の内側の足音がとまる、と。

「そうか」

 新九郎はこの声が義視とは違う事に気付き、逸早くその場を飛び退いた。

 飛び退いたと同時に障子から太刀の切っ先が突き出され、鈍く漆黒に輝く刃先が脂を吸っているかのような輝きを見せた。

「おのれ何奴」

 新九郎も腰の太刀を引き抜き抜いて臨戦態勢を整えた時、付き出ていた太刀が引っ込み代わりに障子がさっと開かれた。

「今出川の御前を手篭にしようと企てるのはその方か」

 新九郎、目の前の男を知らない。義政に雇われた室町の男であろうか。

 その男の後ろには義視がおびえたように褥の上に蹲りながらこちらを見ている。

「御前、ご無事か」

 新九郎の声に、目の前の男が底冷えのする様な笑いを聞かせて来た。

「ご無事かとはけったいな。賊がなんの世迷い毎をほざくか」

 言った途端、袈裟がけに斬り落として来た。

 間一髪かわす事ができた新九郎も最早問答で事が済まない事を感じると、手に持った太刀で身構えた。

 相手との間合いがじりじりと詰められる。

 新九郎も刀術はある程度心得ていたがそれは飽くまで武家礼法の範疇の事。実践で鍛える芸者とは訳が違う。

 強いな。

 そう思うと同時に障子を切り倒すと、相手の視界を一瞬遮った。

 男はひるむことなく倒れて来た障子の切れはしを退けたが、その時ただでさえ暗い屋敷の中が一気に暗闇となった。

 新九郎が燈明皿を太刀で叩き割り、火を踏み消したのだ。

 一瞬の光を目に焼き付けていた新九郎にこの勝負、分があった。

 動きの止まっていた男の正面から腹に太刀を突き立てていた。

 断末魔のくぐもった呻き声が辺りに響くと、再び夜の静寂があたりを覆い始めている。

 屋敷内ではこの騒ぎでも誰もやって来る者がいない。おそらく厄介事を避けるために知らぬ存ぜぬを通す心算なのだろう。

 それはそれで新九郎にとっては仕事がやり易い。

 再び廊下に出ると、先程の争いを知らない火のついた燈明皿のかざされた柱からそれを抜き取って義視の居る座敷にやって来た。

 入口には先程の男が腹から血を流して倒れている。身形からすると左程身分の高い男ではないようだ。

「御前、ご無事か」

 再び問いかけながら、まだ息のあった男の背から太刀を差し込み止めを刺した。

 義視は目の前で人が殺されるところを見た事が無かったのか、ひたすら震え、おびえた目で新九郎を見ている。

「どこにもお怪我はないようですな。よろしゅうござった」

 そう言いながらも、不思議な事に未だ義視が寝巻を着ていることに気付いた。

「御前、今宵それがしとの伊勢落ち、よもや忘れた訳ではござるまい。なにゆえ装束を整えておりませぬ」

「わ、わしが……」

 義視は蚊の鳴くような声をだした。

「なんともうされました」

 今一つ声が聞こえない。ただでさえ小さい声が口の中でくぐもって言葉になっていないのだ。

「わ、わし、わしがその男を雇ったのだ。儂は伊勢になど行かぬ」

 今度こそ声の聞こえた新九郎は衝撃を受けた。

「御前、まさかこの男、御前が雇ったのでござるか」

「そうじゃ。その方に怪我をさせれば伊勢落ちなどしないでも済む」

 とんだ馬鹿者だったか。新九郎は今まで仕えていた我が身の主を、これほどまでに軽蔑した瞬間はなかった。

 新九郎が怪我をして義視の伊勢落ちが不可能になれば、義政の手が簡単に自分に及ぶ事になぜ思い至らないのだろう。

 いまから幾日か前、花の御所で義政に義視が酒宴に呼ばれ、京周辺で行われていた合戦を尻目にその当事者が酒盛りをしていたと言う話は聞いていた。

 しかしそれは兄義政の、と言うより日野富子の策謀の内の一環なのだ。ゆるゆると義視を取り込み、その支持者を義尚側に引き込んでから邪魔な義視の謀殺を企てている。

 何故その程度の警戒ができぬのか。

 これが今の幕府の現状か。新九郎の落胆は大きかった。

 しかし今、新九郎が担がねばならない神輿は義視以外にない事は確かであった。

「御前、それがしが怪我をしたとて御前の伊勢落ちは動きませぬ。もしそれがしが死ぬるようなことがあり、御前が伊勢に落ちることなくここにお留まりなされれば、命を取られるのはそれがしではなく、御前ですぞ」

「儂は、ただここで毎日酒をのみ、女を侍らかす。その暮らしがしたいのじゃ」

「命を取られてはそれも叶いますまい」

「儂は次期将軍ぞ。なにゆえ命を狙われるのじゃ」

「次期将軍の候補はお兄上のご嫡男、義尚様も同様にございます。ならば御前は御所様からみれば邪魔者。京に居続けたまま将軍職を狙い続ければ何れお命を落とす事になり申す」

「新九郎、儂は本当に命を狙われるか」

「間違いなく狙われ申す」

 義視は褥の上で蹲っていたが、この一言で崩れるように両手をついた。

「御前、もはや刻限が参りました。急ぎ落居のお支度を。酒や女なれば伊勢にもおり申す。そちらで囲いなさればよろしい」

 義視は両手をついた格好で頷いていた。


 義視の装束替えを手伝った新九郎、その義視を連れて今出川館の玄関をぬけだし、家臣の待つ長屋門まで来た。

 その新九郎の目に、門に面した通りに馬が八頭繋がれているのが入った。

「あの馬は何としたことじゃ」

 長屋門に入った新九郎の前に、真っ先に跪いたのは太郎であった。そしてすっと立ち上がると、あれはと外を指差した。

「殿のおん父君、盛定様からの心づくしにござる」

 太郎小声で新九郎に耳打ちした。

「父上からだと」

「はい、もしかすると義政様が今宵の義視様伊勢落ちに勘づき、その手勢を向かわせるかも知れなくなったとの使いがつい先ほど参りまして、そのためと申して馬を八頭、門前に繋がれて行きました」

「左様か。義政様に知れたか」

「そのようで」

「これは急がぬといかんな」

「御意」


 京の大路、小路を馬上の人となって通り抜ける九人。

 馬と人の数が合わないが、新九郎の馬には義視を相乗りさせている。義視は浄土寺門跡であったために、今もって上手く馬に乗る事は出来なかった。

 兵馬の権の最高権力者になろうとしている者が馬にも乗れないのだが、これは致しかたの無い事なのかもしれない。

 さて、一行が京の町から加茂川を渡り、道を志賀越道に取ったころ、後方から大勢の人数が追いかけて来る馬蹄の音が響いて来た。

「来たかな」

 新九郎はちらりと後ろを見た。

 おそらく二十騎は居るだろう。

「新九郎、後ろから馬が来る音が聞こえるが」

「聞こえましたか」

「うむ、聞こえた」

「これはおそらく、御所の追手にござろう」

「なんと、それはちと早過ぎるのではないか」

 義視は新九郎の背にしがみつきながら、後ろからくる集団に怯え始めた。

「御前、これから少々手荒なことになりまする故、それがしをしっかりと掴んで馬から振り落とされぬようご注意召されよ」

「何が始まる? 後ろからくる者達は、もしかすると儂を連れ戻しにきた今出川の者達と言う事はないのか」

「今出川にも公方様から遣わされた者が大勢おり申す。御所からでも今出川からでも、どちらも同じ事」

「まさか」

 そう言った義視の目の前にほんの一瞬、月明かりの中で白い棒のようなものが過ぎ去った。

「来ましたぞ! 」

 義視が居るのにも関わらず矢が放たれ、義視の傍ぎりぎりを掠めて行ったのだ。

「やはり公方様は御前を亡き者とされる心算のようにござるな」

「儂を狙ったのか、まさか、そうではあるまい」

 否定する義視の言葉は恐怖に震えていた。

「相手は我らを誰かれ構わず討ち取る心算なのでございましょう。御前かどうか確かめもせず矢を放ったのがその証」

 新九郎の脇腹に鈍い痛みが走った。義視が恐怖のあまり新九郎を掴む手に力を入れたらしい。

「新九郎、儂が命を狙われているのはわかった。た、助けてくれ」

「わかっており申す。しっかとつかまっていて下されよ」

 新九郎は乗馬に鞭を入れ、瓜生山峠道に入った。

 一本道となるがここであれば月明かりも陰りを見せる。到るところが森林の闇となるのだ。ならば追手も距離を取れば追跡する事は出来ない。

 だが、その峠道の入り口に入るまでには徐々に追いつかれて来た。

「やむを得ぬ、太郎、才四郎、兵衛尉、お前たちはそのまま先の」

 そういうと、月明かりに見えた藪の切れ目を指差した。

「左の藪に入れ。又四郎、兵庫、権兵衛、儂と共に右の藪じゃ」

「あの、わしはどうすれば宜しいので」

 佐平次が憐れな泣き声をあげた。

「お前はそのまま走れ」

「なぜにございます、わしも皆様と共に…」

「お前は囮じゃ。行け」

「ひどいもんじゃ」

 佐平次は泣き言を言いながら単騎、峠道を突き進んで行った。

 新九郎主従はさっと峠道の両側に分かれると、馬を隠せる藪の中に潜んだ。

 そのすぐ後に追手が操る馬群が通り過ぎた。

「今ぞ、やつらの後を追う」

 隠れた藪から抜け出た七騎八人は、再び馬に鞭をくれると先に進んだ追手の後を追った。

 みるみるその距離が縮まる。と、最後尾の男が新九郎達に気付いたのか振り返る素振りをみせた。

 その瞬間、追い越し様に男の首が飛んでいた。

「ひぃっ」

 小さく叫び声をあげた義視には新九郎が切り捨てた男の血が若干振りかかったようだ。

 義視が血に怯え、さらに身を縮めてくれたのは好都合である。馬を捌き易い。

「者共、かかれ」

 追手が佐平次を追い、新九郎ら七人が追手を追跡する。

 追手もまさか後ろから追われているなどとは夢にも思わない。

 次々に権兵衛や太郎達の太刀の錆となって行った。

 だが四、五人を切り捨てたところで流石に気付かれた。

 くるりと馬首を巡らせた追手だが、人数を減らしたとはいえまだ十騎は居る。

「まともに相手をしていては疲れるばかりだな」

 新九郎は六人に目配せをした。

「みな、ここを切り抜け、真っすぐに近江へと出るぞ。遅れるなよ」

 返事を待つ間もなく新九郎は追手の中に切り込んで行った。

「その方ども、こちらにおわす御方を今出川の義視様と知っての狼藉であるか。山賊なら斬り捨てて獣の餌にするのみだが、もし誰かに雇われた者であるならば雇い主に累が及ぶぞ」

 新九郎の大音声にやや押されたか、追手達は馬首を回した所で馬を止めた。

「馬に乗る山賊など聞いた事も無い、ならば赤入道殿(山名宗全)だな」

 追手はこの問いに何も答えなかった。

「無言であるならば認めた事と同じ。義視様を討とうとするなどとは、大内殿の上洛で頭に乗ったか」

 新九郎は太刀を振りあげ、懸かれと号令した。

 わっと一斉に追手に切りかかった新九郎主従はその中央に錐をもみ込むように突き進み、そのまま後ろを振り返らずに峠道を駆けあがった。

 暫くは矢が身の傍を掠めたが、それもだんだんと無くなり、山中にある集落を脇に見た頃には追手の姿も消えていた。

 馬速を落としてそのまま田の谷峠まで差し掛かり、目の前に近江の淡海が見えた頃になってようやく一息つく事にした。

 山を降りた所には囮となって先に進んでいた佐平次の姿もあった。

近くの木に馬を繋いで大の字で地べたに寝ころんでいる。腹が激しく上下しているのは余程骨が折れた証だ。

「佐平次、苦労であったな」

 ゆっくりと馬を打たせて寄って来た新九郎を、恨めしそうに見上げた佐平次。

「えらい目に遭いました」

「すまなかったな、お前のお陰で皆無事に峠越えができたよ」

「こりゃ給金をはずんでもらわにゃ割があわん」

 佐平次の言葉に呵々と笑う新九郎だった。

 その後、新九郎一行は淡海(琵琶湖)の西岸を南に進み、伊勢湾を望む津の町に出た。

 京を抜けてからは追手も無くゆるゆると馬をうたせて進んだ一向、後の十代将軍の父親を無事伊勢まで送り届けることができた。

 この事件が切っ掛けとなり、新九郎が世に出るための前駆的な日となった。


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