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試合

 新九郎の足は早い。

 集まっていた観衆が気付く前に川の浅瀬を抜けると百坪ほどもある中州に立っていた。三十四の年齢に似合わず身が軽いものだ。

 新九郎に追いつこうと佐平次が走り出した頃にようやく観客達が何か動きがあった事に気が付いたようで一斉にざわめきが湧きあがり、その観客達を縫うように小太郎等は進んで来た。

 これも新九郎の演出なのだろう。

 とうの小太郎は、湧き上がる歓声の中でずいぶんと楽しげな表情であるが、対照的だったのはその先頭を歩く男の顔だ。えらの張る顎は図々しい程に広がってはいるが、その上に二つ、ぽつりと山葡萄でも置いてあるかのような眼は焦りの感情を乗せて忙しく動いている。

 野次馬の多さに緊張もしているようで顎が心持うわずり歩幅が大きい。視線も定まらないため自分の向かう場所も小太郎から指図されてもいた。

 右左に歩みが振れている。

「ん」

 と、いまごろ何かに気付いたかのような声が響いた。

「あれに居るのがお主の相手ではないか?」

 小太郎は男に、知らぬ男だが、と一言添えながら声をかけた。

 男の投げた視線の先にある川の中州には、新九郎と佐平次がぽつり、と佇んでいるのが見えるのだが。良く見ると新九郎の姿は舟烏帽子に直垂、括り袴であり腰には太刀が佩かれ、小奇麗な侍の衣装をまとっているようだ。

「ほう」とは小太郎である。

「なるほど見事な侍ではある。だがしかし、お主は商人と試合う、と申しておらなかったか。あの姿はどこか名のある大名家の家中のようだが」

 小太郎、どこかわざとらしい。だが、男を精神的に追い詰めるのには一役買っているようで緊張の上にも緊張させ、前後不覚の状態にさせる心算なのだろう。

「い、いや、昨日の風呂では、儂は京の麻問屋あさどいやだと言ってたんだ。なんであんな恰好をしてやがる」

「まぁ何でもよいわ。儂はお主が麻屋の荷頭になると言っておったから力を貸すと言った。だがあの中州に居る人物はどう見ても侍だな。儂のアテが外れた、と言う事かな」

 小太郎のこめかみに青筋がぶくりと膨れ上がった。駄法螺を聞かされた揚げ句、こんな所まで供をさせられた。と言った芝居である。

「いやまて、ゆんべは間違いなく麻といやだと言ったんだ。多分あれは虚仮威しだべ。はやまるな」

 小太郎の殺気を感じたのか地が出た。この辺りの方言なのだろう。男はややのけぞり気味に小太郎の視線を外している。

「そうか、なら早く試合うて荷頭になれ。儂はお主が稼げると見込んだから付いて来ておるのだ。そうだ、折角見物人がこれほど居るのだ、景気づけに名乗りでも挙げれば、中州の男も怯むのではないか」

「そ、そうかのぅ」

「やるだけはやってみるのが良い」

「で、名乗りって、どうやるんだ」

「なに?名乗りを知らのか」

 そう言うと、小太郎は男の耳元まで口を寄せてなにか耳打ちをした。

 見物人達が見守る中、小太郎達も舟の間を抜けると浅瀬の水を蹴り上げながら進み中洲へと入った。

「やっときたな」

 見物人の間からそう声が聞こえると、いままであったざわつきが消え渡良瀬の流れだけが辺りに響きだしたその時だった。

「ワシは鎌倉様の足軽を務める青鞘あおざやっちゅうもんだ」

 エラ張りの男の声は少々震えてはいるようだが、意外にも凛々と辺りに響く声である。

 戦場での叫喚、もしくは矢叫びなどでも声を慣らしているのかもしれない。しかも名乗りの通りにその腰には青鞘の太刀がぶら下がってもいる。この男の渾名なのだろう。

「今度の合戦は稼ぎが少なかった。だもんで、麻屋のおめぇに荷頭を申し込んだらこの仕儀になった。どうするのか知らねぇが、望み通り試合に出て来てやったぞ」

 見物人からはこの青鞘の言葉で再びざわめきが広がり始めている。京から来た武芸者の試合ではなかったのか。との落胆とも取れるざわめきである。

 一方、そんな噂のある事を知らない佐平次は足元の同じ中州に上がって来た男の名乗りを聞いて少し関心もしているようだ。

「あの男の声、中々どうして、もう少し慣らせば伝令くらいの役には立つかもしれませんな」

 これを聞いて新九郎は噴き出してしまった。ただ、不意を突かれることを恐れて目だけは用心深く男を凝視している。

「伝令かよ。なるほど面白い」

「ここまで来て面白がっておる場合ですか」

「いやな、実は、あ奴の名も今し方知ったばかり。儂も名を聞いておらなかったことに今気づいたわ。だが、青鞘などとふざけた通り名を使いおって」

 なんと、試合を誘っておいて相手の名も聞いては居なかったとは、随分と人を呑んでいる。佐平次は改めて新九郎の顔をまじまじと眺めていた。

「どうした、何か儂の顔についておるか?」

「いえべつに、あ、それ、相手が名乗っておるのに殿様は名乗りませぬので」

「おぉそれもそうだな。では相手してやらねばの」

 そう一言言いおくと、新九郎は今までの表情を消して殊更陰鬱な貌を造って舟の陰をぬって男に近付いて行く。

 声はない。

 腰に佩いた太刀の柄を左掌で抑えるようにしながら男の前に出た。

 見物人のざわめきがこのとき掻き消え、渡良瀬川の流れだけが滔々と響いている。

「青鞘」

 低く太い。声が、である。新九郎は目の前の男の名を呼び捨てた。らんと見開かれた眼は深々と異様なまでに黒い。

 見られたものは腸までも見透かされるかのような視線がそこにはあった。

「まず、聞かれた事に答えてみよ。お前の素は如何に」

 青鞘は目を瞬かせた。先日風呂場でも言われたが「もと」の意味が何なのかが分らない。新九郎の曖昧な投げかけにどう答えて良いかが思いつかなかった。どう出るのが良いか。

しばし動きに戸惑いが現れた。

 実の所新九郎も、自分の口を吐いて出た「素」の意味を考えて口に出した訳ではない。自称青鞘がどう答えるかに興味があっただけである。

「もと、もとか。ワシは兵法者ではないが、槍や刀使いは自信があるぞ」

 青鞘は腰にある柄をかるく叩いてみせた。口の端が微妙に持ちあがったが、少しは膂力に自負するところがあるらしい。

(まず、武、だけのものか)

 新九郎は次に相手の目の動きをみた。

(落着きなく動き、どこも見据える様子はない。予想以上に小心者)

 黙ったままの新九郎に若干不安になったてきたのか、青鞘の口が何事かを言おうと微妙に動いている。言葉を必死に出そうとしているのだろう。少しの沈黙の後、言葉が出た。

「……銭勘定は苦手だ。毎日酒が飲めればそれでいい」

 改めて青鞘の利き腕を見ると、微かに震えている。

(なるほど酒がやめられぬ、か。それに口も軽い。我が臣には向かぬとみた)

「他にはないのか」

 新九郎の眼光が穏やかになったところで気が抜けたのか、青鞘は笑みを溢した。

「腕は確かだ」

(二度目だな。自分に過信がある)

 新九郎は顎を摩り始めた。いつの間にか癖がでたようだ。

「なんだ、迷っておるのか」

 新九郎は黙って青鞘を見ている。

「素を見るとは、ワシの品定めをする。と言う事がわかったが、どうだ、これでワシを買う気になったか」

「うむ……」

「ワシを買うか!?」

「いや、だめだな」

「なんだと」

「まずお前は兵法者ではないと申した。これでは腕が立つとは言い難い。それにその方、酒がやめられまい。もし毎夜酒を飲んで寝入った所を襲われたらなんとする。それに……」

「それに?」

「お前は落ち着きもなさそうだ。これでは荷を護衛する者達を纏める荷頭としての素質があるとは思えぬ」

 一気に青鞘の顔が赤く染め上がった。大勢の前で辱めを受けたことでの逆上である。

「ぬかしたな!」

 新九郎の物言いに我を忘れた青鞘は血相を変えて間合いを詰めて来た。利き手には既に抜かれた太刀が握られ、袈裟に斬りかかろうと大上段に構えながらの突進である。

 対する新九郎は一瞬しゃがんでみせた。

 新九郎の行動に意表をつかれた青鞘が動きを止めた次の瞬間、うわっと悲鳴が上がった。

 しゃがんでいた新九郎、左手で足元の砂をつかみ、それを眼つぶしとして青鞘の目玉にむけて投げつけていたのだ。

 青鞘が怯んだ隙に乗じて新九郎の太刀が円を描いて空を斬り同時に濡れ蓆を叩くような音が当りに響き渡ると、目の前にいた青鞘が左肩口から体を斜に割られていた。

 直後、数瞬ではあったが驚いた表情をしながら割られた肩口と新九郎を交互に見比べているように見えた。

 ごぼり、と血を溢しながら砂地に倒れた青鞘は、斬られた事が不思議であるかのような表情を貼り付けながら冥途へと向かって行った。

 見物人たちの歓声は聞こえない。

「これが、鎌倉殿の御家来衆であったか。弱いな」

 周りに響くような声を上げた新九郎、太刀を納めた後、零れ続ける血を渡良瀬の流れに乗せている青鞘の骸に向かって軽く手を合わせると、くるりと踵を返して中州から浅瀬を渡り、砂地の船着き場まで戻ってきた。

 その時ちょうど近くにいた見物人の一人を捕まえて銭袋を握らせ、

「これであの男を回向してやってくれ」

そう言い残し、いきなり銭袋を渡されて驚いている男人を尻目に来た道を戻ってさっさと行ってしまった。

 青鞘についていた筈の小太郎もいつの間にか姿を消している。

 見物人は一瞬でついてしまった勝負に呆気に取られ、新九郎達が船着き場から姿を隠すまで誰もその場から動こうとする者すらなかった。よほど新九郎が鮮やかだったのか、それとも意表を突かれたのか。

 ただ一人、その新九郎の後を追うように小高い丘から武士風の人物が駆けおりて来る姿があった。

 人混みをするすると抜けたあたりで新九郎に追いつくと、

「もぅし」

 後ろについて歩く佐平次は振り返ったのだが、新九郎は聞こえなかったのか歩速を緩めない。

「もうし」

 もう一度声をかけられたところでようやく気付いたかのように足を止めた新九郎。ちらと振り返った。

「何か」

 武士風の男は新九郎が無意識に出していた威に打たれたのか、噂では京の武芸者と言われていた男につい頭を下げてしまった。すぐに後悔するのだがもう遅い。

 すっと下げた頭を持ち上げると、自分の威を見せるかのように心持背を反り返らせている。

「先ほどの試合、実に見事」

 新九郎はそれの返答に軽く会釈をしただけで済ませた。

「また、相手から出た一言なのだが、我が主の気に障ったようでな、そのままには捨て置けぬ。と言う事でそれがしが貴殿に使わされたのだが」

「さようでしたか。して、何でござろう」

「鎌倉殿の足軽、と言っておったようだが、あの男の事など知らぬ。との事じゃ」

 ほう、とは新九郎。

「この試合を鎌倉殿が見ていたと申されるのですな」

 相手を威竦めるような新九郎の眼光にこの武士は焦りを覚えた。主からの下命でこの目の前の男に口伝をしているのに、漏らしてはならない秘め事を言ってしまった気になった。

「こ、これ、声が大きい。お忍びで参られたのだ。娯楽の少ない田舎のこと。この様な催しでもないと、いくら貴種であらせられようとも退屈しよう」

 言わずともよい余計な事を口走っている事に気が付いてはいない。

「それもそうでございますな。で、ご用件はそれだけにございますか」

「うむ、まぁそれだけなのだが、もしかすると我が主からお声がその方にかかるかもしれぬ。京から来た、との噂を聞いた。ならばどこかに逗留されておるのだろう。宿を教えてもらえれば後に使いを出すかも知れぬ」

「ほう」

 興味もなさそうに耳をほじり、小指の先についた垢をふっと吹いてみせた。

「ならば、我が宿は長谷の町。一番大きな宿と申せばすぐに分りましょう」

 それだけ言うと、興味は全く無いぞといった風情で背を向け、何度も振り返って頭を下げる佐平次を引き連れて去って行ってしまった。

「なんとも、風変わりな男よ」

鎌倉殿の使いと知った上でのこの態度に、武士風の男は溜息をつきながら独り言ちていた。


------------


 その晩、昼に成氏の伝言を持ってきた侍が幾人かの供を連れて新九郎の寝起きする宿にやってきていた。

 昼間に現れた装束とは見まごう程の侍装束を身に着けた偉丈夫である。新九郎の居る宿の中へ案内されたときも作法の通りでそつがない。これが昼に見た男と同一人であろうか。

 意外なほど新九郎は、その成氏の家臣の身のこなしを注視している。見ようによっては一挙手一投足の粗探しでもしているようではあるが、本人はどうやらそんな考えは毛頭ないらしい。

 意識の全ては“成氏の家中が来た”に集約されている。

 昼に見せた新九郎のつれない態度は逆に成氏の気を引く為の手管でもあったのだ。

 (どう料るが良いか)

 宿泊していた所は宿屋の一室だったが、今日の来客で主人が住まいとして使っている一郭にある茶室を提供してくれていた為にもてなしの手落ちはない。

 ただ不思議な事に、亭主となっているのは宿屋の主でもあった。

「わたしは」

 成氏の梃子として使われている古河家中だったそうだ。城下に訪れる上杉などの間諜達を宿屋として迎え入れ、その情報を仕入れるためにここにいると言った。

 それでここに来た時に「京から来た客」との言葉にあれほど反応していたのかもしれない。

 どこにいてもうっかりとは気が抜けないものだな。とは新九郎の腹の中であった。

「本日は二度目に相成りまするな」

 成氏の使いは油皿に灯る火に照らされてゆらゆらと影を畳みに落としていた。

「それがしは公方様にお仕えしておる下野は足利の蔵人(野田蔵人大夫氏憲)と申す。此度は宿にまで押し掛けてしまい申し訳も無い事でござった」

 蔵人と名乗った男は、申し訳ないとは云うものの、背を伸ばし、いささかも悪びれた素振りは無い。どの辺りが申し訳ないのだろう。

「さようでござるか。して、今宵はどのようなご用件にござろうか」

「さようよな……」

 蔵人は油皿の火に視線を移していた。

「昼の事だが」

 口の前に手を持って行った蔵人、咳払いをしてみせた。

 どちらかと言うと痰を切るような仕草だったのは、肺の腑に病でも持っているのだろうか。

「お手前は、昼間のあの男を公方様のご家来衆と言い放った」

「さよう。あの男本人がそう申しておった」

「だがな、あ奴は足軽雇いだったらしい」

 らしい。との物言いは当然である。一々足軽の顔や名前など、組頭でもないかぎり記憶している筈が無い。

 そんなことをわざわざ言いに来たのかと思うと新九郎は可笑しかった。

「いやさ蔵人殿」

 ちょうどそのとき、茶を点て終えた店主が蔵人の膝前に濃茶を差し出すと、受け取る所作も作法通りで流れが美しい。

 意外な風流人がいたな。

 ふと新九郎はそう感じていた。

「さて御貴殿」

 新九郎の名を問わなかった事もあるが、蔵人は新九郎をそう呼んだ。

「ご貴殿が昼間に試合われた男の事ですが、改めて申し送りにまいった」

「どのような事を」

「まず我が主は足軽などを一々覚えてはおられぬ」

「それはそうでございましょう」

「左様に思われるか」

 蔵人の顔が明るくなった。昼の受け答えと違って新九郎があっさり受け入れたからだ。

「そもそも足軽は雇い入れがほとんど。厄介住みの賦役であって、宛がいや忠誠などあったものではありますまい。そこで鎌倉殿の足軽だ、などと言った所で、さようごもっともとはなりますまい」

「そう受け取って頂けるとありがたい」

 新九郎の言葉にほっとしたような顔となると、再び差し出された茶をすすった。

「して、この下総に来られたは麻の買い付けとか伺ったが、順調にござるか」

「あっははは」

「どうされた」

「いや、誰かが儂を麻屋の旦那であると吹き込んだ者がおるようでしてな……」

「違うのか」

「違う」

 新九郎は自分で長谷寺の湯殿で吹いた嘘を誰かが撒き散らした噂だとしてみせた。

「ならばやはり、京の武芸者か」

「それも否とよ」

「ふむ、ならば何れかの家中か」

 武士は上杉家の人間を疑うかのように表情が変わってきた。

「心配は無用に。儂が京から参ったは疑いの無い事。お手前はいま、儂を上杉の間者かその類の者と思ったのでござろう」

 新九郎に心底を見抜かれた男は一瞬ではあったが狼狽を見せた。

「慌てる事はない。特に今この時期ならばそう思われても致し方の無いこと」

「ならばお手前は何様じゃ」

「儂は備中の伊勢ござる」

「備中の伊勢、でござるか?」

「さよう」

「その備中の伊勢殿が何用あってこの古河の地に参られた」

「室町に居っては関東の情勢が分らぬ。分らぬでは将軍家が仕置きができぬ。できぬから儂が下向して情勢をつぶさに見聞しに参った」

「なんと!」

 侍は腰を浮かしかけるほどに慌てた。当然ではある。つい先日上杉と五十子で争い勝負もつかぬうちに矛先を納めて古河に戻ったばかりなのだ。それは武蔵の毛呂や上野の綱取原辺りがキナ臭くなっての事が原因でもあった。

 この時期に室町からの間諜が来たとあっては心中穏やかざるものがある。

「き、貴殿は室町の……!」

「冗談でござる」

 新九郎、冗談の割に顔が笑ってはいない。眉間に縦皺を寄せると殊更に沈鬱な表情をしてみせた。もしかすると、啜っている濃い茶が余程苦かったのか。

「じょ、冗談!悪ふざけにも程がありますぞ」

「別にふざけてはいない。室町からやって来たのは確かにござる」

「な、なに」

「室町から来たのは間違いないが、公方様(義政)とは何も関係がござらぬ。と申しておる」

 男は、ふうむと言った切り再び座に座りこんでしまった。目の前の新九郎をどう遇して良いか分らなくなった。

 この男が言うように室町の密偵でなければ話は早いのだが、万が一室町との繋がりを隠していた場合、この古河の地に居る事は管領の知る所だろう。

 扱いを一歩間違えれば、いまのところ静かにしている室町からの討伐軍が再び催される事も考えられる。

「して、左兵衛督殿は恙無くお暮しにござるか」

 新九郎は顔色も変えずに成氏の話題を振ってみた。

「う、うむ。お健やかにあらせられる」

「それは重畳」

「して貴殿は、本当の所何をなさりにここに参られた」

「先ほども申した通りでござる。関東は室町にとっても重要な土地である以上、事細かに見聞しておかねば仕事に差し障りが出ると思いましてな」

 ここで新九郎は相好を崩して見せた。新九郎、笑顔を作ると随分と好人物に見えるものだ。

「お手前はわざわざ自らがその眼でこの関東を見ようと、そう思われたか」

「いかにも」

 普通であれば地方の事柄などは流れ者や行者、勧進聖などの旅の者をもてなして知るものなのに、である

「お手前は自分で、のう」

 蔵人は好人物になった新九郎の、思いもよらぬ行動力に度肝を抜かれた。今の時代、合戦であれば全国津々浦々にその足を伸ばすが、その土地々々の情報を得るだけが目的で領地を離れるなど、考えられるものではない。やはり室町幕府に近いところに仕えるため、それだけ融通が効く者だろうか。

 言葉を失ってしまった蔵人に新九郎は言葉を続けた。

「実はそれがし、つい先ごろまで扇谷の江戸の城で客として幾日か過していた」

「はぁ」

 蔵人はどうにも返事が難しくなったのか間が抜けたようになった。

「して、扇谷ではなにをなされておられた」

「ふむ、流鏑馬や、酒宴など」

「は?」

「いやな、流鏑馬を所望されたのでそれを」

「それをやって酒宴。で、ござるか」

「さよう。それだけ、でござる」

「ふぅむ、こう言っては何でござるか、扇谷の上杉家では、おん前をどう思われておったのでござろう」

「さて、室町から来た厄介者、かもしれませぬな」

 新九郎はここで破顔一笑した。

「ならば、と言う訳ではござらぬが、上杉家の厄介者であるならば古河の足利家に顔をだしても、恨まれる元にはなるまいかと存じ、昼間の騒ぎを起こしてみたのでござる」

「な、なんと、あれは上様の興を引こうと計画してのことでござったか」

「計画と言えば、計画になりますか」

 新九郎は濃茶をすすり終わった茶碗をくるくると眺めながら成氏の使者の話に合わせていた。

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