水郷の里
「小太郎が戻りましたか」
そう言い残し、新九郎は席を中座して酒宴の場から優雅な仕草で退出して行った。
「……御当主様、振られましてございますな」
ざわつく酒宴の席を退出して行く新九郎を見送る政真と道灌。
道灌は薄く笑いながらも絶筆の書画を眺めるような風情で新九郎の去り際の所作を見ていた。
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小太郎は香月亭の縁から少々離れた池の畔に立っていた。裃姿の小奇麗な形をしているところを見ると、どこかで旅塵を落としてからやってきたのだろう。
鯉が足もとに寄って来る姿が面白いらしく、新九郎が近寄るのも気が付いてはいない。
「小太郎、骨折りだったな」
「おぉ、お前様か」
「儂の足音に気が付かんとは、お主らしくもないな」
新九郎がからからと笑ってみせると、小太郎、思いもよらぬ事を吐いた。
「実はな、この鯉、何故道灌の殿や政真公が取って食わぬのかとずっと不思議でござったのよ」
池で飼われている鯉を食う。川や沼で泳いでいる野鯉と観賞用で飼われている鯉と、小太郎の腹では区別をせぬらしい。
「山賎め」
この言葉に軽蔑の響きは無かった。
実は新九郎も庭に穴を穿ち水を張り、そこに鯉を飼うなど世上やんごとなき殿上人達の浮世離れした道楽としか思ってはいない。
たまたまこの江戸城香月亭の前に池が造られており、観賞用として鯉が泳いでいる。
新九郎の目には稀に食卓に上る高級食材としての鯉の他に、目の前に泳ぐ優雅な、愛でる為の別種の生き物としての認識が出来上がっていたに過ぎなかったのだ。
自分も根は山賎と同じ種類であることを認識した。
「どうせ山賎ですわい」
「しかし鯉も久しぶりじゃ、下総行脚のついでに儂が馳走してやろう」
屈託のない笑顔を見せた小太郎も、新九郎の腹に軽蔑が無い事を見抜いている。
「して、話は変わるが言いつけは滞りないか」
「それはもちろんじゃ。そうそう、弟御の弥次郎様から兄上を頼むと言われましたわ」
「そうか。弥次郎も恙無いようで何より。それで、風間の里では人数を整えられたかね」
「十人程連れて参ったよ」
「ならば良し」
「それと、お前様に言いつけられていた下総の公方のことだが、“あれ”は居場所がころころと変わって予想が立たぬ」
この物言いに新九郎は呆れた。以前にも将門公を呼び捨てにした経緯がある。
「古河におわす公方を捕まえて“あれ”とは不敬だな」
不敬だな、とは云うものの、本気で注意を促している訳ではないらしい。これはどうしようもない小太郎の“地”なのだろうと顔が笑っている。
「儂は山賎ですからのぅ」
「まぁよい。して、そのころころと居場所を変える“あれ”だが、今のところは下河辺の城か」
新九郎は小太郎の真似をしてみせた。
「お前様も山賎じゃな」
「たいして変わらんよ」
「室町のご連枝でもそうか」
「鄙びた関東の地に流れて来ているほどの者だぞ。そんな大層なものかね」
小太郎は変わったものを見る様な目つきになっていた。それも当然かもしれない。当時の身分制度と言うものは江戸期ほど厳然としたものでは無いにしろ乱破素破などと呼ばれた、地侍にもなれなかったような身分の知れぬ者と、地頭と呼ばれた御家人や一揆衆と呼ばれた古来からの武士団から見れば身分には天地程の開きがあると看做される。それを新九郎は同じ様なものだと言うのだ。
言われた小太郎の方が委縮してしまうような物言いでもあったが、新九郎の腹ではやはり同じ程度の者であるとの認識がある、と言うよりは、これからは幾らでも取り入れて行かなければならない身分の者達であるとの思いがあった。
惣の考え方である。
いくら地頭である、一揆衆であるとは言っても、時代の流れが在地の百姓が集まる(惣)という集団へと形成される勢いがある今、これを蔑にはできない。
京より西側からではあるが、確かな足音を持って日本の荘園支配の歴史を変えて行く大地の勢いのようなものがそれにはあると考えていた。
それを新九郎は小太郎に見た。
「お前様と話をしていると、気心が知れる。と言う事は立場が同じゅうなると言う事だと、なんとなく思えるようになったわい」
小太郎は満足げな顔を見せて笑っていた。そして笑いを治めると再び(あれ)と言い出した。
「下河辺の古河城の隣、これは一里と離れてはおらぬが、鴻巣の御所と呼ばれておる館にも出入りしておるようじゃ」
「鴻巣の御所だと」
「そう。成氏殿が下総の下河辺の荘に落居された時、初めて館を建てたところが鴻巣と呼ばれる土地だったそうだよ」
「ほう、なるほど。で、成氏殿は一つ所には留まらぬ、と言う事か」
「上杉家の刺客が何時襲って来るかも知れぬ為の備えでございましょう」
小太郎は池に小石を投げ込みながら「それと」と話を続けた。
「北武蔵にある五十子の砦にも何かにつけては攻め入っているようにござるが、他にも一族の出である一色氏の居る幸手城や下野の豪族、成氏殿が兄とも呼ぶらしい小山の持政殿の元にも足しげく通われておる様子」
「ずいぶんと忙しい御仁じゃな」
「さようにございます。いくさ場も武蔵の五十子のみに有らず。常陸・下総・下野と目まぐるしい変わりよう。下総に向かい成氏殿とお会いなさるのは中々骨が折れる事かと思いまするぞ」
「そうか、よく調べてくれた」
「なに、我ら乱破の得意とするところでござる。どうという事もござらん」
「頼もしい事よ」
新九郎は笑顔をきりりと引き締めると、長者然とした風貌に戻った。
「ならば今暫し城下で待て。政真殿の開かれておる酒宴が済んだ後、下総に出立することにしよう」
「しからば出立まで我等は城下の寺の宿坊に間借りしておる故、ご用がありましたら人を使わしてくだされ」
そう言い残すと、小太郎はその場を去って行った。
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「伊勢殿、待ちくたびれたぞ。ささ、こちらへ」
政真の家臣達が香月亭の池の畔まで出ていた新九郎を待ちわびたように、手を取らんばかりにして酒宴の場へと迎え入れようとしている。
これは政真へのご機嫌取りでもあるのだろうが、事実政真は新九郎に心酔し始めているような風情が出ている。これを家臣達が敏感に感じ取ったために行動に現れたのだろう。
ふと、新九郎の脳裏に韓非子の一文が思い起された。
“故ち君、悪を見わさば、則ち群臣は端を匿し、君、好を見わさば、則ち群臣は能を誣う”
君主が嫌うものを明らかにすれば家臣達はその部分を見せずに主君が好むことをする事になる。
これではいずれ、君主の地位が奪われ権力を犯されるもとになる。と述べられた書でもあった。
その文は続きがあり、
“好を去り悪を去らば群臣は素を現す。群臣、素を見わさば人君は蔽われず”
つまり、主君の好悪を見せなければ群臣の素を見る事ができ、佞臣に惑わされる事が無いと言う事だ。
あやういな。とは新九郎の腹の内であった。
「ちとお待ち下され」
扇谷の家臣に連れられた新九郎は途中、式台の所で立ち止まった。
何事かと顔を見合わせた家臣達だったが、今や新九郎は我が主の気に入りの客人である。居並ぶ者全てが傅くかのような姿勢を見せている。
「いやいや、そこまでは為されますな。実はな、我が臣の佐平次をここに呼んでもらいたいのじゃ」
「佐平次様にございますな」
居並ぶ家臣の中でも一番の年若と見られる、少年とも思える人物が声を上げた。
「さようにございます」
「ならばそれがし、早速に呼ばってまいりましょう」
「たのみます」
年若な家臣が滑るように主殿を進んで行くのを見守った新九郎、框に腰を下ろした。
「皆さま、それがしの事はあまりお構い下さるな。佐平次への言いつけが済みましたらまたお座敷に向かいますゆえ」
「いえいえ、そうも参りませぬ。伊勢様は我が主、政真様の大事な賓でございます。とは言うものの、我らがここに居ては思うようなお話もできますまい。暫し座を外しますゆえ、ご用がお済みになられましたらお呼びくださいますよう」
「かたじけない。宜しくたのみます」
少々大仰とも言える扱いに困りはしたが、ここで意固地に断ってしまえばどんな噂が流れるか。
新九郎は家臣達の言葉通り、案内を頼む事にした。
そして家臣達が式台の先に有る一室に入ったころ、若い家臣に連れられた佐平次がやって来た。
小兵な男が赤ら顔をぶら下げている。
「酔ったな」
足元も少々千鳥足になっているようだ。
「これは殿様、お呼びにございましょうか」
やけに軽妙な口調だ。程良く酔ってはいるのだろうが、主への気遣いは殆ど感じられない。
「だいぶ酒が回っておるようだ」
「いささか飲みすぎたようにございます」
「そうか。気分の良い所ですまぬが明朝の事を話しておく故、足らぬ物などがあったら揃えておいてくれ」
「明朝、と申されますと?」
「小太郎が戻ったからな。さっそく下総の外れ、下河辺の荘に出向くのさ」
「公方様のところにございますな」
「そうだ。まずは替えの草鞋を十ほど、他にも衣冠束帯とまではいかぬがそれなりの着衣も入り用になるだろう」
「公方様にお会いになられますか」
「それはわからん。もしもの為の支度じゃ」
「殿様程のお人じゃ、鎌倉の公方様もお会いなさる事でしょう」
「なぜそう言えるのかね」
「なぜって、鎌倉様は都の公方様になりたかったお人のお子にございましょう?ならば義視様や、義政様の御側近であられる伊勢守様とは縁続きの殿様を放っておく事はせぬでしょうに」
佐平次の言葉は、さも当然であるとの響きが籠っていた。新九郎の殿はいったい自分を何者と思っているのだろうか。との表情が現れている。
新九郎、これは。と舌を巻いた。
佐平次を只の門番崩れだと思っていては見当違いになる。思わぬところで情報を掴んでいるものよ。
新九郎の佐平次を見る目がこのときから変わり始めた。
「佐平次、おぬし、面白い事を知っておったな」
「はて、殿様が伊勢様じゃ。と言う事ですか」
「違う。鎌倉殿が公方になりたいと思っていた事を知っていた」
「あぁ、それですか。義視様の近くに居ると、色々と噂を聞くものでして」
今出川館ではそれが極自然に話される普通の会話だったかと新九郎は記憶の端を引きだしてみた。だが、新九郎も義視の傍に仕えてはいたが、滅多な事では小者等には言葉を交わさないものだ。
いつどこで佐平次はそのような歴史を知ったのか。
稀にではあるが、大人に囲まれて暮らす内に妙に大人びた児小姓が小者や商家からの使い達に御所や今出川館の内輪話を聞かせる事はあった。
「しかし、それは先代の鎌倉殿だぞ」
「存じております。持氏公でございましよう」
本物だった。予想外の事だったが、ならばこの先、様々な情報を集める事も難しくはなさそうだ。
意外な逸材を拾ったものよ。新九郎は一人喜んだ。事情通ならばこの先いくらでも使い道はある。
「それで、草鞋と着替えの他は何を支度すればよいので?」
「路銀や米は小太郎に任せてあるから良いとして、佐平次」
「はい」
「ここに来るとき小太郎から譲り受けた具足な、あれを運んでくれ」
「お安いご用です」
「出立は早いぞ。日が昇る前には出る」
「畏まりました」
佐平次との話が終わると早速扇谷の家臣を呼び、酒宴の席に戻った。
そして城が寝静まっていた早朝、新九郎と佐平次の二人は城門を抜けていた。
まだ夜も明けやらぬ江戸の城を振り返ると土塀や矢倉が薄暗い空に傲然とそびえている。温い風すら吹かない早朝、地べたにへばり付くかのような惣構えのその城は、前時代的な方形武家屋敷から巨大で技巧を凝らした山城に移って行く過程の造りだった。
「上杉様や道灌様にまで黙って出て行くのは少々気が引けますな」
「しかし成氏様に会いに行く等とは言えまい」
「京に戻ると仰られれば宜しいのに」
「それでは道が違うな。上杉殿はわからんが、道灌殿には見抜かれる」
「そんなものですかなぁ」
ふと佐平次との会話をやめると、振り返る事無く後方について来る足音の無い細身の男に声をかけた。
「小太郎」
「ここに」
のっそりと立つ足柄の乱破の声は暁覚えぬ薄暗い空気の中で良く通る。
「ここから下河辺の荘まではどれほどある」
「およそ十二里ほどかと」
「なんじゃ、そんなものか」
「そんなものにございますが、武蔵の国から下総一帯は沼地ばかりの土地。歩きにくぅござるぞ」
「なるほど、ならば内海(江戸湾)を渡り上総から下総に抜けるが良いか」
「そちらの道を選ばれた方が、海道が繋がっておるゆえ歩き安うござりましょう。が、土地の者を見る事はかないませんな」
「で、あるな。ならば歩きにくい葦原茂るこの土地を踏みしめて、その風土の有りようをしっかりと目と胸に刻んで参ろう」
新九郎一行はその言葉を最後に、江戸城から姿を消していた。
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「ここが蕨か」
新九郎一行は草鞋の裏に張り付いた泥に足を取られながら葦原続く街道を進んでいた。
「いま少し行けば蕨の城下でござる。そこまで行けば宿と飯はどうとでもなりましょう」
道先案内役の小太郎は何度かここに来た事があるようで、この時期ならではの増水した河川、沼地などのう回路も熟知しており、辻も間違う事もない。
ただ湿っぽい。どうにも湿っぽい土地柄だった。
江戸に入るまでにも至る所に湿地が横たわっていたが、そこから北は輪をかけての水郷なのだ。陸を歩いているのか海の浅瀬に見る飛び島を渡り歩いているのか、判断に苦しむ場所もある。
古代の東海道では相模の国からは陸路を避け、鎌倉から三浦半島を経由して房総に船で移動してから安房、上総、下総へと向かったと言うのは、どうやら嘘では無いらしい。
沼地以外にも大川が横たわる。
江戸から北に歩を向けると直ぐに大川である荒川が現れるのだが、甲武信ヶ岳を源流とするこの川は秩父から長瀞盆地を抜けて関東平野に入る。途中で入間川と合流しながら江戸の内海へと注いでいるここが、まず初めの難関となるのだ。
古代と異なるのは渡し船が発達しており、幾らか銭を積めば渡れることだろうか。
そこを越えれば蕨へと入る。蕨とは堀越御所の重鎮として勢力を振るった渋川義鏡の本拠地でもあった。
その義鏡も数年前までは随分と権勢を振るい、なかなか威勢が良かったものだ。
だが、堀越御所の家宰を務めていた犬懸上杉氏の出である上杉教朝を自殺に追い込んだ廉で室町幕府から三年前に更迭されており、今はその倅である義堯が後を継いでいるらしい。
とは言え、いまだ侮れない勢力なのは確かである。
勢力的には古河公方の敵方と目されてはいるが、扇谷上杉氏との仲もあまり芳しくないため敵味方どちらかと問われれば、ほぼ中立に傾いた敵側の勢力なのだろう。
その渋川氏の領内。
「ずいぶんと」
足元が滑るもので。とは佐平次であった。
平たい土地に葦原が盛り上がってくると大抵は沼地か川が流れている。耕作地として開墾できれば広大な稲作地帯として利用できそうにも見えるのだが。
「稲作りの水には事欠かぬ土地なのじゃがのぅ……」
新九郎の腹を読んだかのように小太郎が口を開いた。
足柄の山中を住処とする小太郎なのだが、扇谷軍の一員として武蔵以北に向かう事が多々あったお陰でこの水の平野は余程見知っている。
扇谷・山内両上杉家に付従い鎌倉殿と戦う今、西は美濃三河、北は甲斐信濃、東へは武蔵下野上野、果ては下総上総まで出向くのだが、これは時代が下ったころの合戦とは異なり、享徳の乱の最中である今は戦場を各国に置いて規模が大きい為だった。
「したが、夏場によくやって来る嵐(台風)にあうと一面が沼になりましてな、稲が水に浸かると飢饉がおきる。見た目とは違って米を取るには意外なほど難しいかと」
「ふうむ」
新九郎は顎を摩っていた。
水害が多いか。水利をどうにか纏めんと、常に米を取る事は難しい土地なのだな。とは腹の内。
「今少し急ぎましょうか。もう宿場は目と鼻の先じゃ」
小太郎の掛け声で泥田に漬かったような足を動かし、日が少し傾く頃には一軒の木賃宿に入る事ができた。
翌朝、木賃宿をでた一向は足を北に向けた。
既に夏に入った空には入道雲が浮かび、青い空は高く広がっている。あまり大きい宿場ではないためか、街道を歩くとすぐに農村部に入った。
進む道幅は見通せる限り一間ほどしかなく、そこには農作業に使われている牛が道の両脇に伸びた下草を食んでいる。いくさが無ければ如何にも牧歌的な風景であった。
「作付けは終わっているようだな」
新九郎の目線の先には森と森の間に疎らに立つ家の脇に開かれている、こじんまりとした田に植え付けられて直ぐの早苗が風に揺れていた。
「この辺りから下河辺荘に入ります」
下河辺の荘とは、地域的には埼玉県中央部以南から茨城県西部、千葉県北西部に跨る広大な荘園である。利根川、荒川、隅田川など、各河川が入り組んだ水運が盛んな土地であり、平安時代には藤原秀郷の末裔である小山氏の出、下河辺氏が拠点としていた土地でもあった。
「ほう、そろそろ鎌倉殿の勢力下に入るか」
「いえ、場所にもよりますが、確かになるのはもう少し行ってからにござる」
「下河辺の氏人が(前)北條氏の御内人となってからはその氏族の小山氏が支配していた土地よな」
「さようにござる。しかし、小山氏も義政殿とその嫡男、若犬丸殿が起こされた乱で今の鎌倉殿(成氏)の三代前、氏満公の御領所となりましたでなぁ」
と、そのとき、槍を携え直垂袴に腹巻を巻き付け、頭には烏帽子を被った郎党を十人ほども引き連れた馬上の武者が遠方からやってくるのが視界に入って来た。
「はて、いずこのお武家かのぅ」
佐平次の間延びした言葉とは裏腹に、その集団の内の騎馬武者ただ一人が新九郎一行を見ると警戒したように視線を向けてきた。
「はて、なんぞありましたかの」
佐平次の目にも騎馬武者の視線が届いていると見える。
「たぶん、渋川義鏡殿の家人の誰かだろう」
「渋川様ですと」
「うむ、伊豆に居られる室町殿(義政)の兄上、政知様の元家宰殿だ」
「たしか、政知様と義政様とは腹違いでございましたな。その堀越様の御家来衆にございましたか」
「あ、ああ。御家来衆だな」
新九郎は佐平次の物言いに苦笑した。
室町殿も一目置いた存在である渋川氏は足利氏一門であり、現在室町に置いて乱の当事者となっている西軍の総大将である大大名、山名宗全とも繋がりがある。また今から五年前の寛政二年の十月に斯波氏を相続した子の義廉をもつ義鏡を、堀越の只の家来と称した物言いが面白かった。
山名氏の勢力は播磨、備後、但馬、安芸、伊賀にあって四職家の家柄であり侍所頭人、斯波氏の勢力は尾張、遠江、越前であり三管領筆頭でもある。
その渋川義鏡をつかまえて政知御家来衆と言っているのだ。間違いではないのだが、どうにも響きが軽い。
「まぁ、御家来衆には違いないが、もう少し申しざまがありそうなものだ」
「はて、どのような申しざまにございましょう」
新九郎は何時もの癖で顎を摩る様な仕草をしてみせた。そして暫く目を瞑っていたが、ふと佐平次を見ると、
「いや、御家来衆で合ってるさ」
そう言って呵々と笑いだした。
「はて、何がそれほど面白いのか。面妖な殿様じゃのう」
佐平次と新九郎の会話が続いている中、先の渋川の家人は新九郎を盗み見るような仕草をしながら通り過ぎて行った。
「なにごとも無く、よろしゅうござった」
と、これは小太郎。
「うむ、おそらくあ奴も室町辺りで儂の顔を見知っていたのだろう」
「まさか伊勢の殿様がこんな所で歩いているとは思いもよりますまいからのぅ」
「似ておるな、と思ったであろう。また笑っておれば警戒もされにくいものだ。何にしても、厄介事に巻き込まれずに済んだな」
「笑う門には福来る。でしょうか」
これは佐平次。
「ならば追いかけられる前に先を急ぎましょう」
初夏から夏に差し掛かった水郷、下河辺の入り口に差し掛かった一向の頭上には、子育ても一段落した燕達が飛び交っていた。