流鏑馬
注意
物語に出て来る流鏑馬様式は、伊勢流の資料が手に入らなかったために小笠原流を元に創作しました。
また、一気に書き上げたので、これから推敲と間違い探しを始めたいと思います。
中途半端な状態でUPしてしまい申し訳ありません。
京の内情が欲しい。
とは、道灌の思いである。
京に近い扇谷上杉家であっても、昨今は古河公方との争いで関東を離れる事が儘ならないことから、京の情報を渇いた者が清水を求めるように欲している。
将軍義政の、と言うよりは、管領細川勝元が古河公方成氏に対してどう考えているのか。また、関東への出兵、もしくは討伐軍旗揚げの兆しはありえるのか。
現在の膠着状態を脱し得るもとが欲しい。
そこに都合よく伊勢の連枝と名乗る者が現れた。しかも目の前にいる男は次期将軍候補であった義視を伊勢まで落居させた近臣であると言う。
管領が細川勝元になってからは、もっぱら室町からの指示で古河公方と対峙してきた上杉家だけに、室町の情報を得てこれからの舵取りの元としなければならない。
偶然にも伊勢流の流鏑馬を見たいと言い出した主政真だったが、これは道灌にとって幸運だった。もともと新九郎を引きとめる心算でいたのだが、どうにも上手い手立てが無かったところ、これを無難に引きとめてくれている。政真の功名とでもいうべきか。
「伊勢流とはどのようなものか」
政真の子供のような好奇心が思いもよらず好結果をもたらすかも知れない。
「伊勢伊勢守(貞親)殿は公家のような」
とは誰も口にはしないが、室町公方も武家の棟梁と担がれてはいるものの年を経過ぎた。高貴なものとして長い年付きの間世代を繰り返すと人間は次第に荒々しさから遠ざかる。しかも足利幕府の特徴である武を殆ど持たない体質がそれに輪をかけて影響した今、体面だけは武家としているが、内面は殆ど貴族の体になっている。その公方への作法指南の伊勢流が武家のままである筈は無い。
伊勢と言う銘門は、武家と言うより公家崩れのようなものとの認識が室町に携わる武家の全てで内々にある。そんな一門の男であれば今のように気ままに旅に出ることもあるだろう。
臣下にするのは無理としても、より昵懇の間柄となり、年に幾度と無くこの関東に下向してくれれば幾らでも室町の情報は手に入るかもしれぬ。
「手に入れねば」
道灌の腹積もりは決まっていた。
「道灌」
一人、考えに耽っていた道灌の思考を遮ったのは政真だった。
「流鏑馬を見たい」と言ってから三日ほどが過ぎると、馬場の支度も埒の支度もでき上がり、馬道も掘り下げられて飾り立てられた馬が走り易いように突き固められている。
それを指図した政真は馬場の正面、走り抜ける騎手達が良く見えるだろう場所に、直臣を左右に侍らかせながらそこに納まっていた。
「浮かぬ顔のようだが、どうかしたか」
べつに浮かぬ事もないのだが、政真はそう道灌の表情を読み取った。
的外れではあるものの案外他人の機微を察知する術に長けている。とも思わせる事もしばしばあるのだが、とは言え、家臣に対して気を使う心算がある訳ではない。
腹の内から不意に出る感情をそのまま言葉にしているだけにすぎないのだ。
「いえ、べつに何もございませぬ」
「そうか、ならば良い。しかし楽しみじゃな」
そう言ったきり政真は馬場に目を移した。
いくぶんか気になった割には道灌の返事を聞くとあっさりと興が移り、早々と馬場で様々に支度をしている者共を興奮気味に眺め始めている。
(そっけもないものだ)とは道灌の腹の中の話。
これは古くから関東に君臨している貴族の血がなせるものなのだろう。
一方の政真は「今日は流鏑馬日和じゃ」などと独り言を吐いていた。
流鏑馬の日和と言うものがどういったものか分らないが、青く晴れ渡った空を見る目はさも嬉しげである。
と、そのとき。
轡持ちにひかれ、飾り立てられた馬と一緒に本日の流鏑馬射手達が一同に城内に流れて来た。
射手は全部で七人、七騎での流鏑馬となる。新九郎はその中で最後の七番目であった。伊勢流の老練と言う事で、上杉家の上手達が居並ぶなかでの大取りを務めるように勧められていたのだ。
居並ぶ一向全てが水干姿に行縢を付けて物射靴をはき、射小手に鞭をとり、綾藺笠を頂いた古式ゆかしい装束に、腰に太刀を佩き鏑矢五筋の納まった箙を背に負っている。またその手には弓一張りを携えていた。
「おぉこれは見事。狩装束も七人居並ぶと勇壮なものにも見えて来るものよ」
平安初期、宇多天皇の勅から始まったとされる流鏑馬も、創始当時からは多少の変更もあったのだろうが現在に伝わる狩装束などを見ると政真の感嘆の言葉通り、勇壮なものだ。これには嗜みのある道灌も思わず目を輝かせている。
馬上の七人の他、各諸役が其々の持ち場に付くと、開始の合図となる日記役の声が響きわたった。
「流鏑馬、はじめませぃ」
その声で流鏑馬の儀礼式典が始まり、射手全員が下馬して一番の射手が祝詞を奏する。それが終わると初めて射手達が馬上の人となるのだが、これが合図のように様々な所で見物をしている扇谷の家臣達から歓声が上がり始めた。
「きた」
政真が、無意識のなか声を発している。
いよいよ一番の射手が馬を馳せると、一層観客のざわつきが大きくなった頃合いで射手の放つ「陰陽射」の掛け声が上がり、馬蹄の轟きの中で的を射貫いてみせた。
馬場の中に開いた埒の間に立てられている、菱形に掲げられた木の的が見事に割れ散った。
しかし続いて第二、第三の的を射るがこれは連続して失敗。
政真の観覧席からはもちろんの事、ざこ居で見物する者達の間からも感嘆の声が漏れて来た。
「一の矢は見事だった」
「次はどうでしょう」
政真は既に夢中となり、目はらんと輝き割れた的を入れ替える作業がもどかしいほどに昂っている。鼻息まで荒い。
続いて二番目の射手が疾駆すると、こちらは一の矢を外したが二の矢、三の矢で射抜いて見せた。
続く三番、四番の射手も馬場の土を蹴立てさせながら次々と疾駆して行く。そしていよいよ新九郎の七番目となった。
「次は伊勢殿だな。さて、どのような手並みか拝見仕ろう」
随分と鼻息が荒い。政真の興奮は相当なものになっている。目の前を馬が疾駆しながら次々と的を射抜いて行くのだから、武門として血が騒ぐのは無理からぬことだ。
場に一瞬の静寂が訪れたとき、新九郎の乗馬が馬場の土を蹴った。
鐙に立ちあがり胸を反らせた新九郎、「陰陽射」の声を上げると、番えた一の矢を放ち見事に的板を射抜いた。ついで二の矢を箙から引き抜いて弓に番えた。
「陰陽射・陰陽射」の掛け声が上がると、これも的板を射抜き、三の矢を番える。
新九郎の上げる三度目の「やぁーああお」の掛け声に観覧席は水を打ったような静けさで妙技に見入った。後方に席があったものは身を乗り出すようにしている。
轟く馬蹄の中、続く三の矢も的を射抜くと、伊勢流の騎手と駿馬は馬場を風の如く走り抜けて行った。
「うむ、見事!」
政真の言葉に続いて観覧席に居並んだ近臣たちからは無意識のうちに拍手が打ち鳴らされ、皆新九郎の妙技に魅せられていた。
流鏑馬の射手でもあった者達も馬場元に戻ってきた新九郎に走りよると、皆口々に誉め言葉と感嘆の声を持ち寄っている。
未だ観覧席で余韻に浸っている政真と道灌。
「伊勢流とはこうであったか」
「やはり彼の者、御当家に欲しい男でございます」
「儂もそう思うぞ」
頷きながら顔を見合わせていた。
しばらくして家臣達に囲まれながら流鏑馬見物をしていた政真の元に、狩衣姿で新九郎が戻ってきた。
政真は上機嫌で手放しの喝采で迎えている。
「盛時殿、見事でした」
言葉と共に新九郎の手を取るように自分の居た席に招き入れ、自らの席を譲って座るように勧めて来た。
「こ、これは恐れ入る」
管領殿が一地頭に示すには余りの歓待ぶりである。
これには新九郎も驚き遠慮したが、たっての願いということで結局は政真の席に座らされる事になってしまった。
「盛時殿」
先ほどの上気した顔がそのまま神妙となって新九郎を見据えている。
「先日はご無礼仕った」
「何を、でござろう」
「伊勢流の、外向きの噂を聞かなかったのはこちらの不手際でした」
ああ、なるほど。流鏑馬の約束のもとになったあの話か。とは思った。
「神妙なる伊勢流の技。外向きの礼法流儀がこれほどならば、内向きの礼法は言うに及ばず。どうか我が家の指南として仕えてもらえぬだろうか。いや、仕えるなどとは無礼な申し様でした。是非とも関東御下向の折りにでも、いや、でき得るならば食客としてこの江戸にお留まり頂ければ相応の扶持も宛がわせて頂きます。如何でござろう」
政真は一気に捲し立てるかのように言葉を並べている。また、新九郎にしてみれば法外な、いきなりの申し出だ。これには少し戸惑った。
戸惑うついでに、面白い事を言うものだ。とも思う。政真には自分の素姓は既に話してあるはずなのに、である。
小なりとはいえ備中の所領もあれば、室町では一応とは言え足利義視の申次衆の役にも付いている。これは上杉家の家宰である道灌も室町で新九郎を見かけたと言っているあたり、都から落ちて来た風変わりな男の世迷い事と見ている訳ではないとも思う。
「それがしに、上杉家に仕官せよ。と申されるのか」
と、新九郎が怪訝な顔で政真と道灌を見たのは無理からぬ事だった。
「いかがでしょうか」
目を輝かせる政真は真剣そのもので新九郎を試しているようには見えない。また政真の脇に侍る道灌も同意しているのか笑みを絶やす事無く新九郎を見つめている。
「これは」
まいった。素直な感想だった。新九郎にしてみれば外向きの礼法を披露したのみであり、まさか仕官の要請を受けるとは思いもよらぬ事だ。
(流鏑馬がこれほどまでに効果があるとはな)とは新九郎の腹の内。
「それがしからもお願いしたい。盛時殿がこの扇谷に来てくれたなら都の作法などトンと知らぬ当方の家臣共の、分限を越えるほどの指南役にございます」
さらに道灌は続けた。
「それに、都の水で洗われ続けた盛時殿でござる、京への思いの強い御当主様の無聊をお慰めして頂けるにはこれ以上の適材は見当たりませぬ」
道灌は京文化が染み付いた新九郎を、政真の御伽衆にでも加えるつもりなのだろうか。とはいえ、元々は京に本貫を置いていた扇谷上杉家である。その当主政真が、室町の情勢以外にも都の文化に強い憧れを持っているのも確かなのだろう。
「わが上杉家では興が乗りませぬか?」
人誑しの道灌である。この言葉は断りづらくする為の方便かな、とも思う。
「いえ、余りのおおせに少々驚き入りましてござる」
新九郎は少々驚いた風を作って見せ、大仰に辞する素振りをみせた。
「ただ、仕官は難しゅうござるが御所望であれば、関東下向の折りを見ていつでも御指南仕りましょう」
「さようか」
政真は心底残念がっているようだ。慇懃に仕官を辞退する新九郎を見る顔はさも惜しげに項垂れている。しかし、気を取り直したのか再び顔を上げるともう一度新九郎に誘おうとした。
「だがそこを曲げて……」
ところが、言い掛けた政真の言葉に被せるように言葉を継いだ道灌。
「まま、とりあえず御当主様、まずは宴の席が設えてありますので、盛時殿をご案内されては如何かと」
ある意味無礼であるとも取れる行為ではあったが、自らの当主の誘いを断られたという事実をまずは消そうとしたのか、繰り返し仕官を誘って断られる愚を政真が為す前に話題を変えて来た。
道灌は機転を利かせたのだ。
(ほう、これは。有難いものだ)
新九郎の道灌像がやや変わった。主を蔑にする人物かもしれないと思っていた所、政真を救って見せたのである。
これは再び三度と政真が新九郎に仕官を誘い、それが断られ続ければ政真の面目が立たない事にもなる。それにもまして新九郎の、扇谷での立ち場も一気に悪くなる恐れもあった。
新九郎は道灌に目礼して見せた。
「おぉ、そうだった。仕官の話はまた何れにするとして、只今宴の用意をさせておりまする。どうぞお楽しみくだされ」
政真は道灌の腹を知ってか知らずか酒宴の言葉を聞くと満面の笑みを湛え、新九郎の手を取らんばかりの会釈を見せた。
「かたじけない」
その言葉は政真に言ったものかどうか。
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流鏑馬から流れて来た酒宴が佳境を迎えていた。
居並ぶ扇谷の家臣達も酔態を隠さず、主の政真はと言えばこれもだいぶ酒が入り前後不覚となる程に酔っている。しかしその酔態は意外に悪いものではないようだ。家臣に絡む訳でもなく武勇自慢をするものでもなく、ひたすら陽気な酒である。
酒量の少ない新九郎にしてみれば、なぜその程度の事で笑えるのだろうかと、疑問に思えるような会話でも面白いように笑っている。
見ている側でもつい引き込まれる陽気な酒だった。
「政真主はいつもこうなのでございましょうか?」
遠慮のない佐平次は、つい新九郎に疑問を投げかけるほどでもある。酔態の滑稽な扇谷当主を見る目は軽蔑と言うより、変わった辻売り商人でも見る様な雰囲気になっているのだ。
「まぁ、人はそれぞれよ」
実を言えば新九郎も楽しんでいた。
いや、再び上杉家に仕官の話をされる事は忌避してはいたのだが、道灌の主を操縦するその腕前を気に入っていた。
はじめ、道灌の遠慮会釈の無い政真に対する言動を見て、主を顧みる事の無い佞臣の類か、とも過ったが、どうやらそうではないらしい。
(扇谷を動かしているのは道灌なのだ)
この思考に行きついた時、今までの政真と道灌の行動、それに伴う家臣達の振舞いに納得が出来た。
「しかし良いものを見せて頂けた」
赤ら顔をしながら新九郎に言葉を投げかけてきた者がいる。対面を少し下がった辺りで盃を舐めていた男で年の頃は三十路辺りだろうか。
流鏑馬では新九郎の二人程前に駆けた人物だった。
「我らは一応の手習いで小笠原流を嗜むが、これはほぼ我流にござる。ようは猿真似。真髄や秘伝・奥義と言うものを知り申さん」
「さようにございますか……」
そう言えばこの男を紹介されては居なかったな。誰であろうか。
流鏑馬でたまたま同席したとはいえこれは話辛い。言葉をとぎらせたところで道灌の方を見やると、今気が付いたかのような表情であった。
「これは失礼仕りました。このもの、我が甥で太田資忠と申します。縁あって今は我が養子となっておる者にございます」
「さようにござったか」
素性が分かれば話しやすいもの。
「なれば資忠殿」
新九郎は資忠に向き直るとにこりと笑みを見せた。
「資忠殿もなかなか見事でしたぞ。猿真似などとはとんでもござらぬ。当代稀有の器量人と覚えました」
「盛時殿も口がお上手でございますな」
「いやいや、ほんとうの事を申したまで」
「ならば」
資忠は膝前に有った膳を避けるとそのまま膝をにじり寄せて来た。
そして軽く両手を畳に着けると、
「それがしに伊勢流の奥義をご教授願えませぬか」
そう申し出た。酒の勢いもあったのだろう。
「資忠殿、先ほども申し上げた通り、お手前は稀有の器量人。その御仁が小笠原流を嗜まれているのでござる。縁あって我が伊勢流を御披露申し上げたが、これは他家の門人を勧誘するためではございませぬ」
「どうか、そこを曲げて」
「ならば、京へ登られてはいかに。役に立つかどうかは分りませぬが、私が口添状を書いて進ぜましょう」
「誰に当てた口添え状にございますか」
「伊勢伊勢守」
「貞親様にございますか。それは有難い。しかし、いま領地を離れる事が叶いませぬ。どうか御斟酌くだされ」
新九郎はぐいと盃を呷った。
空いた盃を見た小姓がつつと寄り、手慣れた風情で新九郎の盃を満たして行く。
とろりとした白酒がじわりと広がった。
「実を申せば小笠原流の宗家、小笠原殿は室町では同僚でございましてな、昵懇の間柄でもあり申す。それを考えると迂闊なことはできぬとの思いなのでございます」
「なるほどさようでございましたか。しかし伊勢流の名家が小笠原流とも昵懇であったとは、これは羨ましいかぎりにござる」
肩を落とした資忠。さも残念そうに畳みの目を数えた。
と、そのとき、隣で盃を舐めていた男が「そう言えばと」声を上げた。扇谷家の重臣の一人である上田何某と名乗っている武蔵松山城主である。
「伊勢殿は伊勢家のご連枝でございましたな。伊勢家と言えば造りの鞍がその名を知られておりまするが、それがしは未だその造りの鞍と言うものを見た事がございませぬ。伊勢殿はそれをご覧になられた事がございましょうや」
新九郎はつい苦笑してしまった。
造りの鞍とは伊勢家が代々家業としている技術なのだが、将軍家に仕えるほどの家であるにもかかわらず鞍造りをする。
その鞍も「造りの鞍」と特別に呼ばれており、大名達の間では結構な高値で取引されているのだ。
その銘も伊勢守と刻まれ、進物としても重宝されている程の高価な物である。
「なにか、おかしなことを申し上げましたかな」
上田何某は新九郎に笑われた事を少々不快に思ったようだ。
「これは申し訳もござらぬ。つい、な」
「つい、なんでござる」
「お手前は、造りの鞍の銘を御存知か」
「伊勢守でござろう」
「だが伊勢守は鞍を作ってはござらぬ」
「な、なんですと」
「あれは、伊勢家の枝葉の者が幾人か手習いし、それを塗り師や彫り師に預け、帰って来たところで伊勢守の銘を打つのです」
「さようにござるのか」
「各言うそれがしも造りの鞍を打ちまするぞ」
上田何某だけでは無く、この一言で一座は一瞬静まった。驚きに満ちた目で目の前の新九郎と言う男を見始めたのだ。
内外礼法の伊勢流覚者が下賎の工人のように鞍を打つ。これだけでも驚くに値するのだが、目の前の男が打った鞍を伊勢守が取り上げて銘を打ち、守護大名間で有難がられる鞍となる。
流鏑馬も殿中礼法も、鞍造りも当代一流なのか。
「盛時殿、どうか今一度、上杉家への仕官、ご再考願えぬか」
政真であった。
新九郎を心から欲しいと思い、一も二も無く口に登らせたのだろう。道灌もこれには留める合間も無く、ただ白酒を口に運ぶだけしかできなかった。
と、そのとき、酒宴の席の端、渡り廊下に繋がる濡れ縁に小姓が現れた。
近くに座る中受けの者に耳打ちをすると下がって行ったが、その中受けの侍が新九郎の脇までやって来ると、耳打ちするかのように用件を伝えて来た。
「風間の小太郎殿が伊勢様の御用件じゃと申して、こちらに参られておるようにございます。お会いなされますか」