愛子とアイス、はんぶんこ
マフラーから口を少しだけ出して、息を吐く。すると白いもやが目の前で広がっては消えていく。やはり11月ともなれば、息が目に映るくらいに冷え込むんだなとぼんやり思う。
それでも。
今、隣にいる自分の肩にも満たない程の身長の少女は今日も、アイスを食べようと誘ってくるのだ。そして僕は、寒く凍えながらもその誘いに乗るのだろう。
愛子とは幼稚園の頃からの仲だった。お互いの母親が高校時代の親友であるらしく、家はちょっと離れているが同じ幼稚園、小学校、中学校に通うくらいには近い。
母親同士の仲が良ければ、家にお邪魔することや一緒に出掛ける事だってしょっちゅうで、愛子とはいわゆる幼馴染として仲良くやってきた。
それこそ同じ高校に通ったり、下校を週一で共にするくらいには。
登下校にかかる時間は片道およそ40分。家から最寄り駅まで徒歩10分とそこから電車で15分、降りた駅から学校までまた徒歩で15分といった所だろうか。自転車を使えば時間を短縮出来るが、家から駅にかけては上り坂で登校が辛くなる、学校の最寄り駅まで自転車を持って行くのは面倒、ということで目下のところ通学は徒歩としている。
「あっ、息が白くなってる!もうすっかり冬なんだねぇ」
彼女はいつも、何てこと無い事でも大きな発見をしたかのように言う。そして、そりゃ寒いわけだと何が嬉しいのか少しだけ目を細めて笑う。マフラーから覗く鼻先は赤い。
「だけど今日も一緒に食べようね」
何を、とも言わないし端から僕が参加することは決定事項だ。拒否権なんてないし拒否するつもりもないんだけど。
「あ、もうすぐお父さんの誕生日だけど今年は何をあげようかなぁ。何がいいと思う?」
やっぱりネクタイとかかなぁ、なんてやっぱり僕に答える事を求めない。あんまり口数の多くない僕とおしゃべりや愛子、たぶん丁度釣り合いが取れているんだと思う。彼女との間に流れる空気は、いつも穏やかで心地良い。それでも、
「いくらお父さんがクサヤ好きでも、それはちょっと切ないんじゃない?」
愛子は本気で、今年のプレゼントはクサヤでいいかな!なんて言い出すからおかしい。
「じゃあ来週の月曜日、一緒に買いに行こう!」
明日と明後日でどんな物が欲しいか聞いておくから、と愛子が言って僕の予定は埋まっていく。
そんな風に喋っているうちにコンビニに着く。田舎というのは本当に厄介な物で、コンビニに行くにしたって少し歩く事になる。全然コンビニエンスじゃないと思うけれど別に困ってはいないし、彼女を家に送る道すがらにあるので構わないけども。
「おじさん!こんばんは。今日もこれください!」
愛子は店に入って、迷いなく目的の物を手にしてレジに向かう。毎週金曜日の午後6時頃、それが僕たちが来る時間。彼女も僕も、レジ係のおじさんとはもうすっかり顔見知りだ。
「今日もいつものかい。寒いのによく食べるもんだ」
若いってこういう事なのかね、とおじさんは愛子と楽しそうに話しながらお会計を進める。11月のお会計当番は僕なので財布から100円玉を2枚取り出しておじさんに差し出す。
「はいよ、お釣りの16円」
返ってきたお釣りはいつもの通り募金箱に入れる。これは僕だけの習慣。愛子はこのお釣りを貯めて、月末に駄菓子を一緒に買ってたりする。
ちなみにこの募金は近くにある神社の修繕費用となるものだ。その神社ではよく色々な行事を催していて、その大体の行事を愛子と楽しませてもらっている。
コンビニの駐輪場で、愛子はアイスを渡してくる。最初の内は邪魔になりやしないかと不安にもなったが、金曜の夕暮れにこんなコンビニに来る人間は少なく、いつの間にかここがアイスを食べる定位置となっていた。
「はい!」
渡されたのはいつもと同じ、イチゴ味のカップアイス。愛子が手に持っているのも、いつもと同じラムレーズン味のカップアイス。世間には割と不評なアイスで、なかなかどこの店にも売っていない。そのため、このコンビニは僕たち常連客を捕まえて離さないのだ。
「そういえばさ、」
愛子はもう何口目かのアイスを食べて、美味しいと言ってから切り出してきた。
「なんで結くん、お釣りをいつも募金してるの?」
その質問を聞いて、僕は思わず笑ってしまった。毎週金曜日に二人でいつも同じアイスを食べる、お会計は偶数月は愛子が、奇数月は僕が、という全く不可解な習慣が始まったのは高校生になってから。そして今は高校2年生の11月だというのに。
「ねぇ、いつまで笑ってるの。教えてよ!」
愛子は何がおかしいのか分からないという風に僕の顔を覗き込みながら答えをせがむ。
「その質問、今頃過ぎじゃない?」
僕はひとしきり笑った後で、アイスを食べ進めながら聞き返す。
「…だって今、気になったんだもん」
きっとマフラーに隠れている口は少しだけ尖っているに違いない。そう考えながら僕は、丁度半分だけ食べたイチゴのアイスを愛子に差し出す。すると、愛子も何も言わずに半分だけ食べたラムレーズンのアイスを渡してくる。
「うん、やっぱりラムレーズンは美味しいね」
何度も食べたアイスの感想を口に出す。愛子は無言のままアイスをパクパクとすごい勢いで消費していく。
「そんな一気に食べたらお腹痛くなっちゃうよ」
愛子はそんな僕の言葉も無視してアイスを食べ終えてしまう。僕のアイスはまだ四分の一くらい残ってる。
「隠そうとされるとさ、余計に気になっちゃうよね」
愛子はそう言ってから、食べ終えたアイスを捨てるべくコンビニ備え付けのゴミ箱に向かった。
ゴミを捨て、こちらを振り返る。そして、
「教えなさーい!」
一気に僕の元へ来ると、空いた両手で僕の脇腹を擽ってくる。僕は片手にアイス、もう片手にはスプーンで反撃出来ない。
「わっ、ははははは!あ、あいこ!ちょっと、やめっ…やめな、さい!」
「結くんが募金する理由を教えてくれたら、止めてあげない事もないんだけどな〜」
「わかっ、わかったから!おしえるから!」
しょうがないなぁ、なんて言ってからようやく擽るのを止める愛子。何がしょうがないのか全然分からない。ふぅ、と一息ついてから僕は理由を話し出す。
「でも別に深い意味なんてないよ?ただ、いつもお世話になってるあの神社に恩返しが出来ればなって思ってるだけ」
そう、これが僕が募金をする理由。実は別の理由もあるんだけど、愛子に教えるのはこれだけでいい。
「結くん、そんなにあの神社のお世話になってるの?」
今日の愛子は疑り深いらしい。
「愛子だってお世話になってるでしょ。春の桜祭り、夏の七夕祭り、秋の焼き芋大会、冬の初詣に餅つき大会とか」
「…確かにお世話になってる。だけどそんな言い方したら私が食いしん坊みたいに聞こえる!」
「まあ、事実そうだし?」
僕は擽られた事の仕返しを込めてそう言ってから、アイスの最後の一口を食てゴミ箱へ向かう。ゴミ箱から戻れば、愛子はマフラーに顔を埋めていた。少し屈んで顔を覗いて見れば、食いしん坊と言われて拗ねているのか眉間に皺を寄せている。
「愛子」
名前を呼んでも合わない目線。
「愛子さん?」
冷えるから早く帰ろうと言いたいのに、さん付けで呼んでみても効果無し。一度拗ねた愛子の機嫌の直し方は、もう十何年の付き合いの今でも分からない。ある時はココアを飲ませ、ある時は肩を揉み、またある時は丸一日愛子を様呼びしたりなど、その都度機嫌の直し方が変わってしまうのだ。
今日はどうしたものかなと愛子の前にしゃがみ込む。すると、
「すきありっ!」
上から声が降ってきた。いきなり何の事かと思っていたら、マフラーをしてる筈の両頬から首あたりに冷たいものが触れてきた。
「うわっ!ちょっと、どういうつもり?」
冷たいもの、というのは愛子の手だった。アイスを食べたせいもあるのだろうが、相当冷たい。だから早く帰ろうって言おうとしたのに。
「結くんが意地悪言うから仕返しですー!それにしても人の首元はあったかいものだねぇ」
僕はしゃがみ込んでいるから、愛子が僕を見下ろしながら笑う。全く、これだから愛子には敵わない。
「愛子」
「ん、そうだね」
帰ろう、なんて口に出さずとも。
「今日も楽しかったねぇ」
愛子はアイスを食べた帰りに、いつもそう言う。
「そうだね」
そして僕もいつもと同じ言葉を返す。
それからまた他愛のない話しをして、気づけば彼女の家の前に着く。たまに晩御飯にお邪魔したりもするけれど、大抵はここで別れる。そして今日は、大抵の方。
「じゃあね、結くん。今日も送ってくれてありがとう」
この言葉も、彼女がいつも言う言葉の一つだ。もうずっと同じ帰り道を一緒に歩いて、ここで別れるのを繰り返しているのに毎回ありがとうを忘れない。
「うん、それじゃまた。月曜日に」
そう言って僕は自分の家に向かって歩き出す。
一人で歩いていれば、どうしても考えてしまう事がある。例えば、あと何回愛子と一緒に帰ることが出来るのか、とか。
僕は愛子の事が好きだ。それは勿論、幼馴染としてではない気持ち。でも彼女はきっと僕の事を幼馴染以上の関係としては見ていない。小さい頃から近くにいすぎたんだ。今までに何回、恋愛事の相談を受けただろう。
今日は少しだけ遠回りして、神社に寄り道をする。この寄り道をするのは、その月の第一週の金曜だけと決めている。別に家の近くだし毎日だって来れるけど、神様もそんなに来られたんじゃ疲れちゃうと思うから。
鈴を鳴らして一礼する。それから手を合わせて目を瞑る。きっと正しい作法ではないけれど、神様の心は広い筈なので許して欲しい。
僕たちが幼馴染じゃなかったら、家族ぐるみの付き合いが全く無かったなら、何かが違ったのかもしれない。告白だって出来たのかもしれない。
でも、僕たちは幼馴染だから。
分かってしまうのだ。自分がこの想いを伝えた時、彼女がどれだけ悩んで悲しむのかが。
だから神様、彼女ともう少しだけ一緒にアイスを食べさせてください。
毎月、同じ事を祈る。
高校生ともなれば、いくら幼馴染だからってクラスが離れている人と会える機会も少ない。家が近いからといって毎日一緒に帰る、なんて事もない。だから毎週金曜日の帰り道、それだけが僕たちが二人きりでいられる時間なのだ。
僕は彼女を悲しませたりしないから、どうか。冷たいアイスを半分ずつ分けて食べたり、他愛のない話しや冗談を言える時間をもう少しだけ。
目を開けて一礼すれば、目の前にあるのはお賽銭箱。本当は募金ではなく、ここにお金を入れた方がご利益はあると思う。でも僕はきっと、いつまでも愛子との時間を願ってしまうから。だからお賽銭ではなく募金という形で神社に奉納する。愛子に好きな人が出来た時、僕の願いが邪魔にならないように。
そしてもと来た道を辿って帰路につく。
マフラーから少し顔を上げて息を吸えば、冷たい空気が鼻を通って肺に行くのが分かった。僕は寒さに一層身を縮ませる。
それなのに、また来週アイスが食べれるようにと神様にお祈りした事がおかしく思えて、少しだけ笑えた。
初めまして、三一一○(サイトウ)と申します。
小説を作るのも初めましてな者なので、誤字脱字やおかしな表記がありましたらご一報ください。