表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

日陰で生きよう、陰生植物

作者: 梨本みさ
掲載日:2013/08/07

あらすじにも書きましたが、この小説は『コスモス』のスピンオフです。本編を意識した箇所が若干ありますが、おそらくそちらを読まなくても問題ないと思いますので、このままご覧いただいてください。これを読んで、もし気が向いたら本編も見てくれるとありがたいです。


本文中での説明が欠けていたのでここで付け足しさせてください。

主人公たちが通う学校は中等教育学校です。四年生は高校一年生のことです。

 開いた四つ折りの紙に書いてあるのと同じ番号を、黒板の座席表から探す。窓側から二列目の前から三番目。場所的には悪くない。席替えはいつも楽しみで、だけど失望に備えて期待は控えめにしている。

「あれー、西村、もしかして二十四番?」

「うん。八木君隣?」

「隣、隣。よろしくー」

 ガタゴトと机を運んでいくと、先に待っていたのは八木君だった。八木君は、わたしが気兼ねなく話すことができる希少な男子の一人だ。

「八木ぃ、机引っ張ってー。おれ、たぶんおまえの後ろだから」

「は? 関谷、おまえどんだけ力ないんだよ」

 教室の後ろ側からやってきた関谷君は、なぜか息が上がっていた。

「おれ繊細なの」

「というかひ弱、な」

「うっさい」

「わ、重た。鞄の中何入ってんの?」

「え? んー、辞書かな」

「うわっ、辞書持ち歩くとか。やだやだ、これだから秀才は」

 八木君に机を合わせてもらった関谷君は、わたしに気づくと「よっ」と片手を上げた。わたしも全く同じ挨拶を返す。

 関谷君も、八木君と同じくわたしの数少ない男子の友人だ。最初に関谷君と仲良くなって、それから関谷君の友人の八木君とも話すようになったのだ。きっかけはこんな風に席が近くて……って、あれ?

「ねえ、前もあたしたち、こんな席順だったことない?」

「あ、やっぱりあるよな。おれも今、なんかこの風景見覚えあるなーって思ってた」

「あったなー。二年の時? 場所もちょうどここじゃなかった?」

「ここだった、ここだった。わー、すごい偶然」

 興奮が笑いに変わっていく。二年前のわたしたちも、こんな風によく笑っていた。

 うん、この席なら当分はやっていけそうだ。




「そのため、木は太陽の光を受けるために高く伸びて、枝を広げて……」

 生物基礎の授業は、睡眠時間に充てる人が多い。先生も特に咎めないからなおさら。何より、先生の話し方がゆっくりで眠気を誘うのだ。前の席の男子が突っ伏して寝ているせいで、黒板と先生が良く見えすぎて逆に困る。

 先生と目が合うのは嫌なので、手元の教科書に目を落とす。

 陽生植物、陰生植物、光補償点、見かけの光合成速度。光合成は速度だったのか。

「そして、その空間争いから離脱する植物もでてきます」

 先生の擬人的な言い方に小さな笑いが起こる。

「それが陰生植物で、森の下の方の、あまり日の当たらないジメジメした辺りに生えてるやつです」

 なんだか、わたしみたいじゃないか、陰生植物。日の当たらないジメジメした所。本当にそっくりだ。

 顔を上げて黒板を見ると、先生は教科書に載っているのと同じグラフを書いていた。横軸が光の強さで、縦軸が光合成速度。比較のためか、陽生植物と陰生植物のグラフがそれぞれ書き込まれている。

 弱い光のとき、見かけの光合成速度とやらが大きいのは陰生植物だ。しかし光が強くなると、陽生植物が追い上げ追い越しのいいとこ取り。

 無意識の内にため息を吐いていた。やっぱりそんなもんなんだよね、なんて植物に感情移入してしまう。結局、生き残るには、空間争いに勝ち抜くしかないのだろうか……?


 物思いに耽っている内に終了のチャイムが鳴り、号令を済ますと先生は帰って行った。

「なあ、西村。資料集のさぁ……」

 次の授業の準備を始めようとしていると、八木君がわたしの生物の資料集をベラベラめくりだした。そして目的のページが見つかると、指を指しながらわたしの前に寄越した。

「ここ、ここ」

 それを見たわたしは吹き出した。

「なにこれーっ。こんな言葉あるんだ」

「え? なになに?」

 笑っているわたしたちを見た関谷君が、身を乗り出す。開いたままの資料集を関谷君の机に置き、その単語を指し示すと、こちらも笑い出した。

「『お花畑』って……。考えた人、これでいいのかよ」

「しかも平仮名の『お』がついてるってゆうね」

「絶対ウケ狙いだよなあ」

 失礼なことこの上ないが、わたしたちは遠慮なく笑った。

 ああ、楽しいな。ホント、言い席になれたな。

 わたしの通っている学校は、二年ごとにクラス替えがある。五、六年のクラス分けは文理別だが、それ以外は適当。親友の零花とクラスが分かれてしまってから、学校が苦痛に感じることもしばしばあった。関谷君と八木君とは話せたけど、でもやっぱり男子だし。それでも関谷君はわたしに気を使ってくれていたように思う。移動教室の時にさり気なく話しかけてくれたり。というか、たぶん関谷君もわたしと同じだったんじゃないかな、という気もする。一番仲が良い倉本君と、クラスが離れてしまったから。倉本君は零花と同じクラスだ。今のクラスで関谷君は八木君とよくいるけれど、八木君はなんというか……、どこにでも、誰とでもいるようなタイプの人なのだ。

 それから次の授業の場所、社会科教室へ一緒に向かった。席が近いというのは本当にいい。こうゆうとき、その場の流れに任せればいいのだから。

「そういや、もうテストまで二週間切ったよな」

「えっ、もうそんな? 勉強始めなきゃ」

「はあ、やだなぁ、テスト。……おい関谷、おまえ、生物もちったあ勉強しろよ〜」

 八木君が、からかうように関谷君の顔を覗き込みながらニヤニヤしている。

「うるっさいなぁ。他の科目じゃ勝てないくせに」

「え、何? 関谷君、八木君より点数悪いの?」

 まさか、という思いで尋ねれば、八木君が勝ち誇った笑みを浮かべた。

「期末のとき、関谷、生物六十二点だったんだぜ」

「うそ、関谷君が? え、こないだのって、平均すごく高かったやつだよね?」

 前回の期末考査の生物といえば、みんなの出来が良すぎて先生が困っていたやつだ。わたしは九十八点で、後期生になってからはなかなかとれない高得点だった。

「そうそう。平均八十四点。百点四名。九十点台十八名。八十点台二十七名」

「なんでおまえはそんなの覚えてるんだよ」

 ギャーギャー騒ぐ二人を横目に見ながら、六十二点、六十二点と復唱してみた。

 自慢になってしまうが、わたしは成績は割といい。平均以下は一度もないし、学年順位も十番以内を保っている。前回は特に調子が良くて、関谷君に次ぐ二位だった。そう、関谷君はそれでも主席を守ったのだ。

「いいか、おれが点数悪かったのは、ノー勉で挑んだからなんだ」

 そっかあ、六十二点か。いいなあ。……『いいなあ』?

「何偉そうに言ってんだよ」

 いやいや、良くはないでしょ。平均よりずっと下なんだよ? いいわけないじゃん。てか、実際悪いんだから。

「いいもん。おれ来年生物とらないもん」

「えっ、じゃあおまえ物理とるの?」

 羨ましい? なんで? そんなわけない。ちょっと、愛、あんた何考えてるの。そんなのが羨ましいなら、勉強しないで赤点でも取っちゃえばいいじゃない。

「西村〜。おーい」

 悶々としていたわたしは社会科教室の前をそのまま通り過ぎ、二人に笑われることとなった。




 零花の様子がおかしい。

 昼休みはいつも、零花のいる四年一組の教室でお弁当を食べている。今日も普段通り食べ始めたのだが、零花の箸の進みが異様に遅い。

「零花? どうかした?」

 尋ねると、零花はビクンと肩を揺らした。

「あ、あたしは……別に……?」

「は?」

 意味不明な受け答えをする零花は、焦りのせいか頬が赤かった。

「ね、そういえば三組も席替えあったんでしょ? どうだった?」

 そして話を逸らされた。……まあ、いいか。

「あ、うん。隣が八木君でね、斜め後ろが関谷君なんだよ」

 クラスに友人が少ないわたしにとっての幸運な席に、「よかったじゃん」などと言われることを予想していたのに、零花は顔を強ばらせてしまった。

 何か変なこと言っただろうか。何を考えているのかさっぱり分からず、こっそり零花の視線を追ってみる。その先にいたのは、教室の後ろの方で床に座ってお弁当を食べている関谷君と倉本君だった。

 キーパーソンは……関谷君だろうか。恋煩い? まさかね。零花には似合わなすぎる。

「……愛、なんか失礼なこと考えてない?」

「……なんで、わかったの」

「いや、そこは否定してよ」

「あはは。……で、なんかあったの?」

 再び口を噤む零花。しかし、顔には苦笑を浮かべていた。

「……ここでは言えないことだから……。お弁当、食べ終わってからね」


 この時、零花が話してくれると言って嬉しく思っていた。なのに後で、聞かなければよかったと僅かながらでも感じてしまったわたしは、馬鹿で最低かもしれない。




「愛は、知ってた?」

 美術室前の廊下で、人気がないのを確認した零花は、まずわたしにそう尋ねた。

「何を?」

「その……、関谷君のお姉さんのこと」

「へえ、関谷君、お姉さんいたんだ」

 知らなかった。以前、家にお邪魔したこともあったが、そんな気配はしなかった。確か関谷君が自分で、お母さんと二人暮らしだと言っていなかったっけ? ということは、随分年の離れたきょうだいなのだろうか。

「うん、いたらしい」

「そうなんだ」

 軽く受け流したが、何か引っ掛かる。「いたんだ」「いたらしい」。一緒には暮らしていないという意味かもしれない。

「あのさ、あたしたちが小五のとき、結構近くの小学校で自殺あったの覚えてる?」

「ああ、うん。一コ上の学年だったっけ」

 急に、肌寒さを感じた。話の先が読めてしまったような気がした。

 違う、違う、違う。そんなわけない。勝手に人を殺すなっての。

 零花が躊躇いがちに口を動かした。しかし、すぐには声は出てこない。

 待って。言わないで。まだ、わたしは……

「……その自殺した人が、関谷君のお姉さんなんだって。いじめにあってて、それで、学校で首を吊ったんだ……って」

 眉間に軽く皺を寄せ、絞り出すような声で、零花はわたしが求めていたはずの事を答えた。

 別棟の校舎の屋上の手すりにとまった、四羽のカラスがあざ笑うように鳴いている。目の前が急に暗くなった。立ちくらみだ。顔を両手で覆ってその場にしゃがみ込む。

「愛……。ごめん、やっぱり、聞きたくなかった?」

 零花もきっとしゃがんでいるのだろう。零花の声は上からではなく、耳元から聞こえた。

 ゆるゆると頭を振ると、零花の息をつく気配が伝わった。

「零花……は、いつから知ってたの?」

「今日、初めて知った。……三限、自習でさ。その時に、誰から言い始めたのかわかんないけど、そんな話になって……。だから、あたしのクラスの人たちはもう、みんな、知ってる」

 顔を覆っていた手をはずす。零花は、泣いてはいないけれど目が赤かった。

「最初は、ガセだと思ってたの。でも、関谷君と同じ小学校出身の人、しょうちゃんとか、鹿嶋くんとか、いろいろ聞かれてたんだけど、ぜんぜん、答えなくて。否定も、しなかった……」

 沈黙は肯定。ということは、その話は事実。

 たまに見せる関谷君の、庇護欲を掻き立てるような翳りはその過去が根にあるのかもしれない。

「倉本君は、知ってたの、かな」

 不意にそんな言葉が口をついた。そういえばどうなんだろう。

「たぶん、知ってたんだと思う。みんなを睨んで静めさせたの、倉本君だから」 そっか、知ってるか。そうだよね。

 なんだろう。わたしも、本人の口から教えてもらいたかったのかな。でも、知らないでいた方が気持ち的に楽だったとも思う。よくわからない。わからないけど、もやもや、ぐちゃくちゃする。





 あれから数日経ったけれど、未だに思考の大部分を顔も知らない関谷君のお姉さんのことが占めている。

 特に、笑うと思い出す。彼女は死を選ぶほどつらい目に遭っていたのに、自分は楽しんでいていいのか、と。こんなこと、わたしが考える必要ないってわかっているけど、ダメなのだ。

 ……やっぱり、知らなければ良かった。




 久しぶりに部活を休んだ。というか、サボタージュ。全然集中できないのだ。楽譜を追えなくて、今どこを演奏しているのかとか、さっぱりわからなくなってしまう。休めばどうにかなるってもんでもないけど、とにかく今日は部活には出たくなかった。それに、どうせ来週からはテスト週間でないんだし。

 顧問の先生には歯医者に行くと嘘をついた。零花にも、同じ嘘を言った。零花にはきっと、嘘だと気づかれた。気づいて欲しくもあった……かもしれない。


 そのまま家に帰る気はなかったけれど、校内にいるわけにもいかず、とりあえず生徒玄関へ向かう。玄関は、これからグラウンドへ行く陸上部や野球部でごった返していた。そこへ突っ込んでいく気にはなれず、壁により掛かり人気が引くのを待つ。

 それがいけなかった。

「西村? 部活じゃねぇの?」

 そこにいたのは、軽く首を傾げながら怪訝そうに私の顔を覗き込む関谷君。心臓が跳ねる。

「関谷君こそ、部活、あるんでしょ?」

「サッカー部、今日はないんだ」

 早く行ってしまえ、と手を打つが失敗。そういえば教室で八木君あたりがそんなことを言っていたような。

「西村は? もう帰るの?」

「あ……えっと」

「部活、サボり?」

「まあ……そんなとこ」

 曖昧に答えると、関谷君は笑った。

「何か、用事でもあるの?」

「ううん、何も」

「もう、家帰るわけ?」

「それだと、サボったことバレちゃうから……」

「じゃあさ、もしよかったら、一緒に健太んち行かね?」

「へ?」

 倉本君? なぜそんな話になった? 倉本君の家に行くって言ったって、当の本人はどこよ?

「お見舞い」

 関谷君は妙に可愛らしい仕草で、今日の配布物が入っているのだろう茶封筒を顔の横に掲げてわたしに見せた。



「サボり、別にいいんじゃない? たまには。西村、最近疲れてるでしょ。変にがんばると風邪ひいちゃうよ。健太みたいに。あ、でもあいつは知恵熱かな」

 隣を歩く関谷君は、普段と比べて一段とよく喋る。そしてよく笑う。

 結局わたしは関谷君について倉本君の家へ行くことにした。倉本君の家は、場所だけなら知っている。彼の家もわたしの家も徒歩通学可能圏内だから、遠回りにはなるけどそれ程遠くはない。

 側溝の蓋の溝につまづき転びそうになる。なんとか踏ん張ったが、関谷君に笑われた。

「あはは、大丈夫? あんまりボーッとしてんなよ」

 そして、表情は笑んだまま声色を変えて続けた。

「……なあ、西村さ、冗談抜きにして最近疲れてる? てか、具合悪かったりする?」

「え?」

 そんなことはない。ただ、ただ……

 自然と足が止まる。一歩先に進んだ関谷君が不思議そうに振り返った。

「ごめん。……ごめん、あたし、お姉さんの話、聞いた……」

 言ってしまえばラクになれるとでも思ったのかもしれない。関谷君が知らないところで自分が知ってしまったことを、罪のように感じていた。

「ごめん、ごめんね……。あたし、何も知らなくて……」

 関谷君の反応がないことが怖くなり、とにかく言い訳じみた謝罪の言葉を述べる。指先が冷たいのは季節のせいだろうか。

「……お姉さん、って?」

「関谷君のお姉さんのことだよ! 首吊り自殺したってゆう……」

 声を荒げた勢いで、こんなところで口にしてはいけないことまで言ってしまい、慌てる。

「あ、いや、うん。姉ちゃんの、ことな」

 言わせて悪かったりとでも言うように関谷君は苦笑し、わたしのコートの肘のあたりを掴んで軽く引っ張った。再びわたしが歩き出したのを確認して、そっと手を離す。

「ずっと、姉ちゃんのこと考えてたの?」

「……うん」

「そっか。なんか、ごめんな」

「関谷君が、謝んないでよ」

「だって、悪いの姉ちゃんじゃん? 弟として俺が謝んないと」

「……」

 ブンブン首を振るも、「だからって、西村が謝る必要もないでしょ」と笑って返される。

 空に顔を向けた関谷君は、何か考えるように頬を指で掻いた。

「あー、でも、ちょっと気になったんだけど……。西村、その話誰から聞いたの?」

「……零花」

「炭原?」

「うん。……あのっ、何日か前に零花のクラス、自習の時間があって、その時にそんな話になって知っちゃったんだって。でも、零花が自分からあたしに教えたんじゃないからね。あたしが零花から、無理に聞き出しただけで……」

 親友の名誉のためのつもりの言い訳が、実際にはわたしの保身になっている。

「へぇ、クラスで」

「……関谷君、なんか、喜んでない?」

「だって。西村ならわかるだろ? おれなんかが話のネタになるんだぞ。あ、おれじゃなくて姉ちゃんか」

「いや、関谷君の噂話だよ」

 つい、笑ってしまった。関谷君の言うことはすごく良くわかる。わたしと関谷君は同類なのだ。『一番の共感者』。そう称したのは関谷君だった。これに対しても共感。最も気心が知れた零花よりも、些細な喜びや悔しさを理解し、さらに共感してくれるのは関谷君だった。

「健太はさ、おれとは全然違う種類の人間なんだよな。おれの思ってることなんて、言葉にしたって健太には分かんないし、おれだってあいつのことなんて知らねえし。……あれ、じゃあなんでおれ、健太といるんだろう……」

 いつだったか、そんなことを関谷君は言っていた。

「でさ、炭原、どんなふうに言ってた?」

「えっと、五年前に自殺した女の子が、関谷君のお姉さんで、いじめを受けてて学校で首吊りした……って」

 聞かれたことを答えているだけだが、本人に対して言っていいのか不安になり、徐々に声が小さくなっていく。

 しかし、そんなことをよそに関谷君はクツクツと、可笑しそうに笑っていた。

「うーん、なんかいろいろ違うんだけど……。まず、首吊りじゃなくて飛び下り。場所も、学校じゃなくて、その辺のマンション」

 首吊りと飛び下り、どっちが楽に死ねるのだろうか。やはり飛び下りた方が一瞬で逝けるのだろうか。一学期に物理基礎で習った等加速度直線運動の公式が頭に浮かぶ。この場合自由落下だから……。重力加速度を十メートル毎秒毎秒とすると、二十メートルの高さから落ちたとき、速さは秒速二十メートル、時間はたったの二秒。永遠の恐怖を味わう二秒。足元を吹き抜ける風が妙に冷たい。怖かっただろうな。それ以上に生きるのが辛かったのかな。

「バカだよな、姉ちゃん。マンションなんかでやったら、住民気味悪くなっちゃじゃん」

 死んでも自分の存在を忘れないで欲しかったのだろうか。

「あとは……いじめがあったってのは、まあ、本当かな」

 いじめって、なんだろう。学園ドラマにはつき物だけど、実際に経験したことはどんな立場であろうとない。わたしがこれまで生きてきた環境は、とにかく平和だった。小学生でも、人を苦しめるだけの行為ができるものなのか。

「姉ちゃん、ホント、バカなんだよな。自分の立場とか考えないで突っ走んの」

「え?」

「もしもだよ? 西村が内田なつきと言い争いになりそうになったとして、でも明らかに悪いのは内田のとき。西村どうする?」

「なつきちゃんと……?」

 内田なつきは女子のうるさいグループ(つまり、イケてるグループ)に属し、その中でも中心的な人物だ。一、二年のとき同じクラスだったけど、話した記憶はほとんどない。彼女は、わたしのように地味な女子より、社交的な男子を選んでいた。嫌いになる理由はないけど、好きではなかった。

「とりあえず、謝っとく、かな」

 言い争いなんて真っ平。あの子、頭悪そうだし。喧嘩なんてしたら無関係な人まで巻き込みかねない。

「だよな。おれもそうする」

 ああ、そういうことか。お姉さんは、立ち向かったのか。お姉さんも陰生植物だったのかな。日を浴びようと、陽生植物をかき分けて手を伸ばした先には……太陽なんて、なかった。今までより、より深い闇が広がっていただけだった。陰生植物はずっと日陰にいなきゃいけないの? 日の光を浴びようとか、考えちゃいけないの?

 燃費の良さは自慢だ。陽生植物なんかより、ずっとずっと、タフなんだから。でも、薄暗くて、気が滅入りそうになるときだってあるんだよ。邪魔だ、って、陽生植物を蹴散らしたくなるときだってあるんだよ。

 お姉さん、カッコいいじゃないか。結果的には、失敗に終わってしまったけど。でもカッコいいよ。すごくカッコいい。

「でもさあ、いじめじゃないんだ、原因。関係してないこともないんだけど。だけど、いじめのせいじゃないんだ。いじめのせいにしちゃ、いけないんだ」

 ため息を吐き出しながら話している関谷君の目は、どこか遠くを見ていた。

 どうゆうことだろう、と首を傾げるが、彼はそれ以上を語る気はないらしい。

「ねえ、関谷君、一個だけ質問」

「何?」

「生物の六十二点は、わざと?」

「わざとって……、答えが分かってるのに書かなかったってこと?」

「うん」

 関谷君は、そんなわけない、とも、バレたか、ともとれる笑みを浮かべた。

 以前の関谷くんは、とにかく勉強だけをしている印象があった。人との関わりを恐れ、勉強に逃げていた。彼は、試したのではないだろうか。勉強を捨てても、友人関係を維持し、生きていくことができるのかを。

「そんなもったいないことしないよ。……あー、でも、わざと勉強しなかった節はある、かも?」

 コテンと首を傾ける仕草はかわいい。

「でも今回はちゃんと勉強するよ。八木に十科目全部勝ったらスペプ奢ってもらえるんだ」

「スぺ……?」

「スペシャルプリン」

 あのどでかいやつですか。



 倉本家インターフォンを鳴らすと、小学校高学年くらいの男の子が顔を出した。どことなく倉本君の面影がある。この子が弟なのか。

「よ、康介。健太いる?」

「いるよ。上がる?」

「うん。おじゃましまーす」

 関谷君に続いてわたしも家に入る。わたしをじっと見ていた康介君は、ニヤリと笑うと関谷君に何か耳打ちした。すると関谷君は気味が悪いほど笑顔になり、康介君の首根っこを掴んだ。そして焦る康介君を引きずるようにして引っ張り、トイレらしきドアを開けるとそこへ押し込み閉じ込める。仕上げに缶ビールの箱とか、廊下にある重そうな物をドアの前に置き、関谷君は手の平を払って満足げな表情でわたしに向き直った。

 ……康介君、君が何を言ったのかは知らないけど、同情はしないでおくよ。

「おまえら……何してんの」

 声のした方に振り返れば、寝間着姿の倉本君。熱があるのだろう。瞳は潤んでいて、声も鼻声っぽかった。

「お見舞い。西村も連れてきた」

「倉本君、具合どう?」

 ここへ来る途中の自動販売機で買ったコーンスープの缶を手渡す。

「さんきゅ。……いや、てか、そっちの話」

 引きつった笑みの倉本君が指さすのは、やっとこさ押し開けたドアから出てきた康介君。

「そっちって?」

「……了解です」

 こたつがあるからと、倉本君はわたしたちを居間に案内した。

「あー、最悪。テスト前に風邪とか。まだほとんどの教科、範囲終わってないのに」

 こたつの三辺に座布団を確保しながら倉本君がぼやいた。関谷君はそんな倉本君を面白そうに眺めつつ、コートを脱ぐと遠慮のない動作でこたつにあたる。関谷君を挟み、わたしと倉本君が向かい合う形で座る。

「健太、お茶」

「おれ病人」

「こーすけー、お茶。温かいやつ」

「……ここ、おれの家だよな?」

 関谷君に怯えている康介君は、急須と湯飲み茶碗を三つ持ってきて、緑茶を淹れてくれた。礼を言うと、顔を赤くして二階へ引き上げてしまった。

「年頃か」

「あいつでも照れるんだな」

 男子、うるさい。


「優吾、ケータイ光ってる」

 倉本家に上がり込んで二十分程経過した頃、全開になっている関谷君の鞄を倉本君が指さした。関谷君が携帯電話を取り出す。

「あ、ホントだ。……卵と豆腐ときゅうり買ってきて……」

「おばさん?」

「うん……って、スーパーもう過ぎたよ」

 この辺で一番近いスーパーマーケットは学校の側にあるやつだ。さっきその店の前を通ってきたばかりだ。

「ケータイって、本当に便利なのかわかんねえよ。母さん、心配だからいつも持ち歩けって言うけどさ、こんなやり取りしかしないし」

「お母さんにとっては、関谷君が便利なんだろうね」

 ボソッと言うと、倉本君が吹き出した。

「優吾はケータイ持ち歩くだけで親孝行になるもんな」

 笑いながら軽い口調で言った倉本君の言葉にドキッとする。心配だから携帯電話を持たせる。持ち歩くだけで親孝行。関谷君のお母さんは、唯一の家族である息子を失うことをものすごく恐れているのだろう。

「うー、康介拉致って行ってくるわ。荷物置いといていい?」

「ああ、いいよ」

 なんだかんだ言って、康介君は関谷君に懐いている。関谷君が二階に呼びに行くと、叫び声が聞こえたが(たぶん気のせい。絶対気のせい)、おとなしく関谷君と買い物に出かけていった。

 二人が家を出て暫くすると、居間の障子がスーッと開いた。そこには、小さな女の子が立っていた。

「わー、かわいいっ。妹さん?」

 髪は胸くらいまでの長さで、小粒な本当にかわいらしい子だった。実緒という名前で小学二年生らしい。

 かわいいと言われたのが嬉しかったのだろうか。にこにこしながら、ちょこん、と効果音を付けたくなるような動作でわたしの隣に腰を下ろした。

「かわいい〜。いいな、倉本君、きょうだい多くて」

「西村、一人っ子だっけ」

「うん。妹とか、憧れる」

「でもこいつら、最近落ち着いてきたけど、前はすごかったぞ。毎日大騒ぎ」

「ああ、ゼットダブルオー・クラモト」

「あはは、言われたな〜」

 倉本動物園。行けばわかるよ。すごいよ。健太なんて完全に飼育員だもん。

 動物園の動物に例えられていたのは、本当にこの少女なのか。

「なー、この問題どうすんの」

 実緒ちゃんの髪を折りたたみ式の櫛でとかしていると、倉本君は手元の紙をずいーっとわたしの前へ寄越した。倉本君が解いているのは、今日の数学の授業中に使用したプリントだ。数学の授業はすでにテスト勉強に充てられている。その時に、テストはこんな問題出すからな、とプリントを配られた。

「この、コサイン∠BCDを求めよってゆう」

「えっと、そこは……円に内接する四角形の定理で出たかな」

「円……?」

「こことここの角が直角でしょ。だから……」

「ああ、わかった。この四角形が円の中にあって、この二つの角が同じになるから……でいいの?」

「うん、そういうこと」

「なるほどなるほど。西村は素直に教えてくれるからいいよな。これが優吾だったら、まず鼻で笑って嫌みったらしいこと言ってからだもん」

 実緒ちゃんの髪型を変えてやろうと、アメピンとヘアゴムをポケットから取り出しながら笑う。関谷君ならしかねない。倉本君は、関谷君にとって特別なのだ。余計な遠慮はしない。言いたいことは言う。そういうことができる人がいるって、すごく幸せなことだと、思う。

「西村って文系志望だったよな」

「うん」

「文系で数学できるってなんなの」

 倉本君は、プリントを恨めしげに睨み、ため息をついた。

「あ〜、なるほど、知恵熱ね……」

「何か言った?」

「何も?」

 肩をすくめてみせると「優吾か……」と忌々しげに呟く。お見通しのようだ。


「来年、生物と化学、どっち選択?」

「生物」

「じゃ、日本史と地理は?」

「地理」

「おぉ、おれら、来年同じクラスかも」

「ホント? そうなったらよろしくね」

「こちらこそよろしく。主に勉強面で」

 やっぱり倉本君好きだな、と思う。わたしも関谷君も、たぶん零花も、倉本君に引き寄せられていた。陽キャラの倉本君は、関谷君も言っていたけれどわたしたちとは全然違うタイプだ。釣り合わない。初めはそう思った。でも、彼の方からも呼び寄せてくれた。二年前のわたしは迂闊に近づき、とある落とし穴にはまってしまった。とっくにそこからは這い上がり、穴も風化して消えた。だから、今は前よりも気楽に彼に接することができる。

 今、何となくわかりかけてきたことがある。なぜ倉本君に惹かれるのか。彼は、太陽なのだ。日陰にまでわざわざ光を届けてくれる太陽。熱いんじゃなく暖かく、紫外線なんて余計なものは含まれていない、そんな光を届けてくれる。わたしたちは、倉本君が必要なのだ。

「実緒ちゃんは、将来何したいの?」

 編み込みを施しながら顔を覗いて尋ねると、実緒ちゃんは「うーん」と考え始めた。

「えっとね、どうぶつえんのお世話さん」

「どうぶっ……」

 笑うなって言われも、これは……ね。衝撃発言ですこと。倉本君は爆笑している。実緒ちゃんは笑われる理由がわからないのだろう。不思議そうな顔をして首を傾げている。

「動物園の飼育員さんか。……お兄ちゃんに憧れたのかな」

「ちょ……、バカ、西村」

 倉本君が笑いすぎて咳き込む。実緒ちゃんは「お兄ちゃん?」とキョトンとしている。

「ううん、気にしないで。動物好きなの?」

 ペンギンが好きと話す実緒ちゃんを見ながら、倉本家のきょうだいはおもしろいなと思う。

「そういえば、西村は?」

「え?」

 顔を上げると、シャープペンシルをくるりと回す倉本君。プリントは半分くらいしか進んでいない。飽きたのだろう。

「西村、将来何になるの?」

「……言ってもバカにしない?」

「しない。まさかおまえまで飼育員じゃないよな」

 実緒ちゃんの髪をいじっている手をちょっとだけ止める。

「動物園は関係ないけど。……教師。小学校の先生」

「先生かぁ」

「やっぱ、向いてないよね」

「そんなことは……でもイメージわかないな〜」

 編み込みした髪もまとめて顔の横で束ねる。倉本君は妹を見て、「似合うじゃん」と笑った。

「かがみ見てくる」

 嬉しそうに実緒ちゃんが立ち上がった時、玄関が開く音がした。

「たっだいま〜」

「おまえの家じゃないだろ!」

 関谷君と康介君だ。

「やべーな。そのうちあいつに家乗っ取られる」

 真面目腐った顔で呟く倉本君がおかしい。

「ただいま。なあ、実緒の髪、珍しくかわいかったけど、西村がやったの?」

 レジ袋を提げて居間に入ってきた関谷君は、わたしたちを見るとなぜか表情を消した。

「……今、何の話してた?」

「何って」

「いや、なんか、西村が……」

 わたし? 変な顔でもしていただろうか。

「西村の将来の夢について。その向き不向きを話してたとこ」

 倉本君がそれだけ言うと、関谷君は妙に納得したようだった。

 戻ってきた実緒ちゃんがまたわたしの隣に座る。

「へえ。で、西村、何になりたいの?」

「小学校の先生」

「西村が?」

「あ〜、笑わないでよ」

 初めは堪えようとしていたようだが、関谷君は結局笑い出した。

「似合わねー」

「バカ、本当のこと言うなよ」

「倉本君!?」

 あなたのこと、ちょびっとは信じてたんですけど。

「ははは、まあ、いいとして。なんで先生?」

「えーっと、小学校の先生の仕事のメインって、勉強教えることじゃないでしょ? だから、その……」

 正直な思いを伝えるのは難しいし、恥ずかしい。でも、答えたい。

「なんてゆうか、先生って何人いても足りないと思うんだよ。いや、いすぎても邪魔だけど。そうじゃなくて、えっと、子供一人ひとり、必要とする人間って違うから、中にはあたしみたいな人間を必要としてくれる子もいる……んじゃないかな、と思って……。だから、そうゆう子のために、あたしが……なんて」

 顔が熱い。頭に血が昇るのが自分でわかった。きっと赤くなっている。

 関谷君と倉本君は、ヘタクソで意味不明なわたしの言葉を、ちゃかしたりせずに聞いてくれた。それはそれで余計に恥ずかしくなるんだけどさ。実緒ちゃんも、わたしを見上げながらずっと耳を傾けてくれていた。

 先生になるならもっと国語力をつけなければ。赤面症もなんとかしたい。




 家まで送るという関谷君の申し出を断り、また明日、と手を振って歩き出そうとすると、関谷君に呼び止められた。まだ六時前なのに、空は真っ暗だった。

「西村、あのさ、おれ西村に……先生になってほしい」

 意外にも真っ直ぐで真剣な眼差しだった。しかし、何かを請うような、泣きそうな、そんなふうにも見えた。

「おれ……西村みたいな先生がいてほしかった」

 鼓動が速い。

「ホント、に?」

 尋ねると、関谷君は深く頷いた。

「小学校の先生に西村がいたら良かったのにって、さっきから考えてた」

「……あたしは、関谷君と同級生になれて良かったと思ってる」

 わたしの言葉に関谷君はパッと笑顔になり、「おれも」と告げてくれた。

「じゃ、気をつけてな」

「関谷君も」

「おれ男だし」

「わかんないよ?」

 クスクス笑いながら手を振り、今度こそ背を向けた。

 

 

 わたしは陽生植物にはなれない。陽生植物と闘う気もない。わたしは、陰生植物だから。日陰で生きるのがわたしだから。

 でも、それでも、わたしは太陽になりたい。わたしでも、太陽になれますか……? わたしを必要としてくれる人がいる。確かにいる。その人にとっての太陽になりたい。


 家に近づいてきたころ、前方にわたしと同じくらいの体格の女子生徒のシルエットが見えた。そこに向かって駆け出す。

「れいかー!」

 振り返った親友に突進するように抱きつく。そこから家まで一緒に歩いた。話したこと、会話の内容はあやふやだが、笑い合ったことと楽しかったことだけは良く覚えている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公の気持ちをはっきりと文章から感じることが出来、ストーリーへもすんなりと入り込めました。 地の文章そのものも、主人公の年齢を考えれば適切であり、表現や雰囲気が一貫しており、とても良くま…
2013/08/10 23:16 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ