断髪式
昔の話をしよう。
まだ、両親に純粋なまなざしを向けることができた子供の話を。
「ねー、おかーさん」
「なぁに? 弥一くん」
「あーちゃんがね、ぼくのめがへんだって。ねー、おかーさん。ぼくのめってへんなの?」
「そうね、一般的な日本人のものとは違うわね」
「それってわるいことー?」
「悪くはないわ。むしろ、誇りなさい、個性よ」
「うわーい、ほこるー。すごくほこるー。あー、でもー、おかーさん。あーちゃんがねー、ずっとぼくのめをみてたらねー。きゅうにふらって、なって、おかしくなったのー。ずっと「め、きれいだね。め、きれいだね」しかいわなくなったのー。でも、ちょっとあとになったらなおったのー」
「うーん、それは恐らく弥一くんが魔眼持ちだったのね。私は『炎蛇』の魔眼だったけど、貴方はそこからちょっと派生して、魅了系の奴になっていたのね。でも、安心しなさい。弥一くんが悪いことを考えなければ、その目は悪いことをしないわ」
「うん! ぼく、わることしない! いいことする!」
「ふふ、良い子ね、弥一くん。まさか、十にも満たないうちに魔眼を発現させるなんて、さすが私とあの人の子ね。まるで、戦うために生まれてきたような子」
「にゅー? おかーさん、ぶつぶつなにいってるのー?」
「なんでもないわ、私の愛しい弥一くん」
その時、俺は子供ながらに嫌な予感がしたので、できるだけ人と目を合わせないようにすることにした。
それ以来、俺はずっと前髪を伸ばすことにしたのである。
「というわけでな、絶対やめたほうが良いぞ! 俺の前髪を切ると、宇宙のエントロピーとか、バタフライ効果で世界が滅ぶ!」
「そんなわけのわからない作り話をしてまで、拒否するなんて、ちょっといい加減にしてよね。まずはその前髪を刈り取らないと、話にならないんだから!」
結局、俺は引きずられるがままに皆川の家に行くことになった。皆川の家は一般的な平屋で、比較的新しいものに見えた。玄関のドアを開けると同時に、小さいガキどもと多数エンカウント。
皆川の話では、皆川の奴が長女で、あとは下に妹が五人、弟が三人ほど居るとのこと。うん、お母さん頑張ったな。
それで、何のためにわざわざ家まで連れてきたのか訊ねようとすると、ガキどもが俺を珍しがり、まるで子犬のように飛び掛り、くっついてきた。しまいにはそのままなぜか、夕飯をご馳走になることに。お母さん、俺はこいつの彼氏じゃないですよ、目を輝かせないでください。
こんな感じに紆余曲折しながらも、何とかガキの襲来を免れ、皆川の部屋に非難することになった。
そして現在、刃物を持った皆川に襲われている。
「ちょっと待て、皆川。まず、落ち着いて刃物を置こう。人間が何のために言葉を持っているか分かるか? 話し合うためだ」
「だって、まともに話したら、なんか言いくるめられそうじゃん」
ちぃ、バカなりに賢しいぞ、こいつ。
「それに安心してよ! これでも、親戚の美容師の人には、『え? 何この子、天才? なんでバレーやってんの? 多分、あんた、この世界じゃ十年に一度の天才よ』って言われたときあるんだから!」
自信満々に手元の刃物――鋏を動かし、じりじりと皆川が距離を詰めて来る。ちくしょう、無駄な才能を発揮しやがって。
「というか、なんでそんなに嫌なの? たかが前髪を切るぐらいなのに」
「うるさい。この髪型はな、ガキの頃から重宝してきたんだよ。主に、嫌なものをできるだけ見なくて済むから」
「でもさ、リアルにその髪型は目にも悪いからやめなよ」
「むぅ」
確かに、義経も事あるごとに注意してきたし……何より、クラスの中で中心に近いポジションに居る皆川のアドバイスだ。鈴木の奴をやり過ごすためにも、ここは決断するしかない。そうだ、戦場では、決断できない奴は置いてかれて死んでいったじゃないか。
「……わかった。俺も男だ、ここは潔くお前に従ってやろうじゃないか」
「うし! そうこなくちゃ」
皆川は笑顔でガッツポーズを取ると、素早く、俺の髪を切るための準備をする。床にはしっかりとビニールを敷き、その上に木製の椅子を乗せ、そこに俺を座らせる。
どこでそんな物を手に入れたのか? しっかりと専用の前掛けも俺に被せて、にやりと不敵な笑みを見せた。
「ふっふっふ、これから貴様は生まれ変わるのだー。そう、改造人間としてな!」
「ぎゃー、やめろー、ショッカー」
なんとなく意味の無い一芝居が終わると、皆川は専用の道具らしきものを取り出し、散髪を始める。
ちゃき、ちゃき、という小気味の良い音を共に、俺の髪の房が切り落とされていく。思えば床屋以外で、刃物を持った人間を背後に立たせて置いた経験が無いので、若干、むずがゆさを感じてしまう。
数十分後、俺の視界は随分と広がっていた。
「おお、世界が広いな。うん、切られる前は本当に嫌だったけど、これなら案外、良いな」
前髪を切ったせいか、世界が明るく感じる。さっきまで沈んでいた気持ちも段々と楽になっていくようだ。
そうだ、ここはあの戦場とは違うんだよ。だから、嫌なものもあるけれど、その分、良いものもあったはずなんだ。その証拠に、俺は義経っていう大切な友達を手に入れたじゃないか。
「悪かったな、皆川、駄々をこねて。お前の言うと――って、おい」
俺の散髪を終えた皆川は、どこかぼーっとした様子で、俺を見つめていた。
うん? ひょっとして、し、失敗したとか? 自分じゃ見れないが、かなり変な髪形になっているとか!?
「な、なぁ、起こらないから、失敗したなら、失敗したと言ってくれ。明日、登校するときに注目浴びたくないから」
「いや、多分、というか絶対、七島は明日、注目浴びるよ」
「やっぱりかー!?」
「でも、良い意味で。というか、見事にイメチェンは成功、大成功って言ってもいいし。でもさ………………なんで、皆川の目って、青いの?」
「ああ、良かった。それならぎりぎり、ってん? ああ、俺の家系って色んな血が混じってるからな。多分、その影響だろ。一応、親父もお袋も日本人なんだけどな」
「へー、そうなんだー」
わざわざ説明してやったというのに、なぜか皆川は生返事。さっきからずーっと、俺を、正確には俺の目を見つめてくるばかり。
なんか、凄く昔に似たようなことがあったような?
「七島、その目、綺麗だね。なんか、どこまでも広がっている青空みたいな、果てしなくて、深くて、凄く、吸い込まれそうな――」
「ちょ、顔近づけてくるな、気持ち悪い!」
皆川の目からは正気の光が失われ、呆然と口元を緩ませて、こちらに迫ってくる。お、思い出した! 確か、ずっと昔、お袋が俺の目にはナチュラル魅了系の効果があるとか何とか。でも、お袋、これはどちらかというと魂喰らい(ソウルイート)状態みたいになってんだがよ!
あ、心なしか、皆川から精力というか、オドが目を通して流れ込んできているような? って、そりゃアウトだ!
「正気に戻れ、皆川! 正気に戻らないと、俺は色んな意味で新たな十字架を背負って生きなきゃいけなくなる!」
「あうあうあ……はっ、私は一体、何を!?」
目の持ち主である俺が強く拒絶したことと、必死で皆川の肩を掴んで揺らしたおかげで、何とか皆川は正気に戻った。俺の目に吸われていたオドも少量だったらしく、特に健康に影響は無い。
「な、なんか頭がくらくらするんだけど?」
「バカが頭を使いすぎたんだろ。今日はもう、休んだほうが良いんじゃないか? そろそろ俺も帰ろうと思うし」
「あ……うん、そうするわー」
俺の罵倒へ反論もしないところを見ると、結構疲労していたようだ。まぁ、一晩寝れば問題ないだろう。
「じゃ、今日はありがとな、散髪代が浮いて助かった」
そんなわけで、俺が帰り支度をしていると、よろめきながらも、皆川は良い笑顔で親指を立ててきた。
「七島、今のお前なら、花ちゃんの隣に居てもおかしくないぜ!」
「ん? 今まではおかしかったのか?」
「そりゃあ、もう!」
力いっぱい断言するなよ、疲れているくせに。
「あ、後ね、明日は制服に名札でも付けていったら?」
「いや、意味分からん。髪切ったぐらいで、別人になるわけでもあるまいし」
「普通はねー、そうなんだけどねー」
むぅ、よくわからない。ま、とりあえず、明日からは今までの気ままなぼっち生活はできなくなるわけだ。こいつが友達なんて、正直……うん、まぁ、最初の頃よりは多少まともに思えてきたけど。少なくとも、こいつに勉強を教えるという苦痛の時間を過ごさないといけない。
俺も、今日は帰ったらさっさと寝るか。
ちなみに。
皆川家から帰るとき、なぜかガキどもが揃って、俺を見た後に小首を傾げていたのだが、あれはなんだったんだろう?
翌日、教室へ入った俺を迎えたのは、無数の視線だった。
な、なんだ? 俺が一体どうした? つか、なんだ、その珍獣でも見たような目は?
「なんなんだよ、まったく」
俺は誰にも聞こえない程度の声で愚痴を言うと、いつも通り、自分の席に着き、ラノベを読み始める……のだが、
「う、うぜぇ」
俺が席に座った瞬間から、なぜか周りがざわめき始める。「え? 嘘、また転校生?」「今度はハーフ?」「でも、あの席って、誰か居なかったけ?」「確か、七島弥一とか、そんな名前だったような?」「ひょっとして、あれって」「はは、嘘だろ、そんな。漫画じゃあるまいし」とか、俺は耳が良いので聞こえてしまうのだが、なんだ? そこまで俺が髪を切るのは珍しいのか? つか、俺の存在すら忘れていた奴も居たみたいだし。
そのまましばらく教室がざわめいていると、がらりと、教室の扉が開いた。
入ってきたのは、鈴木花。鈴木は、どれだけ教室がざわめいていようと、眉一つ変えず、周囲に動じることなく、逆に周囲を落ち着かせるように「おはよう」と挨拶していく。
「おはよう、七島君」
「ああ、おはよ」
いつも通りの挨拶に、いつも通りのそっけない返事。
けれど、今日はいつもと少し違い、続けて鈴木が俺に声をかけてくる。
「七島君、ひょっとしてイメチェンしました?」
「ん? ああ、色々あって、ちょっとな」
鈴木は黒曜石のような目でじっと俺を眺め、笑顔で言った。
「うん、かっこいいですよ、七島君。前よりずっと、凄くかっこよくなりましたね」
「そりゃどうも」
社交辞令程度とはいえ、鈴木と俺がまともに会話してしまった。本当だったら、傍観者的立場から観察していたかったのだが、仕方ない。へまをしたのは自分だ。今日からは、皆川の友達ポジションで、浅い交流を持って観察して行こう。
などと、俺が冷静に今後の方針について考えていると、
「う、嘘だっ! 俺は、お前が七島だって認めない!」
「つーか、なんだよ、それ! なんだよ、それぇえええ!」
「なんか、世界の不条理を感じたわ」
「え? マジで七島なの? あのオタクなの?」
かつて無いほど、俺が注目を浴びていた。男子も、女子も、何か信じられないような物を見たような顔をしている。
ええい、喧しい。
「ふふ、そう顔をしかめなくてもいいじゃないですか」
「ふん。あんたと違って騒がれるのには慣れてないんだよ」
「仕方ないですよ。七島くんは、まるで『魔法』でも使ったみたいに、いきなりかっこよくなったんですから」
戯言の中に混じって、さりげなく鈴木がカマをかけてきた。
やはり、鈴木に、俺が魔術を使える人間だとばれたらしい。声の口調は同じでも、込められた威圧感は桁違いだ。
俺は鈴木が怪物になった、あの放課後を思い出し――歯を食いしばって平静を装う。
例え、もう何もかも鈴木に看破されていて、鈴木の掌の上で踊っているのだとしても、それでも、せいぜい粋がって、言ってやろう。
「ははっ、だったら、魔法使いは皆川だな」
「皆川……楓ちゃん? 楓ちゃんに髪を切ってもらったんですか? なんというか、意外ですね。そんなに仲良かったんですか?」
ああ、そういえば皆川の名前って『楓』だったな。すっかり、忘れていた。なんか、このことを知ったら、皆川と義経に怒られそうな気がするが、それは置いといて。
「そうだな、俺と皆川は友達だから」
俺はこの上なく似合わない台詞を、吐き棄てるのだった。
こうして、変わるはずの無かった俺の日常が、鈴木花という美少女を――怪物をきっかけに少しずつ変わっていくことになる。