友達
放課後、高木は野球部の顧問をしているので、教室に俺と皆川、そしてプリントをいくらか残して部活へ行ってしまった。プリントが終わったら、グランドに居る高木に提出するように、とのこと。一見、薄情だと言われそうな高木の行動だが、意外と温情が込められていたりする。
まず、放課後に中年の、しかも強面の教師に叱られながらプリントをするよりは、同じクラスの、それなりにテストで高得点を取っている男子に教えられる方が皆川も理解が進むと考えたのだろう。皆川は特に英語が絶望的で、さらに、高木をかなり苦手としているので、下手をしたら下校時間までかかってしまうのだ。加えて、俺の性質を理解しているらしく、男女同士の間違いが起こることが無いと信じているようだ。うん、素晴らしい信頼だと思う、だが死ね。
ああ、あと、クラスで孤立している俺が、少しでもクラスで馴染めるように配慮したのかもしれない。意外に、うちのクラスの副担任はおせっかいだからな。
だが、甘い、甘すぎる。
俺はすべて解答を書き込んだプリントを持ち、静かに席を立つ。
「え? 七島、もう終わったの?」
「まぁな」
俺とは四つばかり離れた席でプリントとにらめっこしていた皆川は、目を丸くして口を開けた。
「だって、まだ三十分も経ってないよ?」
「英語は得意なんだよ、これでもな」
驚きを隠せない、といった表情の皆川に俺はそっけなく言葉を返した。
はは、伊達にガキの頃から世界各地を渡ってないんだよ。英語ぐらいマスターしてなきゃ、不便どころじゃないからな。死ぬ気で覚えたんだよ。注目されるのは嫌だから、テストでは適当に間違えて解答しているけどな。
「じゃあな」
俺はマナーとして、一言挨拶すると、そのままこの場から離れようとする。
ふふ、甘いんだよ、高木。この俺がわざわざ他人の課題を手伝うわけが無いだろう。そして、いつもクラスでぼっちな俺に、いくら社交的な皆川とはいえ、そうそう手伝ってなんて言えな――――
「あ、ちょっと待って欲しいんだけど?」
上着の裾に若干の抵抗力。
見ると、いつの間に近づいてきたのだろうか? 皆川が遠慮がちに俺の制服の裾を摘んでいた。
「…………何?」
「あのさ、七島って英語得意なんだよね?」
「別に、普通だ」
「両面印刷のプリントを三枚あっさり終わらせるのは、普通じゃないと思う」
「…………あっそ。で?」
「いや、あの、その、よければさ、課題、手伝ってくんない?」
どうやら、俺は皆川の社交力と面の皮の厚さを甘く見ていたようだ。が、しかし、だからといって、この俺が了承するわけが無い。
わざわざ友達でもない奴の課題を手伝う義務なんて……でも、あれだよな? 昔はガキで、力が無くて、助けられる奴なんていなくて、ひたすら逃げ回っていて。助けようとしても、結局無理で。でも、今、ここには俺が力を貸せば、確実に助けられる奴が一人、居るんだよなぁ。
いや、でも、うーん……あー、くそ、しゃーない。
「いいぜ、別に。どうせ、この後予定も無いことだしな」
すまん、義経。今日の魔術講座は休講になりました、自主勉強しててください。
「え? マジ? やっりぃ!」
「はぁ、わかんないところ教えるだけだからな」
「うんっ、よろしく頼むぜー」
女子の変わり身の早さはすげーよなぁ、と思いつつ、皆川の隣の席に座る俺。
まるで、これで地獄から開放されるとばかりに喜んでいる皆川へ、俺は冷水を浴びせる気持ちで、無愛想に訊ねる。
「で、わからないところは?」
「えーっと、まず、このbe動詞って何?」
皆川の、この一言が、想像を絶する地獄の始まりだった。
「ちげぇよ、そこはinを入れろ。つか、前置詞ぐらい覚えろ」
「うう」
「おい、まさか『公園』の単語も分からないのか?」
「わ、忘れただけだって!」
「…………なんだろうな? どうしてお前は高校に入学できたんだろうな?」
「るっさいな! 七島のオタク!」
「バカよりマシだ」
「うぐー」
バカに物を教えるというのは、ここまで苦痛だったのか。
何度も、皆川の頭をぶっ叩きたくなる衝動を抑えつつ、俺はひたすら文法、単語を教え続けた。それはまるで、賽の河原で石を積むような所行で、俺の精神を削っていく。
数時間後、皆川のバカさ加減に悪戦苦闘しながらも、なんとか俺は、下校時間ぎりぎりに課題のプリントを終了させることができた。
「なぁ、お前さ、ひょっとして英語以外もこんな感じなの?」
「失礼な! 他の教科なら、まだ追試でなんとかカバーできるし!」
「赤点取ることは確実なのかよ」
下校時間。
既に日も傾き、薄暗くなってきた空の下を、なぜか俺は皆川と一緒に帰り道を歩いていた。
まぁ、理由は色々ある。例えば、皆川と待ち合わせしていたはずの友達が、急な用事で先に帰ることに成ったり、下校時刻に高木へプリントを出そうとすると、高木からなぜか『俺は今、感動している』から始まる、俺が皆川のプリントを手伝ったことに対しての賛辞が十分ほどあり――つか、泣かれるほど俺はクラスで孤立してたのかよ?――そして、日も暮れてきて、女子生徒一人で帰るのは危ないことに加え、たまたま皆川の家と俺の家がご近所だったことが発覚。高木に言われ、俺はなんやかんやで皆川を送ることになったのでした。
「大体、七島はちょっと勉強ができるからってえらそーなんだよ」
「おいおい、それが恩人に対する態度かね? つか、俺は運動もそれなりにできるぞ?」
「うっそだー。明らかにあんた、インドアって感じじゃん!」
「否定はしないが、なぜか鍛えなくても体力と筋力が落ちない体質なんだよ、俺は」
「なにそれこわい」
帰り道は、皆川の愚痴、文句から口喧嘩が始まり、今日初めて会話したとは思えないほど、スムーズに言葉がすらすら出てきた。もっとも、そのほとんどは罵詈雑言だったけれど。
「っていうかねー。七島は何なの? いーっつも、つまんなそうな顔してさー? 傍観者がかっこいいと思ってんの? うっわー、きもーい」
「あ、すみません。人語話してくれませんかね? あいにくゴリラ語はまだマスターしてないので」
「それって私がゴリラってことか! うう、人のコンプレックスを突きやがって、この根暗悪魔!」
皆川は、女子にしては身長が高く、百七十センチはゆうに超えていた。ゴリラと呼ぶには体つきは細く引き締まっているのだが、本人は筋肉質な体を気にしているようだ。まぁ、突け込むけどね。
「胸の先まで筋肉できてそうだな、こいつ」
「あ、また小声でなんか言いやがった! しかもセクハラ! この変態! クラスでハブにすんぞ!」
「残念でした、俺は既にぼっちですー」
「……あんたそれ、自分で言ってて悲しくならない?」
やめろ、俺をそんな目で哀れむんじゃない。
にしても、皆川の奴はよく表情が変わる。本当に、ころころと怒ったり、泣きそうになったり、拗ねたり、笑ったり。
ほんと、お前はむかつくよ、意味も分からずむかつくよ。
そんな俺の苛立ちをまるっきり無視し、皆川が俺の声をかける。
「ねぇ、七島」
「んだよ」
「あんたって、友達居ないの?」
「居るっつーの……一人な」
「え? 一人だけ?」
「うるせぇ。友達ってーのはな、本当に信頼できる奴が一人だけ居れば良いんだよ」
「ぼっちに友達のことを語られてもねー」
ぷすすー、と口元を押さえて笑う皆川。
おい、ぶっ飛ばすぞ、このアマ。
「だ、だからさ……」
なぜか皆川は視線を胡乱にさ迷わせた後、ぼそりと呟く。
「私が、新しい友達になってあげようか? 今日、勉強教えてくれたお礼に」
そう呟く皆川の様子は、頬をほんのりと赤く染め、恥ずかしかったのか、こちらを見ずにそっぽを向いていた。
ふむ、と俺は口元に手を当てて、しばらく思考。
「つまり、今後も俺に勉強を見て欲しいってことか?」
「うぐっ」
どうやら図星だったらしい。
皆川はオイルの切れたロボットのような動きで俺を見る。
「お、お願いっ! 実はクラスの友達からは『お前に勉強を教えるぐらいなら、犬に教えてた方がまだマシ』って、見限られちゃって」
両手を合わせて、皆川は俺に頼み込む。
しかし、その友達の言うことも分からないでもない。このバカは、本当に物覚えが悪く、正直、もうこいつに勉強を教えるなんてことは、御免なんだが。
「このままじゃ、留年しちゃうかもって、中村が言うんだよぅ!」
「…………」
「ね、お願い! わ、私と友達になったら、花ちゃんとも話せる機会が来るかもよ! 花ちゃん、私と同じバレー部に入るっぽいし」
鈴木花、か。
今日俺は、間抜けなことに鈴木に警戒されるような行動を取ってしまった。義経曰く『魔術は一般常識じゃない』とのことなので、少なくとも、俺が一般人とは違うというぐらいの意識は持たれたはずだ。魔術は発動前だったので、俺が鈴木の正体に気づいていることは、まだばれていないと思うが。
正直、このバカと友達になるなんて、胃が何個あっても足りないぐらいイラつくが、今後、鈴木の情報を得るためには、やむを得ないな。
俺は仕方なし、という風に肩を竦めて答える。
「しゃーない。お前、このままじゃリアルに留年しそうだしな。助けてやるよ。でもな、クラスでぼっちの俺と友達になったら、それはそれでお前が――――」
「いやったぁ!」
皆川は俺の言葉を遮るように叫んだ。
おい、やめろ。手を掴んで、振り回すな、悪い意味で周りから注目されているだろ。
「ありがとう七島! 七島って、意外と良い奴だったんだね!」
「お前はどうして、ついさっきまで口喧嘩していた奴をそんな風に言えるんだ?」
「え? 喧嘩するほど仲が良いっていうじゃん!」
「それは当人同士以外で使われるもんだぞ」
本当に、こいつとは馬が合わなそうだ。ころころ表情変えやがって、何がそんなに楽しいんだか。
「んじゃ、私と友達になったんだから、その暗そうな外見を変えてもらうよ」
「は?」
このバカ、一体何を言ってやがるんだ?
「は? じゃなくて、このままぼっちのあんたと友達になったら、私まで変な目で見られるじゃん。だから、高校デビューしたいあんたを、慈悲深い私がプロデュースするって言う筋書きにすんの! そうしたら不自然じゃないでしょ?」
こ、このバカアマがぁああああああっ! どの口がそれを、言いやがるんだ!? つか、よくそんな態度をすぐに変えられるな! 蝙蝠もびっくりだぞ、おい! …………が、しかし、皆川の言葉にも一理ある。ただでさえ、鈴木に疑われそうな俺が、これ以上、不自然な注目を集めるのは避けたい。
「わ、わかった。じゃあ、それで」
「うん! そんじゃ、行こうか!」
「へ? 行くって、何処へ?」
ふふん、となぜか皆川は得意げに鼻を鳴らして言う。
「私の家。あ、でも安心して? 私の家は大家族で、間違ってもあんたと変な雰囲気にならないから! むしろ、ガキ共の相手お願いね!」
「待て。なんでお前の家に行くか、その理由を説明しろ」
「んなもん、あんたをイメチェンさせるために決まってんじゃん!」
こうして、俺は半ば引きずられるような形で、皆川の家に連れて行かれることになった。