怪物
鈴木が転校してきてから一週間が経った。
人間というのは図太いもので、もう、鈴木花は我がクラスに溶け込み、むしろ、クラスの中心に近い存在になっている。
鈴木は、その容貌もさることながら、頭脳明晰であり、運動神経も軽く一般的な高校生レベルを超えていた。ぶっちゃけ、鈴木は谷沢が霞むほどの完璧超人だったのである。
うん、そりゃ人気者にもなるはずだ。
そして、谷沢が夢中になるはずだよ、まったく。
「ねぇ、花さん。放課後、空いているかな? よければ、ちょっと買い物に付き合ってくれたら、嬉しいな」
午後の授業も残り一時間という頃、谷沢が今日も今日とて鈴木にアプローチをかけていた。
「うーん、ごめんね、谷沢君。今日は皆川さんに誘われて、バレーボール部の体験入学に行かなきゃいけないんだ」
んでもって、鈴木はそれをさらりとかわす。理由も自然で、嫌味の欠片も無い笑顔で。
「あ、そっか……」
「もし谷沢君がよければ、今度、また誘ってね」
「う、うん! もちろん!」
傍から見ていれば分かるのだが、どうやら二人の関係で、主導権を握っているのは鈴木のようだった。
谷沢も天然ではあるけれど、ある意味最強の天然ジゴロだったはず。それをここまで手玉に取るとは、ふむ、なかなか鈴木は侮れない奴なのかもしれない。
まぁ、俺には関係ないんだけれど。
ちなみに、二人の会話が聞こえてきたのは席が近いからであって、俺が聞き耳立てていたわけじゃない。というか、聞き耳立てるぐらいだったら、俺はラノベに集中したいし。
そして、放課後。
今日は義経の奴は、不良同士の集会のようなものに顔を出すため、昼休み辺りから不在。俺は家に帰ろうにも、珍しく両親が家に帰ってきているため、できる限り学校に残るという選択肢を選んだ。
場所は校舎の果て。人の目に留まらない死角。この校舎は増改築を繰り返していく過程で、幾つも使われない教室が生まれていった。現在は、予備の部室として残されているが、わざわざ教室の隅にあるこの教室に来る奴はそうそう居ない。
「ふぁ……」
俺は気だるく欠伸をし、のんびりとラノベを読みふける。
ラノベは良い。
特にハッピーエンドのラノベが良い。
現実みたいに、バッドエンドで終わらない辺りが、最高だと思う。いや、実際は現実に『終わり』なんて無いわけだけど。
俺は空き教室でラノベを読みふける。
時間を潰す。
俗に言う、青春という奴を踏み潰すように使う。その事に後悔も躊躇いもない。人間嫌いの俺は、自分自身を痛々しい奴だと自覚しつつ、それでもひねくれたまま生きている。
多分、これからもずっと。
「ん?」
それに気づいたのはただの偶然。偶然、顔を上げた先に、教室の窓があって、そこから外が見えただけ。
やけにこそこそと人目を気にしながら、校舎裏に歩いてきた鈴木が見えただけだ。
「って、鈴木? 何してんだ、こんなところで」
確か鈴木はバレーボール部の体験入学へ行っていたはず。現に、鈴木は制服ではなくて学校指定のジャージ姿。
それじゃ、なぜ、こんなところに?
………………いくつか邪まな考えが浮かんだが、多分、それは無いと思う。なんというか、鈴木は貞操観念というか、そもそも、俺たちと同じステージに立っていないような存在だ。まして、転校から一週間しか経っていない。一番関係が進展しているであろう、谷沢でさえあの様なのだから、他の男子が手を出せるわけ無いだろう。
まぁ、もし、邪まな考えの方が当たってたら、速やかにこの場を立ち去るとしようか。
念のため、幼い頃に培われた気配遮断を使って、息を潜め、俺はこっそりと様子を伺う。
「……大丈夫…………ここ……誰の視線も……」
窓ガラス越しだったのであまり聞き取れなかったが、どうやら本当に人目を気にしてここにやってきたようだ。しかも、いつも教室で感じている絶対的な余裕みたいなものが、今の鈴木からは感じられない。
俺は、鈴木がこんなに焦っている姿を、初めて見た。
「あ……ダメ…………もう、我慢が……」
ガラス越しに聞こえる鈴木の声が、なにやら怪しい。
もしや、邪まな考えが当たってしまったのか? そんな、バカな。いや、でも、そうだったら、俺は今すぐにでもこの場から立ち去った方が良いのか?
俺は、鈴木のただならぬ様子から、この後どうすればいいのか、ぐるぐると思考を巡らせていた。
思えば、俺は学んでいたはずだった。好奇心は猫をも殺す。戦場では、好奇心こそが命取り。怪しいと感じていたなら、その場からすぐに立ち去ればよかったのだ。もしくは、俺が本当に、好奇心の欠片も残らないほど枯れ果てていればよかった。
もし、そうだったなら、俺は『怪物』を知らずに済んだのに。
「うにゃっ!!」
やけに可愛らしい鈴木の声。
その可愛らしさに反比例する、めきょ、という気持ち悪い音。
俺は、確かに見た。
見てしまった。
「ふぃー、いやー、やっぱり、ずっと擬態するのは辛いねー、にゃはははは!」
鈴木の背中から、尾錠所の背中から、触手のような物が六本、生えてきたのを。
……………………………………………………は?
「あー、もう、擬態したまま運動したかお腹減っちゃったしー。ちょっと鳥類でも摘もうかなー?」
その触手は、イソギンチャクのような肉質のようなものではなく、まるで、蟷螂の鎌のような、甲殻質のものだった。触手の先には、鋭い爪があり、謎の緑の液体を滴らせている。
それが、ぱんっ、という空気を弾く音と共に一瞬消え、次の瞬間、爪の先に鴉が数頭突き刺さっていた。
「いえす! 家庭の味方―、食費が浮きます、鴉生活ぅ―♪」
よくわからない歌をご機嫌に歌い、触手に刺さった鴉を、上手にさばいて内臓と羽を取り除いていく。そう、ナイフのように鋭く変化した、指を使って。
「あーん」
さばき終わった肉は当然、鈴木の口へと運ばれる。明らかに一口以上の大きさの肉は、鈴木の口が頬まで裂けることによって解決。ろくに血抜きもされていない肉を、鈴木はむしゃむしゃと喰らっていた。獣のように。怪物のように。
完璧なものが欠けるほど、醜悪なことは無い。
ついさっきまで、完全な美少女であった鈴木が怪物へ変じることは、思いのほか俺の精神に負担をかけていたらしく、体が反射的に嘔吐を要求する。
しかし、俺は奥歯を強く噛んで、それを制した。
俺の勘が告げている。
ここは既に、死線なのだと。
僅かでも気配を滲み出せば、その瞬間、理不尽な死が降りかかってくるかもしれない状況なのだと。
「んー、ふふふーん♪」
俺はただひたすら、鈴木の食事が終わるのを、息を潜めて待つ。
鈴木のポップな鼻歌が、まるでホラー映画のBGMのように感じた。久しぶりに、背筋が凍る恐怖が俺を襲ってくる。
「ふぅー、けぷ」
満足げに息を吐く鈴木。
どうやら、食事が終わったらしい。
食事を終えた鈴木は、触手を仕舞い、体の変貌を元へ戻していく。僅か数秒、たったそれだけで、怪物だった鈴木は元の美少女へと姿を戻した。
しかし、鈴木の口元は鴉の血と、羽にまみれ、学校指定の緑ジャージが赤黒く染まっている。例え怪物でなくなっても、俺はこの状況で充分、恐怖できる自信があるのだが。
「さてさて、それでは休憩も終わったし、体育館に戻ろ…………」
鈴木は改めて自分の姿を眺め、一言。
「どうしよう?」
何も考えてないんかい!
ぎりぎり、とっさに塞いだ右手のおかげで、俺はそのツッコミを口に出さずに済んだ。
「ええと、とりあえず野鳥を命からがら撃退した、ということでー」
なかなか無理がある設定だなぁ、おい!
「んと、私がちょっとお手洗いに行っている間に、野鳥が急降下して襲ってきて……」
ぶつぶつと、かなり無理があるシュチエーションを考えながら、鈴木はこの場を立ち去った。
「…………はぁ! はぁ、はぁ、なんとか、凌いだか――う、ぐ」
鈴木の気配が去ってから、俺は男子トイレへ駆け込んだ。
そして、そのまま個室に入り、便器に向かって嘔吐する。何度も、何度も、胃の中身が全部無くなるぐらいに、吐き出す。
「っは、はぁ、くそ、ふざけんなよ」
思えば、俺がこうやって嘔吐するのは、戦場を連れまわされていたとき以来だ。つか、あの地獄巡りから生還した俺を、こんな様にするほど、あの怪物のプレッシャーは凄まじかった。俺のように、ある程度場数を踏んでいなければ、発狂しかねないだろう。
「つか、マジで怪物じゃねーか。マジで、存在のレベルが違うじゃねーかよ!」
鈴木花。
俺はあいつを超人と例えていたが、ある意味、その例えは的を得ていた。文字通り、あいつは人間ではなく、それをはるかに超えた『怪物』だったのだから。
「……くそ、対策を、考えなきゃいけないな」
力なく男子トイレから出た俺は、渋々、自宅に帰り、今後の身の振り方を考えることにした。