邪神よ眠れ
時間は日没。
場所は寂れた教会。
かつて、羽喰飛鳥が殺され、邪神と成った場所だ。
「ぎゃははははは、やっぱり来てくれましたねぇ、弥一君」
既に陽も差さない、薄暗い空間。
木製のテーブルたちは、腐れ、ボロボロと木片を落としていた。本来、あがめるべき女神の像には首が無く、教会という言葉が持つ神聖さが欠片も残っていない。
しかし、だからこそ、神を喰らった鮮血の少女には、この場は馴染みすぎていた。
不吉に、馴染み過ぎていた。
「ああ、どんなにこの時を待っていたか! どれだけこの瞬間を待っていたか! やっと、やっとですよぉ、弥一くぅん!」
ぎゃは、と口角を吊り上げ、悪魔のように笑う。
「やっと世界が終わりやがります!!」
飛鳥は笑っていた。
心底、愉悦に満ちて笑っていた。
そりゃ、楽しいだろう。嬉しいだろう。
だって、こいつはあの時からずっと、この時のために生きてきたようなものだから。
ずっとずっと、この世界を呪い続けてきたのだから。
「ねぇ、弥一君は『もしも世界が終わるとしたら何がしたい?』っていう、問いかけを知ってますかぁ?」
「まぁな。つか、知らない方が珍しいだろ」
「ですよねぇ」
もしも世界が終わるとしたら何がしたい?
子供が暇つぶしに尋ねる、心理テストにもならない、愚かな問い。
どんな答えを返そうが、暇つぶし程度にしかならない、意味を持たない問い。
「私はですねぇ、その問いかけがだいっきらいだったんですよぉ。だって、その質問をしているゴミ野郎は、世界が終わらないと確信しきって質問してきてやがるんですよ? 明日、自分が絶対に死なないとうぬぼれているゴミが、よりにもよってそんな事を訊くんですよ? ちゃんちゃら、笑っちゃいますねぇ!」
「そうだな、まったく同感だよ」
「ふふん。まぁ、あえてそのクソみてーな質問に私が答えるとしたら、やっぱりこの一つだけ」
飛鳥は腰のホルターから、ナイフを引き抜き、逆手に構える。
真っ赤な舌が、朱色の唇を艶やかになぞり、業火が込められた瞳で俺を見る。
「好きな人と一緒に居たい。例え、殺してでも!」
飛鳥の動きは早かった。速いのではなく、早かった。一切、タメを作ることなく、一瞬で最高速へ到達する歩法。ほとんど、初見の相手なら、まるで瞬間移動でもしたかのように思わせることが出来るだろう。
加えて、邪神の魔力がたっぷりと込められた特製のナイフ。それは、上位の魔術師が纏う魔術障壁でさえ、紙切れのように切り裂いてしまうだろう。
音速で振るわれるナイフが、俺の首を刈り取らんと襲い掛かり――――きぃん!
「そうか、でも、悪いな、飛鳥。俺の答えは『デートの予約があるから、世界を救う』だよ」
「……てんめぇええええっ!」
俺の首を刈り取ろうとしたナイフは、一本の小太刀によって止められた。
紅蓮のマフラーをなびかせ、世界を切り裂いて、西島葵が、飛鳥の凶刃を止めたのである。
「ちなみにさ、俺はこんなところで足止めされてるわけには行かなくてさ。お前の相手は、この正義の味方がやってくれるから、せいぜい遊んで貰ってくれ」
ぎょろり、と赤い目が俺を睨む。
「どんなおふざけなんですかねぇ、弥一君? ここは普通、私と君が因縁のケリをつけるところじゃねーんですかねぇ!?」
「はっはっは、悪い。俺、超忙しいから」
西島さんとつばぜり合いを続ける飛鳥へ、懐に忍ばせておいたハンドガンの銃口を向ける。
「……もしかして、まだ、守れるとか、そんな幻想を抱いているんですかー? 君が、誰かを、世界を、守れるのだと!? 破壊を巻き散らかす君が!?」
今更、銃口を向けられた程度じゃ、視線も逸らせないか。
俺は無言のまま、ハンドガンに魔力を込め、弾丸に刻まれた呪文と反応させる。そして、躊躇うことなくトリガーを引いた。
撃ち出されるは、ありとあらゆる魔を祓う銀の魔弾。闇属性の飛鳥なら、さぞかし堪えるだろう。
もちろん、当たれば、の話だが。
「ぎゃは、怒りましたか!? 図星でしたか!? 胸糞悪くなりやがりましたかぁっ!?」
魔弾は飛鳥にかすりもしない。銃弾が放たれるより前に、飛鳥は地面を滑るように後方へ移動していたのである。
飛鳥ほどのレベルに達した相手には、もはや、銃器程度では遅い。音速程度では、話にならない。それくらい、今の俺にはちゃんと理解できている。飛鳥と本気で戦うなら、それ相応の武装を持って応じなければいけない。
しかし、威嚇程度なら、けん制程度なら、これでも充分だ。
「でぇも、ざーんねーんでしたっ! もう、黙示録の獣は完全に覚醒しちまいましたよーっと!」
狂気の笑みと同時に、世界が震えた。
『――――――――――――――――――――』
なんて、澄んだ声。
否応が無しに、抵抗する気すら起きずに心を振るわせる、文字通りのエンジェルボイス。
終末を知らせる、澄み渡る青空を連想させる鈴の音。
やばいな、これ。今の俺でも、ある程度心構えしておかなきゃ、涙を流して感動していたところだ。世界の終末を、素晴らしいものと受け入れるところだった。
飛鳥は両手を掲げ、ボロボロの屋根の隙間から、空を仰ぐ。
「すぅばらしい!! あれこそが、このくそったれな灰色の世界を駆逐する、天使! 我らが天使! どうです!? これでわかったでしょう!? もう、どれだけ弥一君があがこうが、誰がもがこうが、世界は終わりなんだって!!」
満面の笑み。
無邪気に笑う狂人の笑顔。
本当に、本当に、どうしようもなく世界が許せなくなってしまった、終末思想の少女の叫びと、祈り。
本来ながら、これにケリをつけるのは、俺でなければいけない。
狂ってしまった幼馴染から、今までずっと逃げ続けてきた俺の義務だ。
けど、俺はその義務を放棄する。
逃げるのではなく、真正面から否定して、義務を破り捨てる。
本当に大切な者を守るために。
「……後は頼んだぜ、西島さん」
「了承しました、七島弥一」
俺は足元に転移用のゲートを発動させる。次元関係の魔術はそれほど得意ではないが、鈴木が喚きまわっている場所ぐらいまでなら、余裕で転移可能だ。
ずぷりと、俺の足場が混沌の闇へ変わり、足元から俺を飲み込もうとしている。
「――――何してやがるんですか?」
そんな俺の姿を、飛鳥は信じられないといった目で見ていた。
さっきまでの興奮ぶりが嘘のように、その目は冷め切っていた。
「え? まさか、本当に? 世界を助けに? あの灰色を知ったのに? この世界が本当にどうしようもないって知っているに?」
冷め切った目に浮かぶのは、純粋な疑問。
怒りや悲しみを通り越して、もはや、飛鳥には疑問しかない。
「ねぇ、答えてくださいよぅ。本当に、本当に、世界を救うつもりなんですかぁ?」
「うん、そうだよ」
「破壊しか出来ないってわかっているのに?」
「うん、分かっていても、やるんだ。大切な人がいるから」
「大切な人を守りたいから、世界を救うんですかぁ?」
「そうだな、大切な人のために、世界を救いたい」
「あの天使を殺して?」
「あの天使も殺さないで」
「今までたくさん殺したくせに?」
「おう、今までたくさん殺したくせに、だ」
「――――私のことは、守ってくれなかったくせに?」
目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、幼い頃の思い出。
幼馴染のお姉さんと遊んだ、楽しい思い出。
一番大切だった、あーちゃんとの日々。
かけがえのない、七島弥一の大切な物。
「ああ、そうだよ」
目を開ける。
俺の目の前には、まるで裏切られように俺を見る飛鳥が。
「俺はお前を守れなかったけど、今度は守り抜くよ。ずっと、一緒に居たい大切な人を、大切な日常を見つけたから」
ゲートが、足元から俺の体を包み込んだ。
混沌の闇が俺の視界を全て覆いつくす直前、俺を掴もうとする飛鳥の姿が見えた。
業火の瞳からは、ありえないはずの雫が零れ出していた。
その姿を心に焼き付けて、罪を背負って、俺は行く。
薄暗い、闇の中に『それ』は浮かんでいた。
田舎町の上空五十メートルぐらいの空間で、ありとあらゆる世界の法則から浮かび上がっていた。
果たして、『それ』をなんと形容すれば良いのだろうか?
天使と言うには、余りにも人の姿を保っていない。
獣と言うには、あまりにも醜悪すぎる。
『それ』には何もかもがあった。
天使の翼も、獣の牙も、黒曜石のような瞳も、強靭な脚も、甲殻染みた触手も。
全部あった。
鈴木の姿は、まるで、獣と人と化物をごちゃごちゃに混ぜたような、肉塊に近い。近いだけで、決して肉塊と呼べる代物ですらない。肉の塊、部位の寄せ集めにしては、余りにも醜悪で、美しすぎる。
ありとあらゆる生物を冒涜するような醜悪な姿が、なぜか、俺には吐き気を催すほど美しい思えた。
『七島君、逃げて』
直接頭に響く声が、目の前の鈴木から発せられる。
『今の私は、自分の意志で自分を止めることができません。あの邪神の所為でプログラムが暴走しているの。このままじゃ、私は、この世界を終わらせてしまう……だから、逃げて』
「えーっと、逃げるってどこへ? 世界が終わるなら、どこにだって逃げられないんじゃないか? 別の位相にある世界に行こうにも、俺はそんな魔術知らないし」
俺の質問に、鈴木が微笑んだような気がした。もうすでに、鈴木の顔は原型が保っておらず、人間というよりは獣のような顔つきをしているので、表情を正しく認識できない。
『それならご心配なく。私はこれから、ちょっと自壊プログラムを発動させますから』
だが、なぜかその時、俺は鈴木があの完璧な笑顔を浮かべているつもりで、その言葉を口にしたのだと分かった。そう、確信した。
「…………ちょっと待て」
『うふふ、大丈夫ですよ。出来る限り空の方へ、いえ、いっそのこと宙の方へ飛んでから自壊しますから。世界に与える影響は限りなく零です』
「いや、そういうことじゃなくてだな。なぁ、鈴木。それだとお前、死ぬんじゃねーか?」
『死にはしません。ちょっと数百年ぐらい、顕現できなくなるだけです』
なんでもないように、鈴木は俺に告げた。皮肉なことに、それは俺が考えていた予想と、ほぼドンピシャだった。
俺はため息を吐きながら、鈴木へ訊ねる。
「なぁ、スクールライフを楽しみたかったんじゃねーのか?」
『あはははっ、無理ですよ、こんな状況で』
「谷沢の奴とラブコメするんじゃねーのかよ?」
『だから無理ですって。私の正体、知られちゃいましたし。もう、とっくに私のことなんて嫌いに……というか、正気に戻ってますかね? 彼』
「大丈夫、大丈夫。意外にタフだから、あいつ。ただ、許容量が少ないだけで」
『そうですか……よかった』
心底ほっとしたような鈴木の声。
しかし、その声が発せられた瞬間、鈴木の周りの空間が、音を立てて軋み始めた。
『すみません、うっかり気を抜いた所為で、そろそろ我慢するのも限界です』
「また、うっかりか! つーか、そもそもこの現状は、お前がうっかり上に力を置き忘れてきた所為だからな! 反省しろよ!?」
『うあー、ごめんなさいー』
間延びした声と相反するように、軋む音が大きくなっていく。
どうやら、本当にそろそろ限界らしい。
俺は手元に、西島から預かった転移用のナイフを召喚する。
「そうか、なら、今度からは気をつけろよ?」
そのナイフで空間に切れ目を入れ、鈴木ごと空間転移。
『なっ!?』
転移先は、【委員会】によって作られた特製の結界の中。毎度おなじみ、灰色のコンクリートジャングル。
ただし、この前とは少しだけ中身が違う。
『何をしているんです!? どうして、私ごと転移を!?』
「ん? いやさ、ここなら、お前が暴れても問題ないからな」
この結界の中には、マナが存在しない。結界によって、完全に世界から隔離して、マナの真空状態にしているのだ。この空間ならば、どんな魔術に長けた者だとしても、己のオドから魔術を使用することしか出来ず、強力な魔術なんて使えしない。
『馬鹿な! こんなことをしても、何の意味も――くっ、避けてください!』
自らの体内に、膨大な魔力を貯蔵する、天使以外は。
幾重にも展開される。巨大な魔法陣。
放たれるは、神の怒りを具現化する、雷。
ちっぽけな人間なんて、一瞬で消し去ってしまうそれを、
「混沌魔術――暗い海」
俺は全部受けきった。
『んなっ!?』
鈴木が驚いたように声を上げる。
無理もない。これは俺が死に物狂いで作り上げた、世界でたった一つの魔術なのだから。
この世界に存在するモノ、全てを飲み込む混沌なのだから。
俺の体には、混沌を表す黒い泥が纏わり付いており、それがあの雷を受けきり、吸収したのである。
『ぐぅ!』
鈴木の肉体から、黙示録の獣として、無意識に放たれる触手。一つ一つが必殺であり、かすりでもすれば、体が半分ほど吹き飛ぶ。
「混沌魔術――明るい空」
受け入れたものを反転、外へ吐き出す。
黒い泥は溜め込んでいた雷を解放することにより、鈴木から放たれた触手を全て消し飛ばした。
多少、痛いかも知れないが、そこは我慢して欲しい。
『……七島君。確かに君の魔術は素晴らしいです。天使とだって戦えるかもしれない。けど、それは――――』
俺だって、かなり痛いの、我慢しているんだからさ。
混沌魔術。
それは対象を混沌の中に受け入れ、自らの糧とし、時にはその糧を反転させ、相手に返す攻防一体の魔術だ。
しかし、これには一つだけ欠点がある。
それは、
『ただのやせ我慢じゃないですか』
自分が許容できる以上の魔術は、受け切れないということ。
つまり、まぁ、ちょっと自分の体を見たくない程度には、ボロボロになっているわけで。
「いやいや、大丈夫。これでも結構タフだから。どんと来て良いよ。鈴木の攻撃全部を、素直に受け止めるつもりもないから」
『無理ですよ、その行為は意味ありません』
「意味があるかどうかは、俺が決めるさ」
幾度とも放たれる雷。
空間を破裂させて繰り出される、触手。
稀に変形し、巨大な顎と成って喰らいにくる不定形の肉体、しかも高速で飛ぶ。
マナの真空状態で、ここまでの性能を発揮するのか。なるほど、さすがは黙示録の獣といったところだ。
『…………もう、もう止めてくださいよ、七島君』
ほとんど、懇願するように鈴木が呟く。
あっはっは、そういわれて、やめるようなら、最初からやってないってーの。
『止めてください、本当に。周囲に人間がいなければ、何とか体を抑えられますから。早く、逃げて』
「えほっ、えほっ! あー、でも、そうするとお前、宇宙とかに行って、星になるだろ?」
『そうするしか、方法がありません』
「はん、ばぁか。そうさせないために、俺が今、気張ってるんだよ」
『…………でも、貴方はもう、ほとんど死んでいるようなものじゃないですか! 体はほとんど炭化して、四肢がやっと付いてるようなもので。生きていること自体、奇跡みたいなものなんですよ!?』
「え? マジ? 目が霞んで、ほとんど何も見えないんだけど」
どうりで、体が思うように動かないはずだ。
『目が見えないのに。どうやって戦い続けてたんですか?』
「そこはほら、戦士の勘だよ」
『どんだけ凄いですか、戦士の勘』
軽口を叩きながらも、何とか雷で触手を消し飛ばしていく。
『もう止めてください、死にますよ』
「死なねぇよ。俺には待っている人がいるからな」
『急に死亡フラグを立て始めた!?』
「いやぁ、思い切って楓に告白したらオッケーもらっちゃってさー。次の週末、デートの約束してんだよねー」
『違った! ただの惚気でした! そして、おめでとうございます。リア充爆発しろ!』
「現在進行形で爆発してるっつーの」
一体、どれだけの時間が経ったのだろうか?
まだ十分も経っていないようにも感じるし、とっくに一時間は過ぎているような気もする。
ただ、時間の感覚を失っても、これだけは分かる。
もうすぐだ。
『……本当に、貴方は、一体何を考えているのですか?』
「はんっ、俺は年頃の男子高校生だぜ。エロいことしか考えてないに決まっているだろ?」
『もう、なんだかどうでもいいです』
鈴木の声が悲しみを通り越して、呆れ果ててくる頃、それがやっと起こった。
『うあっ!?』
高速で空中を移動していた鈴木が、急に高度を落とし、ビルに衝突した。
二度、三度、ビルにぶつかりながら、やがて地に堕ちる。
『――――魔力低下。プログラム実行不可。自己保存のため、コストを最小にします』
機械的な鈴木の声を聞き、俺は無理やり目を強化。一時的に視覚を復活させた。
アスファルトに転がった鈴木の肉体は、機械的な音声とともに、その姿を変えていく。怪物の姿から、人間の、美少女姿の鈴木へ変化していく。
『これは……』
やがて、鈴木は完全に人間に成った。
ボロボロの制服を纏った、美少女に、戻った。
「なるほど、マナが真空状態のここなら、いずれ魔力に限界が来る。そうなれば、私はあの形状を保っていられない。少なくとも、終末プログラムを実行できない、というわけですか。まったく、無茶をしますね」
「うる、せぇよ」
鈴木はほとんど魔力が尽きたらしく、アスファルトに仰向けで大の字を作っている。ちなみに、俺はその近くで、うつ伏せになって倒れているぜ。多分、死んでいない。
「……ねぇ、七島君。私、これからどうしたらいいんでしょうね?」
「とりあえず、皆に謝れ。まずは俺に謝れ」
「ごめんなさい」
「よし、許した。許したから、次は、ちゃんと学校に戻って来い。じゃねーと、上まで探しに行くからな。谷沢を連れて行くからな」
「はは、七島君はともかく、谷沢君は肉体のままじゃ来れないですって」
「んじゃ、魂抜いて連れてく」
「やめてっ! 谷沢君をそっち方面に引きずり込まないで!」
だらだらと、俺たちは取り留めのない話を続けた。
他愛の無い世間話を続けた。
忘れてなんか無い。
むしろ、やはり来たという感じだった。
夕闇よりも明るい夜。月下にて、鮮血の少女が目の前に現れた。
「……みぃーつけたぁ」
死にかけの俺と、満身創痍の鈴木の前に現れたのは、ボロボロの軍服を纏う飛鳥。軍服に幾つも大きな穴が空いており、そこから赤黒い汚れが広がっていた。
おーい、正義の味方さーん。仕事してくださーい。
「つか、お前もすげぇよな、飛鳥。鈴木を捕まえてから、インターバルをはさんで西島さんとの激闘だろ? あの人、周りに守る対象がいなければ、第二級災害指定ぐらいの実力はありそうなのに。まったく、よく俺のところまで来れたな」
「…………ぎゃは、ぎゃはははっ、殺すぅ」
いくら不死とはいえ、失った体力は戻らないし。オドが回復するのにも時間がかかる。もはや、妄執だけで意識を保っているのだろう。それでも、俺より状態が良いことには変わりないんだが。
「ぐ……七島君!」
はっはっは、悲鳴を上げられても、俺は動けないぞ、鈴木。
「ぎゃははははははっ!」
不快な笑い声と、振り上げられたナイフ。
「殺す! 弥一君を殺して、私の物にする! 肉の一片も残さないで食べるから!」
「……やめとけ、焦げすぎていてまずいぞ」
「我慢する!」
「そうか……」
月に照らされ、見上げる飛鳥の顔には満面の狂気。瞳からは雫が零れ落ちていた。月の光が反射した光は、吸い込まれそうなほど、綺麗だった。
「それで、弥一君の大切な人も殺してやる! 殺してやるから!」
とす、というあっけない音。
突き立てられた銀のナイフ。
「七島君!?」
鈴木の悲鳴。
暗くなる視界。
遠ざかる意識。
なるほど、これが死か――――――――――――ったく、何度経験しても胸糞悪い。
「混沌魔術――明るい空」
「つあっ!?」
俺は僅かに残っていた雷を解放。飛鳥を、十メートルほど吹き飛ばした。
「あー、もう、いてぇな」
胸に刺さったナイフを抜き、徐々に蘇生していく体を起こしていく。途中、西島さんから渡されたナイフが灰と化していたのに気づく。ふぅ、やっぱり備えあれば憂いなしだな。
低下していた視力も、炭化した体も、全て蘇生完了だ。
「蘇生、魔術?」
「そうだよ、鈴木。天使の相手をするのに、保険の一つや二つかけないで出来ると思うか?」
「え…………それじゃ、さっきまでのやりとりは!? 実は余裕だったの!?」
「黙れ。残機が一つしかない状態で、初見殺しを何度も喰らいながら生き延びたんだ。余裕なわけねぇだろ」
むしろ、蘇生前提で戦ってたんだからな?
死ななかったのは、マジで運が良かったからに過ぎないからな?
というか。残機があっても普通死ぬからな!?
「それと、まだ終わってねぇんだよ」
「……あ」
俺と鈴木の視線の先には、幽鬼のように立ち上がる飛鳥が。
「ぎゃははははっ! 殺して、殺してや――――あ?」
笑う飛鳥の心臓を貫く、一本のショートソード。
飛鳥の背中から、空間を切り裂いて現れたのは、我らが正義の味方、西島葵。
「すみません、七島弥一。少し、遅れました」
「いいや、ちょうど良かったさ」
飛鳥の心臓を貫いたショートソードは、その切っ先で闇の塊のようなものを抉り出していた。
これが、飛鳥の心臓でもあり、邪神の力、そのもの。
「……はぁーあ、随分時間かけちまったよなぁ」
俺はふらふらと飛鳥へ歩み寄り、闇の塊を握りつぶした。
「――――あ」
「混沌魔術――暗い海」
混沌が、闇を侵食し、喰らい尽くす。もう二度と、哀れな少女が生き返らないように。
「う、あ、うあ、弥一、君」
呻きながら、必死に俺へ視線を向けた。
今にも泣きそうな俺の幼馴染へ、俺はそっと微笑んで、頭を撫でてやる。
「おつかれ、あーちゃん。今までご苦労様」
「……ぎゃは、は」
最後に、笑って羽喰飛鳥は死んだ。俺は、その笑顔を生涯忘れることは無いだろう。
忘れないまま、幸せになってやる。
「ふぅ、疲れたな。本当に、疲れた」
そろそろ、弱音を吐いてもいい頃合のはずだ。
このまま倒れたって、誰も文句を言いやしない。
けど、その前に、
「これで、やっと終わったぜ、鈴木」
そこで呆けている怪物仲間へ、弱々しく親指を立ててみた。




