ニーズヘッグ
「あー、思い出したわ」
瞼を上げると、眩しい日差しが飛び込んできた。
どうやら、あれから随分寝てしまっていたらしい。固いアスファルトを背に寝ていたせいか、はたまた飛鳥から受けた打撃が原因なのか、体の節々が痛い。
「やっと、起きましたか。七島弥一」
俺が体をほぐしていると、舌足らずな少女の声が耳に入る。声の方へ視線を向けると、赤黒く彩られたジャージを着込んでる、西島の姿が。
「あれ? 死んだんじゃなかったっけ? それとも、蘇生系の魔導具でも仕込んでおいた?」
「天使の討伐に来たのですから、それくらい、当然でしょう」
「うへぇ、随分金かけてんだなぁ」
平然と俺と会話する西島の体には、ナイフに刺された痕も、腹を貫かれた痕も見当たらない。封印されたままの俺だったら思い出せていなかっただろうが、今の俺なら、蘇生系魔術を使ったのだと理解できる。その魔術を行使するには莫大な魔力が必要だ。まぁ、コストはかかるが、それで命を拾えるのなら安いだろう。
「で、なんか朝日とか昇っているんだけど、状況はどうなった?」
「天使は『フェンリル』によって捕獲され、その際、彼女の姿を見た生徒三人が気絶。かろうじて意識が残った女子生徒は、恐慌状態に陥り、現在【委員会】が保護中」
「ふぅん。珍しいな、飛鳥が俺の関係者を生かせておくなんて」
「天使を捕獲した際、『フェンリル』は半死半生の状態でしたからね。余裕が無かったのでしょう」
なるほど、確かに飛鳥の最終目的が達成できそうなこの状況で、なおかつ死に瀕している状態なら、見逃すかもしれないな。
もしくは、俺にとってあいつらが、皆川たちがどうでも良い存在だとだと思っているのだろうか? はっ、だとしたら、勘違いも甚だしいもんだ。
「この町に侵入しようとしていた狂信者どもは、全員、【委員会】のエージェントが抹殺しました」
「どうかな? 油断するなよ、あいつらがほんと、ゴキブリみたいにどこにでも居るからな?」
「……ええ、注意しておきましょう。それより、七島弥一」
「なんだ? 西島さん」
西島が眉をひそめ、訊ねてきた。
「貴様、本当に七島弥一ですか?」
「正真正銘、いや、こっちが『真』七島弥一ってところかな? つか、【委員会】に所属しているあんたなら知ってるだろ? 『平和戦争』を起こした者の名前ぐらい」
『平和戦争』という単語を出した瞬間、西島の体が強張る。無理もない、あの戦争には【委員会】だって加担していたのだから。
「……『平和戦争』を起こしたのは、『ニーズヘッグ』の名を冠する災害指定の傭兵です。『災厄の子供』ではありません」
「同じだよ、西島さん。そいつらはどうしようもないほど、同一人物なのさ」
言いことは理解できる。
俺だって認めたくは無いのだ、つい先日まで、あんな頭にお花畑が咲いたような人間だったなんて。
戦場帰りのフラッシュバック?
人嫌い?
コミュ障?
トラウマ?
はっ、馬鹿馬鹿しい。俺がそんな殊勝なタマかよ? ラノベ片手に人を虐殺できるこの俺が、一丁前に人間ぶりやがって。
「封印が、解除されたんですね?」
「ああ、そうだ。飛鳥の奴、血液を媒体に、解除魔術を送ってきやがった。ったく、いくら体内で発動した方が効果高いからって、口移しはねぇよな? 口移しは。絶対、キスしたかっただけだぜ、あいつ」
はぁ、と俺がため息混じりに肩を竦めると、なぜか西島が憂いの目で俺を見る。
「白状しますと、貴方が封印されていたことは知っていました」
「いつから?」
「最初から、です」
「ま、だよな」
思えば、色々とおかしい点はあった。
いくら正義の味方を自称しているからと言って、いくら不良を苛めるのが趣味だからと言って、いきなり見知らぬ他人をボコボコにするのは、常識が無さ過ぎる。
「テストだったのですよ、七島弥一。作戦区域に貴様が居ると、いや、生き残っていることを確認した【委員会】は、貴様が我々を、いや、世界を害する存在なのか見極めるように私に命令してきたのです」
「はん、よくもまぁ、そんな悠長な判断を下せたよな。つい数年前に、【委員会】を口車に乗せて、まんまと利用した相手によ」
「…………あの戦争は、【委員会】によって失う物ばかりではなかったということです」
「そりゃ、幸いだ」
確かに、あの『平和戦争』で【委員会】は莫大にその規模を増大させた。俺がありとあらゆるコネを使い、終末思想の狂信者どもや、世界の軍隊などを相手取るために。その結果、いまや【委員会】は、【機関】や【組織】に並ぶほどの存在にまで登りつめた。
俺は正直、使い捨てる気満々だったのだが、あれからそこまで成り上がるとは、なかなか根性あるな、【委員会】は。
「テストの結果次第では、貴様を殺すことも、私には許可されていました」
「だろうね。あいつら、そういうとこ、容赦無いから」
俺が肩を竦めて笑うと、なぜか西島は苛立たしげに口調を早める。
「ですが、私は貴様を殺しませんでした。貴様は聞いていたより、ずっと優しく、仲間想いの、普通の男子高校生でした」
「……あの時の俺なら、うん、そんな感じだろうな」
やれ、我ながら青臭くて恥ずかしい。なんだろうな? この、黒歴史がたっぷり詰まったノートを朗読されるような感覚。
くねくね動いていたのが気に喰わなかったのか、西島の目が鋭さを増していく。
「私はある程度、貴様を信頼していましたよ、七島弥一。例え、青臭くとも、弱かろうと、封印されていようと、まっすぐな瞳の貴様が嫌いじゃなかった」
なのに、と言葉を繋いで、西島は俺を睨みつけた。
明らかな失望と悲嘆が混じった視線で。
「今の貴様は、まるで死人だ! あれほど綺麗に澄んでいた碧眼が、まるで雲がかかったみたいに暗い。貴様があれほど大切にしていた仲間の報告を聞いていたときもそうだ。貴様は私の報告を聞いているとき、天気予報でも聞いているみたいだった。まるで、今の貴様にとっては、この世界、全てのことがどうでもいいかのように!」
「…………痛いところを突くよねぇ、あんた」
だが、不正解だ。
俺は世界全てがどうでもいいなんで、思っちゃいない。
義経や、皆川、あとは鈴木を含めた愉快なクラスメイト連中。
あいつらのことを、俺は素直に大切だと感じるし、守ってやりたいと思う。
――――でも、知っているのだ。知ってしまっているのだ。
俺が大切だと思う人たちは、必ず、俺の前から消え去ってしまうことを。
いくら守っても、殺されるし。
いくら戦っても、救えないし。
いくら好きでも、裏切られるし。
どれだけ頑張ったって、世界は平和にならないし。
だから俺は、ほんの少しだけ諦め上手になったのだ。
色んな理不尽を受け入れられるようになっただけなのだ。
「今の貴様はきっと、あの義経という不良が殺されようと、皆川と言う女子生徒が殺されようとっ!」
なぜか数秒、言いよどんでから、西島が言う。
「しょうがない、で済ませられるんでしょうね。きっと」
うん、今度は正解。
「…………いや、それどころか、世界中の悲劇や理不尽さえも貴様はやすやすと受け入れて、『しょうがない』で済ませることがでしょう。……貴様はまるで、怪物だ。外見が人間と一緒だけで、中身はもっとおぞましい何かで出来ている」
「ひどいな、俺、泣いちゃうぜ?」
「ええ、どうぞ。そんな目をしていてまだ、泣けるのなら」
はっはっは、泣けるわけないだろ。そんなもん、とっくの昔に枯渇したさ。
「なんにせよ、俺が怪物だろうが、なんだろうが、【委員会】は、この事態を収拾するために俺の力が必要だろ?」
「そう、ですね。悔しいですが、我々の力では、もうどうしようも無い事態まで状況は進んでいるのです」
苦虫を噛み潰したような表情で、西島は拳を作っていた。掌から一筋の血が流れるほどに。
「黙示録の獣が起動されました。恐らく、日没までには完全に覚醒し、この世界を破滅へ導くでしょう」
「上からの干渉は?」
「ありません。抑止力が働いていないところも見ると、上はこの事態を完全に放置。多分、『管理者』は、この状況を、世界を一つ潰しても、観察するべき状況だと判断したのではないかと、【委員会】からの報告です」
「そりゃ、人間風情が天使を捕獲して、強制的に終末を起こさせるなんて、他の世界でもめったに無いことだろうしな」
所詮、上は……というか、『管理者』はこっちをモルモットとしか考えていないみたいだし、あてには出来ないだろう。もっとも、鈴木みたいな例外も居るみたいだが。
「ですが、『フェンリル』は高度な隠形を用いているのか、どんな索敵にも反応しません」
「そこら辺は俺に任せておけよ。あいつとは国を滅ぼすぐらいやりあった仲だ。考えていることぐらい、大体分かるぜ」
「では、期待しましょう」
「んじゃ、さっさと殺しに行くか」
「…………どちらを?」
「出来れば飛鳥だけを殺したいところだけど。あいつ、邪神の力を取り込んでいるのか、ほとんど不死みたいなもんなんだよなぁ。前に脳みそ吹き飛ばしてやったときも、結局、生きてたし。だから、今回は鈴木の方を殺そう。天使の殺し方なら、うちの両親から教えてもらったし。ま、飛鳥の方は適当に解体して、封印しておくのがベストだと思うぜ」
「クラスメイトを、殺すのですか?」
おいおい、西島さんよ。抹殺命令を受けているあんたが、わざわざ俺に訊くかね、まったく。
「殺すといっても、器を破壊するだけだ。核になっている魂は傷も付かなねぇよ。まぁ、数百年ぐらいはこっちに顕現できなくなるだろうがな」
「それでも、貴様のご学友にとっては、殺したことになるのでは?」
「そこら辺はあんたらが上手く記憶改ざんすりゃ、いいだろ。いつもやっていることだろ? 余計な真実を知ってしまった奴の記憶操作なんてよ」
西島が静かな怒気を込めて声を絞り出す。
「貴様は、それで良いのですか?」
はぁ、と俺はため息を一つ。
西島の怒りを受け入れ、理解し、だからこそ、俺は呆れ半分で答えた。
「それで良いんですか? じゃなくて、それしかできねぇんだよ。いい加減、俺に変な希望を見るのはやめろ、西島葵」
沈黙はほんの数秒だった。
その数秒で西島の顔からはありとあらゆる表情が殺ぎ落ちていき、やがて一切の感情も映さない物へと変わった。
「了解しました、七島弥一」
しかし、俺を見つめるその瞳には、出会ったときと同じ、強い意志の炎が宿っていた。




