美少女転校生
美少女が俺のクラスに転校してきた。
まぁ、だからといってどうということは無い。
この俺、七島 弥一の生活が一変する、なんてことは、起こりえない。
例え、昼休みに学校中の生徒がこぞって我がクラスに集まり、あまりの人口密度に、偶然通りがかった校長がぶちきれ、昔、鬼軍曹と恐れられていた校長の怒声が校舎中に鳴り響くような事態になったとしても、だ。
けれど、どうしてこんな事態になったのか? 程度の疑問に答えるぐらいには、俺の時間は余っている。
そうだな、この騒動の始まりは、朝のHRから。
もうすぐ三十路に差し掛かる我が担当、中村女史は、いつどおりざわめく教室に入ってくるや否や、衝撃の一言を告げた。
「皆さん、突然ですが、このクラスに新しい仲間がやってきます」
その一言は、娯楽と新鮮な出来事に飢えている高校一年生には過ぎた餌だったらしく、クラスはさらにざわめきを増し、もはや騒音で訴えられるレベルで騒ぎ立てる。
「静まれ! 貴様ら!!」
その昔、東北一帯の暴走族のヘッドであり、『赤い彗星』と呼ばれた彼女の一喝により、騒音は一瞬で静まった。
つくづく、群集というのは強者に弱いものだと思う。もちろん、俺も含めて、だけれど。
「はい、静かになりましたね。それでは、鈴木さん、入ってきてください」
中村はさっきまでと違い、優しげな口調で転校生を促す。
さすがの変わり身の早さに身震いしつつ、俺は転校生が入ってくるであろう、教室の扉を眺めていた。
そして、彼女がやってきた。
「初めまして、皆さん。東京の学校からやって来ました、鈴木花と言います。鈴の木の花と書いて、鈴木花です。我ながら分かりやすい名前だと思うので、どうか皆さん、覚えてやってくださいね」
鈴が鳴るような、凛とした声が教室中に澄み渡った。
声の主は、教卓の前でにこやかな笑顔で教室を見渡している。
誰もが、声を出せなかった。それどころか、身動きすらまともにできなかった。
鈴木花とは、それほどの美少女だったのである。
黒髪ショートヘアに、すらりと伸びた手足。そして、まるで神様が創ったみたいな、恐ろしく綺麗な造形の顔。少なくとも、俺は彼女より綺麗と定義できるような人間と出会ったことが無い。
その余りの美しさに、教室中は凍りつけられたように動けなかったのだ。
だから、仕方なく俺が軽く拍手する。
ぱちぱちぱち、というささやかな音だったが、それだけで教室中の凍結を溶かすのには充分だったらしい。
俺の後を追うように、万雷の拍手が、教室に鳴り響いた。とてつもない大きな音の波だったと思うが、今度ばかりは、中村も注意できず、状況を見守るしかなかった。
「うむ。では、鈴木さん、貴方の席はそこの、そう、七島君の隣になりますね。何か分からないことがあったら、クラス委員か隣の七島君に聞いてください」
…………はぁ?
いや、確かに席順的には空きがある、俺の隣に転校生が来るのは分かるけど、なぜか朝、俺の隣に机と椅子がワンセットで置いてあるの見てから薄々気づいていたけれど、思わず俺は心の中で「ふざけんな」とうな垂れていた。
うな垂れる理由は、説明しなくても分かるだろう。
「七島君、ですね。これからよろしくお願いします」
俺の隣の席に座ると、鈴木は太陽を連想させる笑みをこちらに向けてくる。
そして、同時に向けられてくる、教室中の嫉妬の視線。
「…………よろしく」
だから俺は、最低限、クラスメイトを刺激しない程度の言葉を返し、早々に視線を何もない宙へと戻した。
そして、HRが終わり、一時間目との間にある僅かな休憩時間。
「ねぇ、鈴木さん! 鈴木さんはどこの学校から来たの!?」
「東京の学校って、どこら辺にあるの!?」
「東北って始めてでしょ? 今度、ここら辺を紹介するぜ?」
「好きな食べ物は?」
「彼氏っている?」
「好きな男性のタイプは?」
「芸能人でいうと誰が好き?」
激流のような言葉を、鈴木は笑顔で受け流していた。かの聖徳太子は、三十六人の話を聞き分けたそうだが、恐らく、それくらいのスキルが無ければ、あんな激流を受け流しきることはできなかっただろう。どうやら、外見だけでなく、中身も相当らしい。
あ? 俺? 席から追い出されて、教室の隅でラノベ読んでたよ、ラノベ。
そして、一時限目が始まり、いつの間にか誰が鈴木と話して良いか、みたいなランクがクラス内で決まっていた。その一番に収まったのが、学校有数のイケメン王子である谷沢だ。彼は顔も良く、バスケ部の期待のエースということで、人気も高く、さらには人柄も良いという完璧超人なのである。
まぁ、それでも鈴木の美貌とは釣り合いが取れないけれど、妥当な線だったと俺は思うね。
ランク付けが終わったおかげで、俺への嫉妬の視線は収まり、鈴木が転校前に教材などを予め準備していたおかげで、特に俺へ話しかけてくることもない。何か不都合があれば、谷沢に奴が率先して動いてくれるし、問題無い。
こうして、俺の日常は平常運転に戻ったのである。
「というのが一応の説明、わかった?」
「いいや、わかんねぇな」
放課後、俺は特にすることも無いので、いつも通り、だらだらとこの学校唯一の友達である鳥崎 義経とだべっていた。
義経は、金に染まった髪や、銀のピアス、鋭い目つき。そして、二メートルにも届きそうな巨体を持ち、もうお前弁慶って名前でいいんじゃねーの? というツッコミを過去幾度も受けてきたことがある男である。
そんな義経が、物騒な顔をさらに恐ろしくしかめて、俺に訊ねた。
「なんでお前は、そう枯れてやがるんだ? なぁ、弥一」
「そう言うお前はいきなり失礼なことを言うね。死ねば良いのに」
「お前の方がさらっと数倍ひどいことを言ってるじゃねーか!?」
まったく、やっと夏も終わりに近づいて、段々と涼しくなっていたというのに…………ああ、先日の残暑で頭が腐ったのか。なら、仕方が無い。
「てめぇ、何かむかつくこと考えてやがるな?」
「いやいや、全然? 世界平和のことしか考えてないよ?」
「すぐばれる嘘を吐くんじゃねーよ」
義経は俺にツッコミを入れた後、「あー、そうじゃなくてよ」と頭を掻き、ため息交じりに訊ねてきた。
「だからさ、お前はなんでそう、テンションが低いんだよ? 折角、美少女がお前のクラスに転校してきたんだぜ? しかも、奇跡的なことに、隣同士の席だ。こりゃ、思春期まっさかりの高校生としては否応が無くテンションが上がっちまうだろうが。むしろ、テンションが上がりすぎてろくに会話もできなくなるだろうが」
「……あのなぁ、義経」
俺は額に手を当て、一息。
義経の目を見据えて言う。
「だから、美少女が転校してきたって俺には関係ないんだって。忘れてんじゃねーぞ? こんななりでも、俺は――――――女子、なんだってことをさ」
義経は、俺の言葉は聞くと、困惑したように顔を歪めて言う。
「だから、お前はなんですぐばれる嘘を、というか、意味の無い嘘を吐くんだ?」
「ああ、うん。なんとなく」
俺、七島弥一は、間違いなく男だ。雄だ。下半身にキャノン装備の人間兵器である。ごめん、嘘だ、ちょっと見栄張った。
趣味は友達の義経を、からかうこと。
もちろん、女子じゃない。
「ま、本音で応えるとさ、めんどいじゃん? そういう恋愛とか、青春とか」
「うおう、高校生とは思えない言葉だな、おい」
「はっ、それに俺、教室ではぼっちだし。誰も友達が居ないし。めったに声を出さない所為で、急に話しかけられると声が詰まってうまく返事できないし」
「お前……いい加減、そのコミュ障直せよ」
「無茶言うな」
そんなことができるなら、俺は野良猫と国家情勢について語り合えるわ。
「大体、お前はその格好からしてダメなんだよなぁ」
義経は俺の頭からつま先までじっくり眺めると、偉そうに講釈をたれてくる。
「お前は線が細いし、前髪が無駄に長い。ほとんど、目を隠しているじゃねーか。だから、周りから陰気に見られて舐められるんだよ。どうせなら、ばっさり髪を切って、俺みたいに……いや、いっそ、真っ赤に染めてみるか?」
「そんなことするぐらいだったら、坊主にした方がまだマシだ。そして、坊主にするぐらいだったら俺は退学してやる」
「なんなの? お前の、その頑なな決意?」
うるさい、お前は極端すぎるんだ、義経。髪を染めるったって、赤は無いだろうが、赤は。つーか、金とか青ならともかく、髪を赤く染めることだけは、ありえないんだよ、俺は。
「…………あのよぉ、弥一。お前はそこまで人間が嫌いなのか?」
「ああ、嫌いだね。大嫌いだ」
「お前も人間なのに、か?」
「俺も人間だから、だよ、義経」
そっかー、と義経は呟くと、何故か悲しげな表情を作った。
「お前、そんなに小さい頃、両親に戦場に連れまわされたのがトラウマになったのか?」
「…………まぁな」
そう、俺の両親はとある事情により、俺を幼い頃から戦場に連れまわしていた。まだ、ろくに言葉もしゃべれない頃から、俺はずっと世界各地を転々としていたのだった。そして、戦場を移る度に、俺は色々と辛い体験をしてきたのである。
例えば、砂煙がひどい、あの村では――――助けられなかった、助けられなかった、助けられなかった! ああっ、手が、手が、どうして、どうしてっ!?
「落ち着け、弥一! お前の体が凄い痙攣してるぞ!?」
「あああ、どうして俺は、俺はあの時あの手をぉおおおおうおうおうおおう!!」
「正気になれっ!」
すぱーん、と小気味の良い音と共に衝撃が頭に響き渡り、何とか俺は心の闇から戻ることができた。
「ふぅ、危ない、危ない。たまーに、俺ってば、過去のトラウマがフラッシュバックしちゃうんだよなぁ、あはははは」
「笑えねぇよ、弥一。頼むから、一緒に病院に行こうぜ? カウンセリングを受けようぜ?」
「はっはっは、そんなおおげさなー」
そんな、日常生活に支障をきたしているわけじゃないんだし、わざわざ病院に行くほどじゃないって。病院の迷惑になるだけだって。
「全然、おおげさじゃねーよ。むしろ、ここで行かなくて、いつ行くんだよ……」
俺のトラウマだというのに、まるで自分のことのように、悲痛な面持ちでうな垂れる義経。
まったく、こいつは鬼みたいな外見をしているくせに、妙に人が良いんだからな。だから、俺みたいな奴をほっとけなくて、友達になったりするんだ。
「なぁ、義経」
「んだよ、弥一。俺は今、色々と決断を迫られてんだ」
力づくでも連れて行くか? 連れて行かないか? それが問題なんだよなぁ、とぶつぶつ呟く義経に、俺はからから笑いながら言う。
「俺はさ、人間は嫌いだけど、お前は嫌いじゃないぜ」
「…………うっせ、気持ちわりぃこと言ってんじゃねーよ」
顔を赤くして唇を尖らせる義経を見て、俺は堪えきれず、腹を抱えて笑い出した。
俺の日常は変わらない。
例え、美少女が転校してきて、席が隣同士になっても。
ああ、けれど、今思えば俺はなんて甘かったのだろう? 確かに、美少女が転校してきたぐらいじゃ、俺の日常は変わらないだろう。事実、鈴木が転校してから一週間ぐらいは、平常運転のぼっちライフを過ごしていた。そして、これからもこんな日常が続くんだろうと、どこか楽観しながら思っていたんだ。
転校してきた鈴木が、『ただの美少女』だと勘違いしたまま。