クラスメイトの味方
鈴木と西島の戦いは、一分も経たずに決着した。
そして、俺はその戦いに、参加することすら出来なかった。
無数の触手と、枝がお互いに切り裂き合い、ビル郡は数秒で崩れ去った。俺はその崩壊から逃れるので手一杯。
なんとかビルの瓦礫を避けきったときには、既に勝敗は決まっていたのである。
『神の怒りは、即ち雷成り』
肉塊となった鈴木から、短く、呪文の詠唱が聞こえた。
同時に、無数の触手が複雑怪奇な文様に、難解な数式が含まれた魔法陣を展開。
魔法陣の総数は恐らく、百を超えている。
その全てから、稲光が放たれた。
耳を潰す雷鳴。
視界を白一色に染める雷光。
鈴木が行使した魔術の余りの威力に、この世界自体が震え、この空間を縛っていた結界が崩れ去っていくのを感じた。
とっさに、ナイフに魔力を込められたのは、かつての経験から。
後、数秒遅かったら、俺もあの崩壊に巻き込まれて、ただではすまなかっただろう…………鈴木、俺の存在、忘れてなかったか?
と、そんなわけで、俺はなんとか、天使と正義の味方の戦いから逃げ延びて来れたわけだが、
「これ、どーするかなぁ?」
俺の傍らには、ボロボロのロングマフラーを巻いた、正義の味方が倒れていた。
転移した先は、俺が住む町の外れ。人通りの少ない、裏路地。
既に空は薄暗くなっており、薄紫から段々と色を暗くしていく。
考えてみれば、このナイフは西島から貰ったもので、元々は西島が緊急回避用に使っていたものだろう。なら、持ち主である西島があの崩壊を、俺と同じように回避しようとしたなら、なるほど、確かに同じ場所に転移するのは当然だ。
さて、納得したところで、今後の行動について考えよう。
まずは西島の状態を確認する。
ざっと見た限り、衣服の損傷は見当たるが、体への目立った損傷は見当たらない。所々、焼け焦げている皮膚があるけれど、今すぐどうにかなるほどではなく、適切な処置をすれば問題ない。呼吸と心拍も確認したけれど、特に異常は感じなかった。現在は意識を失っているが、それも、しばらくすれば回復するはず。
恐らく、鈴木の魔術が発動した瞬間、あの槍をデコイ、あるいは避雷針として直撃を避け、ほとんど無意識で転移を行ったのだろう。
あれだけの魔術をあっさり行使した鈴木は、間違いなく怪物だろうが、その一端を受け、この程度で済んでいる西島も充分怪物だ。
「だからまぁ、このまま放置しても問題ないんだけどさ」
再確認しておくが、この西島は屈強な戦士であり、俺の助けなんて必要としないだろう。おまけに、俺はこいつに借りがある上、ついさっき、クラスメイトを殺そうとした張本人である。
トドメを刺しこそはすれ、助ける義理なんて無いはずだ。
だが、こうやって意識を失っている姿は、傍から見れば無力な、小さな女の子以外の何者でもない。
「くそ、見捨てづらいこと、この上ないぜ」
そして、非常に残念なことに、俺の親友である義経は、こういう場面で小さな女の子を見捨てるような奴を、親友であると認めてはくれないんだよな。
「はぁ、仕方ない。せいぜい、目が覚めたら事情を詳しく聞きだしてやるさ」
十中八九逃げられるだろうけどな、と俺は自嘲気味に呟いて、倒れている西島を背負う。
背負ったはずの西島は、本当に軽くて、まるで背負っている気がしなかった。
こんな小さな女の子にも勝てなかったと思うと、なんだか、無性におかしくて、自然と笑いが零れる。
「ははっ、なーにが、『災厄の子供』なんだか」
今の俺は、多少魔術が操れて、多少、場慣れしている程度の、無力な高校生だった。
それを、さっきの戦いでやっと思い知ることが出来た。
魔術特性という物がある。
これは、生まれながらにして人が持ち合わせた性質で、これによって、どんな魔術が適しているのか、などが分かったりする。この特性は、ある程度、魔術に長けている者なら、探索魔術で調べることにより、あっさりと分かったりする。俺が、義経の魔術特性について調べることが出来たのも、そのおかげだ。もっとも、熟練の魔術師ともなると、自身の魔術特性を意図的に隠すことも出来るのだけれど。
魔術特性は、火や水などといった四大元素から、光、闇、切断、修復、などと多彩に存在する。魔術特性を持つ者の多くは、四大元素や五行説に当てはめることが出来るのだが、稀に、光や闇、といった特殊な属性、あるいは切断、修復、などといった『行為』に特化した属性も存在する。この特性は原則、一人に一つだけ、多くても三つ程度が限界だ。
しかし、特性はあくまでも特性。火の特性を持つ者は火の魔術しか扱えない、ということではなく、他の属性の魔術も使うことが可能である。ただし、使えるといっても、習得には多大な時間と努力が必要であり、仮に習得したとしても、大した魔術は行使できないのだ。
そして、俺もその例外でない。
俺が多彩な魔術を行使できるのは、ただ単に、俺の特性が希少な『混沌』であるからだ。
『混沌』とは、全ての現象を生み出しうる何も区別が付かない何かを指す。何者でもない混沌。故に、俺はありとあらゆる魔術を行使することが出来るのだ。
しかし、だからといって、全ての魔術を扱えるわけではなく、原理を知らない魔術は使用できないし、原理を知っていても苦手で使えない魔術もある。
その中の一つが回復魔術だ。
回復魔術は、四大元素や五行説の属性を持つ者なら、原理を理解すれば、ある程度、少なくともかすり傷を癒す程度の魔術を習得することが出来る。修復や復元、などという特性を持っていれば、更に切断された腕を治すことや、ウイルスに侵された体も治すことが可能だ。
そして、俺はその原理を理解しているし、オドやマナといった魔力の取り扱いも熟知している。けれど、なぜか、俺は回復魔術を行使することが出来ない。原理を理解し、正しく手順に乗っ取って行使しているのだが、魔術が発動しない。
親父が言うには、俺は、『自分が誰かを治す』というイメージを抱くことが出来ていないらしい。魔術の本質は、イメージを現実の物として顕現させること。いくら原理や魔力の扱いに長けていたとしても、その根底が抜けているのなら、魔術は発動できないのだ。
「そんなわけで、俺は仕方なくお前を背負ってやっているわけだが、理解したか?」
「…………大体は」
俺の背中から、西島が唸る声が聞こえる。
あれから、とりあえず、自宅に帰ればある程度の医療器具があるので、そこまで西島を背負っていくことにした。もちろん、傍目からすれば、ボロボロの男子高校生が同じくらいボロボロの女子小学生を背負っている姿なんて、目立ってしょうがないので、しっかりと隠密魔術はかけてある。
俺の見立てでは、西島は家に着くまでに意識を取り戻さないと踏んでいたのだが、思いのほか西島の回復力が高く、背負ってから数分で意識が覚醒。しかし、目覚めたら、いきなり俺に背負われているという不可解な状況に混乱していたようなので、誤解無いように説明したわけだ。
西島はしばらく、俺の背中で沈黙していたかと思うと、ぽつりと呟く。
「……貴様は、あの天使の味方をしようとしていたはずです。なぜ、私を助けるのですか?」
「別に、特に意味なんてねぇよ。強いて言えば、お前みたいなガキを見捨てたら、文句を言ってきそうな親友が居るんでね」
「それは随分とお人よしな親友さんで」
「だろ? 俺もそう思う」
俺が背中越しに笑いかけると、西島はきゅっと、俺の肩を掴む手に力を入れて答えた。
「ですが、一つだけ訂正を。私はガキではありません。これでも一応、成人しています。少なくとも、貴様よりは年上なのです」
「………………次元魔術の他にも、仙術とかに通じているのか? あんた」
「いえ、この姿は天然物です。何も弄っていません。というか、仙術で弄れるなら、もっとスタイルの良いクールビューティになりますよ」
「耳元に囁かれる声が切実過ぎて、こっちまで悲しくなるぜ」
なんというかね、人間って不思議だな、本当に。
心なしか、俺の背中に抱きついて、西島がぷるぷると屈辱に耐えるように震えている気がするんだが、うん、気づかない振りをしてあげようか。きっと、それが優しさだ。
俺は西島の自尊心が回復するのを待ち、質問する。
「ところでさ、西島さん。あんたは鈴木のことを、終末を担う天使とか、黙示録の獣とか言っていたが、あれは本当なんだな?」
「ふん。でなければ、端末風情にレプリカとはいえ、神殺しの魔導具が与えられるわけがありませんよ」
答える西島の声は、どこか拗ねた子供のようだった。
無理もない。あれだけ啖呵を切った矢先、数分も持たずにあっさりと制圧されてしまったのだ。しかも、手加減までされて。そりゃ、正義の味方を自称する奴がそこまでされれば、拗ねもするだろう。
俺は、背中で外見相応に唇を尖らせる西島の姿を想像しながら、苦笑する。
「拗ねんなよ。鈴木が本当に天使だっていうなら、人間の身で挑むこと自体が無謀なんだよ」
「拗ねていません。そして、知っていますよ。貴様の両親でもない限り、人間が天使に挑むことが無謀だってことぐらい。いくら神殺しの魔導具を携えようが、それが雲を掴むような所行だってことぐらい」
ですが、と言葉を続けて、西島は冷たく断言した。
「無理だろうが、無謀だろうが、それを為さねばいけません。『アレ』は、この世界に居てはいけない存在なのです」
存在してはいけない、ねぇ。
「そこまで鈴木は危険なのかよ? 俺は今まであいつと同じクラスで生活していたが、少なくとも、人間には危害を加えなかったぜ? つか、加えられないだろ、天使なんだから」
「この場合は、鈴木という天使に悪意があるかどうかは意味を持たず、この世界に存在しているということに意味があります。そして、言ったはずですよ? 『アレ』は天使の中でもイレギュラーであり、ある意味、天使と呼べない存在であると」
薄々は分かっていたはずだった。
いや、義経に俺自身が言った言葉じゃないか。
例え本人に悪意が無くとも、その力を利用したい奴、無理やりにでも利用する奴が居ると。
「世界のリセットボタンなのです、『アレ』は。この世界を管理する存在が、世界に見切りをつけるとき、実行するプログラム。ラッパを吹く者。世界を破壊しつくすために存在する、黙示録の獣。ありとあらゆる怪物の起源。そんな物が、この世界に存在していることを、貴様は許せるのですか?」
「……さぁてな。あいつ自身はただの観光だって言ってたし。そもそも、あの天使を人間程度がどうこうできるとは思えないな」
「天使を殺した人たちの子供が、何を言っているのです?」
「……」
何も言い返せなかった。
俺は、想像してしまったのだ。俺の両親が嬉々として鈴木に挑みかかり、この世界を焦土に変えてしまう光景を。
そして、理解してしまったのだ。
あの親どもなら、不可能ではない、と。
人の域を、いや、この世界の摂理を超えた、第一級災害指定の超越者たちには、不可能なんて言葉は適用できない。
「貴様の両親を含め、この世界には十六人の第一級災害指定された人間が居ます。わかりますよね? これは、紛れも無く、世界の危機なのです。世界を壊せる爆弾と火種があるんですよ、七島弥一」
「だから、その爆弾に火種が点く前に、爆弾を解体する。それが【委員会】の方針ってわけか」
「ええ、それが『たった一つの冴えたやり方』なのですよ」
西島は言っていた。
鈴木の肉体を破壊する。それが【委員会】の最大優先事項なのだと。ならば、当然の如く、西島以外にもエージェントが派遣されているだろう。西島と同等か、それ以上の実力を持つエージェントが。
【委員会】。
それは世界平和を第一目的とする機関。
平和のためなら、どんな犠牲も躊躇わない。赤い手袋で世界を救う修羅の集団。
災害指定された人間ならともかく、俺程度がどうにかできる組織じゃない。
だから、きっと、この話はここでおしまいなのだ。
―――――――――――――――――でも、皆川の奴は、鈴木が居なくなったら、泣くだろうな。
「なら、一つだけ質問だ、西島さん」
「なんでしょう?」
俺は立ち止まり、西島を背負う手に力を込めて訊ねる。
「俺がもっと冴えたやり方を見つけられたら、お前は、【委員会】を止めることができるか?」
「ふむ、それはつまり、爆弾を解体せずに、爆弾を無害なものにするから、解体するのをやめて欲しい、ということですか?」
「無害とはではいかないが、少なくとも爆竹程度にまでは危険性を落としてやってやると思っているよ」
背中からは少しの沈黙と、否定の言葉が返ってきた。
「私はプロですので、現実味の無いことに関して確約はできません」
「それは、どっちのことだ?」
「貴様が天使を無害化すること、その後、私が【委員会】を止めること、そのどちらもですよ」
西島の答えは、西島が口を開く前から、俺が自分の言葉を紡いだ瞬間から、もう分かっていたことだった。
でも、それでも言ってやろう。
せめて口だけは、達者でいよう。
「わかった。なら、どっちも俺が現実にしてやるよ」
「…………この私の前で、正義の味方気取りですか?」
「正義の味方じゃねーよ。俺はただ、クラスメイトの味方でいたいだけだ」
身の程は知っている。
だから、そこら辺の男子高校生らしく、みっともなくもがくのだ。世界なんて弁ええず、ただ、身勝手な理由で足掻くのだ。
それが、俺に出来る『たった一つの冴えないやり方』だった。
今度は沈黙せず、帰ってきたのは柔らかな笑い声。
「ふ、ふふふふふっ、なかなか言いますね、七島弥一」
「知らないのか? 最近の高校生は口が達者なんだぜ?」
背中から西島が小刻みに揺れる振動が伝わってくる。どうやら、俺の戯言はお気に召していただけたらしい。
「ふふふっ、失礼。何せ、貴様が、まさか『災厄の子供』と謳われし貴様がそんな事を言うなんて思いも――――あ」
「あ?」
西島は無言のまま、とある定食屋の前を指差す。
そこには、
「はぁはぁはぁはぁ、ハンバーグぅ。エビフライぃ。ラーメンぇ。ふぐぅううううううう! ふぐぅうううううう!」
奇声を上げ、だばだばと涙を流しながら定食屋のウィンドウに張り付いている鈴木の姿があった。
どうしよう? あれ、俺のクラスメイトなんだぜ。
「七島弥一。貴様はあれを見ても、前と同じことが言えますか?」
「勘弁してくれ、西島さん。今、ちょっと決心が揺らいできてんだからさ」
とりあえず、このままだと下手すりゃ警察とか呼ばれそうだったので、声をかけてみることに。
「…………なぁ、鈴木」
「ふぐぅうううう! ふぐぅうう、う?」
俺の声に気づき、こちらを振り向く鈴木。
一秒、まだ状況を把握していない鈴木はきょとんと目を丸めている。
二秒、やっと状況を理解してきた鈴木の顔が段々引きつっていく。
三秒、完全に状況を理解した鈴木の顔が真っ赤に染まり、「ひ」と喉から声が絞られた。
「ひぃああああああああ!」
そして、四秒を数える頃には、悲鳴を上げながら、既に鈴木は俺との距離を肉薄していた。さすが天使、尋常じゃない反応速度である。
「七島君! これですね、違うんですよ!? 違いますからね! 絶対違うんですからね!」
「……ああ、分かってる。あれだけ派手に暴れたんだ、お腹、空くよな?」
「違うんですよ! いつもはあんなんじゃないんですよ! もっと理性的でクールで、かっこいい私なんですよ! 今日はたまたま尋常じゃなくお腹が減っていて、お金も無くて」
「大丈夫だ、鈴木。誰でも飢餓の前じゃ、理性的に振舞えない。俺はそのことを良く知っているよ」
「だったら、その哀れむような目をやめてくださいー!」
いや、だって、なぁ? 実際、ものすごく哀れな生物になっていたし、あんた。瞳とか、超潤んでいるし。
必死で鈴木が俺にすがり付いて弁解していると、俺の頭の後ろで西島が呟く。
「これが、あの天使? 無様すぎます…………」
「ひぎぃ!」
西島の呟きにひどくダメージを受けたのか、ついに鈴木は鼻水を垂らしながら、半笑いで自虐の言葉を呟き始める。
これが天使なのだとすると、なるほど。確かに、世も末なのかもしれない。




