終末を担う天使
空間の切れ目に入ると、一瞬で風景、周りの空気、全てが一変した。恐らく、西島が使うこの術は、空間に切れ目を作り、そこから予めマークしていた場所へ転移するもの。どこにでも自由に移動できるわけではないが、転移する場所が定まっている分、術式は安定していてリスクは少ない。
そんなわけで、俺が強制的に転移させられた場所は、灰色のビル郡がそびえ立つコンクリートジャングルだった。無機質な巨木が俺を見下し、青い空を狭く区切る。そして、こんなにも無数にビルがそびえ立つ場所であるというのに、ここはまるで人が居ないように無音で、いや、俺たち以外に生物が居ないかのように、音が無かった。
「七島君、これは一体どういうことなんですかね?」
だから、鈴木の声が非常に良く通り、満面の笑顔とは対照的な、突き刺すような苛立ちを感じ取ることが出来た。
「薄々、貴方がただ者ではないことに気づいていましたが、まさかあのタイミングで待ち伏せをされているとは思いませんでした。なにより、貴方が楓ちゃんの好意を踏みにじるような人だとは、信じたくありませんでした」
西島が操る鎖に体の大部分を絡め取られていたとしても、鈴木は臆することなく、俺だけを睨んでいた。
俺の腕を掴む鈴木の手には力が入り、万力のように俺の腕を軋ませていく。
「ぐ……」
「痛いですか? しかし、今頃彼女が味わっている心の痛みに加えたら――――」
斬っ!
鈴木の言葉は、銀色の一刀により、切り捨てられた。
アスファルトに突き刺さったのは、一本のクレイモア。無骨なそれは、鈍い光と共に、飛び散る鮮血を、くるくる宙を回る鈴木の『右手』を映す。
失った箇所を、鈴木はきょとんとした様子で眺め、次の瞬間、鉛色の大蛇によって絡め取られ、全身を覆い隠すほどの鎖で拘束された。
「踊りなさい」
若干舌足らずで、幼く聞こえてしまう西島の声。しかし、その声が発した言葉にも関わらず、それは非常に冷たく、主の命令を実行する。
じゃらん、じゃらん。
鈴木を縛る無数の鎖は、楽しげな金属音を奏で、まるで巨大なハンマーにでも殴られたかのように吹き飛んだ。吹き飛んだ先にあるのは、無機質にそびえ立つ灰色の巨木。
コンクリートが砕ける音と、ガラスが割れる音が同時に鳴り、鎖で拘束されていた鈴木は、ビルの壁をぶち破り、更にその奥へと鎖に弄ばれるかの如く、引きずられていく。
「貴様、怪我はありませんか?」
いきなりの出来事に呆然としていた俺に、その出来事を起こした兆本人から声をかけられた。
「だ、大丈夫も何も、お前、なんで――――」
「五体満足で動けるのなら、早々に非難してください。ここは【委員会】が作り上げた結界の内。通常の方法では戻れませんが、このナイフに魔力を込めれば、外へと転移できます」
西島は無理やり俺に、呪文が刀身に刻まれているナイフを押し付ける。その顔は無表情だったが、口早に言葉を紡ぐ様子は、どこか焦っているようにも見えた。
「ちょっと待て、西島。お前が勝手に引きずり込んでおいて、いきなり何を言いやがる。つーか、そもそも、鈴木に何をしてんだよ? 死にはしないと思うが、お前の言う正義って言うのは、無抵抗の奴を切り裂くことなのか?」
「貴様を巻き込んでしまったのは謝罪します。ですが、これ以上の質問に答える義務はありません。早く離脱してください」
「待て! お前の、【委員会】の目的はなんだよ!? 場合によるが、俺はお前と敵対しなきゃいけねーかもだぜ?」
押し付けられたナイフの切っ先を西島に向け、俺は静かに敵意を込める。
いくら怪物だとはいえ、仮にも鈴木はクラスメイトであり、皆川の友達なのだ。おまけに、俺は今まで鈴木が俺たちや人間に害を為したところは見ていない。鈴木が何か理不尽な理由で攻撃されているのなら、不本意だが、俺は西島と相対しなければいけないだろう。
「…………仕事の妨害をするのなら、災厄の子供である貴様とはいえ、私は排除しなくてはいけませんが?」
「なら、まずは仕事内容と理由を言いやがれ」
「言う必要性がありません」
「本当にそうか? この場で、俺と敵対する事の意味を、もうちょっと良く考えてみな」
「…………」
西島はしばらく黙考した後、無表情を崩し、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「私の任務は、貴様の言う鈴木とやらの姿を取っている天使の排除です。現在、私が所属する【委員会】では、それが最優先事項として扱われています」
「おい、おかしいだろ? 確か、【委員会】っていうのは、世界平和を目的として活動している組織のことだろ? お前が【委員会】から派遣されてきたエージェントだとしたら、なんで天使を排除するんだ? むしろ、天使は世界の秩序を守る存在だろ?」
「確かに、そうですね。通常の天使は、世界を正常に稼動させるために、世界に生じた不要なバグを消していくような存在で、我々【委員会】としても、その行動には随分助かっています。ですが、それはあくまで通常の場合で――――」
会話の途中、西島は言葉を急に途切れさせ、俺から視線を外す。そして、外した視線の先には、鈴木が突っ込んでいったビルが。壁がぶち破られ、瓦礫が積み上げられて砂煙が舞い上がるそこからは、いつの間にか全身に刺されるようなプレッシャーが放たれている。
「ヤドリギの新芽より生まれし神殺しの魔剣」
そのプレッシャーを切り裂くかのように、西島の手に、異様な雰囲気を漂わせる剣が召喚された。
それは、剣と呼ぶには余りにも不適応。ヤドリギの枝が幾重にも絡まり、身の丈ほどの『槍』を形成していた。
ヤドリギに神殺しってことは、ミスティルテインか!? レプリカだとしても、西島の奴、なんて物を召喚しやがったんだ。
「そう、通常の場合なら、我々【委員会】も、わざわざこんな物を持ち出して来ないです」
俺の驚きなど些細な事のように、西島は静かにプレッシャーの先を見据え、言葉を紡ぐ。
「貴様が鈴木と呼んでいる天使。彼女は天使の中でもイレギュラー中のイレギュラー。ある意味、天使とは呼べない存在」
小さな破砕音の後に、大きな破砕音。
その直後、ビルの瓦礫が吹き飛ばされ、砂煙は切り裂かれる。強制的に晴れた砂煙から出てきたのは、鎖を千切り捨て、もはや、人とは呼べなくなっている状態の鈴木だった。
背中から甲殻類を思わせる、緑色の触手が無数に生え出て、四肢は歪に肥大。腕は既に復元され、この世界中のどの獣よりも、鋭く、巨大な爪を持つ物へ。脚はしなやかながらも、強靭な物へと変化していく。誰もがため息を吐く美貌も、今では口元の口元が裂け、ぎょろりと猛禽の目を持つ怪物へ変わっていた。鴉濡れ羽色の髪も、全て細長い黒色の蛇へと変わった。
ああ、なんて醜悪な。
この世界に、こんなに醜悪で、歪で、不完全な生物が存在して良いのだろうか?
今は辛うじて人型を保っているけれど、鈴木の姿は、常に脈動する心臓のように変化を繰り返している。
『なぁるほど、話を聞いてみれば、悪いのは、そこで物騒な剣を構えている人でしたか。七島君、濡れ衣を着せてしまいましたね、ごめんなさい』
そして、こんなにも醜悪な姿をしているというのに、声だけは、鈴の音を鳴らしたように、清らかなものだった。いつもの、いや、いつも以上に、清らかな、まるで声自体が一つの楽器のような、そんな声だった。
『ああ、あと、もう一つ、ごめんなさい。こんな、こんな見苦しい姿を見せてしまって、本当にごめんなさい。出来ることなら、私もこんな姿にはなりたくないのですが、どうやら、そこの人が許してくれなさそうです』
俺は、鈴木には悪いが、鈴木の姿から出来るだけ目を逸らした。そうでもしなければ、正気を保っていられる気がしなかったのだ。あの放課後に見た姿は、まだ序の口だった。
こんな、見ただけで脳髄を掻き回されるような寒気に襲われる存在を、俺は知らない。
「本能で理解したでしょう? アレが、終末を担う天使、黙示録の獣。世界で最も醜悪な存在、プログラムコード『29A』です」
あんな、脳髄を掻き回されるような存在を、西島は顔をしかめることすらなく、まっすぐ見据えていた。
その横顔はまるで、怪物へと戦いを挑む、英雄のようだった。
「貴様がどんな理由で現世へ顕現しているのか分かりませんが、貴様はそこにいるだけで害悪を撒き散らす存在。早々に退場願います」
『悪いが、まだスクールライフを満喫しきってないのでね。そっちの意見も分からないでもないが、観光ぐらいは見逃してほしいものだよ』
「貴様が見逃せるような存在でしたら、そもそもこんなことをしておりませんので」
『そうかい、残念だよ』
二人の会話の最中も、めきみょぎごくぐりゅごごきっ、という、生々しい効果音は止まらない。
しかし、こんな怪物だとしても、西島の行動は突拍子が無さ過ぎるし、俺は理由だってまだ、納得していないんだ。
既に人型ではなく、色んな部位の詰め合わせのような肉塊となっている鈴木に視線を戻し、俺は歯を食いしばって脳髄を掻き回されるような醜悪さに耐える。
「では、失礼ながら、その器を解体させていただく」
『人間への殺傷行為は認められてないけど――まぁ、ちょっと動けなくなってもらう程度なら大丈夫かな?』
怪物と正義の味方。
傍から見たら、明らかに後者を応援するだろうが、何の因果か、俺の優先順位的には、怪物だろうとクラスメイトが上だ。
だから俺は、歯を食いしばって、怪物の、鈴木の味方をすることにした。




