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第二話:お前は、いるだけでほかの人の邪魔になる

病院に運ばれた私は、痛みこらえていた。

ここは、市内にある大きな病院。

広くて、白い清潔感のあるこの病院は総合病院だった。

土曜日の夕方、待合室に来ていた私。

周りはほとんどの患者さんがいなくなって、病院が広く感じ取れたの。


待合室で、私はママと明日菜ちゃんの三人で一緒にいた。

窓から差し込む夕日は暗く変わっていた、おなかを時折襲う痛みは、苦痛以外の何ものでもない。こう見えても学校でも小さいほうの私は、体はあまり強くなかった。

大きな病気とかはわからないけど、病院にかかっていた時期が長かったから。

その時も、明日菜ちゃんとママには迷惑ばかりをかけていたの。


(どうしちゃったのだろう、すごく苦しい)

それは、今までの腹痛なんかと違うたぐいのものだと思えた。

恐怖と、不安が、全身の汗となって流れていく。


「麻香ちゃん、大丈夫?」

待合室のベンチの隣では、心配そうな顔の明日菜ちゃんがいた。

私服姿でショートカットの彼女は、手を握って、私に声をかけてくれていた。

ズボンをはいた明日菜ちゃんみたいに、私も体が強くなりたいと思う。


だから無意識のうちに、私は覚えたことがあった。

「大丈夫、私は強いよ。ありがとう」

私は、明日菜ちゃんににっこりと微笑んだ。

微笑むことで、私に心配をかけてきた人を安心させる。

私なんかのことで、他人が心配することがなんだか切なかった。


「大丈夫よ、明日菜がいるから」

明日菜ちゃんの小さな手で、私を撫でてくれた。

隣に座るママも、私に目を送ったが、ため息を軽く吐いていた。

「ここならば、問題はない。落ち着いたか、麻香」

ママは、落ち着いた顔を見せていた。スーツ姿で、そのままの格好で出てきたママは、煙草をくわえるふりを見せていた。もちろん、ここは全面禁煙だよ。


「はい、ママ」

「そうか、ならいい。迷惑をかけたわね、霧島さん」

「いえ、いいの。麻香ちゃん、いつものことだから、ね」

そんな明日菜ちゃんの言葉に、わたしはハッとしてしまった。


(そうなんだ、私は体が強くないんだ)

引け目に感じる私の胸に、無意識のうちに右手を当てた。

失敗したら、強くなれる、そんなのは、嘘。私は、そう思えていた。

自分の忌々しい体、頭に私はぐっと悔しさをにじませて床を見ていた。

隣の明日菜ちゃんも、あたしの顔を見て後悔をにじませた顔になっていた。


「次、前浪さん」

すると、前の診察室のドアから私を呼ぶ声がした。

私を呼んだのが三十代ぐらいの看護婦さん、純白のナース服で私を出迎えてくれた。

私は声がしても、すぐには立ち上がれなかった。なんだか、怖かったから。


「行って来い!」

私の背中を、強くたたいてきたママ。なんか、強くたたかれて少し元気が出た。

「はい、ママ」

すると、私に付き添いで来てくれたママは、すぐにそっぽを向いた。

弱弱しく、私は返事したけど、直ぐに微笑んで見せた。

ママのそばにいた明日菜ちゃんも私に心配かけまいと、元気よく右手を大きく振ってくれた。




診察室に入って、ちょっとだけビックリした。

綺麗な白い部屋、白いカーテン。薬品のにおいが、鼻をつく

そのあと、私が招かれた診察室にいたのが、男の先生だった。

私を見るなり、少し憮然とした顔を見せた。私も、うつむいてしまう。


「どうぞ、座ってください」

ぶっきらぼうに言われて、私は困惑してしまう。

「えっ、あっ……その……」

眼鏡をかけて、白衣を着た三十代の男性。

七三の髪を分けていて、やや堀のある顔は、安心感より、強い男性の顔に見えた。

名前と年齢を聞かれた後、医師がカルテに記入しながら見ていた。


「あの、最近おなかが痛くて……」

「今日、急に痛くなったのですか?」

「はい、そうですね」

こうして男の人と話すのが久しぶりだから、妙に緊張する。

年齢的には、離れていないのに、男といると緊張するのはあの人のせい。

でも、どうやら医師の男は私の顔を見て、直ぐに机に向かいペンを進めた。


「上着、脱いで下着になってください」

「ええっ、ここで、ですか?」

「大丈夫ですよ、先生、結婚していますから」

すると、私の後ろに立っていた看護婦さんは微笑んでいた。

結婚しているって言われても、目の前の人は男の人だから。


「はい、両手上げてください」

「は、はいっ」

私は、恥ずかしがりながらも両手を上げると、ブレザーとワイシャツを看護婦さんに脱がされていた。中から出てきたのが、白いビスチェ、私のお気に入り。

フリフリのついたビスチェは、じっくり見られるとすごく恥ずかしい。


「は、恥ずかしいですッ!」

「大丈夫、これ以上は見ませんから。早速、聴診器をあてます。動かないでください」

淡々とした表情で、眼鏡をかけた医師は聴診器を耳に当てて、そのまま私のビスチェの上から聴診器を当ててきた。


一枚の下着をまたいで当たる鉄は、冷たく感じた。

(こ、こういうのって、女性がやるんじゃ……)

「何か言いましたか?大きく息を吸って」

そのまま、私は医師に言われるがまま、息を大きく吸い込んだ。

目の前の医師は、ただひたすら聴診器の方に神経を集中している様子。


(とりあえずは、変に意識しなければ、大丈夫かな)

私は、聴診器を当てる眼鏡の医師から視線を逸らすことにした。

それから間もなくして医師は、私から聴診器を離した。

離したときの医師の顔を、私は覗き見るけど、ふっと軽く笑ったようにも見えた。


「う~ん、念のために調べましょうか、アレを持ってきてください」

無感情で、看護婦さんに頼んでいた医師。

アレとは、なんだろうか?なんか嫌な予感がしていた。


「じゃあ、これの使い方わかる?」

「えっ、それって……」

看護婦さんが持ってきたのが、『妊娠検査薬』だった。

驚きと戸惑いを、私は隠せなかった。


その瞬間、闇のあの中でのことが現実のもの思えたから。

私の上に、初めて私より大きな人が乗っかられて、恐怖を感じたあの夜。

そこで生まれてしまった、私の中にある生まれるかもしれない命。

これが妊娠なんだと、私はようやく恐ろしい事実を認めていた。




あの後、一時間ほどの医者での検査が行われた。

妊娠検査薬、尿検査がずっとあの場所で検査が行われた。

その診断結果を持って、私は診察室から出てきた。

そのまま、ママが会計を済ませて車に乗り込んでいた。


家から五分ほどの距離、車で行くほど遠くはない。

でも、周りはすっかり暗くなっていた。

駐車場から車に乗り込んだ私は、重そうな体を後ろの座席で横にしていた。

ママは運転室、助手席には明日菜ちゃんがいた。


「先に、霧島さんを送るわ。これ以上遅くなると心配するし」

「麻香ちゃん、大丈夫?」

後ろ座席の私に、助手席から心配そうな顔を覗かせた明日菜ちゃん。

私は、なかなか本当の診察結果が言えないでいた。

怖かった、その真実を自ら口にすることが。『誓い』に、背くようで。

そのまま、ママは私と目を合わせることなく夜の道に車を出していく。


検査の後、注射もうったので、今の私の痛みは治まっていた。

「明日菜ちゃん、カバンは?」

「おばさんに頼んで、持ってきてもらいました。大丈夫です」

助手席から覗かせた明日菜ちゃんの顔は、ちょっと不安そうな笑顔だった。


「でも、大丈夫?麻香ちゃん、診察結果、なんだったの?」

明日菜ちゃんの心配は、私に質問となってぶつけられた。

夜の車、窓の外から見えるきれいなイルミネーションとは対照的に、私の心は暗く沈んでいた。質問の問いを私は、少し悩んだ。


「腹痛だった、大丈夫。いつも通りだよ」

「本当に、そうなの?なんだか、今日の診察は長かったよ」

やっぱり、明日菜ちゃんを心配させたくない自分が勝っていた。

私は、そんな彼女のために正しい嘘をついた。


「本当に、本当にそうなの?」

「霧島さん、ここの道って、まっすぐ?」

ママと明日菜ちゃんの声が、ほぼ同時に聞こえた。

運転中のママに明日菜ちゃんは、体を向けた。そのまま、彼女は家を教えていた。

私は困ったように顔で、うつむいて目をつぶることにした。


それから数分後、ついたのが明日菜ちゃんの家。

ママは、無事に明日菜ちゃんを送り届けていた。

車から出て行った明日菜ちゃんは、両手を振って私に合図をしてくれた。

私も手だけを少し上にあげて、彼女に応えた。


聞かれるのが、怖かった。『誓い』が、壊れるようで、不安だった。

横になった私、明日菜ちゃんを置いて車は私の家へと向かっていく。

二人きりの静かな車内、私はよこになったままうつむいて黙っていた。


「そろそろ話してもらおうか、麻香。私には、どんな嘘も通用せんぞ」

と、いきなり沈黙を破ったのがママ。私は胸が、チクリと針に刺された思いがした。

「あの……ママ、ごめんなさい」

私は、申し訳なくなって目から涙がこぼれそうになった。

でも、ママはずっと前を向いていた。


「何を謝る?やましいことでもあるのか、麻香」

「えっ、あっ……実は、妊娠しちゃったの」

私は、ついに『妊娠』という単語を自ら発した。

しかし、ママはあまり驚いた様子もなかった。淡々と車を動かしていく。

見える住宅街の明かりから、車は大通りへと抜けていく。


「そうか、しょうがないな。私だって、妊娠はした」

「ううっ、ごめんなさい」

「気にするな、坂吾(あの男)か?」

ママはなんだか、何もかもわかっているようで、私は逆に泣きなくなっていた。

目に涙を浮かべて、車の後ろ座席のシートを濡らしていた。


「うん、あの家庭教師、何もできない。私は、弱い……よね」

「あの日だろう、似たようなことが、私もあったからな」

それは、強姦(ごうかん)という生々しい事実。苦しくて嫌な思い出。

忘れたい思い出、でも忘れることができない体の変化。

それらをすべて思い出すと、やはり涙が止まらなかった。


「悪かったな、麻香。あの時は、どうしても外せない予定が入っていて……」

「違うの!私が、模試でどうしてもいい成績を収めたいって、それで……

自分で頑張れは、こんなな事にはならないのに……」

私の声が、涙声に変わる。

恐怖をようやく打ち明けられたと、それだけでも私の体が、軽くなった気がした。


車は、見慣れた道路へ入っていく。

いつもの街灯も、近所の街並みも今は特別な別世界に見えてしまう。

「麻香、お前、その子をおろすのか?受験はどうするんだ?」

「うん、受験も、子育ても一緒では、いけないかな?」

よくばりな考え、『誓い』を守らないといけないし、私の中に生まれた命、それを粗末にしたくないとも思えた。なんだか、殺すわけにはいかないような気がした。


やがて実家の前にたどり着いた車、ママは車を車庫に入れようとしていた。

狭い車庫なので、車庫の前で車を止める。

「そうだな、麻香らしい答えだ。

でも、現実はそう甘くない。いつか、どちらかを選ばないといけない。

人生は、常に無数の二択から成り立つのだから」

ママにそういわれて、私は先に車を降りていた。


車の外は、ちょっと暑いぐらいの五月。

私はママが、バックで車を車庫に入れるのを見ながら考えていた。

(『出産』、『受験』の二つ。私ならできる、根拠はないけど)

その時は、まだ事の重大さを大きく考えていなかった。




六月のあの日は、雨が降っていた。

日曜日、午後から予定のある私は午前中に勉強会で明日菜ちゃんと一緒に家にいた。

明日菜ちゃんは、英語が得意だよ。

私の学校だと、進学校じゃないからY大を受ける英語のレベルを教えてくれる先生が不足していたの。塾のAクラスの勉強に、追いつけない私は英語の臨時家庭教師として明日菜ちゃんを呼んでいた。


ジーンズに、半そでのシャツの明日菜ちゃんは、テーブルに身を寄せていた。

「そこの文法は、後ろのここの単語がかかってくるから、ね」

「わー、すごいね」

テーブルを囲み、明日菜ちゃんが英語を私に教えてくれていた。

私も、英語は苦手じゃないんだけど、明日菜ちゃんみたいにすごく得意ではないの。

蒸し暑いので白いキャミと花柄のミニスカートの私は、明日菜ちゃんの言葉に頷きながら聞いていた。


だって、明日菜ちゃんあの塾の模試で、英語は満点が取れるんだよ。

全国模試でも三千位に入るほどの実力で、ストロングポイントなんだ。

私も、そんな強いポイントが一つ欲しい。


「ちょっといいかしら」と、声がして私の部屋のドアが開くと、そこからママが出てきた。ママは、お盆にサンドイッチを持ってきてテーブルのそばに置いてくれた。

「明日菜ちゃん、いらっしゃい。これ、差し入れよ」

「いつもいつも、ありがとうございます」

明日菜ちゃんは、やっぱり私のママを見るときの目が輝いているようにも見えた。


「ありがとう、ママ」

「麻香、もうすぐ十二時よ」

その言葉に、私は難しい顔で頷いた。机に置いてある時計は、十一時半を過ぎていた。

そう、十二時にはお客さんが来ることになっていた。私のお客さん。


「あれ、なんかあるの?」

「えっと、ごめんね、お昼にお客さん来るから、明日菜ちゃん」

「そうなんだ、うん、しょうがないね」

そういいながら、サンドイッチを差し出してきた。


「食べよう、ママのサンドイッチはおいしんだよ」

それから、私と明日菜ちゃんはサンドイッチを食べていた。

おいしい、ママの手料理。口の頬張りながら、勉強で疲れた頭や体を回復させてくれる。本当に私のママは、できる人だ。いや、できすぎて怖いぐらい。


サンドイッチを食べ終わる頃、明日菜ちゃんはカバンに荷物を片づけていた。

外の窓は、雨が本降りでザーザーと振っていた。


十一時五十分、私は玄関にいた。

明日菜ちゃんは、カバンを背負い私は、彼女を見送りに来ていた。

「それじゃあね、麻香ちゃん」

「うん、途中でごめんね。明日菜ちゃん。雨の中、わざわざ来てくれてありがとう」

私と言葉を交わした後、傘立てから水色の傘を取り、玄関を開けた。


すると、玄関の少し奥から黒いレインコートの男がこっちに向かってきた。

「えっ、あっ」

ジョギングをしているのか、ジャージ姿の男の顔が伺えない。

でも、この人は私に対するお客さんだった。


「あっ、こんにちは」

「ちわっ」

明日菜ちゃんと、黒いレインコートの男はすれ違い、明日菜ちゃんは傘をさして玄関から出て行った。その一方で、黒いレインコートの男は、逆に玄関の中に入って来た。

大きな体が、中に入り明日菜ちゃんも後ろを不安そうに見ていた。


玄関を閉めた男は、私の顔をじっと見上げ、フード部分を取った。

そう、その男は。

「坂吾さん」

金髪が見え、鋭い目つきの男、凛々しい顔立ちはモテそうな雰囲気を持つ。

雨に濡れたレインコートを脱いだ彼は、私の方を見ていた。


「俺は、お前の客じゃない」

「そうだ、私が呼んだ」

私の背後には、腕組みをしたママの姿があった。

悪態をついた坂吾さんは、レインコートを脱ぎ捨ててそのまま私の家に入って来た。

私は、やはり彼の顔をみるだけで恐怖があった。植えつけられた闇の恐怖が、いまだに残っていた。




夏休み、いつも通りの夏期講習。

病院に運ばれたあの日から、あっという間に二か月が過ぎた。

今年の夏も私は、塾の夏期講習に参加していた。

塾の空気は、エアコンがかかっていて少し涼しい。

でも、塾の前の講師陣はいつも熱い授業が繰り広げられていた。


今年の夏期講習、なんといっても授業の長さは、過去二年を超えていた。

今は高三の受験生、授業時間は一日十時間を予定していた。

試験と、解答、復習の三つだけを繰り返す日々。

私は、普段学校に行くような白い半そでブレザーを着ていた。


来年の冬には受験が控える。そこに向けての、追い込みの時期。

塾ではAクラスの授業に、私は一生懸命授業に食らいついていた。

でも、去年までBクラスで、さらに今はおなかの痛みとも戦う私は、周りと授業から遅れているのが分かっていた。

妊娠をしてしまった私は、体がいつも重く感じた。

それは、私にとってもハンデとして重くのしかかっていた。


そんな塾での、お昼の休み時間。

塾の教室で私は、疲れた表情で野菜とキノコと玄米の弁当を広げていた。

開放的で、涼しい風の塾の教室。

それでも、汗をかいていた私は時折おなかを気にしてみていた。


「タンパク質取らないと、頭に入らないよ」

すると私の机に、同じクラスの明日菜ちゃんがやってきた。

ショートカットと、白いセーラー服の明日菜ちゃんはコンビニ弁当を持って私の隣に座った。ニコニコしていて、冷えたコーラをおいしそうに飲んでいた。


「明日菜ちゃん、うん、そうだね」

「わ~、麻香ちゃん、お弁当は手作り?」

「私が作ったんだ、そう……だよ」

「麻香ちゃん、なんかおかしいね」

明日菜ちゃんは、私の胸を覗き込んだ。

すると、私は明日菜ちゃんの視線が気になりつつも自分の弁当に箸をのばそうとした。


「麻香ちゃん、まさか……」

明日菜ちゃんは、険しい顔を見せていた。

そんな明日菜ちゃんの視線は、私のお腹を凝視していた。


「あははっ、私、太っちゃった」

「違うよ、麻香ちゃん。もしかして、妊娠しているの?あの時から、おかしかったし」

明日菜ちゃんの言葉に、私の胸はつままれるようだった。


秘密の事実を知っているのは、私と両親と坂吾さんしかいない。

「えっと、その……」

「隠したって無駄だよ、五月の時から少し気になっていたんだ。

おなかも、大きくなっているし、なんだか最近、食事も野菜中心でかなり気を使っているようだし。前みたいに肉を、食べないもんね。おまけに、いつも苦しそう」

大きくなっていくおなか、太った程度のおなかのふくらみ。

でも、明日菜ちゃんはずっと気づいていたんだ。

高カロリーの焼肉弁当を持った明日菜ちゃんは、私に差し出してきた。


「受験生は、カロリーのあるものを食べないとだめだよ!」

「うん……そうだよね」

明日菜ちゃんの言葉に、私の偽りは全て見抜かれていた。


「好きな人とか、できたの?女子高でも」

「えっと、それは……」

「まさか、あいつ?この前ね、私が帰る時、麻香ちゃんの家に入っていった金髪のあの人?『坂吾(さかご) 朋伯(とものり)』、じゃないの?」

明日菜ちゃんの上目使いに、私は嘘がつけなかった。

それと同時に、私は名前が知っていることに驚いた。


「うん、ってか、なんで名前を知っているの?」

素直に名前を知っていたことに、私は驚いていた。


「ダメっ、そいつだけはダメ!彼は、私もよく知っているの!」

「えっ?明日菜ちゃん、どうしたの?」

明日菜ちゃんの言葉に、騒然とするお昼休みを取っている何人かの生徒がこちらを見ているようだった。そのあと明日菜ちゃんは、私の耳元に口をつけた。


「彼は、ウチの学校なんだけど、すごく遊び人で有名人だったの。

坂吾先輩は、女の先生も、ホテルに連れて行ったりするし、ものすごい遊び人なの」

「分かっている、分かっているけど、できちゃったんだもん」

「ひどいことするね、坂吾先輩。許せない!」

ぐっと強く右手を握って、怒りをかみ殺した顔を見せる明日菜ちゃん。

彼女が、私のために怒っていることが、はっきり分かった。


「でも、どうするの?妊娠ってことは、あいつと麻香ちゃんとの子供が、お腹にいるんでしょ?産むの?それとも、止めるの?」

「分からない、分からないんだ。産んでいいのか、おろしていいのか?」

「本当に下衆(げす)だね、坂吾先輩。最低だね、明日菜にもだし」

悔しそうな顔を見せた明日菜ちゃん、ブルブルと焼肉を持った割り箸が震えていた。

私は明日菜ちゃんの悔しがる顔を眺めて、じっと見ていた。


「何かあったの、明日菜ちゃんも?」

「明日菜も、文化祭で声をかけられたから」

恥らう明日菜ちゃんの言葉に、私の胸の鼓動が激しくなった。

不機嫌な顔で、強引に焼肉を口にほおばった。


「ち、違うよ。坂吾先輩は女子みんなに声をかけているし、別に明日菜は坂吾先輩のことを好きじゃないです。フラフラしていて……あんな遊び人……」

怒った表情の明日菜ちゃんは、顔がやっぱり赤かった。

周りの生徒たちの楽しそうで、静かな雰囲気とは違い、私たちの空気は重くて熱い。


「本当にひどいよね、もしかして妊娠しているの?」

「分からない、何もかも。もう妊娠四か月だから」

私は、そういいながら机に隠れたおなかを撫でていた。

そこには、坂吾さんとできた赤ん坊、新しい命があるのも確かだから。

明日菜ちゃんは、弁当を食べながら私の方を見ていた。


「って、妊娠四か月?」

大きな声を出すと、あっという間に視線を集めた。

私は、しーっと人差し指を立てた。

明日菜ちゃんは、申し訳なさそうな顔を見せていた。


「ごめん」

「いいの、もっと早くに言わないといけないからね。私の方が謝らないと」

「麻香ちゃん、やっぱり産むの?それとも……」

「それも分からない、私、こういうの、弱い。だから、いつもダメなんだよね」

ため息をついて、弁当を見ていた。健康そうなものが並ぶ、自前の弁当。

キャベツを箸でつまみ、ため息をつく私。


「でも、いつかは選択しないといけないよ」

明日菜ちゃんの言葉は、正しいと思えた。

その選択は、もちろん『出産』と『受験』という二つの選択の事。

それは、ママが言ったあの言葉。二か月前に言われたあの質問、私の心は変わっていなかった。でも、その選択にためらいがあり、まだ甘えがあったのかもしれない。




あれから一か月、季節は巡り、秋になった。

夏の模試が終わり、塾ではクラス分けの時期。

さらに大きくなったおなかをみながら私は、塾に来ていた。

いつも通り、女子高のブレザー姿の私は塾の掲示板を見ていた。


それは、秋の模試による塾のクラス分けが行われた。

塾は、年二回春と秋に模試を行い、そこで学力レベル別にクラスを分けていた。

AからEまでの五段階に分かれ、模試の点数で昇格と降格があった。


高三の私にとって、塾でやる最後のクラス分け模試。

この後は、受験まで同じクラスで一緒に過ごすことになる。

多くの人が、掲示板に集まり一喜一憂。慣れた光景。

私も、少し離れたところで掲示板から私の名前を探していた。

大きくなった体を引きずりながら、掲示板を見てため息をついた。

それは、予想通りの結末。

奇跡は起きるわけがない、現実に愕然(がくぜん)とした。


そんな時、私の後ろからショートヘアーの少女が私を見ていた。

「麻香……ちゃん」

落ち込んだ表情を見せたのが、明日菜ちゃん。

彼女は、いつも通り白いセーラー服を着て、複雑な表情を浮かべていた。


「大丈夫だよ、私は」

「麻香ちゃん、ダメだよ、もう!」

言葉が、全くかみ合っていない。高校受験のあの時と、同じ。

結果は時に残酷で、歴史は同じことを繰りかえしていた。

塾で、同じクラスになった時に、同じ目的を確認した私と明日菜ちゃんの前には、掲示板は間違っていなかった。その結果が、泣きそうな明日菜ちゃんを見せていた。

活発で、元気な頭のいい少女、明日菜ちゃん。でも、いつも泣かせているのが私。


「Y大は、Aクラスじゃなくても受かるよ。

秋の模試は、私の努力が足りなかっただけだし、しょうがないよ」

「麻香ちゃん、ごめんね、力になれなくて」

なんだか、いつも自分が失敗ばかりして明日菜ちゃんを泣かしていた。

そんな明日菜ちゃんに私は、逆に申し訳なく許せない。

そんな、気持ちで胸の中はいっぱいだった。


「平気だよ。それじゃあね、バイバイ」

最後は笑顔で、私はBクラスの教室へと歩いて行った。

私も精一杯の笑顔を作ったが、Bクラスに入る前に悔し涙が、無意識に頬を伝った。




Bクラスは、Aクラスよりランクが低い。

私が入った教室は、二年生まで行っていた教室の空気そのもの。

その教室は、少し懐かしくもあった。でも、受験が近いので自習している生徒も多い。

先頭の机に座った私、そこに見慣れたあの先生が入ってきた。

七三の髪を分け、眼鏡をかけて少し太ったあの先生。


「というわけで、この秋もBクラスを担任することになった、津割(つわり)だ。

もう、受験までは早いところで二か月、センター試験までは四か月を切っている。

ここからは総力戦だ、お前たちは受験という戦場に立たねばならない。

それは、人生の中でも一番の岐路だ。この六か月は、お前たちの人生が決まる。

遊ぶな、恋愛も禁止だ!二十四時間を勉強に捧げろ、人生がかかっているんだ!」

相変わらず熱い津割先生の言葉、今日は九月六日。

センター試験まで、もう時間がない。


「特に、前浪 麻香」

「は、はい!」

いきなり津割先生に名前を言われて私は、返事をして立ち上がった。

それと同時に、Bクラスの生徒の視線が私に一斉に向けられた。


「お前の成績の低下は、特に著しい。恋なんて、している場合じゃないぞ!」

「えっ、あの……」

「お前の今夏の模試の結果、本来ならBではなくCクラスだ。

ここにきての大幅な成績の低下は、致命傷だ。

分かっているのか、たるんでいるんじゃないぞ!」

津割先生の、迫力ある怒鳴り声にショックしていた自分がいた。


「私、ごめんなさい」

「前浪はY大に、行きたいそうだな」

Y大と聞いて、周りの生徒がそわそわしていた。

Bクラスだと、Y大は偏差値的にかなり届かない。そのことを、みんな分かっていた。


「このままだと、志望校に入る確率は0パーセントだ。

今から、センター試験まで覚悟してかかれよ。できなければ、今すぐ諦めろ」

辛辣な言葉に、私は身が裂かれる思いだった。

そのあと、津割先生から模試の答案と解答が配られた。

それと同時に私はプリントを後ろに配って、ため息をついていた。


(最悪な点数、ダメ、これじゃあ)

返された模試の点数は、絶望的な点数。辛くて、泣きたくなった。

津割先生の言葉は、正しい。志望大学の偏差値とは二十以上、圧倒的な開きがあった。

過去最低の点数をたたき出した私は、ショックしかない。


そんな私は頭を垂れていて、ものすごく辛い顔つきに変わった。

そんな時だった、私のおなかが不意に痛くなっていた。

「い、いたい……」

ふいに襲い掛かるおなかの痛み。

おなかを押さえ、苦しみに顔が歪んだ。乱れた呼吸、これははっきりわかっていた。

(陣痛か、痛い……)

おなかの痛みは、命の痛み。ショックと、同時に襲う私の苦しみ。


「前浪、そうだろう、痛いだろう。お前の成績なんて、そんなもんだ」

「先生、前浪さんが……」

すると、私の異常に気づいた後ろの席の女子が私の背中をさすっていた。

赤くなった顔、小刻みに震える体、私はただ痛くて苦しい。


「前浪、どうした?」

「ごめん……なさい」

声が、かすれた。さすがに異常事態に気になった津割先生は、私のそばに駆け寄っていた。私のせいで、騒然とする教室。また、迷惑をかけちゃったな。

おなかを抱えて、私はただ痛みが引くことを待つしかない。


(だめ……かな)

私は医者から処方された、睡眠効果もある痛み止めの薬を、飲まないでいた。

ずっと成績不振で、私は焦っていた。

遅れを取り戻さないといけない、時間は待ってくれないから。誰かが、言っていたね。

でも、痛みはずっと私を襲っていた。

耐えられないほどの痛みに、騒然とする教室。津割先生の眉間が、険しくなっていた。


「病院に行け、お前は、いるだけでほかの人の邪魔になる」

「ごめん……ごめんなさい」

津割先生の言葉は、厳しい。

内線電話で津割先生は、塾の職員を呼びつけた。

そのまま私は、塾の職員に連れられて駅近くの病院へ、運ばれていった。



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