ようこそ高天原学園へ①
彼方の山の端に沈み始めた夕日が、広大な平野を黄金色に染めた。
柔らかな陽の光に照らされて、生い茂る一面の葦の野原がざわりと風にそよいだ。
見上げる空の彼方に、幾つもの小さな光の点が浮かぶ。光は瞬く間に数万、数十万と数を増して、黄昏色の空を眩く塗り潰す。
翼を広げた西洋の天使──いや、そういう外観を備えた、輝く金属の鎧と燃えさかる剣で武装した機械の巨人。
輝く神性をまとった数えきれないほどの機械天使の軍勢が、高らかな賛美歌の響きと共に濁流となって押し寄せる。
──ぼんやりとした頭で、ああこれは夢だなって思う。
知らない誰かの記憶を覗き見て、その誰かの代わりに追いかけるみたいな感覚。
僕は黄金色の平原に立って、世界の終わりみたいな空を見上げている。
かさりと、草を踏む小さな音。そこで初めて、隣に誰かが立っているのに気付く。
白い狩衣と袴──最高位の陰陽師の戦装束をまとった、艶やかな黒髪の、僕と同い年くらいの少年。
「心配はいらないよ、『……』。危ないからお前は下がっていなさい」
誰かの名を呼ぶ、優しい声。
ぞろりとした長い袖が風にたなびくと、飛び出した数千の神符が花吹雪みたいに空一面に舞い踊る。
「──須佐之男命」
凜と透き通る少年の声に応えて、神符が光を纏う。顕現した無数の輝く装甲板が空中で互いに重なり合い、巨大な人の似姿を形作る。
太古の装束と未来的なデザインを掛け合わせた白と赤の鎧を纏う、全長数百メートルの機械の巨人。
軽やかに地を蹴った少年の体が優美な装甲の上を膝から胴へと駆け上がり、瞬く間に巨人の肩に飛び乗る。
少年が柏手を強く打ち鳴らすと、宙に渦を巻いた神符が輝く二つの円を形作る。巨人が両手を円の中に差し入れ、虚空の彼方、ここではないどこかから長大な物体を引き抜いていく。
溢れ出た爆発的な神性が、世界を塗り潰す。
顕現するのは、優美な刀身を備えた二振りの剣。
右手に輝くのは、八岐大蛇を葬り去った神剣「天羽々斬」。
そして左手に輝くのは、その大蛇の尾から見出されたという彼の名高き──
「諸々の禍事、罪、穢有らむをば、祓え給い清め給え──!」
高らかな少年の叫びと共に、巨大な二振りの剣が十字に天を薙ぐ。
迸る光。地平線に輝く太陽よりもなお眩い閃光が、機械天使の軍勢を縦横に裂く。
瞬時に素粒子単位にまで分解された無数の金属の残骸が、わずかな神性の光を残して雪みたいに舞い落ちる。
雲霞のような天使の軍勢が、炎の剣を一斉に振り下ろす。降り注いだ爆発的な衝撃が葦の平野を呑み込み、周囲の山々を跡形もなく消し飛ばす。
沈みかかっていた夕日が、地平線の向こうに再び姿を現す。
立ち尽くす巨人の肩の上で、少年が片膝をつく。
生気を失った唇の端から血が滴り落ちる。小さく息を吐いた少年が、眼下の遠く、僕が立つその場所を見下ろす。
艶やかな黒髪が風に吹き流されて、影になっていた顔が一瞬だけ露わになる。
泣いてるみたいな、笑ってるみたいな、僕がよく知ってる顔。
死んだ祖父ちゃんと同じ、誰かを守ろうって決意した人の顔。
力を振り絞って立ち上がった少年が、両手で次々に複雑な印を形作る。
軽やかな機械の駆動音が響くと、巨人の全身を覆う装甲が複数のパーツに分割して幾つもの噴射装置が展開する。
──耳をつんざく大気の唸り。
二振りの神剣を携えた機械の巨人が、ゆっくりと浮上する。
空の彼方で無数の光が弾けて、夕暮れ時の世界を照らす。輝く二振りの神剣が閃く度に、百万を超える機械天使の軍勢が少しずつ消し飛んでいく。
魂を燃やし尽くすみたいに、眩く空を染める光。
黄昏の空を遠ざかるその雄姿に、僕は呆然と手をのばす。
知らない戦場、知らない敵。そこで命を賭して戦った名も知らない少年。
夢の中の出来事のはずなのに分かってしまう。
これが本当にあったんだってことも。その人がどんな末路を辿ったのかも。
小さな光が一つ瞬いて、炎に揺らめく戦場の空を落ちていく。
夏の終わりに祖父ちゃんと灯した、線香花火の最後の一滴。
宵闇に沈み行く葦の野原からそれを見上げ、僕は小さな声で問うた。
──あなたは、誰?
*
吹き抜ける強い風の音に、目が覚めた。
僕はゆっくりと瞼を開き、視界いっぱいに広がる青空に思わず瞬きした。
手のひらとか足とかに触れる羽根の感触がくすぐったい。力強い羽ばたきが近くで聞こえて、どうやら先輩の式神の大鴉に乗って空を飛んでるらしいって気付く。
だけど、どうして自分が横向きに寝そべっているのかがわからない。
ぼんやりとした頭でしばらく考え、ようやく思い出す。
……そっか、高天原に行く途中なんだっけ……
展望デッキで氷川先輩から衝撃の発言が飛び出したすぐ後のこと。大混乱の僕がとにかく詳しい話を聞こうとしたちょうどその時に、先輩のスマホに連絡が入った。
開口一番『生徒会長だ!』って名乗った男の人はものすごい勢いで何かを叫んでたけど、通話を代わった学園長が挨拶したら静かになった。
先輩と学園長とその人の三人で話し合いが行われて、僕たちが助けた乗客は展望デッキごと高天原に運ばれることになった。
事情聴取とか健康診断とか変な呪詛を受けてる人がいないかとか、とにかく色々調べないと地上に帰すことは出来ないし、一応は学園だけじゃなくて市政府の調査も入れないといけないらしい。
先輩と学園長は手分けして、砕けた窓を補修したり動力の小型祈願炉を強化したりを始めた。僕も何か手伝おうとしたんだけど、急に体に力が入らなくなってその場に座り込んでしまった。
それで先輩がものすごく慌てて大鴉の式神に強引に僕を乗て、展望デッキが急に遠くに離れて、鴉の背中が揺れる感触にうとうとしてたら隣に座った先輩が「少し休みたまえ」って僕の体をそっと横に倒して──
一気に目が覚める。
待って。じゃあ、僕がさっきから枕の代わりにしてるのは。
ふわふわ柔らかいこの感触は、赤い布っていうか、袴っていうか、太ももっていうか、つまり。
「うわ!」
「おっと」
慌てて起き上がろうとした途端、細い手に体を押さえられてしまう。
おそるおそる首を捻って見上げる僕に、先輩はくすくすと笑って、
「どうしたんだい? 御厨君、そんなに慌てて」
「だだだ……だって! 先輩、これ膝枕……!」
「気にしないでくれたまえ。きみをねぎらうための、ちょっとしたサービスだよ」
すらりとした指が子犬か子猫をあやすみたいに僕の髪を撫で、
「ああ、もちろんその分バイト代を減らすなんて野暮なことは言わないから安心してくれたまえ。何しろ、きみの寝顔はとてもチャーミングだからね。私にとっても役得というものさ」
「な、何言ってるんですか!」
顔が熱くてくらくらする。
何度も言うけど自分と同い年くらいの女の人と話すのなんて生まれて初めて。祖父ちゃんと暮らした村には子供なんかほとんどいなくて、先月まで通ってた中学の生徒も僕一人だったんだ。
先輩の膝枕は暖かくて、何だか夢の中にいるみたいな気持ちになる。
巫女装束からは、花畑みたいな甘い香り。
知らなかった。女の人って、近くにいると良い匂いがするんだ。
「……あの、天鳥船のお客さんは?」
「大丈夫だよ、ほら」
先輩の指さす先に視線を向け、安堵の息を吐く。僕たちを乗せた大鴉の後方、少し離れた場所で、円盤みたいな展望デッキはものすごい数の光る文字に包まれてぷかぷかと飛んでいる。
「すごいですね。あれ、学園長が一人で動かしてるんですか?」
「そうだよ。……私も手伝おうかと聞いてはみたのだけどね、ちゃんと御厨君の面倒を見ろと叱られてしまったよ」
小さなため息。
先輩はひんやりとした手を僕の頬に当て、
「……すまないね、御厨君」
困ったみたいに微笑み、ちょっとだけ顔を寄せて、
「ともかく、元気そうで安心したよ。……痛いところはないかい? 少しでもおかしいと感じたらすぐに言うんだよ。きみはとんでもなく無茶なことをやったんだからね」
思わず瞬き。なんて答えたら良いか分からなくなって、膝枕のまま先輩の端正な顔をまじまじと見つめてしまう。
無茶っていうのはたぶん、あの機械の腕を呼び出したこと。
先輩が「須佐之男命」って呼んでた途方もない神性の塊。小さい頃から祖父ちゃんに鍛えられてそれなりに自信はあるつもりだったのに、神卸でここまでごっそり体力を持って行かれたのなんて生まれて初めてだ。
だいたい、わからないことだらけだ。
須佐之男命っていったら先輩の家──氷川神社が奉る神様のはず。
神道の神様の大半は望めば誰にでも力を貸してくれて、例えば僕が使う火之迦具土神なんかがそうなんだけど、須佐之男命は特別な神で、力を借りるための技を伝えてるのは現代では氷川家だけなんだって聞いたことがある。
その特別な神様の力を、縁もゆかりもない僕が借りた……いや「卸して」しまった。
もちろん、思い当たる節なんて全くない。
そもそも、あれが本当に「神卸」だったのかも分からない。
僕が知ってる神卸っていうのは神様の神威を武器とか道具とか式神とか、あるいは「現象その物」っていう形で顕現させる技術。
僕の荷電粒子砲は砲身が五メートルくらいあるけど、あれは神卸の中ではかなり大きい方で、普通は銃とか剣とかを「人間が普通に使うサイズの武器」として呼び出す物だ。
全長数百メートルの、昔のアニメに出てくる巨大ロボットみたいな姿で顕現させるなんて聞いたことがない。
しかも、頭も胴体も足もなしで、両腕だけであのとんでもない神性。
僕の火之迦具土神の何千倍か、あるいは何万倍か、とにかくまるで比べものにならない。
何から何までわからないことだらけで、どれから聞いたらいいのかわからない。
だけど、そんなことより何よりも──
「……あの、さっきの話ですけど」
「ん?」
膝枕のまま問う僕に、先輩はちょっと首をかしげてから一つ手を叩いて、
「そうか、バイト代の話をしないといけないんだったね! 大丈夫。きみは今回の最大の功労者だからね、必ず満足のいく報酬を支払うと……」
「じゃなくて、『夫』がどうのって方です」
ぴたっ、と動きが止まる。
無言でじとっと見上げる僕に、先輩は困ったみたいに視線を逸らして、
「……その話、どうしても今しないとだめかい?」
「だめです。ちゃんと教えてください」
「すごく複雑なんだよ。説明しないといけないこともたくさんあるし」
「それでも良いですから」
「……御厨君はせっかちだなあ」
ふぅ、ってなんだか可愛らしいため息。
綺麗な細い指が、僕の鼻先をちょんとつついた。
「しょうがないね。それじゃあ、少し歴史の勉強といこうか」




