猫と鴉とお狐様⑥
「宗一郎──! どうしよ! たまいなくなっちゃった!」
ばーん、とものすごい音がして、屋内演習場の扉が開かれた。
飛び込んでくる白狐の式神に、僕は思わず手のひらで顔を覆った。
周りで供骸を操作してたクラスのみんながびっくり顔で振り返る。
競技祭から連休を挟んで、久しぶりの供骸操作の授業は演舞の練習。
来週の中間テストではみんなが同じ構成の攻防を演じて、その良し悪しで成績が決まる。
「梨玖ちゃん……今朝言ったよね? 僕は先輩みたいに供骸と式神の操作は同時に出来ないから、このくらいの時間になったら一回たまが消えるよって」
「全然覚えてない!」
力強く応える梨玖ちゃん。そういえばランニングの後でその話をした時は、必死で先輩のおにぎり食べてたっけ。
いや、そんなことよりまず、今は中等部も授業中じゃないの?
なんて考える僕の腕を掴んで梨玖ちゃんがぴょんぴょんと飛び跳ね、
「ねーねー! 早く出して! たまがいないとボク勉強できない!」
「ちょ、ちょっと待って! 落ち着いて!」
料理部でのお泊まり会から三日、毎日放課後に遊んでるおかげで、梨玖ちゃんはずいぶん僕に打ち解けてくれた。
正直、嬉しい。
嬉しいんだけど、今はすごく困る。
「梨玖さん!? あなたは何をやっていらっしゃいますの! 今は授業中ですのよ!」
「げぇ! 彩葉姉!」
叫んだ梨玖ちゃんが僕の背中にささっと隠れ、
「ボクが悪いんじゃないぞ! 夏乃姉と約束したんだ! たまがいなくなったら宗一郎に文句言っていいって!」
「そう……なんですの?」
「うん、まあ……」
怪訝そうな彩葉さんに、梨玖ちゃんの修行のために僕の式神を貸してることをかいつまんで説明する。
「そうなの?」
と、いつの間にか歩み寄った黒川君が首を傾げて、
「梨玖さんは天照大御神の神性に体がついていけなくて困ってるんだよね? ずいぶん変わった修行だね」
「うぇ!? そ、それは!」
「そ、そう! 氷川先輩が梨玖ちゃんのために考えてくれた特別な訓練で!」
「そうですのね! さすが夏乃様ですわ!」
悲鳴をあげる梨玖ちゃんの代わりに彩葉さんと二人で誤魔化す。
危ない。「天照大御神が勝手に動く」っていう問題を知ってるのはこのクラスでは三名家出身の彩葉さんだけなんだから、もっと気をつけないと。
と──
「中等部の度会梨玖か」
いきなり、温度の低い声。
振り返る僕たちの前で、軍事教練担当の篠村先生が腕組みし、
「復学したと聞いている。おめでとう。……だが、ここは高等部の演習場で今は授業中だ」
「す、すいません!」
慌てて頭を下げる僕。背中に隠れた梨玖ちゃんが式服の裾をぎゅっと掴む。
と、かすかなため息。
篠村先生は独り言みたいな小さな声。
「……面倒見の良さは秋葉大佐譲りか」
え?って顔を上げる僕の前で、先生は軍服みたいな黒い式服の袖から神符の束を取り出す。
節くれ立った指が符を投げ放つと、光る文字で編まれた紋様が演習場の隅に転がるマネキンみたいな供骸を取り囲んで結界を構築する。
「ちょうど良い。特別授業だ。……度会梨玖、その供骸を起動してみろ」
クラスのみんなからざわめきの声。駆け寄った賀茂君と水瀬さん、それに彩葉さんが心配そうな顔をする。
さらに隣の黒川君は、どっちかっていうと興味津々の顔。
僕は梨玖ちゃんを振り返りながら、頭の隅っこで別なことを考える。
……今、祖父ちゃんの名前を……
ショッピングモールでの菅原市長とのやりとりを思い出す。色々ありすぎて忘れてたけど、あの時、市長は確かに「秋葉直哉のことは学園長か篠村教諭に聞け」って言った。
先生は確か元々は軍人で、東方神域戦争が終わった後で学園長にスカウトされて高天原に来たんだって聞いた。
もしかしたら、軍にいた頃に祖父ちゃんと出会ってたなんてことは──
「宗一郎……どうしよ……」
泣きそうな声に我に帰る。梨玖ちゃんはオレンジの瞳に涙をじわっとにじませて僕の腕を握りしめてる。
供骸を起動するってことは天照大御神を卸すっていうこと。また勝手に動き出したらって不安なんだ。
どうしよう。止めた方がいいのかもしれない。僕は意を決して篠村先生に向き直り──
「御厨。お前は式神を召喚しろ」
「え」
思わず瞬き。
言われるままにたまを呼び出して、梨玖ちゃんの頭の上に乗せる。
「いいか度会。ゆっくり、落ち着いてだ。その猫の神性を消し飛ばさないぎりぎりまで、神との接続を少しずつ強めていけ」
「う、うん!」
淡々と指示する篠村先生に、梨玖ちゃんが拳を握りしめてうなずく。
一度だけ、大きく深呼吸の音。
小さな手が、セーラー服のポケットから神符の束を取り出す。
「──天照大御神!」
指先から離れた神符が練習用供骸の胸、祈願炉の位置に張り付く。
符からあふれた光が輝く太陽の紋様が形作る。
跳ね起きる供骸の全身を、目が眩むような閃光が包む。
「あ──!」
「梨玖ちゃん!」
思わず叫んで手を伸ばしかけるけど、それより早く「みゃっ」と声を上げたたまが梨玖ちゃんの頭から腕の中に飛び降りる。
とっさに小さな体を抱き止める梨玖ちゃん。
オレンジの瞳がきょとんと瞬きして、それから柔らかく笑う。
供骸を包む閃光がわずかに弱まり、少しずつ物質へと変わっていく。揺らめく薄衣みたいな半透明の装甲。太陽の紋様がそのまま実体化したみたいな背中の飾りから、無数の砲塔が時計の針みたいに突き出す。
「……出来た……」
呟いた梨玖ちゃんが真っ赤な顔で僕を振り返り、
「出来た! ボク出来たよ宗一郎! うわどうしよ! 夏乃姉に自慢しなきゃ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるセーラー服の小さな体。
腕の中のたまが、「みゃっ」と偉そうな顔をした。
*
「……そうか! 供骸が起動出来たのか! それは良かったねえ」
「そうだよ! もうばっちり。夏乃姉にも見せたかったなぁ……」
しょきしょきという軽快なハサミの音が、放課後の料理部部室に流れた。
嬉しそうにうなずく氷川先輩の前で、椅子に座った梨玖ちゃんは得意満面で足をばたばたさせた。
窓から差し込む夕陽に薄茶色の髪がきらきら輝く。
防水の白いポンチョを被った梨玖ちゃんは大きなてるてる坊主みたいで、足元には細かい毛が散らばってる。
「さて、こんなもので良いかな。……御厨君、鏡」
「はい」
用意しておいた手鏡を差し出すと、受け取った先輩は梨玖ちゃんの首の後ろあたりにかざして角度を変えて見せる。
二人の前には、大きな姿見の鏡。
梨玖ちゃんは短くなった髪の毛先をちょっと指先でつまみ、
「うん、良い感じ! ……でも、良いの? 赤いところ全部切っちゃわなくて」
不良のトレードマークみたいだった梨玖ちゃんの髪の毛の赤く染めた部分はすっかり短くなって、元々の薄茶色に隠れて目立たなくなってる。
切りたいって言ったのは、梨玖ちゃん本人。
完全になくなったわけじゃないけど、前に比べたら全然おとなしい雰囲気だ。
「あまり短くしてしまうと男の子みたいだからね」
先輩は梨玖ちゃんの髪を櫛で丁寧にとかし、
「お風呂で細かい髪の毛を洗い流そう。新しい髪型に相応しいお化粧のやり方も説明するからね」
うん、ってうなずく梨玖ちゃん。僕は箒とちりとりを持ってきて、畳に散らばった真っ赤な髪の毛を掃き集める。
座卓の上のたまが、にゃあん?と不思議そうな顔。
梨玖ちゃんは子猫に視線を向けてちょっと笑い、両耳のピアスに手をのばす。
「外してしまうのかい?」
「うん……これも不良っぽすぎるかなって」
「けれど、それは梨玖君のお母様の形見だろう?」
え、って僕は思わず瞬き。
「そうなの!?」
「まあ、そうだけどさ。……でもやっぱり校則違反だし」
ちょっとだけ躊躇ってから、ピアスを外そうとする梨玖ちゃん。
と、先輩がその手をやんわりと押さえる。
「それは、まだ良いんじゃないかな」
「夏乃姉……?」
「担任の先生には私から話しておくよ」
先輩は梨玖ちゃんの首周りからするっとポンチョを外し、
「焦らなくても良いんだよ。梨玖君が本当に大丈夫になるまで……それまでは、お母様に守ってもらおう」
「……ありがと、夏乃姉」
えへへ、と笑った梨玖ちゃんが椅子から飛び降りる。大きな鏡の前でくるっと回り、ひょいっとたまを抱き上げて、
「ボク、お腹空いた! お風呂から出たら何か食べたい!」
「良いとも。何がお望みかな? 何なりとご馳走しよう」
「ほんと? ……じゃあね、ボク、宗一郎が作ったご飯がいい!」
「え? 僕?」
「ああ、それは良い考えだ。御厨君もれっきとした料理部の一員だからね」
ハサミと櫛を置いた先輩があははと笑い、
「御厨君、申し訳ないけど任せて良いかな。私は梨玖君とお風呂に行ってくるから」
「はい。ごゆっくり」
「あ。……覗くなよ? 宗一郎。夏乃姉は許してもボクが許さないんだからな」
「覗かないよ!」
ふへへへ、っていう梨玖ちゃんの笑い声。
僕は先輩と顔を見合わせ、同時に吹き出した。




