幕間──亡国の影②
学生寮の自室に戻った時には、夕暮れ時が近づいていた。
俺はベッドに体を投げ出し、胸にたまった重い空気を吐き出した。
昨夜は御厨宗一郎の病室を去った後、寮に戻るふりをして高天原の地下に潜った。
第四層の山林にはスポンサーが用意した隠れ家があって、神格解放戦線の本部と連絡を取ることが出来る。
仮想の会議室に集まった世界各地の同胞から状況報告を受け、十数時間ぶっ続けで今後の行動方針を話し合った。
戦況は好ましくない。
組織の仲間は英国をはじめとした日本の同盟国にも多く囚われていて、その解放は急務だ。だというのに、組織には人員も戦力も、何もかもが足りない。
皆が期待している。
俺がこの高天原で何かを──世界に抗しうるだけの圧倒的な「力」を手に入れることを。
「……おや、浮かない顔だね」
不意に、部屋の奥から声。いつの間にか開け放たれた窓の内側で、鴉が嘲るように嘴をかちかちと鳴らす。
「ノックをしろと言ったのを……」
「したとも。君が気付かなかっただけじゃないのかい?」
あからさまな嘘を堂々と答えた鴉が部屋を飛び渡って枕元に止まる。
身を起こすついでに腕で払うと、黒い翼はばたばたとわざとらしく羽ばたいて今度は机の端に着地し、
「昨日はご苦労だったね。報酬だけど、約束通り軍用供骸を十体、英国にある君たちの支部に送ったよ。明日には届くはずさ」
そうかと呟いて神符を取り出し、狐の面で顔を覆う。ついでに喉に符を貼り付けて声を変える。
確かに俺自身が要求した報酬。
だが、その件について普段の声でこいつと語り合う不快感は筆舌に尽くしがたい。
「せいぜい役に立ててくれたまえ。君のお友達が無事に牢獄から救い出されることを、陰ながら祈っているよ」
「……言われるまでもない」
嘲るように黒い目玉で瞬きする鴉を睨み付ける。こいつが一方的に神格解放戦線に取引を持ちかけてきてから数年、俺なりに調べてはいるが、高千穂重工に関わる何者かだという以上のことは未だに分からない。
軍用供骸十体──日本はともかく、貧しい小国では年間の軍事予算を残らずはたいてもその半分も用意出来ないだろう。
それを小銭か何かのように支払うこいつは、何者だ。
「それで、実験とやらは成功したのか。御厨宗一郎を八岐大蛇と戦わせて、お目当てのでデータとやらは得られたのか?」
「残念だけれど、上々とは言い難いね」
鴉は、くわ、と一声鳴き、
「ただ、幾つかの異常値は検出できた。調査は引き続き継続される。君には今後も協力をお願いすることになりそうだよ」
鴉の言葉に仮面の奥で眉をひそめる。御厨宗一郎は部分的とはいえ間違いなくスサノオシステムを起動し、あまつさえ最強の兵装の一つである神剣「天羽々斬」さえ操って見せた。
その一部始終は俺も見た。
ならば、必要な確認はもう終わったのではないのか。
「わからんな。お前たちの狙いはスサノオシステムだろう。これ以上何を調べる必要があると」
「スサノオ? ……ああ、そうだね。スサノオシステム、あれも重要だったね」
鴉はどういうわけか興味なさげに声を返し、
「とにかく、鍵は御厨宗一郎だ。君は今後も彼を観察してくれたまえ。──特に、国之常立神との間に妙な反応が見られた時はすぐに知らせるように、ね」
まただ。以前に競技祭での計画をほのめかした時もそうだったが、この鴉は御厨宗一郎と「国之常立神」を対で語る。
この高天原のあらゆるエネルギーと物資生産を司る超巨大祈願プラント。古事記において、天地開闢の最初に現れたとされる神。
いや、そもそも──
「なぜ、御厨なんだ?」
以前から抱いていた疑問を口にする。御厨とは「神の台所」を表す言葉。祭神に捧げる食事を用意するための場であり、かつては伊勢神宮をはじめとして様々な神社が御厨を備えていたし、全国各地に「御厨神社」が点在していた。
だが、それらの全ては、二〇九九年現在の日本には存在していない。
かつてその名を冠していた神社は量子神道の誕生と入れ替わるように姿を消して、今では一つも残ってはいない。
「……鍵だからだよ。失われた『四機目』の」
と、独り言のような鴉の呟き。
俺の怪訝そうな雰囲気に気付いたのか、鴉はすぐに「いけないいけない」と翼を震わせ、
「忘れてくれたまえ。どうも、式神を経由すると思考と発言が直結していけない」
「待て、今のはどういう……」
言い終わるより早く羽ばたいた鴉が、素早く部屋を飛び出して鎮守の森の彼方へと消える。
かちりと、窓の鍵が落ちる音。
俺は苛立ちをかろうじて堪え、狐面を外してベッドの端に放り捨てる。
鴉が事前に話していた通り、競技祭での「実験」は一人の犠牲も出さなかった。競技参加者の学生たちや観覧の父兄、その他の来客は八岐大蛇が降臨すると同時に模擬都市の外に脱出し、御厨宗一郎は無事に生還した。途中で氷川夏乃が負傷したが、どうやら傷は残らないらしい。
その事に安堵している自分が、嫌になる。
机の上、競技祭の前日にクラスの全員で撮った集合写真に、どうしても目が行ってしまう。
三週間も観察していればわかる。御厨宗一郎は極めて純朴で誠実な──少なくともあの鴉などより遥かに信頼のおける好ましい人物だ。自分に裏の事情がなければ、きっと良い友人になれたのだろう。
いや、彼だけではない。身分と経歴を偽って高天原学園の初等部に潜り込んでからもう四年と少し。クラスの同級生の信頼を得るに従って感じるようになった違和感は、今では重くて冷たい塊になって胸の奥にはっきりと居座っている。
高天原は祖国を滅ぼした敵。彼らはその罪の上に生まれた子供たち。
だから、この感情は捨てなければならない。
そのはずなのに、何度も自分に言い聞かせてきたはずなのに。
気がつけば、過ごした年月がこの身の内に降り積もっていく。
「俺は……」
不意に、机の上のスマホから呼び出し音。喉に貼り付けた神符をはがし、着信のアイコンを指先で叩く。
『あー! やっと繋がった!』
回線の向こうから、水瀬美羽の元気な声。
『競技祭の打ち上げ、ちゃんと覚えてるよね? 委員長が来ないと乾杯できないでしょ!』
スマホの向こうで学生たちの歓声。押見彩葉の甲高い声に賀茂陽真が辟易した様子で言葉を返し、御厨宗一郎が楽しげに笑っている。
戦勝国に生まれ、平和と繁栄を享受する、憎むべき敵。
だけど──
「ごめんごめん、すぐ行くよ」
柔らかい声を作って応え、通話を切って息を吐く。部屋の隅の鏡と向き合い、在るべき姿に表情を整える。
そうして、僕は今日も仮面を被る。
高天原学園高等部一年C組クラス委員長、「黒川日向」の仮面を。
<神式駆動カーニバル 第一幕 完>
~第一幕、完~




