二人の時間②
高等部の閑散とした廊下に、二人分の靴音が残響した。
競技祭から一夜が明けて翌朝七時。僕は氷川先輩と並んで、生徒会室に続く道を歩いた。
「そういえば先輩、足は大丈夫ですか?」
「すっかり良くなったよ。符術による治療だから傷も残っていないしね」
先輩はセーラー服のスカートをぴらっとつまんで、八岐大蛇の水流にやられた太ももの辺りを示して見せる。
確かに痕は残ってない。良かった。良かったんだけど、透き通るような白い肌が朝日に眩しい。
慌てて視線を逸らすと、先輩も何かに気がついた様子でスカートを整えて咳払いする。
なんだか気まずい。
黙っていると、どうしても昨日の彩葉さんの言葉を思い出してしまう。
──夏乃様は宗一郎さんお付き合いなさっていらっしゃいますの──?
びっくりして何も答えられない僕の代わりに先輩が笑い飛ばしてくれて、それで昨日はお開きになった。お見舞いに来てくれた賀茂君たちが帰って、一緒に病室に泊まるって言った先輩が看護師さんに説得されてしぶしぶ手を振って、僕は一人きりのベッドで夢も見ないくらいぐっすり眠った。
そうして朝早くに呼び出されて、迎えに来てくれた先輩と一緒に学生服で歩いてるのが今。
競技祭の事件のこととかスサノオシステムのこととか、考えなきゃいけないことは色々あるのに、どうしても先輩のことが気になってしまう。
……どうしよう……
全然ちゃんと考えたことなかったけど、初めて会った日に「夫になってもらわなければならない」って言われて、毎日晩ご飯を作ってもらって、放課後とか休みの日とかはいつも一緒にいて、時々抱きつかれたりもして。
そういうのって、ものすごく特別な関係なんじゃないかって、今さら気がつく。
だけど、じゃあどうしたら良いのかって言われたら、見当も付かない。
正直に言ってしまうと、僕は「付き合う」っていうのがなんだかよくわからない。祖父ちゃんと一緒に過ごした村には僕以外の子供がそもそも一人もいなくて、高天原に来るまで同い年どころかちょっと年上とか年下の人とさえ、話したことが一度もなかった。
……先輩はどうなんだろ……
隣を歩く横顔にちらっと視線を向ける。僕も背が低いっていうわけじゃないんだけど、先輩はすらっと背が高いからこっちの方がちょっとだけ見上げる格好になる。
窓から差し込む朝の光に照らされた先輩の顔。
くるっとカールした艶やかな睫毛がものすごく綺麗なのに、今さら気付く。
「御厨君……?」
「は、はい!」
いきなり名前を呼ばれて、思わず気をつけをしてしまう。それでやっと、自分が生徒会室の前にいるのに気付く。
音もなく押し開かれる重厚な扉。
居並ぶ役員の真ん中で、秩父伊織生徒会長が黒縁の眼鏡を押し上げた。
「よく来てくれた、御厨一年生、氷川執行役員。早速始めよう」
*
「──結論から言うと、模擬都市の地下には細工が施されていた」
っていうのが、会長の第一声だった。
顔を見合わせる僕と先輩の前で、会長は会議机に埋め込まれた水晶板に指を滑らせ、立体映像の画面を呼び出した。
僕は先輩と並んでコの字型の会議机の端に座り、光の線で描かれた模擬都市の地図を見上げる。前にこの生徒会室を訪れた時は来客用のソファーに座ったけど、今日は僕にもちゃんと席が用意されてる。
先輩のさらに隣には押見澄葉副会長。向かいには中臣真白書記と、昨日の競技祭にはいなかった会計の戎蓮司さん。
秩父会長も含めて、全員の表情っていうか、雰囲気が固い。
「そもそも、あの模擬都市には内部で行使された神術の余波──まき散らされた神性を吸収して国之常立神に還元する仕組みが組み込まれていた。これ自体は高天原の他の演習場や、校庭にもあるごく普通の機能だ」
そんな言葉と共に、秩父会長は水晶板をなぞって立体映像の地図をひっくり返す。
幾つもの機械や柱が複雑に絡み合った、直径一キロの円形都市の地下構造。
そこに、中心から外周に向かって波打つ八本の赤い線が描かれる。
「だが、この神性の排出路に特殊な仕様というか、一種のバグが含まれていたことが判明した。神性の総量が一定を越えると流路が収束し、ちょうど八方向の流れになる。……要するに、競技祭が行われていたあの時、模擬都市は八岐大蛇を降臨させるのに極めて都合がいい状況にあったということだ」
思わず息を呑む僕。先輩も難しい顔で唇に指を当てる。
と、さらに隣の押見副会長がティーカップを取り上げて優雅に一口傾け、
「模擬都市の地下からは、最近になって施された水神、つまりは龍を祭る類いの符術の痕跡も発見されましたわ。……けれど、それはあくまで最後の一撃、起動スイッチのような物。仕掛けその物は昨年、模擬都市が造成された時にはすでに組み込まれていたと見るべきですわ」
「……なるほど」
先輩が呟いて黙り込む。生徒会役員の四人もそれぞれに難しい顔をする。
僕は上手く話しについていけなくて、しばらく迷ってから、
「あの……じゃあ、怪しいのは模擬都市を造るのに関わった誰かっていうことじゃないんですか? その人たちを調べれば……」
おそるおそる言ってみるけど、返ってくるのは重苦しい沈黙。
秩父会長が小さく息を吐いて眼鏡を押し上げ、
「御厨一年生。この高天原を建造し、運営管理の全てを担っているのが誰か、知っているか?」
「……すいません。ちゃんと勉強してなくて……」
「高千穂重工。高天原の下部組織に当たる、世界最大の量子神道技術会社だ」
え、って思わず声。
隣の先輩を横目にうかがうと、かすかに強張った顔が「そうなんだよ」ってうなずき、
「御厨君も高天原に来るときに、『高千穂地上港』から天鳥船に乗っただろう? あの港の周りに広がっているのが高千穂──神話の時代に高天原の神が最初に降り立った地になぞらえて造られた一大工業都市さ。それを取り仕切っているのが高千穂重工。高天原の経済面の顔の一つだね」
はー、って感心してしまう。会社って言ったら田舎の小さな事務所くらいしか知らない僕には全然ピンとこないけど、量子神道技術は世界の全てを支配してるわけだからそれを専門に扱う会社って言ったらすごく大きくて当然だ。
って、待って。
「じゃあ、結局、犯人は誰なんですか?」
「高千穂その物が高天原に敵対するというのは考えにくい。内部の誰かということになるが、事件の規模や神術無効化フィールドの動作不良の件を考えればある程度の組織的な関与があったはずだ」
そう言って、秩父会長は模擬都市の立体映像を消し、
「戎。御厨一年生に例の資料を」
へいへい、って答えた戎さんが神符を放り投げると、光る文字で編まれた大きな鯛が空中に出現する。
戎さんの式神、『恵比寿鯛』。
いかにもおめでたい色合いの魚がくるりと輪を描くと、ものすごい数の立体映像の書類が生徒会室一杯にぶわっと展開される。
「うわ! な、なんですかこれ!」
「おっと、悪いな御厨少年。何しろ競技祭も授業もさぼってかき集めたもんでな。整理が追いついてないんだ」
戎さんが柏手を一つ叩くと、無数の書類が光に溶けて一枚だけが残る。
大きく拡大された書類には、「高千穂重工」って書かれた写真が幾つか。
その真ん中、限界まで引き延ばされてぼやけた写真には、黒い軍用スーツをまとった狐面の──
「これ……!」
「神格解放戦線のリーダー。御厨少年が天鳥船と、それから昨日の競技祭で会った男だ。……こいつらに流れる資金を追ったら、高千穂重工の子会社の取引先に行き着いた」
「九条隼人さんからもご報告をいただいているのですけれど、この方は宗一郎さんが出会った鴉を『スポンサー』と呼んでいたそうですわね」
無言でうなずく僕。
それに秩父会長がうなずき、
「この男は競技祭の会場に当然のように現れた。当日の観客に紛れていたという線はもちろん考えられるが、我々はもう一つの可能性を考慮する必要がある。……すなわち、以前から学生、あるいは教員としてこの学園内に潜伏していたという可能性だ」
「え……?」
目を丸くしてしまう。待って、そんなスパイみたいなの本当にあるの?
なんて考える僕に押見副会長が、ついっ、と意味深な流し目を向け、
「その場合、敵の目的はスサノオシステム、すなわち宗一郎さんということになります。……ですので、お二人には今後、情報共有のために積極的に生徒会室にいらしていただく必要がありますわ」
「えっと?」
よく分からない。
首を傾げる僕に、これまで黙っていた中臣書記が昨日の競技祭とは全然違う静かな口調で、
「つまり、御厨さんを臨時で生徒会補佐に任命するということです」
神符を一枚取り出して放り投げ、
「選挙を経ない役員の選出は生徒会規約に違反しますが、被選挙権がない一年生を臨時で任命することは規約の上では認められています。御厨さんには今後、この生徒会室をはじめとした生徒会専用施設への自由な立ち入りが許可されます。一般生徒への緊急時の命令権も付与されますが、これは悪用……しませんね、あなたは」
「「え」」
思わず氷川先輩と同時に声。慌てた先輩が何か言おうとするけど、それより早く神符が光の文字に解けて僕の右手の周りに集まる。
最初の日にかけられた「秘密を口外しない」っていう誓約に似てるけど、少し違う。
光は鳥居に似た紋様に姿を変えて手の甲に貼り付き、墨で描いたみたいな薄い跡を残す。
「君と須佐之男命の関係については引き続き口外無用だ。難しい学園生活になると思うが、氷川執行役員と協力して乗り切って欲しい」
「ま、待ちたまえ会長!」
淡々と告げる秩父会長に、先輩がものすごい勢いで椅子から立ち上がり、
「御厨君は新入生だよ!? まだ右も左もわからないし、何より臨時役員に関する規約は形式的な物で前例が!」
わたわたと手を振る氷川先輩。なんだか見たことがないくらい大慌てで、ちょっと意外だ。
「先輩、僕は大丈夫ですよ? 自分がややこしい立場なのはわかってますし、生徒会の仕事って興味あり……」
「御厨君!」
必死の顔で遮る先輩。
と、隣の押見副会長がたおやかに微笑み、
「そんなに慌てなくても、『宗一郎さんが積極的に生徒会室に顔を出して下されば、夏乃さんも嫌でも付き合わざるを得ませんわよね?』なんて、わたくしちっとも考えておりませんわ」
ティーカップの紅茶を優雅に一口。
「そもそも、夏乃さんには宗一郎さんと行動を共にする大義名分が必要ですのよ? 入学式から三週間。どんな噂が立っているかご存じありませんの?」
うっ、と口ごもった氷川先輩が耳たぶまで真っ赤になる。
生徒会長が咳払いする音。
豪快に笑う戎会計の隣で、中臣書記がぷっと小さく吹き出した。




