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神式駆動カーニバル【第二幕開幕】  作者: 三枝零一
伍ノ舞

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厄災の蛇、誓いの剣①

 噴き上がった黒い神性が、何もかもを漆黒に染めた。

 僕は思わず一歩後退り、喉から飛び出しそうになった悲鳴をかろうじて噛み殺した。


 闇色に輝く神性はすぐに収束し、視界が色彩を取り戻す。模擬都市を包む異様な静寂。飛び交っていたはずの観客の悲鳴やどよめきは消え去って、ただ不気味な地響きだけがかすかに聞こえている。

 わけがわらからない。僕はとにかく狐面の男を探して振り返り──

 

 息を呑む。

 目の前には、壁みたいにそびえる黒い蛇の胴体。

 大きいなんてものじゃない。無数の鱗に覆われた胴体は片側三車線ずつの大通りの遥か彼方から反対側の彼方までを埋め尽くして、ビルの六階か七階までの高さを完全に覆い隠してしまっている。


 慌てて見回してみれば、巨大な蛇の胴体は視界が届く範囲のありとあらゆる場所で絶え間なく蠢いている。

 まるで荒れ狂う激流、いや大洪水。

 波打つ巨体が動くたびに林立するビルや建築物が折り紙みたいにへしゃげて潰れ、街路樹が根こそぎ薙ぎ倒される。

 

 ほとんど物理的な圧力を伴った地響き。砕けたアスファルトの地面が激しく揺れて、バランスを失った体が後に倒れそうになる。

 かろうじて踏みとどまり、見上げた空には濁った水晶みたいな幾つもの目。

 積み上がった瓦礫の山の向こうで、あるいは半ばでへし折れた高層ビルの上で、大蛇の八つの頭が次々に鎌首をもたげて真っ直ぐに僕を見下ろす。

 

 全身の血管が凍りついたみたいな錯覚。蛇に睨まれた蛙っていう言葉があるけど、とてもそんな簡単に言い表せる感覚じゃない。

 否応なしに理解してしまう。

 これは神話の怪物──生物の形をした「死」そのものだ。


 巨大な頭部に連なる胴体は蠢きながら模擬都市の彼方で一つになり、そこからさらに八つの尾へと通じている。すさまじい長さと大きさを備えた尾は互いに絡まり合いながら網状に枝分かれてして空へと広がり、模擬都市全体を取り囲むドーム状の構造を形成している。


 街の中を隔てていた壁どころか、外周を囲んでいたはずの結界までもがこの大蛇の一部に変わってしまったらしい。

 八岐大蛇。荒れ狂う大河を象徴すると言われる蛇、あるいは竜の神性。

 どうして、こんなものが高天原の地下に。 


 ……そうだ、みんなは……!


 慌ててあたりを見回すけど、僕以外には誰も見当たらない。狐面の男はともかくとして、拘束されてしまった九条君、賀茂君たちや他の生徒、模擬都市の中にいたはずの観客──誰も彼もが影も形も見当たらない。


 みんなはちゃんと逃げられたんだろうか。さっきの鴉は僕以外に興味がないみたいな口ぶりだったけど、どこまで信じていいのかわからない。

 なんて考えた途端、頭上に巨大な影。

 八岐大蛇の八つの頭の一つ、一番近くにいる一体が、細くて赤黒い舌を嘲るみたいに揺らめかせて体を大きくたわめる。

 

 ……来る……!


 とっさに大きく右に跳躍した瞬間、寒気がするような風切り音が体のすぐそばをえぐる。

 すさまじい速度で叩きつけられた八岐大蛇の頭部がビルよりも巨大な口を限界まで開き、直前まで僕が立っていた一帯を地面や街路樹ごと一呑みにする。


 巨体が激突したアスファルトの地面が轟音と共に陥没して、数十の建物がまとめて粉砕される。噴き上がった大量の土砂とコンクリートが砲弾の雨みたいに降り注ぐ。

 

 その攻撃とも呼べない余波をかろうじてかいくぐった僕は通りをまっすぐに首と反対の方向へ。

 だけど、適当なビルの陰に飛び込もうとした瞬間、そのビルが跡形もなく吹き飛んで別な首が姿を表す。


 寸前で足を止め、転げるみたいにして別な方へと駆け出す。符術で脚力を強化しようとするけど上手くいかない。

 指先に構えた神符が何の効果も発揮せず燃え落ちる。

 君の符術は未熟なんだから実戦で頼ろうとしてはいけない──そんな先輩の言葉を思い出す。


 ……落ち着け……!


 自分で自分の頬を強く叩いてパニックになりかけの頭を強引に冷ます。叩きつけられる大蛇のあぎとから必死に逃れながら、無理やり考えを巡らせる。


 模擬都市を隔てていた結界が八岐大蛇に変わった。思い返してみれば、確かに兆候はいくつもあった。

 街の中心から八方向に伸びてとぐろを巻いた姿。機能停止した供骸の神性を吸い込むたびに浮かんでいた激流みたいな紋様。

 そういういかにもな特徴を付与された膨大な神性の塊に名前を与えることで実体を持った姿を顕現させる──量子神道の基本ルールに則ったものすごくわかりやすいやり方。


 だけど、やっぱりおかしい。

 ここは量子神道技術の中枢「高天原」なんだから、こんなにあからさまな神卸かみおろしの土台になり得る仕組みが簡単に見過ごされてしまうはずがない。 

 仮に誰かがずっと前からこの模擬都市に細工を施していたんだとしたら、その誰かは高天原の建築計画に口が出せる人物で、同時に高天原と敵対するテロリストのスポンサーだっていうことになってしまう。

 それに、もし本当にそうだとしても、どうしてそんな大掛かりな仕組みが今日、僕に対して使われるのかがわからな──


 行手のビル群に異様な振動。

 慌てて立ち止まった瞬間、数十の建築物が跡形もなく粉砕される。


 瓦礫を乗り越えて悠然と出現した大蛇が真っ赤な口を大きく広げる。巨大なトンネルみたいな喉の奥に、真っ黒な神性の光が収束する。

 

「──火之迦具土神ほのかぐつちのかみ!」


 悲鳴を強引に噛み殺し、神符の束を投げ放つと同時に叫ぶ。

 頭上に出現する過電粒子砲の長大な砲身。

 プラズマ化した大気が収束する甲高い音。放たれた光の奔流は狙い違わず大蛇の巨大な目を直撃し──


 ほとばしる黒い光。

 大蛇の喉から放たれた膨大な神性が、太陽よりも高温の熱線に正面から激突する。

 呆然と見上げる僕の前で、黒い光は瞬時にすさまじい量の水へと姿を変える。重力を完全に無視して空中に静止した黒い水の塊が、荷電粒子の奔流を残らず受け止め、飲み込む。


 轟音と共に噴き上がった蒸気が大気を激しく揺らめかせる。

 渾身の一撃を放ち終えた荷電粒子砲が神符に解けて燃え落ちる。

 膨大な水の塊は少しだけ体積を失って、大蛇の顔の前に静止したまま。

 それが、見る間に無数の液体の槍へと姿を変える。


「な……」


 一瞬、逃げることも忘れて目を見開いてしまう。

 当たり前だ。ここにいるのはただの化け物じゃない。神代の昔から語り継がれる水の暴威の化身。僕たちが扱う神卸より遥かに強大な力を易々《やすやす》と振るう。


 ……どうしろって言うんだよ! こんな化け物……!


 我に返って駆け出した視界にマネキンみたいな白い機体が鈍く輝く。

 競技祭でどこかのチームが残した供骸。

 駆け寄りながら神符の束を掴み出し、投げ放つと同時に胸の前で柏手を強く打つ。


 無数の神符が供骸の心臓、祈願炉の位置に張り付く。

 僕は自分の中にある火之迦具土神とのつながりに意識を集中し、膨大な神性を祈願炉に直接流し込もうとして──


 指先がすり抜けたみたいな感触。

 供骸と僕と火之迦具土神──三つを繋ぐロープみたいな太い糸が途中で解けて消え去ってしまう。


 ……くそ……!


 ダメもとでやってみたけど、熟練した神職ならともかく僕みたいな学生が一日に二回も供骸を起動するのは無理だ。集中力とか体に溜め込んだ神性とか、とにかく神術を使うのに必要な基礎体力みたいなものがまるで足りない。


 背後で異様な神性の気配。ほとんど勘だけで跳躍して地面を転がった次の瞬間、突き立った数百の水流の槍が供骸の輝く機体を文字通り粉々に打ち砕く。


 立ち上がろうとした足がよろけて尻餅をついてしまう。

 見上げた視界には蠢く巨大な影。

 八岐大蛇の八つの首が、濁った目に無機質な光を宿して僕を見下ろす。

 

 不意に、背筋に杭を突き立てられたみたいな悪寒。大蛇の水晶みたいな目の奥に別な何かの気配を感じた気がして、思わず自分で自分の腕を強く掴む。

 羽虫か何かをただ無慈悲に見下ろすだけの八岐大蛇との視線とは違う。もっとはっきりと意思を持った、何かを探るみたいな。


「……だ……」


 必死に喉を動かし、声を絞り出す。

 僕はそこに本当にいるのかもわからない存在に向かって、誰?って声を投げようとして──


 鳴り響く銃声。

 大蛇の八つの首の一つ、僕に一番近い位置にある一頭の右目が、粉々に砕けて吹き飛んだ。


「御厨君──!」


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