絢爛怒涛の競技祭⑥
中臣書記の叫び声が、ガラス窓をびりびり震わせた。
僕は窓下の壁にぴたっと背中を押し当てて身を潜め、指先の神符に意識を集中した。
符から浮き出た光る文字がもやもやと集まって、頭上の後方、窓の外の光景を手元に映し出す。頑張って練習してどうにかできるようになった、光をちょっと曲げるだけの初歩の符術だ。
試合はもう始まってるはずなのに模擬都市に動く物の気配はなくて、スタンド席とか公園とかでは観客が戸惑ってるのが見える。
五秒、十秒、街路は静まりかえったまま。
本当に、先輩の言った通りだ。
『いいかい? たぶん君たちはこの試合を真っ向勝負の決闘かなにかだと考えているはずだ。何しろ「競技祭」なんて名前がついているし、誰もちゃんと説明してくれないからね。……けれど、実態はさにあらず。そもそもね、この催しが三十年前に始まった当初の目的は、一通りの神術を身につけて戦えるようになった高等部の一年生に「戦場のなんたるか」を叩き込むことだったんだよ』
ほんの一時間くらい前、作戦室でのやり取りを思い出す。
目を丸くする僕たちに先輩は、ふふっ、と笑い、
『試合が始まると、君たちは無防備で戦場の真ん中に放り出される。ところが周りにいるのは同じ一年生だけ。二年や三年のチームはどこにも見当たらない。どうしたんだろうと歩き出した途端、透明化の符術で狙撃ポイントに隠れていた供骸が遠距離攻撃をずどん。何回か供骸を倒されてやっと状況がわかった一年生が物陰に逃げ込む──というのが基本的な流れだね』
えっ、とクラスのみんなから驚愕の声。
僕の隣の彩葉さんがものすごく困惑した顔で、
『で、ですけれど! わたくし、昨年の試合もしっかりと見ておりましたのよ? そんな、姿を隠して闇討ちだなんて……』
『わからなかっただろうね。何しろ、一年生の先鋒は試合開始とほとんど同時に撃破されてしまうし、実況解説もそこについては詳しく説明しないことになっているから』
返ってくるのは笑いを含んだ声。
顔を見合わせる僕たちに、先輩はどうしてだかものすごく楽しそうに、
『私も去年食らった手なんだけどね、でも考えてみたらこれは当たり前のことなんだ。高天原において、全ての競技はすなわち軍事演習。そのために各クラスに一つずつ作戦室が与えられているんだからね。勝負は供骸と供骸がぶつかり合う遥か手前、お互いの情報を取り合う段階で半分は終わっている。君たちも二学期になって軍事学の授業が始まれば、自然とそういう発想にたどり着けるはずなんだ』
一息。
『さて、助言はおしまいだよ。これ以上はいくら御厨君のお願いでもやり過ぎだからね。……今の話を踏まえてどう動くかは君たちが自分で考えるんだ』
クラスのみんなの反応はバラバラだったと思う。困惑する人、黙って考え込む人、近くの誰かと顔を見合わせる人。賀茂君と水瀬さんと彩葉さんがわいわい何か話してて、黒川君が納得顔でうなずいて……
そんな中で、僕は祖父ちゃんの言葉を思い出してた。
いつだったか、野生化した熊の式神を仕留めた後で、祖父ちゃんが言ってた言葉を。
──宗一郎。猟師でも獣でも俺たち神職でもな、山ん中で生き物が一番弱くなるのはどんな時だと思う?──
頭の中のスイッチがすぱっと切り替わる感覚。
祖父ちゃんと一緒に駆け回ったあの田舎の山の光景が、急に目の前に蘇った。
どうすれば良いかって言われたら答えは簡単だ。上級生の真似をして、僕たちも狙撃ポイントで隠れたまま試合を始めれば良い。たぶん他の一年生が何回か供骸を倒されるけど、少なくとも僕たちC組は互角の戦いを進められる。
だけど、もっと面白いことが出来るんじゃないだろうか。
ここに祖父ちゃんがいたら、たぶん──
『……先輩。今の話って、一年の他のクラスにも教えていいですか?』
みんなの視線がざわっと集まる気配。目を白黒させる水瀬さんと彩葉さんの隣で賀茂君と黒川君が顔を見合わせてうなずく。
先輩はちょっと目を丸くしてからにこにこと微笑み、
『好きにすると良いよ。君たちにあげた助言は、もう君たちの物なんだからね──』
*
……今……!
試合開始からきっかり十五秒。一時間前のやりとりから目の前の競技祭に意識が戻る。
隣で同じく身を潜める賀茂君と顔を見合わせてうなずき合う。
立ち上がって窓を振り返りざま、式服の袖から神符の束を取り出す。
同時に賀茂君が両手で複雑に印を結ぶと、ビルの外で鈍い金属質の足音がけたたましく鳴り響く。
降り注ぐ陽光に鈍く光る緑色の装甲。
街路樹の陰から飛び出した賀茂君の供骸「賀茂別雷大神」が、大通りの真ん中を全速力で走り出す。
「おおっと! 最初に飛び出したのは一年C組!賀茂陽真選手の供骸だァ──ッ!!!」
中臣書記の絶叫。だけど模擬都市の内部で他の動きは生まれない。
これはまあ想定通り。最初に僕たち一年生が姿を隠した状態からスタートしたことで二年生や三年生は警戒してる。こんなあからさまな動きじゃ簡単に餌に食いついてはくれない。
なら次の手段。
高速で通りを駆け抜けた緑の供骸が交差点を越えてビルの前──つまりは僕の目と鼻の先でくるりと身を翻すと、鈍く輝く両手の間に光が集積して紫電の塊を形成する。
その間に僕は供骸の背後、覆い隠される格好になった窓の中で荷電粒子砲を形成する。
空っぽの室内に浮かんだ三メートルの砲身が、すぐさま賀茂君の手から放たれた神符に包まれて姿を透明に変える。
事前に打ち合わせしたとおりに砲口の位置と角度を慎重に調整。狙いは窓の向こう、賀茂別雷大神の無防備な背中。
心臓にあたる祈願炉の少し下を貫通して胸の前に浮かぶ紫電を突き通す──ちょうどそういうラインで射線を確保する。
賀茂君が両手の指に挟んだ神符を複雑に動かすと、緑の供骸の手元で紫電の塊が激しく明滅する。
一秒ずつ間隔をおいて三度、それが合図。
通りを隔てた向こう、大きなモニュメントの時計台目がけて、紫電の槍が放たれる。
完全にタイミングを合わせて僕も頭の中でトリガー、荷電粒子砲をぶっ放す。賀茂君が操る神符が荷電粒子砲の砲口を取り囲み、放たれた光の奔流を紫電の姿に偽装する。
太陽よりも高温の熱線が窓を突き通してさらに先、賀茂別雷大神の体を貫通し、紫電の槍に紛れて時計台を直撃する。
すさまじい大気の鳴動と共に消し飛ぶ時計台。
瞬間、堪えきれなくなったみたいに、模擬都市に林立するビルの屋上で幾つもの動きが生まれる。
揺らめく光の中から出現した色取りどりの供骸が、手にした弓やライフル銃を眼下の賀茂別雷大神に照準する。
全部で四体。傍らに立つ式服姿の生徒が神符を払うと、放たれた無数の矢や銃弾の雨、光の槍が容赦なく降り注ぐ。
鳴り響く轟音。全ての攻撃は立ち尽くす緑の供骸に正確に吸い込まれ──
弾ける光。
賀茂君が符術で生み出していた賀茂別雷大神の幻が、無数の符に弾けて四散する。
『供骸の幻を囮に使いますの? アイディアは悪くないかと思いますけれど、本当に騙されてくださいますかしら』
『難しいかもしれない。だから次の手。僕の荷電粒子砲の砲撃を賀茂君の供骸の神術に偽装して、いかにも本物の供骸ですっていうふうに見せかけるんだ』
賀茂君が符術で生み出した遠視用の立体映像の向こうで、供骸を操る上級生たちが目を見開く。
半拍遅れて模擬都市の遠く、一番高いビルの屋上で新たな動きが生まれる。物陰から飛び出した黒川君が神符を払うと、透明化の符術が解除される。
陽光に煌めく彩葉さんの供骸、「豊受大神」は金色の両足を強く踏みしめ、長弓を限界まで引き絞ってすでに射出体勢。
ものすごいドヤ顔で胸を張った彩葉さんが右手を振り下ろすと、供骸の優美な指が弓の弦をそっと放す。
──生き物が一番弱くなる? 祖父ちゃん、それってどんな時なの?──
──そいつはな、宗一郎。自分が一方的に狩る側だと勘違いした時だ──
放たれた光の矢が真っ直ぐ頭上に、天に向かって飛翔する。輝く矢はすぐさま四つに別れて放物線を描き、さらに無数の矢に分裂しながら四つのビルの屋上目がけて容赦なく襲いかかり──
着弾。
降り注いだ無数の光の矢が、四体の供骸を同時に直撃した。




