噂と波乱の学園生活⑪
吹き抜ける春の風が、校庭を覆う芝生をざわりと揺らした。
僕は神符を指先に構えたまま、倒れ伏す暴走供骸の姿を油断なく見つめた。
白い供骸の頭と胸にはそれぞれ一つずつ、荷電粒子砲に穿たれた穴が空いている。全身を巡っていた神性の光はもう消える寸前で、祈願炉も動いているようには見えない。
墨みたいな黒い影は、どこにも見当たらない。
ふう、って小さく息を一つ。
途端に足に力が入らなくなり、その場に座り込んでしまう。
「おい! 御厨まだだ!」
途端に、九条君が初めて見せる慌てた顔で、
「火之迦具土神の神式駆動を解除しろ! 祈願炉が爆発する!」
えっ、と思わず声。
こっちに駆け寄ろうとしていた賀茂君と水瀬さん、それに彩葉さんがまったく同じ声を上げ、
「おいどういうことだ九条!」
「神威解放だ! 御厨は祈願炉に直接、神を卸している!」
「え、うそ! 御厨君そんなことしてたの!?」
「あ、あなた! なんて無茶なことをなさいますの!」
「なるほど。すごいね宗一郎君」
最後のは黒川君の声。大慌てで集まった五人──まあ一人あんまり慌ててないけど、とにかく全員が僕の周りに座り込んで、神符を構えたままの手にそれぞれの手を添える。
「え、待って! 解除ってどうすれば!」
「普通の神卸と同じでいいんだよ、宗一郎君。……そうそう。その調子で力を抜いて、心の中で神様にお礼を言って」
「だだだだ大丈夫だよ御厨君! いざとなったら賀茂君がなんとかしてくれるから!」
「水瀬お前そういう無茶振りやめろ! ……いいか御厨、ゆっくり、ゆっくりだ」
「そうですわ! ゆっくり! でも急いで! ああもうまだですの!?」
「押見、焦らせるな。御厨の気が散る」
ふっと体の力が抜ける感覚。真紅の供骸を一瞬だけ炎に似た輝きが包み、機体を覆っていた装甲が光の粒子に弾けて消える。
陽の光に煌めく、マネキンみたいな無垢の供骸。
深々とため息を吐き、その場の全員と顔を見合わせ、急におかしくなってみんなで声を上げて笑ってしまう。
「……にしてもだ。御厨、お前すごいな」
ひとしきり笑った賀茂君が腕組みしてうなずき、
「神卸しか出来ないってのはどういうことなんだと思ってたけど、納得だ。供骸を抜きにしてもあれはとんでもない」
「ほんとだよ! しかもその後の神式駆動! ……くぅ〜〜〜っ、かっこよかったなあ! あの真っ赤な供骸!」
「でも、どうやりましたの? 符術も式神操作も本当にお使いにならなかったみたいですけれど。……黒川さんと九条さんはお近くでご覧になっていたのですわよね?」
「……いや、見てたけど……ねえ? 隼人君」
「俺に振るな黒川。いまだに、自分の目で見たものが信じられ……」
言いかけた声が急に途切れ、九条君がゆっくりと立ち上がる。僕はどうしたんだろうって険しい視線の先を辿り、
目を見開く。
倒れ伏した暴走供骸の体には、歪な装甲が残ったまま。
顔に空いた穴の奥で、消え残ったわずかな黒い染みが線香の煙みたいに揺らめく。
賀茂君たちも気がついたみたいで、飛び起きるなりそれぞれの手に神符を掴む。他の生徒たちも顔色を変えて素早く身構え、
「大丈夫だ。もう終わった」
篠村先生の声。
え? って僕が声を上げるより早く、空から機械合成っぽい声が響く。
『──緊急安全プロトコル発動。高天原西地区エリアB6、高等部第一格納庫前一帯の神術を強制終了します。三、二、一』
「え、待って待ってなにこの声!」
「ああもう! 今度は何事ですの!?」
水瀬さんと彩葉さんの慌てた声。他のみんなも顔を見合わせてるし、遠くの生徒も騒いでる。わかってないのは僕だけじゃないみたい。
と、ふわっと体から何かが抜け落ちる感触。
天の声が『ゼロ』と告げた瞬間、暴走供骸の体を覆っていた白い装甲が神性の光の残滓も残さずに消失する。
周りにまだ残っていた模擬戦用の結界がスイッチを切り替えるみたいに一瞬で消え去る。何人かの生徒が呼び出していた式神も同じように解除されて、驚きの声があちこちから聞こえる。
「不測の事態が起こった際の安全装置だ。この高天原の全域を区画ごとに覆い、発動中の神術を強制解除できる」
低く、落ち着いた声。篠村先生が僕たちから離れて、全員からよく見える場所に進み出る。
軍人らしい鋭い視線がC組とD組の八十人の生徒をぐるりと見回し、
「このフィールドの存在は学園の機密だが、高等部に進学した君たちは知っておくべきことだ。……多くの緊急事態は教務に連絡した後、身の安全を確保して時間を稼げば解決する。覚えておくように」
生徒たちの間にざわめきが広がる。
篠村先生はそれを打ち消すみたいに柏手を一つ叩き、
「では、これにて本年度最初の『実戦演習』を終了する。……みな、よくがんばった。次回以降の授業もこの緊張感をもって臨むよう」
「……………………え?」
思わず声。
待って、演習?
目を丸くする僕の隣で、九条君が全員を代表する格好で手をあげ、
「……先生、演習とは」
「高等部の恒例行事だ」
篠村先生は事もなげに答え、
「毎年初回の実戦演習では『授業中に供骸の暴走が起こった』という想定で君たちの対応力と実戦力を見る。A組とB組も別な場所で同様の訓練を受けている。……二年以上の生徒と教員には周知の事実だ」
一瞬の静寂。
次の瞬間、「ええ────っ!?」という全員の叫びが高等部の校庭いっぱいに弾ける。
「え、演習ぅ!? 待って賀茂君! 演習ってなに!?」
「俺に聞くな水瀬! ……そうか……実戦演習……そうか……」
「ななな、なんという! わたくし、本当に死ぬかと思いましたのに!」
口々に声を上げる三人。他の生徒たちも悲鳴を上げてる。まさに阿鼻叫喚って感じだ。
「……な、なるほど……さすがは高等部、手荒い歓迎だね……」
さすがの黒川君も口元を引きつらせてる。
と、校庭の向こうからいくつもの羽ばたきの音。
たぶん先生と上級生だと思うけど、大きな鳥の式神に乗った十人くらいの人たちがこっちに飛んでくる。どうやら篠村先生が言ってた「フィールド」っていうのはもう解除されたらしい。
だけど、いったいなんだろう。
少し考えて思い出す。そういえば供骸が暴走を始めた少し後に、校舎の窓から飛び出してきた人がいたっけ。
てっきり助けに来てくれるんだと思ったけど、もしかしてあれ、訓練を本物っぽく見せるための芝居だったんじゃ……
「御厨君──!」
「え」
いきなり頭上から声。見上げた視界を覆って、長い黒髪がばさりとはためく。
目の前に華麗に降り立つすらりと長い足。
声を上げる間もなく、柔らかい感触に真正面から抱きしめられてしまう。
「本当に無事で良かったよ! それに大活躍だったじゃないか。昨日の天鳥船といい、きみの神卸は本当に見事だね。私も鼻が高いよ!」
「せせせせ先輩!?」
氷川先輩の細い手が僕の背中とか頭とかを何度も繰り返し撫でる。どうしたらいいか分からなくて、されるがままになってしまう。
セーラー服からはやっぱり花畑みたいな良い匂いがして、頭がくらくらする。
確かに飛び出してきた人の中に先輩もいた気がしたけど、気のせいじゃなかったんだ。
「と、いけない。今は授業中だったね」
なんて考える僕の前で、氷川先輩はようやくちょっとだけ腕の力をゆるめて周囲を見回し、
「うん。気絶者が一名。負傷者は……賀茂家の御令息が軽い火傷か。名誉の負傷だね。……怪我人はほぼなし、暴走供骸の制圧にも成功。今年の一年生は実に優秀だ」
なんていかにも生徒会役員らしい論評を並べるけど、僕の背中に回した手はやっぱり放してくれない。
と──
「御厨……君……?」
呆然とした水瀬さんの声。先輩の腕からどうにか首だけ抜け出し、振り返った視線が大きな瞳とぶつかる。
まずい、って思った時には手遅れ。
次の瞬間、きゃああああああああああああ、っていうものすごい悲鳴が響き渡る。
「ひ、氷川先輩と御厨君が! え、嘘! ほんとに? あの噂ってほんとだったの!?」
「な、な、夏乃様!?」
隣の彩葉さんが信じられないものを見る顔で、
「あ、あの! 宗一郎さんとはどのようなご関係で!?」
「やあ、誰かと思えば副会長の妹君じゃないか。久しぶりだねえ、元気だったかい?」
周りにも少しずつざわめきが広がる。みんなはやっと状況に追いついたみたいで、僕と先輩──っていうか主に先輩の顔をちらちらうかがいながらひそひそと何かを話し合ってる。
「……え、うそ。あれ氷川先輩?」
「……うわ本物だ! 二年の氷川執行役員!」
「うっそでしょ? あの氷川先輩だよ?」
「じゃあやっぱり本当なの? 御厨君が先輩と歩いてたって」
「いや、俺はもう付き合ってるって聞いたぞ」
「え? わたしは二人は許嫁だって」
「違う違う! 稲荷神社で結納済ませたって」
……ちょっと……!?
ものすごく好き勝手なことを言われてる。しかもところどころ否定しにくいから困る。
助けを求めて視線を巡らせた先には男子生徒が三人。
困ったみたいに視線を逸らす賀茂君の隣で、眉間にしわを寄せた九条君が咳払いする。黒川君はものすごく楽しそうに小さく拍手してる。つまり、三人ともぜんぜん頼りにならない。
「──全員、静かに」
急に篠村先生の声。好き勝手に騒いでいた生徒たちが弾かれたみたいに背筋をのばして口を閉ざす。
鋭い視線がその場の全員の顔を巡り、最後に僕と先輩に向けられる。
ひえっ、と首をすくめる僕。一方の先輩は涼しい顔でようやく腕を放し、
「はいはい、お手伝いは大人しく退散しますとも」
くるりとスカートを翻して振り返り、一年C組とD組の全員を見回して、
「とにかくご苦労様。その調子で精進したまえ。……それじゃあ御厨君、また後でね?」
肩越しに僕を振り返ってぱちっと片目をつぶり、格納庫の方に歩いていく。どうやら使い終わった供骸のメンテナンスを手伝いに来てるらしい。もしかしてこれもバイトなんだろうか。
「言うまでもないが、これは君たちにとって最初の、本物の軍事訓練だ」
篠村先生が柏手を一つ叩いて全員の注目を集め、
「訓練には軍事機密の保持、即ち作戦内容の秘匿も含まれる。本日の演習内容を下級生に漏らすような不心得者はいないと信じるが、みな、肝に銘じるよう。……では、解散」
一方的に言い置いた先生が、壊れた供骸を調べている他の先生に合流する。
僕が荷電粒子砲で撃ち抜いた、暴走した供骸。
それを見ているうちに、自然と顔がうつむいてしまう。
……訓練、か……
この演習が毎年行われているのは本当なんだろう。さっきの先輩の口ぶりから考えても、供骸が暴走するっていうのは恒例のシチュエーションなんだろう。
だけど、本当にそれだけだろうか。
供骸の中に蠢いていたあの黒い染み。僕と先生以外には誰にも見えなかったあれは、訓練の台本の一部だったんだろうか。
「ねえねえ御厨君!」
なんてことを考えてると、いきなり声。女子生徒だけど聞き覚えがない。
誰だろうって顔を上げ、
「…………え」
周囲には、いつの間にか生徒たちの人だかり。
C組もD組も関係なく、その場のほとんど全員が僕をぐるりと取り囲んでる。
「さっきのあれ何!? 氷川先輩とは」
「バカ! お前それは聞いちゃだめなやつだろ!」
女子生徒をぐいぐいと押しのけた男子生徒が代わりに進み出て、
「なあ御厨。よかったら教えて欲しいんだけど……お前の神卸、あれなんだ? 御厨神社だったら祭神は誉田別尊とか菅原道真とかだよな?」
「え……いや……神術はうちの祖父ちゃんに習って……祖父ちゃん、秋葉って言って」
しどろもどろに答える。
たちまち、周りの生徒たちが「なるほど!」ってうなずき、
「秋葉……そうか秋葉神社! てことは火之迦具土神か!」
「そっか! それで荷電粒子砲に炎の供骸!」
みんなの納得顔にちょっとびっくりしてしまう。すごい。高天原の学生だから当たり前なのかも知れないけど、神社の祭神にものすごく詳しい。
「だけど、ほんとに符術も式神も使えないの? 神卸だけ?」
「うん……六歳の時から」
「六歳────────!?」
周り中からものすごい声。まずい。このままだとたぶんキリがない。
「はいはい、みんなその辺で。御厨君の実力は違うところで見せてもらおうよ」
と、割って入る黒川君の声。
助け船だって安心するけど、すぐに雰囲気がおかしいのに気付く。
周りのみんなは黒川君の言葉に「確かに」ってうなずいて、期待に満ちた目を向けてくる。
賀茂君と水瀬さんと彩葉さんがそろって「おおっ」って手を叩き、九条君はなぜか口元に不敵な笑みを浮かべてる。
待って、この空気、なに?
思わず後ずさる僕。
その手を強引に掴み、黒川君がふんわりと笑った。
「御厨君。相談なんだけど……『新入生歓迎競技祭』、出てみない?」




