神話の空で君に出会う①
──それじゃあ、少し時間を遡ろう。
一年と半年前、西暦二〇九九年四月の、懐かしいあの日の記憶を振り返ろう。
騒々しくて煌びやかな、謝肉祭みたいな日々の始まりを。
先輩と初めて出会った、あの澄み渡った空の物語を。
*
『──本日は軌道連絡船「天鳥船」をご利用いただき誠にありがとうございます。本船は間もなく「高千穂」地上港を離陸し、高度二万五千メートル、天空神学研究都市「高天原」へと出港いたします』
出発時刻ぎりぎりで乗り込んだ船内は、いかにも観光客って雰囲気の家族連れとかカップルとかでほどよく賑わっていた。
僕はホテルのロビーみたいな展望デッキの広いホールを横切って、窓際のソファーに適当に腰掛けた。
肩にかけたリュックをテーブルの真ん中に置いてぐるっと首を回す。新品の詰襟の制服が窮屈で何だか落ち着かない。
スマホのカメラを自撮りモードにして身だしなみを確認。
ふわふわとした黒い癖っ毛を何とか良い感じに整えようとしてすぐに断念。髪型に気を遣ったことなんか十五年の人生で一度も無いんだから、潔く諦めよう。
『到着予定時刻は中央神祇院標準時、十二時。斎主は私、佐藤。助祭は田中が務めます。……それでは皆さま、中央のステージにご注目ください』
わあっ、ていう子供達の歓声。円形の広い展望デッキの真ん中、舞台みたいにぽっかり空いた台座の上に、大きな船の姿が立体映像で描き出される。
僕が今まさに乗っている、この船の全容。
真っ白で直線的な装甲を備えた平べったい両刃の剣みたいなシルエットの上に、非常口とかトイレとか売店とか色んな説明が次々に書き足されていく。
量子神道において名前は何よりも重要だ。だから、いかにも現代っぽいデザインのこの船は「天鳥船」って呼ばれる。
正式名称を「鳥之石楠船神」。
イザナギとイザナミの間に生まれた数多の神の一柱、海運を司どる神性を付与された船は、その名の通り重力も慣性の法則も無視して自由に空を飛ぶ。
祖父ちゃんに教わった話によると、「天鳥船」は十年前の「東方神域戦争」で活躍した当時の最新鋭の軍艦で、これは百隻建造されたうちの最後の生き残りらしい。
量子神道の発見に端を発して、最終的に世界の半分を焼け野原に変えたあの戦争をくぐり抜けた、伝説の船。
終戦後に退役して主砲塔を展望デッキに載せ替えたこの船は、「高天原──高千穂」航路の定期観光船として平和な余生を過ごしている。
量子神道技術で作られた船の中でも一番有名なやつだからこれ自体が一つの観光名所になってて、「天鳥船に乗って高天原まで行って、入り口の大鳥居に参拝して高千穂地上港に帰るだけ」の日帰りツアーが組まれていたりする。
というか、周りの乗客のほとんどはそのツアーに参加してる普通の人たちのはず。
世界で最高の量子神道の研究機関「高天原」の大鳥居をくぐる許しを得られる者は本当に少ない──って、これも祖父ちゃんの受け売りだ。
『それでは快適な空の旅をお楽しみください。……神ながら守り給い、幸え給えと畏み畏みも白す』
天井のスピーカーから柏手の音が二つ。
メインパイロットである斎主と、サブパイロットである助祭──二人の祝詞を合図に、展望デッキをぐるっと囲む窓の向こうで景色が動き始める。
高千穂地上港の白くて四角い建物が少しずつ遠ざかり、空に浮かぶ小さな雲がゆっくりと近づいていくる。
高天原への到着はおよそ二時間後。
本当はこの船が本気を出せばあっという間に目的地に着いてしまうはずなんだけど、そこは観光船。天鳥船はこれから周辺の宙空施設とか戦争の遺構なんかの近くを時間をかけて巡り、途中では艦内の見学も予定されている。
「……失礼ですけれど、ここ、よろしくて?」
いきなり隣から声。驚いてスマホを落としそうになり、慌てて顔を上げる。
目の前には知らないお婆さん──というか、いかにも上品そうな老婦人。
どこからどう見ても高級なラベンダー色のドレスに、白い髪の上に乗ったおしゃれな帽子が完璧に決まっている。
「あ! ど、どうぞ!」
テーブルのリュックを大急ぎで取り除けると、会釈した老婦人が向かいの席に座る。
なぜかにこにこと僕を見つめ、口元に手を当てて、
「高天原の学生さんね。今さら天鳥船の観光でもないでしょうし、春休みの里帰りから戻ったばかりってところかしら」
「いえ、新入生なんです。明日が入学式で」
まあ、と驚いたみたいな声。
老婦人は僕の顔と詰襟の制服を見比べて、
「珍しいのね。その制服、高等部でしょう?」
高天原は量子神道の研究と同時に優秀な神職の育成という役目も負っていて、都市全体の面積の半分くらいがこの育成機関に割り当てられている。
その名もずばり「高天原学園」。
量子神道技術の成立とほとんど同時に作られた五十年近い歴史を誇る学校なんだけど、通うのは基本的には全国の由緒ある神社や名家のご子息ばかり。
ほとんどの生徒は幼稚園の頃から寮生活を送っていて、遅くても中等部が始まるまでには入学するのが普通。僕みたいに高等部から通い始めるのは特例中の特例なんだって地元の学校の先生も言ってた。
「祖父の遺言なんです。自分が死んだら高天原に行けって。……冗談だって思ってたんですけど、先月、招待状が届いて」
小さな紙の手紙をリュックから取り出し、老婦人の方に広げて見せる。
『──御厨宗一郎殿。
高天原学園高等部への入学を許可する。
天空神学研究都市「高天原」市長、菅原天命』
「御厨……?」
呟いた老婦人がすぐに目を丸くして、
「違ったらごめんなさいね。あなたのお祖父様、秋葉直哉さんとおっしゃるのではなくて?」
「えっ」
思わず声。
僕はどうしてって聞こうと椅子から腰を浮かしかけ──
耳をつんざく破砕音。
広い展望デッキを囲む大窓の左半分が、粉々に砕けた。
*
とっさにテーブルを押しのけて飛ぶのが精一杯だった。
老婦人をかばう格好で両腕を広げる僕の背中に、砕けた窓の破片は無数の銃弾みたいに容赦なく降り注いだ。
次々に叩きつける衝撃。息が止まりそうになるけど、幸いなことに尖った窓の破片は学生服を貫くことなく跳ね返って床に落ちる。
さすがは高天原学園の制服。極小サイズの神符が縫い込まれてるっていう説明は本当みたい。
なんてことを考えながら老婦人の手を引いて、横倒しになったテーブルの陰に素早く飛び込む。
「大丈夫ですか!」
「ええ。紳士なのね、良い心掛けだわ」
慌てた様子もなく微笑む老婦人に、ちょっとだけ違和感。
と、砕けた窓の向こうで大きな羽ばたきの音がいくつも重なり合って響く。
次々に飛び込んで来た極彩色の巨大な鳥が、悲鳴を上げる観光客達の頭上を飛び越えてホールの中央、天鳥船の立体映像が浮かぶ台座に降り立つ。
背中から飛び降りるのは、軍用の黒いボディースーツに身を包んだ何十人かの一団。
全員が東南アジアっぽい狐の面で顔を隠して、梵字やら紋様やらが刻まれたアサルトライフルを両手に抱えている。
「動くな! 全員、その場にひざまずけ! 両手は頭の後ろだ──!」
リーダーらしき男が声を張り上げると、周囲の狐面たちがホールのあちこちに散開する。
何人かがアサルトライフルを天井に向けて、無造作に引き金を引く。
銃弾がシャンデリアを粉々に打ち砕き、ガラスの細かな粒が雨みたいに降り注ぐ。
またしてもホールのあちこちで悲鳴。銃口を突きつけられた百人くらいの家族連れとかカップルとかが椅子から転げ落ちて、青ざめた顔で床にひざまずく。
僕も老婦人と顔を見合わせてから、同じ格好で頭の後ろに両手を組む。
狐面のリーダーはそれを確認してスマホを取り出し、画面を素早く片手で操作して、
「展望デッキを制圧、人質を確保した。操縦室とエンジンルームはどうだ。……よし、警備システムも押さえたな? では予定通り交渉だ。政府との直通回線を開け」
どうやら艦内の別な場所にいる仲間に指示を出してるみたい。
何だか知らないけど大変なことになってしまった。
と、隣の老婦人が落ち着いた様子で「まあ」と声をあげ、
「驚いた、『神格解放戦線』だわ。最近大人しくしてると思ってたのに」
え、と思わず瞬き。その名前には聞き覚えがある。
十年前の東方神域戦争で諸外国の侵略を跳ね除けた日本は戦勝国になって有利な講和条約を結んだけど、それを良しとしない抵抗勢力は今でも国内外に数多い。
「神格解放戦線」はその中でも有名なテロ集団の一つ。
仏教系のカルト教団を前身にするこの組織は神の存在を科学の一部として組み込む量子神道を認めず、「人類の不遜な技術から神を解放する」ことを目的に活動している、ってニュースか何かで見たことがある。
いや、っていうか。
「あの……これ、すごく困りましたね」
困った程度じゃ済まない話なんだけど、他に何て言えばいいのかわからない。
今日は学園の先生に挨拶したり明日の入学式の段取りを確認したり、他にも寮の部屋に届いてるはずの引越し荷物を解いたりやることが山ほどあるのに。
「まあまあ、これも良い経験よ」
対して、老婦人はあんまり困っていない顔で、
「あなたも学園を卒業して正式な神職に就けばこういう荒事と向き合うことになるわけだから。社会勉強と思いなさい」
ええー、って思わず顔をしかめてしまう。というか薄々気づいてたけど、この人、絶対に普通じゃない。たぶん高天原の関係者だ。
「あの、でも何とかした方が良いんじゃ……」
「ここは様子を見るのが正解よ。連中も乗客をどうこうするつもりは無いみたいだし、高天原の警備部もすでに動いているはずだから。……まあ、いざとなれば……」
最後の独り言みたいな言葉はよく分からないけど、とりあえず納得。この状況で一番だめなのは観光客の人たちに被害が出ることだ。それどころか、下手に抵抗してキレた犯人がこの天鳥船を沈めるみたいなことになったら目も当てられない。
……落ち着いて。冷静に、冷静に……
見習いだろうと入学前だろうと神職の端くれ。こういう事に対する心構えは祖父ちゃんに叩き込まれてる。
大事なのは、とにかく相手の出方をうかがい、目的と行動原理を正しく見極めること。
さっきのリーダーの口ぶりからすると、こいつらはすでに天鳥船を完全に制圧していて、政府と何か交渉するつもりらしい。
なら、僕とか他の乗客は大事な人質。簡単に手を出すとは──
「こ、このガキ! 何しやがる!」
いきなり、ホールの奥の方から叫び声。引きずり出された小学生くらいの男の子が、床に転がって悲鳴を上げる。
後を追うように進み出た狐面の男の黒い手袋には見事な歯形。
振り返ったリーダーがくぐもった声で、
「何をやっている」
「違ぇんですよ! このガキが……!」
叫び返した男がアサルトライフルの銃口を男の子に向ける。ひっ、と呻いた男の子がへたり込んだまま泣きそうな顔で後ずさる。
母親らしい女の人がたぶん男の子の名前を叫ぶ。
飛び出そうともがくその人を、周囲の乗客たちが必死に押しとどめる。
「おい……」
「まあ待って下さいよ、すぐ済みますから」
いかにも不快そうなリーダーの声に男は軽薄な笑いを返し、
「見せしめですよ。こういうガキは耳の一つも吹っ飛ばせば」
……ああ、もう……
本当にすごく困る。冷静に行こうって決めたばっかりなのに。
だけど、仕方ない。
力は使うべき時に正しく使え、っていうのも祖父ちゃんの遺言なのだ。
「解放戦線も質が落ちたわね、嘆かわし……」
言いかけた老婦人が僕の様子に気付いたみたいで目を丸くし、
「待ちなさい。いいこと? あなたはここから動かずに」
言葉が終わるのを待たずに、立ち上がりざま駆け出す。
最初の一歩と同時に腕を一振り。袖の内側に仕込んでおいた神符の束を右手のひらに掴み取る。
男の子がいるのは二十メートルくらい先、幾つものテーブルや椅子と、うずくまる乗客たちの向こう。
続く二歩目と同時に手から離れた数枚の符が、目の前の空間で貼り合わさって形を成す。
「──火之迦具土神」
もう片方の左手をポケットに突っ込み、画面も見ずにスマホを操作する。放たれた数万の祝詞が周囲の空気分子を構成するクォークとレプトンに名を与えて神として奉る。
超高速で循環する爆発的な神性が、大気を加速してプラズマ化する。
その神名が司るのは神をも殺す熱と炎──すなわち摂氏六千度の荷電粒子。
放たれた手のひらほどの光が、乗客達の頭上を飛び越えた先、狐面の男が手にしたアサルトライフルの銃身に文字通り「光速」で突き立つ。
こんな狭い空間で荷電粒子砲をぶっ放すわけにはいかない。だけど火之迦具土神の神威にはこういう使い方もある。
小さな筒状に重なり合った神符を柄に見立てた光のナイフが、金属の銃身を輪切りに溶断する。
西暦二〇九九年の陰陽師は、もちろんプラズマナイフくらい自在に操る。
悲鳴を上げた男が半分になった銃を放り捨てる。
「何だ!」っていうリーダーの叫び。
その時にはもう、テーブルの上を飛び渡った僕の体は男の子の前に割り込む位置にたどり着いている。
ライフルを失った男が腰のホルスターから予備の拳銃を引き抜こうとするけど、それより速く振り抜いた右足が男の膝を正面から蹴り砕く。
身体操作は陰陽師が行う神事の基本中の基本──って言いたいところだけど、実は僕はそういうのは苦手。これは祖父ちゃんに小さい頃から叩き込まれたいわゆる古武術。
最初の動きからここまでほんの数秒。目の前に浮かぶプラズマナイフに素早く左手を伸ばし、神符で編まれた柄を握って男の子を振り返る。
「大丈夫!? 怪我は!」
「だいじょうぶ!」
泣き笑いの顔でうなずく男の子に「よし!」ってうなずき返し、右手のひらに残った神符をまとめてばらまく。
同時にホールのあちこちに陣取った何十人かの狐面たちが一斉にアサルトライフルの銃口を僕に向け、
「諸々の禍事、罪、穢有らむをば、祓え給い清め給え!」
叫びと共に柏手を一つ。それを合図に光が迸る。
百枚近い神符が僕の周囲で数枚ずつの組に別れ、それぞれに互いを貼り合わせる。
形を成すのは狐面たちと同じの数の、数十の輝くプラズマナイフ。
男達が引き金を引くより速く、空を貫いたナイフが全ての銃口に同時に突き立ち、金属の銃身を真っ直ぐ縦に溶断する。
響き渡る複数の衝撃音。幾つかのライフルが暴発し、吹き飛んだ男達が椅子やテーブルに叩きつけられ、あるいは焼け焦げた腕を抱えてうずくまる。
プラズマナイフが複雑な軌跡を描いて素早く走り、爆ぜた銃の破片の中で乗客に向かう物だけを一つ残らず焼き尽くす。
数十のナイフを遠隔で操って残った狐面一人一人の鼻先で静止させ、全員の動きを同時に封じる。
……よしっ……!
我ながら完璧。僕は心の中でガッツポーズを取り──
正面、五歩の間合いを隔てた先で重なり合う複数の音。
テロリストのリーダーが役立たずになった銃を放り捨てる重い音、黒い手袋に包まれた指が腰の鞘から片刃の直刀を引き抜く冷たい音、神速で振り上げられる刃の風切り音、僕が突きつけたプラズマナイフを銀色の直刀が消し飛ばす捻れた異音──全ての音を同時に従えて、強い踏み込みの音が一呼吸の内に僕の目の前に迫る。
流れるように刃をかざすリーダーの背後で、プラズマナイフの柄を構成していた神符が粉々にちぎれて燃え落ちる。
銀色の刀身に鈍く煌めく紋様は、たぶん神符に書かれているのと同じ、素粒子一つ一つを神に見立てるための無数の名前の集合体。
僕のプラズマナイフと同じく量子神道の原理で強化された剣。つまり単純な熱量やエネルギーで押し切るってわけにはいかない。向こうの武器が持ってる神性をこっちの攻撃が上回らないと、どんな神威も意味を成さない。
正面から真っ直ぐに突き込まれる銀色の切っ先を、右手に握ったプラズマナイフの小さな刃でかろうじて受け止める。
日本刀とも西洋の刀剣とも違う不思議な形状の刀と、実体を持たない荷電粒子のナイフ──二つの刃に込められた互いの神性が激突し、閃光と共に爆ぜる。
打ち負けたのは僕の方。
ちぎれ飛ぶ神符の細かな破片の間をすり抜けて、銀色の刀身が僕の喉目がけて水平に走る。
襲い来る刃を寸前でかわして飛び退いた瞬間、自分の失敗を悟る。視界の端、ホールの奥の方で、プラズマナイフをかいくぐった狐面が三人集まっている。
リーダーに気を取られて制御が甘くなった隙を突かれた。
空中に取り残されたままのナイフを慌てて動かすより速く、狐面の男達がボディースーツの手首にはめた腕時計みたいなガジェットを操作する。
文字盤にあたるパーツがものすごいスピードで回転すると同時に、爆発的な神性が膨れあがる。
たぶんマニ車の一種、しかもかなり高性能のやつ。
狐面の一人が神符の束を頭上高くに放り投げると、神符はホールの天井近くで一塊に繋がりあって、最初にこいつらが乗ってきた、僕の身長の何倍もある極彩色の巨大な鳥を形作る。
「迦楼羅顕現!」
男たちの叫びに応えて翼を広げた鳥が、けたたましい鳴き声と共に一直線に突っ込んで来る。
照明に煌めく金属質な真紅の嘴。
反射的に生み出したプラズマナイフの刃を容易く弾いて、僕の頭上すれすれをかすめた巨大な嘴が寒気がするような風切り音をまき散らす。
……まずっ……!
同時に正面から踏み込んできたリーダーの男が、両手に構えた直刀を袈裟斬りに振り下ろす。とっさに退いた足が床を捉え損ねて、バランスを失った体が大きく後ろに傾く。
意味もなく伸ばした手が、溺れるみたいに宙をかく。
翻った銀色の刃が、僕の心臓目掛けて一直線に突き込まれる。
背後でさっきの男の子の悲鳴。
僕は何とか致命の一撃を逃れようと必死で身を捻り、
──鳴り響く銃声。
窓の向こう、空の彼方から飛来した銃弾が、銀色の刀身を横殴りに弾き飛ばした。
*
そうして、僕は、その姿を見る。
蒼穹の彼方、小さな白い雲を背景に、放たれた矢のように飛来する黒い影を。
ばさりと力強く大気を打つ、巨大な鴉の羽ばたきを。
続けざまに鳴り響く銃声。五発の銃弾が次々に銀色の刀身を直撃し、とうとうリーダーの男の手から剣が弾け飛ぶ。
砕けた刃の向かう先はホールの天井、巨大な翼を広げて今にも飛び掛かろうとしていた極彩色の鳥。
一撃で頭部を砕かれた迦楼羅が、数十枚の神符に爆ぜて音もなく燃え落ちる。
その時になって、僕はやっと気づく。
窓の向こうに迫る巨大な鴉の背には、長い黒髪をたなびかせた巫女装束の少女が一人。
自分の身長の倍もある長大なライフル銃をぐるりと回し、流れるような動作で次々に引き金を引く。
狐面たちが一斉に腰のホルスターから予備の銃を引き抜くけど、それより速く放たれた銃弾が男たちの首筋に次々に突き立つ。
普通の弾じゃない。金属の筒の先に鋭い針が突き出た、たぶん麻酔弾。
スイッチが切れたみたいに床に倒れ込んだ狐面たちが、盛大ないびきをかき始める。
同時に鳴り響く強い足音。とっさに見上げる僕の頭上を大きく飛び越えて、リーダーの男が展望デッキの端、天鳥船の艦内に通じる螺旋階段のそばに着地する。
素早く階段を駆け降りる男の手から放たれた数十枚の神符が、縒り合わさって形を成す。
生み出されるのは古代の戦士みたいな上半身に輝く長い下半身を組み合わせた、十メートル近い蛇の神性。
悲鳴をあげて飛び退く乗客たちの間をすり抜けた長大な体躯が、砕けた窓に向かって猛スピードで走り出し──
その時にはもう、巨大な鴉は窓の内側に飛び込んで展望デッキの端。
背中から飛び降りた巫女装束の少女が華麗な着地を決めると同時に、鴉の姿が崩れて同じ大きさの黒い虎に変わる。
半神半蛇の神性が突撃と同時に振り下ろした剣を、虎の巨大な前脚が受け止める。
勝負は一瞬。
鋭く尖った虎の爪が轟音と共に閃くと、寸断された大蛇の体が元の神符に爆ぜて紙吹雪みたいに千切れ飛ぶ。
「どうやら片付いたようだね」
場違いなくらい静かな声。巫女装束の少女が展望デッキをぐるりと見回し、長い黒髪を優雅な動作で背中に払う。
黒い虎とライフル銃が無数の神符に解けて巫女装束の袖の中に収まる。
ゆっくりと近づく足音。
少女は床に座り込んだままの僕の前で立ち止まり、細い指をびしりと鼻先に突きつけて、
「君、迂闊だよ。彼我の戦力差を見誤ることは死に直結する。中等部の実技指導で習わなかったのかい?」
「す、すいません……」
反射的に謝ってしまう。その授業は受けたことがないんだけど、祖父ちゃんにもさんざん叩き込まれたことなので返す言葉がない。
と、くすりという小さな笑い声。
少女は日本人形めいた端正な顔を柔らかく崩し、夜の星空みたいな瞳で僕を見つめて、
「けれど悪くない……いや、とびきり上出来だよ! 動きも度胸も良いし、何より神卸の練度が素晴らしい。見覚えがない顔だけど、かなりの修行を積んでいるね、君」
「えっ」
思わず瞬きする僕の前で、急にスマホの呼び出し音が鳴り響く。
僕のじゃない。何だか古めかしい感じの女性ボーカルの歌。
少女は巫女装束の袖から取り出したスマホを鼻歌混じりで耳に当て、
「やあ、早速の連絡ありがとう。そちらでも状況は把握しているね?」
楽しくて仕方ない、って感じで長い黒髪を指先でくるくると弄び、
「私の言った通りだろう? 国之常立神に向かった部隊は囮、本命はこの天鳥船だ。……どうするね? 生徒会長殿。警備部の本隊がこちらに引き返すには少し時間がかかると思うのだけれど」
『……君というやつは!』
スマホの向こうから漏れ聞こえるのは僕より年上っぽい低い男の声。どうも『守銭奴』だの『家名が泣くぞ』だのあんまり良くないことを言ってる気がする。
『……良いだろう。今年度予算の一割増額を認める』
「二割だ。では、吉報を待ちたまえ」
たぶん一方的に通話終了。
にやりと笑った少女が僕に手を差し伸べ、
「自己紹介が遅れたね。……高天原学園高等部二年、生徒会執行役員、氷川夏乃だ。君の名前は?」
「え? ……み、御厨です! 御厨宗一郎!」
「よろしい、御厨君。生徒会の権限において君を臨時雇用する」
触れ合った指の滑らかさに、どきりとなる。
少女は──いや、氷川夏乃先輩は思いがけなく強い力で僕を引き起こし、口元に人の悪い笑みを浮かべて、
「端的に言うなら私のバイトに付き合いたまえ。報酬は弾むよ?」




