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神式駆動カーニバル【第二幕開幕】  作者: 三枝零一
弐ノ舞

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12/59

ようこそ高天原学園へ⑥

 使い込まれた古い畳みからは、ふんわりと()()の良い匂いがした。

 僕は隅々まで掃除の行き届いた和室を見回し、とりあえず真ん中の大きな座卓の前に正座した。

 

 こうやって上がり込んでみると、和室は右手側の台所以外にも別な部屋に通じているのが分かる。奥の障子の向こうはぬいぐるみとか本とかが転がった洋室になっているし、左手側のふすまの先には廊下越しに洗面所とお風呂まで見えて妙に生活感がある。

 先輩は部室って言ってたけど、この雰囲気は完全に「家」って感じ。

 なんてことを考える僕の前で、先輩は押し入れから引っ張り出した座布団を「さあどうぞ」って丁寧に敷いて、


「すぐに準備をするからね。御厨君は適当にくつろいでくれたまえ」

「あ、はい」


 何の準備だろ、って思いながらうなずきかけて、ぽかんと口を開ける。

 座卓の向こうで、するするっていう衣擦れの音。

 慣れた手つきで袴の帯を解いた氷川先輩が、当たり前みたいな顔で千早っていう巫女装束の白い上着を肩から落とす。


「せ、せせせ、先輩!?」

「どうしたんだい? 御厨君、そんなに慌て……」

 

 声が止まる。

 いきなり耳たぶまで真っ赤になった先輩が、ぎぃっ、って音が聞こえそうな動作で背中を向けたかと思ったら、ものすごい勢いで奥の洋室に飛び込んで障子を閉ざす。


「ち、違うんだよ御厨君──!」

 ほとんど悲鳴みたいな叫びにどんがらがっしゃんって何かをひっくり返す音が重なり、

「決してよこしまな気持ちがあったわけじゃないんだ! ……そうじゃなくて、私は初等部の三年の頃から一人きりでこの部室を使っていて、誰に見られるわけでもないからそっちの部屋で着替えるのが当たり前になっていて……だ、だからだね! きみに見せようとかそういうつもりは……!」

「ごめんなさいすいません大丈夫です見てません僕なにも見てませんから──!」


 自分でも何を言ってるかわからない。いや落ち着け僕! 本当に大丈夫だから。見ちゃダメなところはたぶん見なかったから!


 熱くなった顔を両手で押さえて、何回も深呼吸を繰り返す。

 と、障子が静かに引かれる音。

 セーラー服にエプロンっていう姿に着替えた先輩がすすすすっと進み出る。「何も起こっていないよ?」みたいな涼しい顔をしてるけど、頬がまだほんのり赤い。


「さて……! それじゃあ改めて、御厨君は肉と魚、どっちが好きかな?」

「え……肉、ですけど……」

「よろしい、ならばすき焼きにしよう!」


 照れ隠しみたいに宣言した先輩が座卓の向こうを横切って台所に向かう。

 長い黒髪をてきぱきとゴムで束ねて三角巾でまとめ、先輩は見るからに上機嫌で冷蔵庫から葱とか椎茸とか春菊とか豆腐とかを取り出してまな板の上にどかどかと並べる。


 きらーん、って輝く立派な菜切り包丁。

 ……待って。この状況、なに?

 なんでいきなりすき焼きの準備が始まってるの?

 

「先輩、あの……?」

「言ったよね? バイト代を払うって」

 氷川先輩は手際よく野菜や豆腐を切り分けながら、

「命の恩人にお礼をするのにお金で解決じゃ味気ないからね。……それとも、御厨君は私の料理じゃ不満かい……?」


 最後の言葉はどうしてだかちょっと固い感じ。

 僕は「え?」って瞬きし、


「もちろん大歓迎です。すき焼き好きですし」


 バイト代だよってお金なんか渡されたら困ってしまうけど、こういうお礼なら安心。それに、実を言うと天鳥船のハイジャックだなんだでお昼を食べ損ねたから、お腹はとっくにぺこぺこなのだ。


「そ……そうか! そうだよね、良かった!」


 満面の笑顔でうなずいた先輩が、野菜が盛られた大皿を座卓にどんっと置く。

 続いて縄文土器みたいな形の鉄のコンロに真っ黒な鉄の鍋、二人分の取り鉢にお箸に生卵に殻入れとすき焼きの準備が並び、座卓の上がたちまち賑やかになる。


 最後にでででんっと鎮座するのは、竹皮に包まれた見るからに立派な霜降りの牛肉。

 

「すごいですね、この肉」

「そうだろう? とっておきなんだ」

 思わず喉を鳴らす僕に、先輩が得意満面の顔で、

「しばらく前に手に入れたんだけど、さすがにこの量を私一人では持て余してしまってね。少しずつ料理に使うのももったいないし、きみが来てくれて良かったよ」


 先輩がエプロンのポケットから神符を取り出してコンロの真ん中に置くと、揺らめいた光の文字がほどよい火力の炎に変わる。

 細い指が軽く印を結ぶと、鉄の鍋が一人でに浮かび上がってコンロの上に乗っかる。


 よし、ってうなずいた先輩が鍋の中に白くて四角い牛脂を落としてよく溶かし、太い葱を並べて焼き目を付けていく。

 下ごしらえの時も思ったけど、動作がものすごく滑らかっていうか、手慣れてるっていうか、なんだか名家のお嬢様っぽくない。


「上手ですね」

「ずいぶん長いことやっているからね」


 先輩は火が通った葱を端に寄せ、立派な霜降りの肉を一枚ずつ丁寧に鍋に広げる。

 じゅわっと染み出す脂と、立ち上る香ばしい匂い。

 よし、ってうなずいた先輩が美術品みたいな陶器の出汁入れを傾け、肉と葱の上にとぽとぽと割り下を注ぐ。


「御厨君は料理は?」

「それなりです。家では祖父ちゃんと交代で朝昼晩って作ってましたから」

「それは良いね。……とても良い」


 ふんわりと笑った先輩が、出汁入れの注ぎ口を布巾で丁寧に拭う。

 僕は何だか恥ずかしくなって板張りの天井を見上げ、


「あの……聞いても良いですか?」

「なんだい? 御厨君」

「ここって、何なんですか?」


 ぷらぷらと揺れる年代物の照明に目を細める。ケーブル一本でぶら下がった照明は木枠を四角く組んだ形で、祖父ちゃんと過ごした実家の居間を思い出す。

 畳の匂いがなんだか懐かしい。

 そういえば祖父ちゃんはすき焼きが大好物で、何だかんだと理由を付けては良い肉を買ってきて僕に食べさせてくれたっけ。


「言わなかったかい? 料理部の部室だよ」

 先輩は煮立った鍋の中に残りの具材を敷き詰めながら、

「元は本当にただの倉庫だったのを、色んな術を組み合わせて中の空間を拡張してね。今ではこんなに立派になったというわけさ」

「え、でも……」


 部室って校舎の中にある物じゃないのかな、なんて首を傾げてしまう。生徒会室に行く途中でそれっぽい部屋をいくつも見たし、調理実習室の前を通った時には部活の真っ最中らしい賑やかな声も聞いた。

 と、ふぅ、って小さなため息。

 僕が妙な顔をしてるのに気付いたのか、先輩は困ったみたいに笑って、


「実を言うとね、この部は非公認の、私一人だけの趣味みたいな物なんだ」


 意味がわからない。一人だけ? 部活なのに。

 瞬きする僕の前で、先輩は生卵を取り鉢に割り入れて菜箸で手早く溶き、


「学園にはちゃんと『家庭科部』というのがあるんだけど、私は……ちょっと色々あってそっちとは折り合いが悪くてね。どこかに適当な場所はないかってうろうろしている時にこの倉庫を見つけたんだ」


 さあどうぞ、って差し出される取り鉢を慌てて受け取る。

 頭の三角巾を外して長い髪を解く先輩。

 ほんのり汗が浮かんだ端正な顔が照れたみたいに笑い、


「さあ。どうぞ召し上がれ」

「あ! い、いただきます!」


 慌てて両手を合わせると、くすっと笑った先輩が僕の取り鉢に肉とか野菜とかをまとめて投入してくれる。

 自分の分は取らずに、ちょっと緊張した顔で僕を見つめる先輩。

 どうしたんだろって心の中で首を傾げつつ、大きな肉をぱくっと口に頬張って──

 

 目を丸くしてしまう。

 何だこれ、めちゃくちゃ美味しい。

 もちろん高級な肉なんだけどそれだけじゃない。味付けとか火の通り加減とか、とにかく何もかもが完璧で絶対に普通じゃない。


「ど、どうかな? 御厨君」

「……美味しい」


 口の中の肉をゆっくりと飲み込んで、ようやく言葉を返す。

 たちまち、自分でもわけのわからない感動がこみ上げて、


「先輩! これほんとに、すごい美味しいです! うわぁ、なんだろ! 特別な調味料って感じでもないし!」

「そうだろう? そうだよね! 良かった!」


 日本人形みたいな先輩の顔に、ぱぁっ、と花が咲く。

 大人びて自信満々な顔が、ほんの一瞬、小さな女の子になってしまったみたいな錯覚。

 なんだか気恥ずかしくなって視線を逸らしてしまう。

 そんな僕の前で、先輩はやっと自分でも鍋に取り箸をのばし、


「安心したよ。何しろ、誰かに料理を振る舞うのなんて十年ぶりだからね」


 えっ、て葱を口に運ぼうとした手を止める。

 まじまじと見つめる僕に、先輩は大きな肉を溶き卵にくぐらせながら、


「子供の頃の話だよ。生まれて初めて料理を作ったのだけど、上手くいかなくてね。水加減を間違えてご飯はお粥みたいになってしまったし、野菜炒めは焦げだらけさ。…… けれど、その料理を美味しいって食べてくれた人がいてね」


 思わず瞬き。目の前の完璧な料理からは想像もできない。

 

「それで、次はもっとマシな物を作ろうと思ったのだけど、氷川の家では家事は使用人がやるものだから、両親は私が台所に立つのに良い顔をしなくてね」

「……それで料理部を?」

「ここなら父と母の目も届かないからね。初等部の三年の頃からだから、かれこれ八年になるかな」


 大きな肉を口いっぱいに頬張った先輩が「うん!」って嬉しそうにうなずく。

 だけど、僕はすき焼きどころじゃない。

 和室の壁にはいかにも上質な半紙に筆で書かれた部員名簿。

 見事な達筆で書かれてるのは、氷川先輩の名前一つだけ。


「先輩。この部って、本当に先輩一人で?」

「そうだよ。一人で作って、一人で食べて、一人で改善する。そういう趣味さ。……きみが初めてのお客様だよ。御厨君」


 なんでもないことみたいに答える先輩から目が離せない。

 自然と背筋がのびる。

 事情はちゃんとはわからないけど、たぶん、この部室は先輩にとってものすごく特別な場所なんだ。


「御厨君、急いで食べないと肉が硬くなってしまうよ?」

「え……? あ、はい!」


 慌てて取り鉢の中の肉を頬張ると、先輩が待ちかねたみたいに次の肉をよそってくれる。

 甘辛い味が染みた肉をよく噛んで飲み込み、美味しいです、って笑う。

 そうだろうって胸を張った氷川先輩が、自分の肉をはふはふと口に運んだ。


       *


「すまないね、御厨君。お客様に片付けを手伝わせてしまって」

「いえ、すっかりご馳走になっちゃいましたから、あれくらいは」


 部室を後にして男子寮にたどり着く頃には、空はすっかり夜の色に染まっていた。

 僕は温泉旅館の入り口みたいな玄関の前で振り返り、ぺこっと頭を下げた。


「今日は色々とありがとうございました」

「よしてくれ御厨君、お礼を言うのは私の方だよ」

 苦笑した先輩がふと表情をゆるめて、

「それにしても、今日は波瀾万丈だったね。空の上でテロリストと戦ったり、あんな化け物を倒したりさ」

「ですね」


 僕も思わず笑う。そこからさらに高天原に着いて、生徒会室に連れて行かれて、先輩にすき焼きをご馳走になって──本当に、たった一日の出来事だなんて信じられない。


「自分の部屋の番号はわかるね? 荷解きなんかは必要最低限にして早く寝るんだよ。明日は朝から入学式なんだから」


 はい、ってうなずく。寮の部屋には引っ越し荷物が積んであるはずだけど、みかん箱二つ分だけだから今日のパジャマと明日の着替えが発掘できればとりあえずは困らない。


「何かあったら連絡するんだよ。私は昼間は二年の教室にいるから」


 これにも、はい、ってうなずく。先輩とはさっきスマホの連絡先を交換した。この高天原での、記念すべき友達登録第一号だ。

 

 よろしい、ってうなずく先輩と見つめ合う。

 なんだか名残惜しいっていうか、お別れのきっかけが掴めない。


「……えっと。先輩、それじゃあ」

「うん。おやすみ」


 先輩が小さく手を振る。僕も手を振り返し、寮に向かって歩き出そうとして──


 いきなり腕を強く引っ張られる。

 バランスを崩した体が柔らかい感触に受け止められて、気がついた時には日本人形みたいな端正な顔が目の前にある。


 ちょん、と頬に触れる感触。

 ゆっくりと唇を離す先輩を、僕はぽかんと見つめる。


「……先輩……?」

「い……いやだなあ御厨君。ただの挨拶だよ、西洋式のね」

「そ、そうなんですか!」


 普通に答えようとしたのに、声がうわずってしまう。

 先輩の顔は夜の暗がりの向こうでよく見えないけど、口調は平静そのもの。

 ちょっとびっくりしたけど、名家の人ってこういうものなのかも知れない。


「それじゃあね御厨君。……部室にもまた顔を出してくれたまえ。きみならいつでも大歓迎だよ」


 くるりと踵を返した先輩が踊るみたいなステップで夜道を遠ざかっていく。僕はその背中を見送り、まだ柔らかい感触の残った頬を手のひらで押さえる。

 ゆっくりと深呼吸して、心臓の鼓動を落ち着ける。

 本当に、先輩の言う通り、今日は波瀾万丈だ。


「……おやすみなさい」


 とっくに見えなくなってしまった背中に声を投げ、一つうなずいて振り返る。

 部屋に入ったらまず引っ越し荷物を確認して、入学式の準備をしてからシャワーを浴びて着替えて。洗濯のことは明日考えよう。忘れないように目覚ましもセットして。


 ふと足を止め、夜空を仰ぎ見る。

 祖父ちゃんと一緒に神社の境内から見上げたのと同じ、満天の星の海。

 よし、って気合いを入れ直して、寮の玄関をくぐる。

 明日は入学式。新しい日々の始まりだ。


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