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第6話:束の間の遊興と、身の程知らずの代償

 心臓を握り潰される恐怖から、およそ48時間だけ解放された。


 先日のドブ攫いの報酬と、これまでの過酷な労働で積み上げた僅かな余剰金。それが私の寿命を2日分だけ買い戻してくれたのだ。


 だからといって、休んでいる暇はない。借金は毎秒増え続けている(正確には、利息分の支払いが猶予時間から引かれている)。


 だが、今日ばかりは体が鉛のように重く、私はふらりと下町の雑踏へと足を向けていた。


 48時間、死の恐怖がない。それだけで気が緩んでしまったのかもしれない。


「あ……」


 薄汚い路地の角で、誰かと肩がぶつかりそうになる。


 顔を上げると、そこには見覚えのある狐耳があった。リナだ。


 彼女もまた、ゴミ山のような場所で食料を探していたのだろうか。継ぎ接ぎだらけの布切れ1枚を身に纏い、その隙間から痩せた肢体を覗かせている。


「……奇遇だな」

「うん……その、久しぶり」


 リナは少しだけ頬を赤らめ、身を縮こまらせた。

 私の視線が、彼女の太ももや、布切れの隙間から見え隠れする肌に向いていることに気づいているのだろう。


 Aカップほどだろうか。慎ましい胸元を隠すように腕を組んでいるが、その恥じらう仕草がかえって私の劣情を煽る。


 金はない。私も彼女も、底辺の借金奴隷だ。

 だが、私の脳裏にふと、スラムのボロ家の床下に隠した「へそくり」の存在がよぎった。


 ゴミ漁りすら失敗し、餓死寸前になった時のための最後の命綱。銅貨数枚程度の、本当に僅かな金だ。


 しかし、目の前の儚げな少女を見ていると、奇妙な見栄と欲望が頭をもたげる。


「……少し、付き合わないか?」

「え?」

「とっておきの金があるんだ。何か美味いものでも食おう」


 私は一度、リナを連れて家に戻った。


 薄暗い小屋の中、カビ臭い床にしている板を動かし、そこから小銭を掴み出す。

 私は早く美味いものを食わせてやりたい一心で、再びリナを連れ出した。


 デート、なんて呼べる代物じゃない。


 屋台で買ったのは、日が経って硬くなった串焼きが1本ずつ。


 それでも、リナは「美味しい」と目を細め、小さな口で肉を齧った。


「……そういえば」


 並んで歩きながら、私はふと口を開いた。


「名前、名乗ってなかったな。今更だけど」


 あのヘドロまみれの現場では、互いに生き残るだけで精一杯だった。名前を聞く余裕すらなかったのだ。


「私は海人カイトだ」

「あ……うん。私は、リナ」

「知ってる」

「ふふ、そうだよね。……よろしくね、カイトさん」


 リナは少しだけはにかんで、串焼きを両手で持ったまま小さく頭を下げた。


 私はその横顔を眺めながら、自分の串を咀嚼する。

 栄養状態は悪いが、彼女の顔立ちは整っている。獣人特有のしなやかな身のこなし。風になびく銀色の髪。


 (……金さえあれば、あられもない下着や服を買い与え、それを自分の手で破き、あの慎ましい体を思う存分……)


 いやらしい妄想が膨らむ。現実的に私の手が届く相手ではないことは分かっているが、想像するのは自由だ。彼女の美しさに、私の視線は釘付けになっていた。


 そんな束の間の安息は、唐突に踏みにじられた。


「おいおい、汚ねぇネズミが2匹、何イチャついてんだ?」


 ドスの利いた声。振り返ると、革鎧を着崩した男たちが立っていた。腰には剣を下げ、酒臭い息を吐いている。


 その粗暴な振る舞いと武装からして、冒険者ギルドに所属するチンピラといったところか。


 逃げようとした瞬間、リナが動いた。

 速い! 獣人は成長すれば、常人には出しにくい速度で動くことができる強靭な種族らしい。


 だが、まだ幼い彼女は、その能力のごく一部しか引き出せていない。


「おっと!」


 先頭の男が、リナの動きに反応し、足を払った。


 どしゃっ、と無様に地面へ転がるリナ。


 相手は決して手練れではない。冒険者の中でも底辺に近いチンピラだ。

 だが、それでも腐っても冒険者であり、大人だ。能力が未開花な子供が勝てる道理がない。


「獣人のガキか。金は持ってなさそうだが……憂さ晴らしにはなりそうだなぁ」

「や、やめろ……!」


 男たちの視線が、ねっとりとリナの体を舐め回す。

借金奴隷である彼女を勝手に売ることはできないが、路地裏で「消費」して捨てるつもりなのだ。


 私は震える足で前に出た。だが、男の裏拳が私の顔面を捉える。


 視界が明滅し、口の中に鉄の味が広がる。地面に這いつくばる私の頭を、男の革ブーツが踏みつけた。


「あがくんじゃねぇよ、ゴミが」


 ミシミシと頭蓋骨が軋む。痛い。怖い。


 ここで殺されれば、借金返済の苦しみからは解放されるかもしれない。だが、そんな安らかな死を、私の借金の束縛は許さないだろう。


 意識が飛びそうになった、その時だ。


「――そこまでにしておきたまえ」


 冷ややかな声が路地に響いた。


 チンピラたちが苛立たしげに振り返る。「あぁ? 誰だ……」

 だが、その言葉は途中で凍りついた。


 そこに立っていたのは、上質なベルベットの外套マントを纏い、片眼鏡モノクルを光らせた男。そして何より、その胸元には鈍く光る「金色のバッジ」があった。


「げっ……しょ、商工ギルド……!?」

「幹部のバッジか、ヤベェぞ……!」


 男たちの顔から一瞬で血の気が引いた。


 この街の経済を牛耳る商工ギルドは、冒険者にとって決して逆らえない絶対的な存在だ。その幹部が目の前にいる。逆らえばどうなるか、ゴロツキの彼らの方がよく理解していた。


「その男は、我々の重要な『資産』でね。壊されると回収計画に支障が出る」


 男は冷たく言い放った。


「もしこれ以上彼に手を出すなら、君たちのギルドカードを無効化するよう冒険者ギルドに働きかけるか。いや、それともこの街でポーション1つ、パン1つ買えなくするか」


 その言葉の効果は絶大だった。冒険者にとって、商工ギルドによる取引停止は死刑宣告に等しい。武器のメンテナンスも、回復薬の補充もできなくなるからだ。


 チンピラたちは青ざめた顔で互いを見合わせると、捨て台詞も吐かずに逃げ去っていった。


 助かった……のか?

 私は泥まみれで起き上がる。リナも擦り傷だらけでうずくまっている。


 片眼鏡の男は、私を見下ろして溜息をついた。


「まったく。資産価値を下げるような行動は慎んでいただきたいですね」

「……すみま、せん」

「治療が必要ですね。……ふむ、あなた、隠し持っていた小銭がまだあるでしょう」


 男の視線は、私が握りしめていた「へそくり」の残りを射抜いていた。


 串焼きを買った残り。本当にわずかな金だ。


「その金で、ギルドでも廃棄予定の超低級ポーションを譲ってあげましょう。特別措置ですよ」


 選択権はない。私は震える手で金を差し出し、濁った液体の入った小瓶を受け取った。


 私の傷も痛む。だが、隣で震えているリナの傷の方が深く見えた。

 私は迷わず、リナの口元に小瓶を押し付けた。


「飲め」

「え……でも、これはカイトさんの……」

「いいから飲め! リナの資産価値が下がったら困るだろ!」


 素直に優しくなれない私は、あえて粗暴な言葉で誤魔化し、彼女の小さく開いた口元へ小瓶を傾けた。


 一気に流し込めばむせてしまう。私は焦る気持ちを抑え、彼女がごくりと喉を鳴らすペースに合わせて、ゆっくりと濁った液体を飲ませていった。


 リナの傷が少しだが塞がっていく。彼女は痛々しい傷が少しずつ治る自分の体を見つめ、それから潤んだ瞳で私を見た。

 何も言わない。けれど、その瞳の奥に宿った光が、以前とは違う温かさを帯びているのが分かった。


 あれがデートと呼べるものだったのか、私には分からない。

 ただ確かなのは、その結末が最悪だったということだけだ。


 「へそくり」は消滅。体は痛む。

 そして何より――今日は1銭も稼いでいない。

 家に戻り、泥だらけの床に座り込む。


 傾いた日差しを見て、私はおおよその時間を計算した。


 48時間あったはずの猶予は、遊んでいる間に確実に削り取られていた。




【現在の借金状況】

借金総額:54,921,436.93円

(前回比:変動なし ※魂の限界値ロック中)

現在の所持金:0円

次回の利息支払い(生命力徴収再開)まで:残り約24時間

現在の利息:毎秒 約6.36円

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