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第43話:微睡みと秘め事

 ガタゴトと、規則的な振動が背中を揺らしている。


 木の車輪が硬い土を踏みしめる音、馬の蹄がリズムよく鳴る音。

 それらが遠くから響く子守唄のように聞こえていた意識が、ふわりと浮上する。


 まどろみの中で、私は自分の置かれている状況を緩やかに理解していった。


 ここはベルガの街を離れ、メルテへと戻る馬車の中だ。


 御者台にはヘンリックさんが座り、幌で覆われた荷台には、私がこの世で最も敬愛し、心酔しているあの方、カイトさんがいる。


 その気配をすぐ隣に感じるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなるような、そんな絶対的な安堵感に包まれる。


 けれど、完全に覚醒しかけた私の思考は、ある物理的な違和感に気づいてピタリと止まった。


(……あれ? 私、服を着ていない?)


 毛布のふわりとした感触が、直接肌に触れている。

 いつものゴワゴワした冒険者用の革鎧や、先日カイトさんに買っていただいた衣服の感覚がない。


 つまり今、私は下着姿のまま、カイトさんの隣で無防備に眠っていることになる。


(いつ下着姿になったの? いけない、早く起きないと……カイトさんにだらしないところを……)


 そう思って瞼を開けようとした、その時だった。


「…………」


 すぐ傍から、熱っぽい気配が降り注いでいるのを感じた。


 音はない。けれど、肌に突き刺さるような、粘着質で、それでいて焼けるような視線。


 それは私がよく知っているものだった。

 カイトさんが時折、私に向けてくる「いやらしい視線」。


 私が無防備な時や、戦闘中にスカートが捲れる時に、まるで獲物を品定めするかのようにじっとりと絡みつくあの視線だ。


 エリーゼ様ならばそれを「最低」と仰るだろうけれど、私にはわかっている。


 これは、カイトさんが私を「必要」としている証なのだ。


(……カイトさん、見てる……)


 その事実に気づいた瞬間、私の思考は「起きる」ことから「観察する」ことへと切り替わった。


 もし今起きてしまえば、カイトさんは慌てて視線を逸らし、いつもの優しい紳士的な態度に戻ってしまうだろう。


 それはそれで素敵なのだけれど、今の私は、このねっとりとした視線をもう少しだけ浴びていたかった。


 だから私は、呼吸のリズムを変えないように細心の注意を払いながら、力の抜けたふりをして狸寝入りを決め込むことにした。


(ふふ、カイトさん……。私のこと、そんなに見つめて……)


 瞼の裏で、私は密かに微笑む。


 普通なら恥ずかしがるべきところなのかもしれない。

 けれど、私にとってカイトさんの欲望の対象になることは、この上ない悦びだった。


 誰からも必要とされず、借金奴隷としてすり減るだけの運命だった私を拾い上げ、価値を与えてくれた人。


 その人が、私という存在を見て「欲」を感じてくれている。

 それは、私がカイトさんの仲間として価値があることの証明に他ならない。


「……すー……、……すー……」


 私はあえて無防備に見えるよう、小さく寝息を漏らしてみた。


 少しだけ口元を緩め、無防備な寝顔を演じる。

 すると、予想通りカイトさんの気配がさらに濃厚になった。


「……はぁ……、……ふぅ……」


 耳元で、カイトさんの鼻息が荒くなっているのがわかる。


 まるで全力疾走をした後のように、あるいは熱病に浮かされたように、呼吸が重く、熱い。


 狭い荷台の中で、その熱気が私の首筋や鎖骨あたりにかかり、ぞくりとした甘い悪寒が背筋を駆け抜ける。


(嬉しい……。そんなに興奮してくれてるの……?)


 私の傷ついた体を見て、心配と、そしてそれ以上の何かで理性を揺らしているカイトさん。


 その事実だけで、下腹部の奥がきゅんと疼くような感覚に襲われる。


 もっと見てほしい。もっとその欲望のこもった瞳で、私の全身を舐め回してほしい。


 そんな倒錯した願望が頭をもたげる。

 その時、カイトさんが身じろぎをした拍子に、私の太もものあたりに「何か」が当たった。


 ゴツッとした、硬く、熱く、棒のようなもの。

 カイトさんが動くたびに、それがゴツゴツと私の肌に押し付けられる。


(……? また、何か隠してる?)


 私は内心で首を傾げた。


 以前にも何度かあったことだ。

 カイトさんと密着した時や、こうして二人きりになった時に、カイトさんの股間あたりに硬い何かが現れることがある。


 それは護身用の隠し武器のようにも思えるし、あるいは非常食の堅焼きパンのようにも思える。


 カイトさんは慎重な方だ。

 きっと、万が一の襲撃に備えて、私が知らない武器を懐に忍ばせているに違いない。


 あるいは、私にお腹いっぱい食べさせるために、自分は我慢して硬いパンを隠し持っているのかも。


(今回も私に隠れて、何か新しい武器の手入れでもしていたのかな……。それとも、私に内緒で食べるおやつ……?)


 知識のない今の私には、それが生理現象である「勃起」だということは分からない。


 ただ、カイトさんが私に対して何かを「隠している」ということだけは察せられた。


 普通なら、隠し事をされるのは悲しい。

 けれど、今の私はそれすらも好意的に受け取っていた。


(きっと、私のために驚かせようとしてくれているのね。今は気づかないふりをしてあげなきゃ)


 私がそんな推理をしていると、毛布がゆっくりと剥がされる感覚があった。


 冷たい空気が肌に触れ、鳥肌が立ちそうになるのをこらえる。


「……ん……」


 カイトさんの低い唸り声と共に、大きな手が私の体に伸びてきた。


 いよいよ、何かが始まる。


 期待に胸が高鳴る。

 けれど、次の瞬間、私の体に触れたのは布の感触だった。


(あ……服を、着せてくださるのね……)


 少しだけ残念な気持ちと、それ以上に込み上げる愛おしさ。


 カイトさんは、眠っている(と思っている)私に風邪をひかせないよう、服を着せてくれようとしているのだ。


 その優しさが嬉しくて、私はさらに深く狸寝入りを続ける覚悟を決めた。


 だが、ここからが本当の試練だった。


 カイトさんの手が、私の腕に袖を通す。

 その際、カイトさんの指先が二の腕の内側、普段はあまり触れられない柔らかな部分を、ツーっと滑るように撫で上げたのだ。


(っ……!?)


 ビクリ、と体が跳ねそうになるのを必死で抑える。

 服を着せるだけなら、そんなに肌に密着させる必要はないはずだ。


 けれど、カイトさんの手つきは明らかに必要以上の接触を含んでいた。


 布越しではなく、直接肌に触れる指の腹。

 労働で硬くなった、けれど温かく湿った掌が、私の肌に吸い付くように這う。


(カイトさん……っ、そんな触り方……)


 シャツのボタンを留める時もそうだ。

 指の関節が、わざとらしくろくな谷間もない胸に触れている。


 偶然を装っているようでいて、その動きは執拗だ。

 鎖骨のくぼみを親指でなぞり、そのまま胸の膨らみの下を沿うように手が動く。


 不器用なはずのその指先が、今はまるで熟練の職人が宝石を扱うかのように、繊細に、そしていやらしく私を愛でている。


「……ふぅ……」


 カイトさんの吐息が、私の敏感な耳にかかる。


 その熱さと、肌を這う指の感触のダブルパンチに、私の頭の中はとろとろに溶かされそうだった。


(だめ……声が出ちゃいそう……)


 甘い溜息を噛み殺す。

 けれど、一番の難敵は「声」ではなく「尻尾」と「耳」だった。


 私は獣人だ。感情の高ぶりは、言葉よりも先に尻尾や耳に現れてしまう。


 今、私は猛烈に嬉しい。カイトさんに触れられて、愛でられて、大切にされているという実感が、全身を喜びで満たしている。


 油断すれば、尻尾は千切れんばかりに左右に振られ、耳はぴんと立ってピクピクと動いてしまうだろう。


 もしそんなことになれば、私が起きていること、それどころか狸寝入りをして今の行為を楽しんでいたことがバレてしまう。


(動かないで……お願い、私の尻尾……!)


 私は全身の神経を尻尾の付け根に集中させた。


 もふもふとした自分の尻尾が、喜び勇んで動き出そうとするのを、精神力だけで押さえつける。


 それはまるで、暴れ馬の手綱を引くような苦行だった。


 脳内で必死に、カイトさんと出会うまでの辛かった仕事の日々を思い出そうとする。


 けれど、カイトさんの手が私の腰を持ち上げた瞬間、すべてが吹き飛びそうになった。


 スカートを履かせるために、大きく温かい手が私のお尻を包み込んだのだ。


(んぅっ……!)


 揉まれた。

 間違いなく、今、むにゅっと揉まれた。


 着替えの補助という名目では説明がつかないほど、指が肉に食い込んだ。


 その刺激が尾てい骨に響き、我慢していた尻尾がビクンと反応しそうになる。


「……よし……」


 カイトさんが小さな声で呟く。


 まだだ。まだ尻尾を振ってはいけない。

 カイトさんの手は、まだ私の太もものあたりをうろうろしている。


 布を整えるふりをして、太ももの内側を撫でているのだ。


(あっ、そこは……だめ、くすぐったい……!)


 快感とくすぐったさが混ざり合い、足の指先が勝手に丸まりそうになる。


 私は必死で「ただの死体」になりきろうと念じた。

 私は眠っている。私は無防備な肉塊。何も感じない。何も聞こえない。


 ……でも、カイトさんの手は熱い。

 カイトさんの鼻息はいまだ荒く、例の「硬いもの」も私の腰に時折当たっている。


 硬い。本当に硬い。

 あれは一体なんなのだろう。棍棒? それとも貴重な魔道具?


 そんな危険なものを、あんな場所に隠し持って私に密着するなんて。

 もし暴発したらどうするつもりなのだろう。


(でも、カイトさんがそうしたいなら……私、撃たれてもいいかも)


 思考がどんどんおかしくなっていく。

 この状況が、私を狂わせる。


 カイトさんは今、どんな顔をしているのだろう。

 きっと、欲に濡れた瞳で、私の肢体を見下ろしているに違いない。


 その表情を見たい。今すぐに目を開けて、その顔を網膜に焼き付けたい。


 けれど、それをしてしまえばこの至福の時間は終わってしまう。


 葛藤の中で、着替えはゆっくりと、焦らすように進んでいった。


 ボタンの一つ一つ、紐の一本一本が、カイトさんとの濃密なコミュニケーションだった。


 必要以上に時間をかけ、必要以上に肌を確かめるようなその手つき。


 それはもはや着替えというよりも、服を着せるという行為を通じた愛撫に近い。


(もっと……もっと触って……)


 いつしか、バレないようにするという緊張感よりも、もっと触れられたいという欲求の方が勝り始めていた。


 尻尾の先が、わずかにピクリと動いてしまったかもしれない。


 けれど、カイトさんは自分の欲望と作業に夢中で、気づいていないようだ。


 そして、永遠にも思えるような甘美な時間が過ぎ、ようやく最後の上着が着せかけられた。


「……ふぅ。これで風邪はひかないだろう」


 カイトさんの安堵の声が聞こえた。

 同時に、肌から離れていく手のぬくもり。


 途端に襲ってくる喪失感に、胸がきゅっと締め付けられる。


(終わってしまった……)


 残念だ。もっと着替えさせてほしかった。

 また脱がせて、最初から着せ直してくれてもいいのに。


 そんな理不尽なことを考えながら、私はタイミングを計る。


 カイトさんの気配が少し離れ、座席に座り直す音がした。


 衣擦れの音。そして、大きく息を吐く音。

 荒かった鼻息が少しずつ落ち着きを取り戻していくのがわかる。


 憑き物が落ちたように、カイトさんがいつもの雰囲気に戻った。


 今だ。

 今なら、自然に目覚めたように装える。


 私は心の中で一、二、三と数を数え、わざとらしく「んん……」と声を漏らした。


 そして、ゆっくりと、重いまぶたを持ち上げるような演技をする。


「……ん……?」


 視界が白くぼやける演技をしながら、焦点を合わせる。


 目の前には、少しバツの悪そうな、けれどいつも通りの優しさを湛えたカイトさんの顔があった。


 その瞳の奥には、まだ少しだけ熱の色が残っている。


「……あ、れ? カイト、さん……?」


 寝起きで喉が枯れたような声を出す。これも計算だ。


 カイトさんは、私が今まで熟睡していたと信じて疑わない様子で、少し肩の力を抜いた。


「起きたか、リナ。気分はどうだ?」

「……はい、よく寝ていたみたいで……」


 私は体を起こし、自分の服装を確認するふりをする。


 そして、さも今気づいたかのように目を丸くしてみせた。


(……ふふっ。カイトさん、騙してごめんなさい)


 私はカイトさんの手に頭を擦り付けながら、心の中で舌を出した。


 尻尾が、もう我慢の限界とばかりにパタパタと座席を叩き始める。


 でも今なら、これは「起きて褒められた喜び」として解釈されるはずだ。


「……でも、カイトさん」


 私は上目遣いでカイトさんを見つめた。


「なんだ?」

「なんだか、夢の中で……カイトさんに優しく触れられているような気がして、とっても幸せでした」


 これは嘘じゃない。

 私の言葉に、カイトさんが「ブッ」と吹き出しそうになり、慌てて咳払いをした。


 視線が泳いでいる。動揺している。

 その姿を見て、私は確信した。


 これからも、この「狸寝入り」は使える、と。


 カイトさんの隠された欲望を受け止めるための、私だけの秘密の儀式。


 馬車は変わらずガタゴトと揺れている。


 窓の外の景色は見えないけれど、今の私にはその閉鎖空間の揺れさえも、カイトさんとの秘密を共有するゆりかごのように心地よく感じられた。


 メルテに戻れば、また借金に追われる日々が待っている。


 けれど、カイトさんが隣にいて、私を「見て」くれる限り、私はどんな地獄でも戦える。


 私はカイトさんの腕にそっと身を寄せ、再び幸せな微睡みの中へと落ちていった。

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