第42話:盤外の執行者(オフボード・エンフォーサー)
世界は数式で記述されている。
私は常々そう考えている。
感情も、信念も、あるいは命でさえも、突き詰めれば等価交換の法則と確率論に還元される。
だが、時折その数式にノイズが混じることがある。計算外の変数が、私の盤面を汚すのだ。
商工ギルド・メルテ支部、4階にある私の執務室。
窓を叩く雨音が、少しだけ強まっていた。
手元のクリスタルグラスには、年代物の赤ワインが血のように揺れている。
私はマホガニーの机に置かれた、通信専用の魔道具『遠話の水晶』を起動させた。
台座に据えられた紫紺の宝石が淡く発光し、魔力回線を介して遠隔地との接続を確立する。
『……こ、これは一体どういうつもりだ、クラウス殿! こんな夜更けに突然の通信など、非常識にも程があるぞ!』
水晶のスピーカーから響いてくるのは、ベルガ支部の副ギルド長、ガルガス・ボーンの怒声だ。
私は手元の羊皮紙、私独自の監査報告書をパラパラと捲りながら、冷ややかに告げた。
「夜分に失礼。だが、君にとっては今のうちに荷物をまとめる時間ができて、好都合かと思ってね」
『な、何をわけのわからないことを……!』
「単刀直入に言おう。君と『赤錆』との癒着、および横領の証拠は全て揃った」
通信の向こうで、息を呑む気配がした。
「とぼけても無駄だ。君は廃棄予定のポーションや魔石を帳簿から消し、裏ルートで『赤錆』に横流ししていた。その見返りに彼らから金を受け取り、さらに質の悪いことに、有望な冒険者の情報を漏洩していたね?」
ここ数日、私の管理下にある資産であるカイト君たちがベルガで『赤錆』に狙われたのも、この男が情報を売ったからだ。
彼らが襲撃された際、敵の装備が不自然に整っていることに違和感を覚えた私は、即座にベルガ方面の金の流れ(マネー・フロー)を洗った。
結果、この男の隠し口座に不自然な澱みを見つけたというわけだ。
『しょ、証拠だ! 証拠を出せ! メルテの商人が、管轄外のベルガのことに口を出すな!』
「証拠なら、既にベルガの領主、および商工ギルド本部へ転送済みだ。君の執務室の隠し金庫、暗証番号4492の中身についても、詳細なリストを添えてね」
『ひっ』
ガルガスが短く悲鳴を上げる。
数字は嘘をつかない。
そして商工ギルドの情報網は、血管のようにこの国全土に張り巡らされている。
金の動きを追跡することなど、赤子の手をひねるより容易い。
「君の資産は全て凍結される。横領、背任、殺人教唆。極刑は免れないだろう。まあ、精々『赤錆』の残党に報復されないよう、牢屋の中で震えていることだ」
『ま、待ってくれ! 金ならある! 隠し財産をやる! だから報告だけは……!』
「あいにくだが、その隠し財産も含めて既に差し押さえの手続きは完了している。君に残された選択肢はゼロだ」
私は『遠話の水晶』のスイッチを切り、一方的に会話を打ち切った。
水晶の光が消えると同時に、部屋に静寂が戻る。
物理的に殴る必要などない。
社会的地位、財産、そして未来。その全てを奪うことこそが、商人である私なりの最大の制裁だ。
「……愚かしい。寄生虫が宿主を殺してどうする」
私はグラスのワインを一煽りし、ため息をついた。
冒険者が死ねばギルドは弱体化し、街の経済も停滞する。
それは巡り巡って私の利益を損なう。
これは純然たる、私の資産防衛だ。
さて、掃除は終わった。次は整備だ。
私は再び『遠話の水晶』を操作し、今度は商工ギルド・ベルガ支部の一般回線を開いた。
†
通信がつながると、深夜の呼び出しに戸惑うベルガ支部の担当者の声が聞こえてきた。
『は、はい。商工ギルド・ベルガ支部です。……ク、クラウス様!? こ、こんな時間に……』
「緊急の通達だ。よく聞け」
私は間髪入れずに本題を切り出した。
「先ほど、そちらの冒険者ギルド幹部ガルガスの不正を摘発し、彼の私財を全額没収した。その資金を原資として、ある処理を行いたい」
『は、はあ……。処理、ですか?』
「現在、そちらの管轄に滞在している借金奴隷、スズキ カイト及びパーティを組んでいる獣人のリナ、2名についてだ」
担当者が慌てて手元の端末を操作する音が聞こえる。
『確認しました。確かに、現在ベルガにて活動中のようですが……彼らに何か?』
「今回のガルガスの不祥事により、彼らは多大な不利益と危険を被った。よって、没収したガルガスの資産を『損害賠償金』として充当し、彼らの利息支払いを一時的に肩代わりする」
これは詭弁だ。
本来、没収された資産はギルド本部の金庫に入る。
だが、私が現場の判断として処理すれば、一時的に流用することは可能だ。
「具体的には、彼らがメルテに帰還するまでの間、利息の支払いを無期限で停止しろ。システムの変更処理は、こちらの権限で承認済みだ」
『り、利息の停止……!? し、しかし、そのような特例は……』
「彼らは『赤錆』壊滅のきっかけを作った功労者だぞ? ギルドとして彼らを保護しなかったとなれば、のちのち外聞に関わる。……それとも、君は私の決定に異議があると?」
『い、いえ! 滅相もございません! 直ちに指示通り、利息停止の手続きを行います!』
担当者の怯えた声を確認し、私は通信を終了する。
利息の停止。
それは彼らにとって、喉から手が出るほど欲しかった「時間」という猶予だ。
甘やかせば資産は腐る。
だが、今の彼らは首まで泥沼に浸かり、身動きが取れていない。
これ以上負荷をかければ、システムごとダウンしてしまう。
彼らは私の将来有望な投資対象だ。目先の小銭を回収して潰すなど、愚の骨頂でしかない。
「盤面は整えたぞ。……さあ、踊れ」
私は『遠話の水晶』の横に置いてあった『遠見の水晶』へ視線を移した。
所有権を持つ資産のみを映し出すその水晶には、ベルガの荒野で傷つきながらも、互いを支え合って立つカイト君とリナ君の姿が映っている。
これならば、どれだけ離れていようと手元で監視できる。
彼らはきっと、これが誰の手によるものか知る由もないだろう。あるいは「運が良かった」と喜ぶかもしれない。
それでいい。
ゲームマスターがプレイヤーの前に姿を現す必要はないのだ。
障害物は取り除いた。重荷も軽くしてやった。
あとは君たちが、その手で勝利を掴み取るだけだ。
もし君たちが私の期待通りに成長し、この街の英雄となるならば。その時こそ、私は最高の笑顔で君たちに請求書を突きつけてやろう。
それまでは、精々良い駒として機能してくれたまえ。
私は口元に微かな笑みを浮かべ、水晶の中の二人にグラスを掲げた。




