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第41話:所有権と監視者

 メルテの街門をくぐり抜けた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 それは恐怖とも、焦燥ともつかない、あの馴染み深い感覚だ。


 心臓の鼓動に合わせて、見えない砂時計が再びさらさらと砂を落とし始めたのがわかる。


 特例措置の終了だ。

 赤錆の件での温情による「利息停止」は、街への帰還と同時に解除された。


 今この瞬間から、再び毎秒約6.36円の負債が、私の生命力を狙って積み上がり始めている。


「……急ぎましょう、リナ。一刻も早くギルドへ」

「は、はいっ! カイトさん!」


 私たちは護衛対象であるヘンリックさんを促し、ほとんど競歩のような速度で大通りを抜けた。


 息を切らせて商工ギルドの重厚な扉を押し開ける。幸い、窓口はそれほど混雑していなかった。


 私たちはカウンターへ直行すると、エリーゼ様が事前に手続きを済ませていたらしい依頼報酬の残金を受け取った。


 ずしり、と重い革袋が二つ。

 本来ならば、命がけの旅路の果てに手にした、喉から手が出るほど欲しい大金だ。


 だが、今の私にとって、これは「自分のお金」ではない。

 右から左へ受け流さなければならない、ただの数字だ。


「ここですぐに返済します」


 私は息つく暇もなく宣言した。

 隣にいるヘンリックさんが目を丸くして見ているが、彼には私の視界に浮かんでいる『借金ウインドウ』は見えていないはずだ。


 虚空を操作しているように見えるだろうが、構ってはいられない。


 袋の中身を確認し、素早く計算する。


 今回の報酬は一人につき金貨50枚(5,000,000円)。

 前金として半額は受け取り済みなので、残りは一人につき金貨25枚(2,500,000円)。


 つまり、この2つの袋には合わせて500万円もの大金が入っている。


(……全額返済したいところだが、生活費が尽きているからな)


 食費とリナとの生活費。

 死なない程度に切り詰めなければならないが、無一文では動けない。


「私は……銀貨10枚(10,000円)だけ残して、あとは全部突っ込む!」


 本当は元金を減らしたい。

 だが、ベルガからの帰路で発生した利息と、将来の安全マージンを確保するためには、まず利息プールを潤沢にする必要がある。


 私は震える手で『利息返済』の項目を選択し、金貨の山をギルドのトレイに押し出した。


 私の返済額は249万円だ。


「私は……銀貨50枚キープで、残りは返済します!」


 リナも悲痛な声を上げながら、それでも私よりは幾分か余裕のある金額を手元に残し、残りを返済に回した。


 女の子だ、身だしなみや備えに必要な金もあるだろう。


 ジャラジャラとコインが吸い込まれていく音だけが、虚しく響く。



【本日の清算処理】

現在プール残高:602,540円(※帰還までの停止期間適用済)

返済投入額:2,490,000円

【処理実行】

利息充当:完了

生命力回収:なし

【余剰金配分】

借金総額:54,921,437円(※変動なし)

将来利息プール:3,092,540円(約5日と15時間)



 ……ふう。

 これで5日半ほどの猶予ができた。首の皮一枚どころか、少しだけ息継ぎができる期間だ。


 その様子を不思議そうに、しかし何かを察したように見ていたヘンリックさんは、手続きが終わると穏やかに微笑んだ。


「カイトさん、リナさん。奇妙な旅でしたが、あなた方に護衛を頼んで正解でした。……その、金銭事情は複雑そうですが、どうか息災で」


 彼は深く一礼すると、自身の報告のためギルドの奥へと去っていった。


 あとに残されたのは、軽くなった財布と、依然として重い借金を背負った私たちだけだ。



 †



「やあ。ご苦労でした。まさかあの『赤錆』を壊滅させるきっかけを作るとは、恐れ入りました」


 ヘンリックさんと入れ替わるように、ぬらりと現れたのは幹部のクラウスだった。


 ねぎらいの言葉をかけてはいるが、その目は笑っていない。


「……アンタ、どこで見ていたんですか」


 私は以前から抱いていた違和感をぶつけた。


 ベルガでの騒動だ。ここメルテからは馬車で数日の距離がある。

 それなのに、まるで特等席で観戦していたかのような口ぶりだ。


 以前、北の森で戦った時もそうだった。

 クラウスは隠す様子もなく、片眼鏡モノクルの位置を指先で直しながら答えた。


「ああ、不思議に思うことはありませんよ。君たちが『魔道具』で見させていただけです」

「魔道具……? まさか、私たちを常時監視しているとでも言うのか?」

「人聞きの悪いことを言わないでください。誰でも覗けるような趣味の悪い代物ではありませんよ。これは当ギルドに登録された『所有物』の状態を管理するための、特別な魔道具でしてね」


 クラウスは薄い唇を歪め、まるで倉庫の在庫リストでも読み上げるかのような事務的な口調で続ける。


「本来は高価な馬車や、希少な積荷の紛失・損壊を防ぐために位置と状態を把握するものですが……商工ギルドが債権者である以上、法的に君たちの身体の所有権の一部はギルドに帰属しています。つまり君たちは、我々の『資産』なのです」


 資産。

 人間を指す言葉ではない。


 だが、この男の目には、私たちが数字の羅列にしか見えていないのだ。


「資産がどこで何をして、損なわれていないかを確認するのは管理者の義務でしょう? 所有者しか監視できない仕様ですが、我々は君たちの『オーナー』ですからね」


 背筋が粟立つような感覚を覚える。


 プライバシーなどない。

 トイレの中だろうが寝室だろうが、夜の営みをしていようが。

 借金がある限り、この男の監視下にあるということか。


「……前にも、使ったことがあるのか?」

「おや、お忘れですか? 以前、北の森で王家の馬車に助けられた時のことを」


 ギクリとした。

 あの時、私たちは冒険者崩れの男たちに襲われ、命からがら逃げ延びた。


「あの時、君たちを襲った愚かな5人の冒険者たち……王家の騎士に捕縛され、ライセンスを剥奪されましたね。その後、彼らがどうなったかご存知ですか?」


 クラウスの声が、一段低くなる。


「彼らは我々の大切な『資産』を傷つけようとした。だからこそ、相応の『処分』が下されたのですよ。我々はずっと見ていましたからね。彼らが君たちに剣を向けた瞬間も、そして――絶望の中で、二度と日の目を見ない場所へ送られた瞬間も」


 私は言葉を失った。

 あの冒険者たちが消えた裏には、この男の「監視」と、ギルドによる冷酷な介入があったのだ。


「どこにいても、君たちが借金を完済して『資産』でなくなるまでは、こちらの監視下にあるということは忘れないでくださいね」


 クラウスは、優雅に微笑んで見せた。

 その笑顔は、どんな魔物よりも恐ろしく、私の心臓を冷たく鷲掴みにした。

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