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第40話:風穴の対価と、止まった砂時計

 白み始めた空の下、私はリナを背負って石畳の道を歩いていた。


 私の薄汚れた上着に包まれた背中のリナは、規則正しい寝息を立てている。


 上着を彼女に貸してしまったため、朝の冷気がシャツ一枚の体に染みる。


 だが、安堵感以上に私の心臓は恐怖で早鐘を打っていた。


(……まずい、時間を使いすぎた)


 懐には金がない。

 ここベルガの街に来てからというもの、トラブル続きでまともな金策ができていない。


 体感だが、利息をプールしている「猶予」はもう残りわずかだ。


 このままメルテに戻るまでの数日間、もし利息の支払い日が重なれば、私の「生命力」がゴッソリと持っていかれることになる。


 金がなければ寿命で払う。それがこの世界の、あるいは私という借金奴隷に課せられた理不尽なルールだ。


「おい、待て!」


 背後から野太い声が掛かった。

 ビクリと肩を震わせ振り返ると、先ほど「赤錆」にトドメを刺した上位冒険者パーティが追いかけてきていた。


 リーダーの大剣使いが、息を切らせて私たちの前に立つ。

 手柄は譲らないと言って去ったはずだが、何の用だ。まさか口封じか?


 私は身構えた。正直、戦力としては足手まといだった私に、彼らが用事などあるはずがない。


「いや、すまない。さっきはああ言ったが……礼を言わせてくれ」


 男は泥だらけの手で、私の空いている手をがっしりと握りしめてきた。

 私としては、握手よりも重みのある金貨袋が欲しいところだが、ぐっと言葉を飲み込む。


「本当に助かった。さっきも言ったが、あんたたちのおかげで、俺たちはようやく胸を張って『冒険者』に戻れる」


 男の言葉に、私は戦闘中の会話を思い出した。

 確か彼らは、赤錆とギルド上層部が繋がっているため、手出しができなかったと言っていたはずだ。


「……さっき戦いながら言っていた、『上が腐っている』という話ですか。それほど酷かったんですか?」


 私の問いかけに、冒険者たちは顔を見合わせ、苦笑した。

 そしてリーダーの男が、忌々しげに地面に唾を吐き捨てて語り出した。


「酷いなんてもんじゃない。……あんた、この街のギルド事情を知らないんだな。いいか、この数年、俺たちはずっと飼い殺しにされていたんだよ」


 そこから男が語った内容は、私の想像を遥かに超える組織的な腐敗の「詳細」だった。


「この街の冒険者ギルドの上層部はな、とっくの昔に腐り落ちていたんだ。奴らは『赤錆』を討伐対象ではなく、ただの『集金装置』として利用していた」

「集金装置……?」

「そうだ。赤錆がいることで、この街道は事実上の封鎖状態になる。だが、ギルドが認定した特定の商人だけは、高額な裏金を払うことで『安全な抜け道』の情報を得て通行できていたんだ。ギルドマスターはその賄賂で私腹を肥やし、俺たち一般の冒険者には『赤錆には手出し無用』という厳命を下していた」


 なるほど。マッチポンプというやつか。


 魔物の脅威すら金に変えるとは、ある意味商工ギルド以上にタチが悪い。

 ただ癒着して見逃していたわけではなく、積極的に「赤錆」を利用して金を稼ぐシステムを構築していたわけだ。


「表向きは『危険すぎるから』という理由だが、実際は赤錆を倒されては困るからだ。俺たちが何度討伐を申請しても、書類は握り潰され、勝手に行動すればライセンス剥奪をチラつかせて脅された」


 男の声に怒りが滲む。彼らは長年、戦士としての誇りを踏みにじられてきたのだろう。

 実力がありながら、政治的な理由で剣を封じられていた苦しみは想像に難くない。


「そのくせ、上納金だけはきっちり巻き上げる。俺たちは、目の前で困っている旅人がいても、赤錆の縄張りなら見殺しにするしかなかったんだ。それがどれだけ屈辱的か……あんたに分かるか?」


 男は拳を震わせ、そして真っ直ぐに私を見た。


「だが、あんたがその均衡をぶち壊してくれた。ギルドの意向なんて無視して、真正面から赤錆の幹部に喧嘩を売り、奴らのアジトを暴いた。これで奴らの『集金システム』は崩壊だ。上層部の連中も、もう言い逃れはできないだろう。あんたの一撃は、ただ悪党を倒しただけじゃない。俺たちの誇りと、自由を取り戻してくれたんだ」


 要するに、私は彼らの商売敵を潰し、ついでに彼らの上司の不正を暴くきっかけを作ったらしい。


 私が無謀に突っ込んだことで、彼らに「緊急介入」という大義名分が生まれ、長年の呪縛が解けたということか。


 英雄的な活躍など何もしていない。ただ、私が強引に開けた「風穴」への感謝だ。


(……ってことは、だ)


 私の期待は膨らむ。

 そこまで感謝しているのなら、当然、それ相応の「形」があるはずだ。


 私はメルテに帰還するまでの利息分、せめてそのくらいの謝礼を期待して、男の言葉を待った。


「ありがとう! 本当に、ありがとう!」


 男は再び私の手を強く握りしめ、涙ながらに感謝の言葉を繰り返した。

 そして、それだけだった。


(……え? 終わり?)


 私の手には、男の熱い体温と汗だけが残った。

 金貨の1枚も、銀貨の1枚もない。ただ純粋な、金銭に換えがたい感謝だけがそこにあった。


 嘘だろ。命がけで突っ込んで、社会正義まで実現して、報酬ゼロ? こっちは息をするだけで金がかかるんだぞ。


 私の顔が引きつっていたのだろう。

 男が不思議そうに首を傾げた。


「どうした? 顔色が悪いぞ。その嬢ちゃんも、薬で眠ってるだけならいいが、早く休ませてやった方がいいんじゃないか」

「いや、休息より何より、金が必要なんです」


 私は遮るように言った。なりふり構っていられない。


「私たちは……商工ギルドの借金奴隷なんです。このままじゃ、街に着く前に利息で死ぬような苦しみを感じる」


 場が静まり返る。

 男たちが目を見開いた。


「借金奴隷……? まさか、その嬢ちゃんもか?」


 男の視線が、私が背負っている小さな身体に向けられる。


 サイズが合わない私の薄汚れた上着に包まれているせいで、余計に痛々しく見えたのかもしれない。


 私は無言で頷いた。

 首輪や焼き印のような、一目で奴隷とわかる印はつけられていない。


 だからこそ、彼らは今まで気づかなかったのだろう。


 だが、私たちの立場は底辺だ。

 彼らの顔色がサッと変わった。


「馬鹿野郎、早く言えよ! それなら話は別だ!」


 リーダー格の男が慌ただしく周囲を見回した。


 視線の先には、すでに到着していた数名の男たちの姿があった。

 ピシッとした制服に身を包み、赤錆のアジトから運び出される財宝や書類を手際よく確認している。


 商工ギルドの職員だ。金の匂いを嗅ぎつける早さは、冒険者以上らしい。

 彼らはもう、没収資産の確保に動いているのだ。


 リーダーの男は、その中の1人――現場責任者らしき男の元へ大股で歩み寄った。


「おい、アンタ! 商工ギルドの人間だな!」

「はい、そうですが……何か?」

「こいつらに報酬を出してやってくれ! 今回の件、こいつらが口火を切らなきゃ俺たちは動けなかった。そこにある没収した金の一部でもいい、なんとかならねぇのか!」


 男は私の肩を叩きながら、必死に職員に訴えかけてくれた。

 その熱意は嬉しいが、商工ギルドがそんな情けで動く組織でないことは私が一番よく知っている。


 だが、職員の反応は意外なものだった。

 彼は私を見ると、恭しく頭を下げたのだ。


「カイト様ですね?」

「え、あ、ああ」

「お話は伺いました。冒険者の方々からの今の申し出、確かに承りました。……もっとも、クラウス様からはすでに連絡が入っておりますが」


「クラウスから?」


 職員は懐から魔道具を取り出し、私に見せた。そこには、すでに見知ったサインが浮かんでいる。


「クラウス様は魔道具を通じて、事の顛末を把握されていたようです。そして、今回の件に関して、特例措置を申し出てくださいました」


 あの男、魔道具でそんな事ができたのか……。

 どちらにせよ、悪趣味な上司に反吐が出そうになるが、今はその繋がりだけが頼りだ。


 職員は咳払いを一つして、宣言した。


「今回の『赤錆』討伐、および冒険者ギルドの不正蓄財の発覚に伴い、押収された資産の一部を運用いたします。つきましては、貴方たちがメルテの街に帰還するまでの期間、借金の『利息』を一時的に停止させていただきます」


「……は?」


 私は思わず聞き返した。

 利息の停止。それはつまり、帰るまでの間、寿命が削られる恐怖から解放されるということだ。


 現金は手に入らなかったが、これはそれ以上に価値があるかもしれない。

 現金を貰っても、どうせすぐ秒単位の利息に消える。だが「停止」ならば、確実に時間を稼げる。


「冒険者ギルドが不正に溜め込んでいた裏金を、一時的な補填に充てるというわけです。クラウス様の根回しと、今まさに冒険者の方々から頂いた嘆願のおかげですね」


 職員が冒険者たちを指すと、彼らは驚いたような、それでいて誇らしげな顔を見合わせた。


 彼らのとっさの抗議が「嘆願」として処理されたのか、あるいは最初から決まっていたことを彼らの手柄にしてくれたのか。


 どちらにせよ、現金がもらえなかったのは痛いが、これなら文句は言えない。命が繋がったのだから。


「あ、そうだ。これを忘れてるぞ」


 冒険者の1人が、私の後ろから声をかけてきた。

 彼の手には、リナの革鎧とショートパンツ、そして愛用のショートソードが抱えられていた。


「部屋の隅にまとめて放り投げられてたんだ。汚されてねえから安心しな」


 どうやら戦闘後の捜索で回収してくれたらしい。


 私は礼を言ってそれを受け取った。経費で買った大切な装備だ。

 買い直す金などない私たちにとって、これもまた大きな「報酬」だった。


「助かる。ヘンリックさん、メルテまではどのくらいかかりそうですか?」


 私が問いかけると、隣で様子を見守っていたヘンリック氏が進み出てきた。


「今の街道状況なら、馬車でおよそ3日。3日後の夕方にはメルテに到着できるでしょう」


 3日。その間、私の借金は凍結される。

 私たちは商人の言葉に頷き、馬車のある場所へと急いだ。



 †



 帰還の旅は、拍子抜けするほど穏やかだった。

 赤錆がいなくなった街道は静かで、魔物の襲撃もない。


 馬車の中で、私はまだ眠っているリナの着替えを済ませた。

 冒険者が回収してくれた服を着せ、装備を整えてやると、いつもの見慣れた姿に戻ったことに安堵する。


 私の薄汚れた上着に包まれていた時より、ずっと安らかな寝顔に見える。


 やがて目を覚ましたリナは、自分が無事であることを知ると、私の胸に顔を埋めて泣いた。

 その後は、ずっと私の服の裾を掴んで離さなかった。


 夜、焚き火を囲んでの野営。

 いつもなら「この瞬間も利息が増えている」という焦燥感で味も分からない硬いパンが、今日は少しだけ美味しく感じられた。


「利息が増えないって、こんなに心穏やかなんですね……」


 スープを飲みながらリナが呟く。

 私も深く同意した。


 借金が減ったわけではない。ただ止まっているだけだ。

 それでも、この休息は今の私たちには必要だった。



 †



 そして3日後。

 予定通り、私たちは何事もなくメルテの街へと帰還した。


 見慣れた正門が見えた瞬間、私の頭の中で「カチリ」と音がした気がした。


 停止していた砂時計が、再び動き出す音だ。


 ここから先は、また地獄の利息生活が始まる。

 私は深く息を吸い込み、メルテの門をくぐった。



【現在の借金状況】

借金総額:54,921,437円

(※魂の限界まで残り:0円)

将来利息プール:600,271円

次回、生命力徴収開始予測:約26時間(1日と2時間)

現在の利息:毎秒 約6.36円

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