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第38話:空白の地図と赤錆の檻

 冒険者ギルドの扉を背に、私とヘンリック氏は夜の街へと飛び出した。


 時刻は深夜を回り、灯りをつけている家の方がまばらだ。


 私たちは人気の絶えた大通りを避け、影に紛れるように路地裏を疾走した。


「ヘンリックさん、アテはあるのですか!」


 並走する私が、乱れた呼吸を整えながら問う。

 私はこの街の地理などまるでわからない。ただ闇雲に走っているだけだ。


「『空白地帯』を探します! 人目につかない、かつ人の気配が不自然に途切れている場所……住民が本能的に避けている場所です!」


 ヘンリック氏が鋭い眼光で前を見据えたまま叫んだ。


「空白……ですか?」


「ええ。犯罪者集団がアジトを構えるなら、誰からも干渉されない場所が必要です。ですが、完全に隔離された場所では物資の搬入が目立ちます。だから、街の中にありながら、心理的に隔離された場所を選ぶのです!」


 さすがは考古学者だ。都市の構造や人の心理を読み解くことに長けている。


「手分けしましょう。私は北側の倉庫街を見て回ります。カイトさんは西の裏路地をお願いします!」


「了解しました。ですが、離れすぎないように。何かあればすぐに大声を出してください!」


 私たちは二手に分かれ、しかし互いの足音が聞こえる距離を保ちながら、闇の中を駆けた。


 石畳を叩く靴音が、焦燥感と共に耳に響く。


 肺が熱い。喉が焼けるように渇く。

 だが、足を止めるわけにはいかない。


 リナが馬小屋を出てから、恐らく数時間が経過している。


 もし『赤錆』の連中が、既に事を済ませていたら?

 もし、リナが抵抗して傷つけられていたら?


 悪い想像が脳裏をよぎるたび、私は無理やり足を速めた。


 西側の区画は、安酒場や粗末な集合住宅が密集している。

 深夜だというのに、どこからか酔っ払いの怒鳴り声や、男女の嬌声が漏れ聞こえてくる。


(ここじゃない……人が多すぎる)


 ヘンリック氏の言葉を借りれば、もっと「音」がない場所だ。

 誰からも忘れられ、地図から消えかかっているような場所。


「ヘンリックさん、ここはどうですか!」


 合流地点で、私は崩れかけた石造りの建物を指差した。


 窓は板で打ち付けられ、入り口にはゴミが散乱している。

 一見すれば、誰もいない廃墟に見える。


「……いえ、ダメですね」


 ヘンリック氏は即座に首を横に振った。


「よく見てください。建物の影、黒い塊が見えるでしょう。あれは浮浪者たちの寝床です。彼らはここを縄張りにしている」


 言われて目を凝らすと、確かに人の気配があった。


「連中がアジトにするなら、目撃者すらいない場所のはずです。浮浪者すら寄り付かないような……そういう場所を探さねば」


「くそっ、焦りばかりが募ります……!」


 私は悔しげに拳を握りしめた。

 すれ違う夜警が、血相を変えて走り回る私たちを不審そうに見たが、今は構っていられない。


 私たちは再び呼吸を合わせ、次の区画へと足を向けた。

 街のどこかに必ずあるはずの「穴」を探して。



 †



 それからさらに数十分、私たちは街外れの一画にたどり着いた。


 周囲の喧騒から隔絶されたように、そこだけ静まり返っている場所があった。

 木々が鬱蒼と茂り、月明かりすら届かない暗がりの中に、朽ちかけた建物が静かに佇んでいる。


「……ここか?」


 ヘンリック氏が声を潜め、懐から小さなナイフを取り出す。

 私も唾を飲み込み、慎重に近づいた。


 窓ガラスはすべて割れ、扉は半ば外れかけている。

 人の気配はない。いや、なさすぎる。静寂が逆に不気味だ。


 私たちは目配せをし、同時に中へと踏み込んだ。


「……!」


 身構えた私の視界に飛び込んできたのは、無人の空間だった。


 崩れた子供用のベッド。色褪せた絵本。

 そこは、かつて孤児院として使われていたであろう廃墟だった。


「……誰もいませんね」


 床に積もった埃は分厚く、最近人が歩いた形跡はどこにもない。

 ただ風が吹き抜け、ガタガタと窓枠を揺らす音だけが響いている。


「ハズレか……」


 ヘンリック氏が深い溜息をついた。

 期待が大きかった分、落胆が重くのしかかる。


 ここじゃなかった。

 また一から探し直しだ。その事実が、私の膝を折らせそうになる。



 †



 再び、私たちは街の中を駆けずり回っていた。


 すでに深夜も深まり、街は完全な静寂に包まれようとしている。

 視界が悪くなるにつれて、私の中の不安も濃い影を落とし始めていた。


 足が重い。


 心臓が早鐘を打ち、全身の血液が沸騰しているようだ。

 生命力からの徴収期限が近づいている恐怖もあるが、それ以上に、リナの不在が私の精神を削っていた。


 なかなか見つからない。

 焦りが判断力を鈍らせそうになる。


(落ち着け……探すんだ、違和感を)


 私は荒い呼吸を繰り返しながら、目を凝らした。


 そして、商業区の端、今は使われていないはずの古い商館の前を通った時だった。


「……カイトさん、あれを」


 ヘンリック氏の鋭い声に、私は足を止めた。


 一見するとただの廃屋だ。

 だが、建物の裏口付近に、闇に溶け込むような人影が2つあった。


 周囲には明かりもなく、彼らは微動だにせず立っている。

 ただの浮浪者ではない。明確な意志を持って「見張っている」立ち姿だ。


「……あいつらが、『赤錆』の一味でしょうか?」


「わかりません。ですが、ただの夜番にしては殺気立っている」


 ヘンリック氏が眼鏡の奥の目を細めた。


「見てください。欠伸をしているようで、手は剣の柄から離れていない。あれは訓練された動きというより、場数を踏んだゴロツキのそれです」


 私には彼らの顔に見覚えはない。

 だが、ヘンリック氏の分析と、あの異様な雰囲気は堅気のものではないと告げている。


 ここだ。直感がそう告げている。

 私が飛び出そうとすると、ヘンリック氏が強い力で私の肩を掴んだ。


「待ちなさい。まずは私が行きます」


「は? 何を言って――」


「あなたはここに隠れていてください。私が合図をしたら動くのです」


 ヘンリック氏は真剣な目で私を見据えている。


「いいですか、よく聞きなさい。あいつらがもし本当にリナさんを攫った連中だとして、私たち2人で正面から突っ込んで勝てる保証はどこにもありません。向こうは戦闘の手練れ、こちらは学者と借金奴隷です」


 ヘンリック氏は冷静に、しかし早口で続けた。


「それに、もしリナさんがいなくなってみなさい。帰りの道中、誰が魔物の気配を探るのです? あなた一人では私を守り切れませんし、私もあなたを守りながら戦うのは御免です」


 それは、冷徹なまでの事実だった。


 リナという「戦力」兼「探知役」を失えば、私たちはメルテに帰る前に魔の森の餌食になる。


「それにですね。あの獣人の娘……リナさんでしたか。人間から見れば、獣人は下等生物……この街の市場へ行けば家畜同然の扱いです」


 ヘンリック氏は苦々しげに吐き捨てた後、表情を引き締めた。


「ですが、今回の依頼主はあのエリーゼ様ですよ? あの方がわざわざ指名して連れてきた護衛です。もしその娘が死んだり、あるいは……その、取り返しのつかない傷を負わされでもしたら……!」


 彼は声を震わせ、自分の首元を親指でなぞる仕草をした。


「エリーゼ様がリナさんのことをどう思っているかは存じませんが、少なくとも『お気に入り』を傷つけられたとなれば、私の管理責任が問われます。あの人の不興を買えば、私の商売人生はおろか、物理的な命だって危ういのですよ!」


 そうだ。エリーゼという貴族にとって、リナは「使える道具」だ。


 道具を壊して帰れば、管理を任されたヘンリック氏の責任になる。

 彼にとってのリナ救出は、人道的な意味合い以上に、自身の保身のための絶対条件なのだ。


「だから、私が体を張るのは、あのお嬢ちゃんのためではありません。私自身の保身のためです。わかりましたね、隠れていてください!」


 そう言い捨てると、ヘンリック氏は商館の方へと歩き出した。


 彼はわざと足音を荒げ、ふらつくような足取りで見張りの2人組に近づいていく。


「おーい、そこのお兄さん方! ヒック……ちょっと道をお尋ねしたいんだがねぇ!」


 酔っ払いのような、あるいは能天気な商人のような声を上げる。

 見張りの2人が即座に反応し、懐に手を入れた。


「あぁ? なんだお前、ここがどこだと思ってやがる。失せな」


「まあまあ、そう言わずに。実はこの辺りでいい酒場を探してましてね。ほら、懐も温かいんで、案内してくれたら弾みますよ?」


 ヘンリック氏は懐から革袋を取り出し、ジャラジャラと硬貨の音をさせた。


 見張りたちが顔を見合わせる。

 警戒心と、小銭への欲求が天秤にかかっているのが遠目にもわかった。


「……おい、さっさと追い返せ」


「へへ、いいじゃねぇか。小遣い稼ぎくらい」


 一人が油断し、ヘンリック氏の方へと歩み寄る。


 彼は卑屈な笑みを浮かべたまま、その距離を縮めていく。

 もう一人の見張りも、つられて緊張を解いた瞬間だった。


「じゃあ、これで――」


 ヘンリック氏が革袋を渡すフリをして、逆の手を振り上げた。


 カッッ!!


 強烈な閃光が辺りを白く染め上げた。


「ぐあっ、閃光弾かっ!?」


 学者がなぜそんなものを、と考える暇はない。


「目が、目がああぁ!!」


「今です!」


 ヘンリック氏の叫びと共に、私は飛び出した。

 視界を奪われ、のたうち回る見張りの背後に回り込む。


 非力な私の拳では倒しきれないかもしれない。だが、隙を作るだけでいい。


 私は手近な木の棒を拾い、一番近くにいた男の後頭部を思い切り殴りつけた。


「がっ!」


「どいてくださいっ!」


 男が膝をついたところへ、目を閉じて閃光をやり過ごしていたヘンリック氏が駆け込み、手刀を首筋に叩き込む。


 もう一人も、ヘンリック氏の巧みな足払いで転倒させられ、そのまま鳩尾を蹴り抜かれて気絶した。


「ふぅ……うまくいきましたね」


「ああ、助かりました」


 私たちは頷き合い、見張りが守っていた扉を蹴り開けた。


「騒がしいなぁ、なんだよ全く……せっかく楽しんでたってのに」


 奥から出てきたのは、上半身裸の筋骨隆々な男だった。

 その顔には、嗜虐的な笑みが張り付いている。


 そして、その背後の部屋――。


 椅子に縛り付けられたリナの姿が見えた。


 革鎧は剥ぎ取られ、以前私と一緒に買いに行った白い木綿の肌着姿にされている。

 華奢な肩が震えているのが見えた。


 だが、肌に目立った外傷はない。

 まだ、手遅れではないようだ。


「……テメェら、俺の楽しみを邪魔した罪は重いぜ?」


 男――おそらく『赤錆』のサブリーダーから放たれる威圧感に、私は思わず後ずさった。


 こいつは、強い。

 私とヘンリック氏だけで、この化け物に対抗できるのか?


「やるしかありません」


 私は震える手で、気絶した見張りが落とした剣を拾い上げた。



【現在の借金状況】

 借金総額:54,921,437円

 (※魂の限界まで残り:0円)

 将来利息プール:691,855円

 次回、生命力徴収開始予測:約30時間(1日と6時間)

 現在の利息:毎秒 約6.36円

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