第37話:無法の街と黒い癒着
最悪の事態が、すぐそこまで迫っていた。
私は勢いよくカウンターの木板を叩き、目の前の男に詰め寄った。
「知らないわけがない! 冒険者ギルドに来た人間なら、リナが担がれて連れ去られるところを見ていたはずでしょう!?」
私の剣幕に、情報を教えてくれた冒険者風の男は、少しだけ身体をのけ反らせた。
「なら、どの方角へ行ったとか、どの建物に入ったとか……誰か見ていないんですか!」
「……見たら、殺されるんだよ」
男は声を潜め、私の言葉を遮った。その目には、明確な怯えの色が浮かんでいた。
「いいか、奴らはただのガキ大将じゃねえ。『赤錆』はこの街でも札付きだ。目が合っただけで因縁をつけてくるような手合いなんだよ」
男は周囲を憚るように視線を巡らせ、手元のジョッキを強く握りしめた。
「そんな連中が『獲物』を担いでる時に、ジロジロ見てみろ。次は自分がその袋に詰められることになる」
「だからって、誰も見ていないなんて……」
「……この街の連中はな、奴らが通り過ぎる時は息を殺して、嵐が去るのを待つことにしてるんだ。誰も巻き込まれたくはねえからな」
私は言葉を失った。
恐怖による支配。それが、リナを連れ去った集団の正体か。
周囲を見渡すと、聞き耳を立てていた他の冒険者たちも、バツが悪そうに視線を逸らした。彼らもまた、この街の「事なかれ主義」に染まっているのだ。
「……情けないとは思わないんですか」
絞り出すような私の声に、近くのテーブルで酒をあおっていた中年の男が、自嘲気味に笑った。
「思うさ。だがな、死ぬよりマシだ」
男は空になったジョッキをテーブルに置き、吐き捨てるように言った。
「アジトを探ろうとした威勢のいい奴も過去にはいたが、全員ボコボコにされて病院送りだ。中には行方不明になった奴もいる。……命が惜しけりゃ、見ないふりをするのが一番なんだよ」
私は拳を握りしめた。爪が掌に食い込む痛みだけが、今の私の冷静さを辛うじて繋ぎ止めている。
ヘンリック氏も、険しい表情で口元を結んでいる。彼もまた、この状況の異常さを理解しているのだ。
私は藁にもすがる思いで、ギルドの奥まった席に目を向けた。
そこには、明らかに周囲とは装備の質が違う、上位ランクと思われる冒険者のグループが陣取っていた。
彼らの装備には見るからに高価そうで、佇まいからも歴戦の雰囲気を感じずにはいられない。
今の会話は彼らにも聞こえているはずだ。だが、彼らは我関せずといった様子で、カード遊びに興じている。
「……そこの、あなたたち」
私は彼らのテーブルへと歩み寄った。
「聞こえていましたよね。仲間が……小さな女の子がさらわれたんです。あなたたちほどの実力があれば、『赤錆』とかいう連中から助け出すこともできるんじゃないですか?」
リーダー格と思われる男が、面倒くさそうにこちらを向いた。
「できるかも……いや、できるだろうな」
「なら、力を貸してください! 報酬なら……」
言いかけて、私は言葉に詰まった。
今の私には、彼らを動かせるだけの大金がない。
昨夜の宿代すら払えず、馬小屋で夜を明かしたのだ。ポケットの中を探ったところで、埃しか出てこない。完全なる無一文だ。
ヘンリック氏という後ろ盾はあるが、彼もここでの大した支払い能力は持っていないだろう。
「……金がないなら、話にならんな」
男は私の懐事情を見透かしたように鼻で笑い、カードに視線を戻した。
「勘違いするなよ。俺たちは『冒険者』だ。正義の味方じゃねえ。正式な依頼があり、適正な報酬が支払われるなら動く」
ぐいと酒をあおりながら男が続けた。
「だが、金にもならない、しかも街のゴロツキ相手の揉め事に首を突っ込むのは、プロのやることじゃない」
「そんな……人ひとりの命がかかっているんですよ!?」
「それがどうした。毎日どこかで誰かが死ぬ。いちいち感情移入してたら、この稼業はやってられんよ」
正論だった。
ぐうの音も出ないほどの、冷徹なビジネスライクな正論だ。
彼らにとって、リナの誘拐は「金にならないトラブル」でしかない。見て見ぬふりをするのは、彼らの職業倫理において「悪」ではないのだ。
市民たちも、その理屈を理解し、納得してしまっている顔だった。
理論として納得はできるが、人間として許容はできない。そんな澱んだ空気が、ギルド全体を支配していた。
私は再びカウンターへと戻り、受付の職員に食い下がった。
「……ギルドとしては、どうなんですか。あんな犯罪者集団を野放しにしておいていいんですか? 市民への暴行、恐喝、そして今回は拉致。討伐依頼を出して排除すべき案件じゃないんですか!?」
職員は視線をさまよわせ、言いづらそうに口ごもった。
「上層部も……問題視はしているようなのですが、決定的な証拠がないとかで……」
「証拠? 現に被害が出ているじゃないですか!」
「ですが、『彼らがやった』という確証も、『どこに連れて行かれたか』という証拠もありません。それに……」
職員はそこで言葉を濁したが、その歯切れの悪さが、逆に雄弁に物語っていた。
なぜ、冒険者ギルドという巨大組織が、たかが一端のゴロツキ風情をここまで放置しているのか。
単なる事なかれ主義や、手続き上の問題だけではない。もっと根深い何かが、そこにはある。
まさか、裏で繋がっているのではないか?
私の中で、最悪の想像がパズルのピースのように組み上がっていく。
リナは商工ギルドの借金奴隷だ。いわば、商工ギルドの「資産」でもある。
冒険者ギルドと商工ギルドは、そんなにも仲が悪いのか?
これまでも冒険者ギルドには世話になったが、そんな扱いはなかったはずだ。
それを勝手に連れ去るなんて、泥棒と同じだ。普通なら、ギルドはメンツにかけても取り返しに動くはずじゃないのか?
それなのに、この及び腰はどうだ。
まるで、最初から見て見ぬふりをすると決めているかのような……。
人身売買。奴隷の横流し。
そんな単語が脳裏をよぎる。
もし、攫われた人間がどこかへ売り飛ばされ、その利益の一部が「手数料」としてギルドの上層部に流れているとしたら?
そう考えれば、すべて辻褄が合う。
証拠が揉み消されるのも、上位冒険者に討伐依頼が出ないのも、街の誰もが口をつぐむのも。
ここは中立の場所ではない。敵の掌の上だ。
「……クソッ」
私は小さく悪態をついた。
もしそうなら、正規の手順で助けを求めても無駄だ。いや、むしろギルドを通じて動くことは、敵にこちらの情報を流すことになりかねない。
「……カイトさん」
背後でヘンリック氏が私の肩に手を置いた。その目もまた、私と同じ結論に達しているようだった。
これ以上、ここで騒いでも時間を浪費するだけだ。生命力からの徴収が始まる期限も、リナの貞操と命の危機も、刻一刻と迫っている。
「……わかりました。もう結構です」
私は職員にそう言い捨て、踵を返した。
手がかりは、「誰も近づこうとしない場所」という事実と、この街のどこかに潜む闇だけ。
私はヘンリック氏と共に、逃げるようにギルドを出た。
外の空気は冷たく、ベルガの街は沈黙を守ったままだ。
†
ギルドから少し離れた路地裏に入り、人目がないことを確認してから、私は大きく息を吐き出した。
「ヘンリックさん、感じましたか? あのギルドの異常な空気を」
「ええ、もちろんです。あれは単なる怠慢ではありませんね」
ヘンリック氏は眼鏡の位置を直しながら、冷徹な口調で答えた。
「街で悪名高い犯罪集団を、ギルドが『証拠がない』の一点張りで庇っている。どう見ても不自然です。おそらく、あなたの懸念は当たっているでしょう」
「やっぱり、グルだと」
「ええ。断定はできませんが、現場の職員レベルの話ではないでしょう。もっと上の……ギルドマスターや幹部クラスが、『赤錆』と繋がっている可能性が高い」
私は舌打ちをした。
ギルドが犯罪組織の盾になっている。
『赤錆』が汚れ仕事を請け負い、ギルド上層部がそれを見逃す代わりに上前をはねる。そんな共生関係が出来上がっているのだとしたら、正面から訴え出たところで握りつぶされるのがオチだ。
「公的な助けは期待できない、ということですね」
「残念ながら。むしろ、下手に騒げばこちらが『不都合な存在』として排除される危険すらあります」
ヘンリック氏の言葉は重かった。
私たちは今、たった二人で街の裏社会そのものを相手にしようとしているのだ。
戦闘力皆無の借金奴隷と、初老の学者という、あまりに心もとない組み合わせで。
「……でも、リナを諦めるわけにはいきません。絶対に」
「わかっています。私も、あの幼い少女をむざむざ見捨てるつもりはありませんよ」
「ありがとうございます……。となると、問題は場所です。誰も場所を知らない、あるいは『口にしない』アジト。どうやって探せばいいのか……」
私が頭を抱えかけると、ヘンリック氏は顎に手を当てて思案した。
「カイトさん。先ほどの冒険者の言葉を思い出してください。『誰も近づこうとしない』と言っていましたね」
「ええ」
「逆に考えれば、この狭い街の中で、市民が不自然なほど避けている区画、あるいは『空白地帯』になっている場所があるはずです。人の流れがそこだけ途絶えているような場所が」
「なるほど……。聞き込みをして『どこか』を聞くのではなく、『誰もいない場所』を探すんですね」
街の地図を持たない私たちにとって、それは雲を掴むような話かもしれない。だが、それ以外に道はない。
人の噂、恐怖の視線、そして街の空気。それらを頼りに、この街の「闇」が溜まっている場所を特定する。
「行きましょう、ヘンリックさん。一刻も早く、その『空白』を見つけ出さないと」
「ええ。リナさんが無事であることを祈りましょう」
私はその闇の中へ、リナを取り戻すために飛び込む覚悟を決めた。




