表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/35

第32話:価値ある荷物

 廃墟に吹き抜ける風は、どこか錆びた鉄の臭いを含んでいた。


 旧王都ロストリア。崩れ落ちた石造りの建物が墓標のように並ぶその場所で、私は焦燥に焼かれていた。

 借金の利息は、この瞬間も私の寿命を食らい続けている。


 計算上、このまま1日滞在して帰れば、帰路の途中でプール金が尽きる。


 そうなれば、あの地獄のような「生命力徴収」が始まる。


 心臓を鷲掴みにされる激痛と、鉛のような倦怠感。そんな状態で魔物の出る街道を移動などできるはずがない。物理的な死は免れても、実質的な「詰み」が訪れるのだ。


「あの、ヘンリックさん……!」


 私は藁にもすがる思いで、荷台の確認をしていたヘンリック氏に詰め寄った。


「この近くに、商工ギルドの『出張所』はありませんか? あるいは、緊急用の返済ポストとか……どんなに小さくてもいいんです!」

「はあ?」


 ヘンリック氏は、きょとんとした顔で私を見た後、何を言っているのか理解できないというように眉をひそめた。


「……カイトさん。ご覧の通り、ここは300年前に滅びた廃都ですよ? 長らく人が住まぬ場所に、使えるギルドや民家があるはずもないでしょう。何をそんなに変なことを言っているのですか」

「あ……っ、やはり、ない……ですよね」


 言われてみれば、その通りだ。

 周囲を見渡せば瓦礫と雑草しかないこの場所に、金融機能を備えた施設があるわけがない。


 万が一という可能性に縋りたかったが、現実は非情だった。


 ヘンリック氏は私が借金奴隷であることは知っているが、異世界の常識を知らない転生者だとは夢にも思っていない。ただ単に、借金への恐怖で錯乱した奴隷だと思われたに違いない。


「困りましたね……これでは、本当に……」


 顔面蒼白で頭を抱える私を見て、ヘンリック氏は同情と呆れが半々といった様子で溜息をついた。


「まあ、貴方の借金事情が逼迫しているのは察しますが……ここじゃどうにもなりませんよ。ただ、そうですね」


 ヘンリック氏は顎髭を撫でながら、地図を広げた。


「ここにはありませんが、帰りのルートを来た道とは違う『西側の街道』へ変更すれば、小さな町があります。そこなら小規模ですが、商工ギルドの支部があったはずです」

「本当ですか!? だったら、帰りはそのルートでお願いします! どうしても寄りたいんです!」


 私は食い気味に頼み込んだ。地獄に垂れてきた蜘蛛の糸だ。


 しかし、ヘンリック氏の反応は芳しくない。


「いえ、それはできません。西側の街道はここからだと少し遠回りになりますし、何より山道が険しい。往路よりも盗賊や魔物が出るリスクが高いんです。貴方一人の個人的な都合で、貴重な『皇帝薔薇カイザー・ローゼ』と私の身を危険に晒すわけにはいきません」


 即座に却下された。

 当然だ。ヘンリック氏にとって、私やリナの命など二の次なのだから。


 私は必死に頭を回転させる。ここで引き下がるわけにはいかない。


(……何か、交渉材料はないか? ヘンリック氏を納得させるだけの理由が)


 先日の盗賊の襲撃時、リナが見捨てられそうになった時のことを思い出す。


 あの時、私はリナの圧倒的な戦闘能力を盾に交渉した。「リナがいなくなれば、護衛戦力が低下して全滅する」と。それは事実であり、最強のカードだった。


 だが、今回は違う。私自身の単なる願いだ。

 私は自分の胸に手を当てる。そして、愕然とした。


(……私には、何もない)


 喉まで出かかった言葉を飲み込む。


 『私の願いを聞いてくれないなら、護衛を放棄する』なんて脅しは通用しない。なぜなら、私はリナと違って無力だからだ。


 剣も振るえず、魔法も使えない。盗賊が現れた時、私はリナの後ろで震えていることしかできなかった。


 そんな人間が「言うことを聞かないと守ってやらないぞ」と言ったところで、滑稽な冗談にしか聞こえないだろう。


 むしろ「役立たずの奴隷が一人減って清々する」と切り捨てられるのがオチだ。


 リナという他人の力を笠に着ていただけの自分が、いざ自分の価値を問われた途端、あまりにも空っぽであるという事実。


 その現実が、借金の重み以上に私の心を押し潰し、口を重く閉ざさせた。


 沈黙が落ちる。私が俯きかけた、その時だった。


「……カイトさんは、この薔薇に好かれています」


 横に控えていたリナが、淡々とした口調で言った。


「え?」

「この『皇帝薔薇』は、カイトさんが近くにいると落ち着いています。帰り道、険しい西側の街道を通るなら、馬車の揺れで薔薇がストレスを感じ、暴れる可能性があります。ですが、カイトさんがいればその心配はありません」


 リナはヘンリック氏を真っ直ぐに見据えて言った。

 ヘンリック氏はハッとしたように、荷台の木箱と私を交互に見た。


「……そういえば。昨日の盗賊騒ぎの際、あれだけ暴れていた薔薇が、カイトさんが触れた途端に大人しくなりましたね。それに、道中もカイトさんが荷台にいる時は、不思議と蔦が暴れる音がしなかった」


 ヘンリック氏は納得したように何度も頷いた。


「なるほど、この気難しい皇帝薔薇に懐かれるとは……よほど波長が合うのか、あるいはその温厚な人柄が伝わっているのかもしれませんな。確かに、商品の鮮度と私の安全を保てるなら、多少の遠回りをしてでも西側を通るメリットはあります」

「じゃ、じゃあ!」

「ええ、いいでしょう。西側のルートに変更します。その代わりカイトさん、道中はしっかりこの薔薇の機嫌を取ってくださいよ? この子の機嫌が悪くなれば、我々は全滅ですからね」


 許可が出た。私は力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。


 自分の無力さを痛感させられたが、結果的にその無力な自分の一部――たまたまこの薔薇を根腐れの危機から救っていたという事実が、状況を打破したのだ。


「ありがとうございます、ヘンリックさん! それにリナも、助かったよ」

「事実を述べたまでです」


 リナは相変わらず無表情だったが、その言葉には確かな信頼が含まれている気がした。


「よし、決まりなら善は急げです。明日の夕方出発となれば、今のうちに薔薇をこの地の土へ馴染ませなければなりません。西周りになる分、時間のロスは許されませんからね」

「はい!」


 そこからは、私の独壇場だった。

 荒れた大地の中から、皇帝薔薇が好みそうな魔力溜まりの土を探し出し、丁寧に植え替えを行う。繊細な根を傷つけないよう、指先に神経を集中させる作業だ。


 寄り道の交渉で時間を食ったこともあり、全ての作業を終える頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。


「ふう、これでよし」


 土に馴染んだ皇帝薔薇は、心なしか葉の色艶を増しているように見える。


「さすがの手際ですな。明日の夕方までこのまま休ませれば、復路も万全でしょう」


 ヘンリック氏も満足げに頷いた。

 私は額の汗を拭いながら、沈みゆく夕日を見つめる。


 借金は減っていない。だが、返すための道筋だけは、辛うじて繋がった。


 明日の夕方まで、ここでの滞在が決まった。

 それはつまり、また1日分の利息が加算されるということでもあるのだが――今は考えるのをやめよう。



【現在の借金状況】

 借金総額:54,921,437円

 (※魂の限界まで残り:1,859,551円)

 将来利息プール:1,859,551円

 次回、生命力徴収開始予測:あと約81時間(3日と9時間)

 現在の利息:毎秒 約6.36円

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ