第32話:価値ある荷物
廃墟に吹き抜ける風は、どこか錆びた鉄の臭いを含んでいた。
旧王都ロストリア。崩れ落ちた石造りの建物が墓標のように並ぶその場所で、私は焦燥に焼かれていた。
借金の利息は、この瞬間も私の寿命を食らい続けている。
計算上、このまま1日滞在して帰れば、帰路の途中でプール金が尽きる。
そうなれば、あの地獄のような「生命力徴収」が始まる。
心臓を鷲掴みにされる激痛と、鉛のような倦怠感。そんな状態で魔物の出る街道を移動などできるはずがない。物理的な死は免れても、実質的な「詰み」が訪れるのだ。
「あの、ヘンリックさん……!」
私は藁にもすがる思いで、荷台の確認をしていたヘンリック氏に詰め寄った。
「この近くに、商工ギルドの『出張所』はありませんか? あるいは、緊急用の返済ポストとか……どんなに小さくてもいいんです!」
「はあ?」
ヘンリック氏は、きょとんとした顔で私を見た後、何を言っているのか理解できないというように眉をひそめた。
「……カイトさん。ご覧の通り、ここは300年前に滅びた廃都ですよ? 長らく人が住まぬ場所に、使えるギルドや民家があるはずもないでしょう。何をそんなに変なことを言っているのですか」
「あ……っ、やはり、ない……ですよね」
言われてみれば、その通りだ。
周囲を見渡せば瓦礫と雑草しかないこの場所に、金融機能を備えた施設があるわけがない。
万が一という可能性に縋りたかったが、現実は非情だった。
ヘンリック氏は私が借金奴隷であることは知っているが、異世界の常識を知らない転生者だとは夢にも思っていない。ただ単に、借金への恐怖で錯乱した奴隷だと思われたに違いない。
「困りましたね……これでは、本当に……」
顔面蒼白で頭を抱える私を見て、ヘンリック氏は同情と呆れが半々といった様子で溜息をついた。
「まあ、貴方の借金事情が逼迫しているのは察しますが……ここじゃどうにもなりませんよ。ただ、そうですね」
ヘンリック氏は顎髭を撫でながら、地図を広げた。
「ここにはありませんが、帰りのルートを来た道とは違う『西側の街道』へ変更すれば、小さな町があります。そこなら小規模ですが、商工ギルドの支部があったはずです」
「本当ですか!? だったら、帰りはそのルートでお願いします! どうしても寄りたいんです!」
私は食い気味に頼み込んだ。地獄に垂れてきた蜘蛛の糸だ。
しかし、ヘンリック氏の反応は芳しくない。
「いえ、それはできません。西側の街道はここからだと少し遠回りになりますし、何より山道が険しい。往路よりも盗賊や魔物が出るリスクが高いんです。貴方一人の個人的な都合で、貴重な『皇帝薔薇』と私の身を危険に晒すわけにはいきません」
即座に却下された。
当然だ。ヘンリック氏にとって、私やリナの命など二の次なのだから。
私は必死に頭を回転させる。ここで引き下がるわけにはいかない。
(……何か、交渉材料はないか? ヘンリック氏を納得させるだけの理由が)
先日の盗賊の襲撃時、リナが見捨てられそうになった時のことを思い出す。
あの時、私はリナの圧倒的な戦闘能力を盾に交渉した。「リナがいなくなれば、護衛戦力が低下して全滅する」と。それは事実であり、最強のカードだった。
だが、今回は違う。私自身の単なる願いだ。
私は自分の胸に手を当てる。そして、愕然とした。
(……私には、何もない)
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
『私の願いを聞いてくれないなら、護衛を放棄する』なんて脅しは通用しない。なぜなら、私はリナと違って無力だからだ。
剣も振るえず、魔法も使えない。盗賊が現れた時、私はリナの後ろで震えていることしかできなかった。
そんな人間が「言うことを聞かないと守ってやらないぞ」と言ったところで、滑稽な冗談にしか聞こえないだろう。
むしろ「役立たずの奴隷が一人減って清々する」と切り捨てられるのがオチだ。
リナという他人の力を笠に着ていただけの自分が、いざ自分の価値を問われた途端、あまりにも空っぽであるという事実。
その現実が、借金の重み以上に私の心を押し潰し、口を重く閉ざさせた。
沈黙が落ちる。私が俯きかけた、その時だった。
「……カイトさんは、この薔薇に好かれています」
横に控えていたリナが、淡々とした口調で言った。
「え?」
「この『皇帝薔薇』は、カイトさんが近くにいると落ち着いています。帰り道、険しい西側の街道を通るなら、馬車の揺れで薔薇がストレスを感じ、暴れる可能性があります。ですが、カイトさんがいればその心配はありません」
リナはヘンリック氏を真っ直ぐに見据えて言った。
ヘンリック氏はハッとしたように、荷台の木箱と私を交互に見た。
「……そういえば。昨日の盗賊騒ぎの際、あれだけ暴れていた薔薇が、カイトさんが触れた途端に大人しくなりましたね。それに、道中もカイトさんが荷台にいる時は、不思議と蔦が暴れる音がしなかった」
ヘンリック氏は納得したように何度も頷いた。
「なるほど、この気難しい皇帝薔薇に懐かれるとは……よほど波長が合うのか、あるいはその温厚な人柄が伝わっているのかもしれませんな。確かに、商品の鮮度と私の安全を保てるなら、多少の遠回りをしてでも西側を通るメリットはあります」
「じゃ、じゃあ!」
「ええ、いいでしょう。西側のルートに変更します。その代わりカイトさん、道中はしっかりこの薔薇の機嫌を取ってくださいよ? この子の機嫌が悪くなれば、我々は全滅ですからね」
許可が出た。私は力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。
自分の無力さを痛感させられたが、結果的にその無力な自分の一部――たまたまこの薔薇を根腐れの危機から救っていたという事実が、状況を打破したのだ。
「ありがとうございます、ヘンリックさん! それにリナも、助かったよ」
「事実を述べたまでです」
リナは相変わらず無表情だったが、その言葉には確かな信頼が含まれている気がした。
「よし、決まりなら善は急げです。明日の夕方出発となれば、今のうちに薔薇をこの地の土へ馴染ませなければなりません。西周りになる分、時間のロスは許されませんからね」
「はい!」
そこからは、私の独壇場だった。
荒れた大地の中から、皇帝薔薇が好みそうな魔力溜まりの土を探し出し、丁寧に植え替えを行う。繊細な根を傷つけないよう、指先に神経を集中させる作業だ。
寄り道の交渉で時間を食ったこともあり、全ての作業を終える頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
「ふう、これでよし」
土に馴染んだ皇帝薔薇は、心なしか葉の色艶を増しているように見える。
「さすがの手際ですな。明日の夕方までこのまま休ませれば、復路も万全でしょう」
ヘンリック氏も満足げに頷いた。
私は額の汗を拭いながら、沈みゆく夕日を見つめる。
借金は減っていない。だが、返すための道筋だけは、辛うじて繋がった。
明日の夕方まで、ここでの滞在が決まった。
それはつまり、また1日分の利息が加算されるということでもあるのだが――今は考えるのをやめよう。
【現在の借金状況】
借金総額:54,921,437円
(※魂の限界まで残り:1,859,551円)
将来利息プール:1,859,551円
次回、生命力徴収開始予測:あと約81時間(3日と9時間)
現在の利息:毎秒 約6.36円




