第30話:薔薇と盗賊と白い布
旧王都ロストリアへの旅路は、3日目を迎えていた。
青空の下、馬車は乾いた音を立てて街道を進んでいる。御者台には依頼主代理であるヘンリック氏が座り、私とリナは荷台で揺られていた。
昨晩の野営でヘンリック氏にリナへの想いを問われ、それを必死に否定してしまったことが脳裏をよぎる。そのせいで、私はなんとなくリナと目を合わせづらかった。リナの方も、どこかそわそわとしている。
そんな奇妙な空気が流れる中、前方に1人の男が立っているのが見えた。身なりは薄汚れており、足を引きずっている。
男は馬車に気づくと、必死に手を振ってきた。
「頼む、乗せてくれ! 足を挫いてしまって……次の町まででいいんだ!」
……怪しい。
こんな人里離れた街道で、都合よく単独の旅人が足を怪我しているだろうか。私の直感警報が鳴り響く。
だが、この馬車の運行責任者はヘンリック氏だ。私たち護衛に決定権はない。
「ヘンリックさん、どうしますか? 少し妙ですが」
私が御者台越しに声をかけると、ヘンリック氏は眼鏡の奥の瞳を細め、男を一瞥した。そして、穏やかな声で答える。
「構いませんよ。お乗りなさい」
えっ、乗せるんですか?
私が驚いている間に、男は「ありがてぇ!」と大げさに感謝しながら荷台に乗り込んできた。
リナが警戒して身を固くし、私の近くへと寄る。男は愛想笑いを浮かべているが、その目は油断なくこちらの荷物を探っているようだった。
†
御者台で手綱を握るヘンリックは、背後の気配を探りながら密かに嘆息した。
あの男の足取り、挫いた演技にしては体重移動が滑らかすぎる。靴底の減り方も長距離を歩く旅人のそれではない。十中八九、街道を荒らす盗賊の手引き役だろう。
通常ならば無視して駆け抜けるのが定石だ。だが、この先には岩場が多い。もし仲間が待ち伏せているなら、ここで乗車を拒否して馬車の車輪を狙われるよりも、懐に入れて人質として確保できる距離に置く方が対処しやすい。
それに、あの若い護衛2人、カイトとリナの実地試験としても悪くない。彼らがこの程度の「不純物」をどう処理し、私を護り切るのか。老骨の楽しみとして、少しばかり拝見させてもらおうか。
†
しばらく馬車が進み、周囲が岩場に囲まれたエリアに差し掛かった時だった。
ヒュッ、と鋭い音が鳴り、馬車の前方に矢が突き刺さる。ヘンリック氏が手綱を引いて馬車を止めた瞬間、岩陰から数人の男たちが飛び出してきた。
同時に、荷台に乗っていた男が豹変する。隠し持っていた短剣を抜き放ち、隣にいたリナの首元に突きつけたのだ。
「動くな! こいつの喉を掻き切られたくなければ、大人しくしな!」
「くっ……!」
リナが苦悶の声を上げる。不意を突かれたとはいえ、狭い荷台で完全に制圧されてしまった。
外を取り囲んだ盗賊の1人、リーダー格らしき男が下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。
「へへッ、金目のもんを全部置いていきな。そうすりゃ命だけは助けてやるよ」
要求は全財産。
私はヘンリック氏を見た。彼は御者台から動じずに答える。
「お断りします。私には、その娘の命と引き換えに財産を失う義理はありません」
正論だ。あまりにも冷徹な正論。
ヘンリック氏にとって、護衛対象は荷物(皇帝薔薇)であり、リナは雇った道具に過ぎない。道具のために目的を放棄する義務はないのだ。
だが、私にとっては違う。
「待ってください、ヘンリックさん!」
私は叫んだ。
「リナを見捨てないでくれ! 彼女がいなくなったら、私1人じゃあなたを守り切れませんよ!」
「ふむ? 君も護衛でしょう」
「私は弱いんです! 狼との戦いは見ていたでしょう!? まともな腕力も魔力もなしの一般人なんですよ!」
私は必死に自身の無能さを主張する。
情けないが、事実だ。リナという「矛」兼「盾」がいなければ、私ごときではDランク相当の魔物どころか、そこの盗賊1人にすら勝てない。
「リナがいなきゃ、この先の護衛は不可能です。あなたも死にますよ!」
私の悲痛な訴えに、ヘンリック氏は少し考え込む素振りを見せた。
「……なるほど。確かに、盾を失うのはリスクですね。致し方ありません」
彼は懐から重そうな革袋を取り出すと、さらに足元に置いてあった『皇帝薔薇』が入った木箱を持ち上げた。
「金貨と、この希少な植物の苗です。これで手を引いてもらいたい」
「おいおい、話がわかるじゃねぇか!」
盗賊たちは色めき立った。
金貨だけでなく、高価そうな木箱まで手に入るとは思わなかったのだろう。
リナを拘束していた男が、彼女を乱暴に突き飛ばして木箱へ駆け寄る。
「リナ!」
私は彼女を受け止める。
盗賊たちは、我先にと金袋と木箱に群がった。
愚かな連中は、すぐにその箱の蓋を開けてしまう。
私はその瞬間を待っていた。
私に懐いている『皇帝薔薇』。あいつは、私以外の人間が不用意に触れることを極端に嫌う。ましてや、殺気を放つ盗賊などが安易に手を触れればどうなるか。
「うわああっ!?」
蓋を開けた盗賊が絶叫する。箱から溢れ出したのは、美しい花ではなく、血肉を求める真紅の茨だった。
蛇のように鎌首をもたげた蔦が、瞬時に男の腕へと巻き付く。鋭利な棘が革鎧ごと肉を貫き、鮮血が噴き出した。
「な、なんだこれ!? 離れねえ!」
「ひぃぃっ! 化け物だ!」
皇帝薔薇の凶暴性は、ただの植物の域を超えている。鞭のようにしなる蔦が、金貨袋を掴もうとした別の男の顔面を打ち据え、さらに別の蔦が男の足首を絡め取って宙吊りにした。
私が普段向けている愛情に応えるかのように、薔薇は外敵を的確に排除していく。その動きは植物というより、熟練の捕食者のそれだ。
盗賊たちはパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
その混乱を、リナが見逃すはずがない。
「……返してもらいます!」
彼女は疾風のごとく駆け抜けると、暴れる薔薇の隙間を縫って、盗賊が落とした金貨袋をひったくった。
鮮やかな手際で金品を回収し、安全圏へと離脱する。
残されたのは、恐怖に顔を引きつらせて逃げ去る盗賊たちの背中と、まだ暴れ足りないとばかりに蔦を揺らす皇帝薔薇だけだった。
†
盗賊たちは命からがら逃げ去った。
私は、興奮冷めやらぬ皇帝薔薇をなだめながら、再び箱に収める作業に移る。
「よしよし、いい子だ。戻ってくれ」
私が撫でると、薔薇は満足げに葉を震わせ、箱の中へと戻っていく。
だが、最後に悪戯心が働いたのか、近くにいたリナの方へシュルリと蔦を伸ばした。
「きゃっ!?」
リナが短く悲鳴を上げる。
蔦が彼女のスカートの裾を捲り上げ、太腿に絡みついたのだ。
露わになる白い肌。そして、その奥に見え隠れする純白の布地。
……白い。
数日前に私が選んだ、木綿のそれだ。
私の視線は、磁石のようにそこへ吸い寄せられた。
(いかん!)
私はハッとして視線を逸らす。
昨晩、ヘンリック氏に「女性として見ていない」と言い張ったばかりだ。こんなところを見られては、言い訳が立たない。
だが、視線を逸らした先には、ニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべるヘンリック氏の顔があった。
(……絶対、見てた)
目が合った瞬間、彼は無言で頷いた気がした。「お若いですな」とでも言いたげな表情だ。
私はカッと顔が熱くなるのを感じた。
一方でリナは、必死に蔦を解きながらも、頬を朱に染めて私の方をチラチラと見ている。
(……見ちゃった? 今、カイトさん……私の下着、見ちゃったよね?)
恥ずかしがってはいるが、その表情には嫌悪感がない。むしろ、どこか嬉しそうでさえある。不思議だ。
「さて、再出発しましょうか。目的地は見えてきましたよ」
ヘンリック氏の声で、私たちは再び動き出す。
遠くの丘の向こうに、廃墟と化した石造りの街並み、旧王都ロストリアの影が浮かび上がっていた。
【現在の借金状況】
借金総額:54,921,437円
(※魂の限界まで残り:0円)
将来利息プール:1,951,135円
次回、生命力徴収開始予測:あと約85時間(3日と13時間)
現在の利息:毎秒 約6.36円




