第29話:高額報酬と遠隔観戦(ハイリターン・スペクテート)
時計の針を少しだけ戻そう。
あの愚直な債務者たちが、南への旅路という名の死地へ足を踏み入れる前日のことだ。
私は、商工ギルドの執務室ではなく、貴族街の一等地に建つアルニム家の屋敷にいた。
通された応接室には、場違いなほど高貴な香水の匂いが漂っていた。
目の前の豪奢なソファに腰掛けているのは、この街の経済を握る大貴族の令嬢、エリーゼ・フォン・アルニム様だ。
彼女は優雅に紅茶のカップを置き、本題を切り出した。
「わざわざご足労いただいて悪いわね。内密に頼みたいことがあったの」
「いえ、エリーゼ様のためとあらば、いつでも馳せ参じますよ」
私は恭しく頭を下げる。
彼女がわざわざ私を呼びつけたということは、ギルドで公に話すには憚られる案件ということだ。
「旧王都ロストリアまで、『皇帝薔薇』を里帰りさせたいの。その護衛と輸送を任せられる人物を探しているわ」
「ふむ。ロストリアまでの街道警備および輸送任務ですか」
私は脳内で即座にリスクとコストを計算する。
道中の脅威度はCランク相当。
通常、この手の護衛依頼の相場は金貨10枚から、高くても15枚といったところだ。専門の傭兵団や、冒険者ギルドの中堅パーティに依頼するのが通例である。
だが、目の前にいるのは「金銭感覚」というパラメータが欠落した大貴族だ。
しかも、彼女は「誰に頼むか」について、特定の人物を想定している節がある。
「その任務、カイト君たちに任せたいのでしょう?」
私が水を向けると、エリーゼ様はわずかに眉を動かした。
「……察しがいいわね。ええ、彼らを指名したいわ。アルニム家の象徴である薔薇を任せるのだもの。能力だけで選んだ傭兵は信用できない。不器用だけれど、決して依頼主を裏切らない芯の強さを持つ彼らが適任よ」
カイト君とリナ君。
彼らはパーティを組んだことにより、個々の能力とは無関係にシステム上は「Dランク相当」の戦力として扱われている。
だが、Cランク相当の護衛任務は、彼らの適正レベルを超えている。
「エリーゼ様。彼らはパーティとしてDランク相当の扱いになったとはいえ、本職の護衛ではありません。この任務は彼らの身の丈に合いませんよ」
私はあくまで管理者として、形式上の警告を行う。
万が一、彼らが護衛や輸送任務の失敗をした際、無理な斡旋をしたギルドの責任を問われないための『免責事項』だ。
「構わないわ。彼らの『信用』を買いたいの」
彼女の決意が固いことを確認した私は、商人の仮面の下で小さく舌なめずりをした。
既然、カモがネギを背負って鍋に飛び込もうとしているのだ。味付けは濃い方がいい。
「承知いたしました。では、特例として彼らに回しましょう。ただし、今回は危険な長旅となります。彼らの命を保証し、かつ貴家の薔薇を運ぶ重責ともなれば……報酬もそれ相応のものが必要かと」
「いくら積めばいいの?」
「一人につき金貨50枚。計、金貨100枚。それ以下では、この危険な賭けに見合いません」
相場の10倍近い価格提示。
伯爵家相手の交渉なら本来激怒されても不思議はない場面だが、彼女は涼しい顔で頷いた。後ろに控える執事たちも口を挟まない。
「いいわ。彼らの安全と誠実さが買えるなら、安いものよ」
成立。
私は湧き上がる笑いを噛み殺した。
もし外部の傭兵団を使えば、私は規定の仲介手数料しか抜けない。
だが、彼らにこの仕事を回せばどうなる?
彼らは合計で金貨100枚という莫大な報酬を得る。
しかし、その金は私の設定した集金システムによって、すべて私の懐に還流される。
彼らは命がけで働き、私は涼しい部屋でその上前をすべて撥ねる。
まさに錬金術だ。
「これが依頼書よ。吉報を待っているわ」
「かしこまりました、エリーゼ様。彼らに依頼をして参ります」
†
そして翌日、商工ギルドの私の部屋を彼らが訪れた時のことだ。
カイト君とリナ君が、一人頭金貨50枚、合計金貨100枚という提示額に目を剥き、言葉を失っていた。
私は彼らの動揺を楽しみながら、この金額がいかに「適正」であるかを説いた。
緊急性、危険度、そして秘匿性。もっともらしい理由を並べ立て、彼らを逃げ場のない盤上へと追い込んでいく。
だが、その時だった。
「お断りします!」
鋭い声が響いた。
それまで黙っていたリナ君が、バンとテーブルを叩いて立ち上がったのだ。
彼女は私を睨みつけ、明確な怒りを宿した瞳で叫んだ。
「カイトさん、これはダメです。危険すぎます! 先ほど、強力な魔物が出る可能性があるとおっしゃいましたよね? 金貨50枚なんて報酬が出る魔物……そんなの、私たちが太刀打ちできる相手じゃありません!」
ほう、野生の勘か。
彼女はこの任務の異常な危険度を正確に察知しているようだ。
「私だけならまだしも、カイトさんがいたら守り切れません! カイトさんは戦えないんです。ただの護衛ならともかく、そんな危険な場所にカイトさんを連れて行くなんて、絶対に承諾できません!」
彼女は大金よりも、カイト君の安全を最優先にしている。
美しい献身だ。だが、私には彼女を黙らせるための切り札がある。
「リナ様。おっしゃる通り、カイト様の戦闘能力は低い。Eランク程度の相手ならいざ知らず、今回想定される脅威に対しては、守られる側と言っていいでしょう」
「……っ、分かっているなら!」
「ですが、勘違いしないでいただきたい。今回の依頼は『殲滅』ではありません。『護衛』と『輸送』です」
私は紅茶を一口啜り、言葉のナイフを突き立てた。
「万が一、ですか。では、このまま安全なドブさらいを続けて、カイト様を『確実な死』に追いやりますか?」
リナ君の言葉が詰まる。
「今のカイト様の借金は、通常の仕事では日々の利息すら払いきれない。元金どころか、不足分は毎日生命力から徴収され、いずれ衰弱死する。……それこそが、貴方が恐れる『万が一』ではありませんか?」
彼女の顔が歪む。正論という名の暴力に殴られ、反論の術を失っていく。
私は畳み掛けるように、カイト君の目の前に現在の借金状況を投影した。
「昨晩の時点ではまだ余裕がありましたが、この12時間の睡眠と移動だけで、プールの残量は大きく目減りしました」
借金契約の情報は、契約者本人と債権者である私にしか見えない。
だが、宙に浮いたウィンドウを見たカイト君の顔色が、土気色に変わったのを見れば、リナ君にも事態の深刻さは伝わるだろう。
「時間にして残り22時間。もしこの依頼を受けずに帰れば、明日の朝にはプールが枯渇し、生命力徴収が始まります」
私の説明に、リナ君が息を呑む気配がした。
「死か、一発逆転か。選ぶのは貴方です」
私は悪魔の笑みで契約書を差し出した。
結果は明白だ。カイト君は震える手でペンを取り、サインをした。
そして、前金として渡した金貨50枚(25枚ずつ)。
彼らはその場で、全額を利息の『プール』へと投入した。
私の目の前で、金貨がデータへと変換され、私の裏帳簿へと吸い込まれていく。
カイト君の手元には銅貨一枚残らない。
彼が得たのは、約5日半という僅かな「猶予」だけだ。
心の中で、彼らの背中に「集金装置」というタグを貼り付ける。
さあ、行ってくれたまえ。
君たちが稼ぐ金貨は、一枚残らず私のものだ。
†
彼らが街を出た翌日、昼のことだ。
私は自室のデスクで、愛用の魔道具『遠見の水晶』を起動していた。
水晶の表面にノイズが走り、やがて鮮明な映像が浮かび上がる。
映し出されているのは、街道を進む馬車と、その周囲で展開される戦闘だ。
「おっと、そこで右に展開するのは悪手ですねぇ……」
私は上質な赤ワインを揺らしながら、まるで観戦モードの画面を見つめるように独りごちる。
画面の向こうでは、結界香を無視する強力な巨大狼が出現し、カイト君を一撃で吹き飛ばしていた。
カイト君が地面に叩きつけられる。
装備が貧弱な彼にとって、一撃が致命傷になりかねない。
だが、即座にリナ君が反応した。
彼女の剣閃が狼の首を捉え、鮮やかなクリティカルヒットを決める。
「ふむ。リナ君の性能は相変わらず素晴らしい。カイト君も、囮としての役割は果たしていますか」
彼らが血と泥に塗れ、必死の形相で戦う姿を高画質で眺める。
安全な場所から見下ろす他人の不幸は、どうしてこうも酒の肴になるのか。
私の机の上には、彼らの借用書データが投影されている。
前金として渡した金貨50枚は、すでに昨日の時点で将来利息プールへと飲み込まれている。
彼らがこの任務を完遂し、残りの金貨50枚を受け取ったとしても、それもまた瞬く間に利息の藻屑と消えるだろう。
画面の中で、カイト君が苦痛に顔を歪めながら立ち上がる。
その表情は、終わりのないマラソンを走らされるランナーのようだ。
「私の利息のために、精々足掻いてくださいね」
私は愉快そうに呟き、水晶に映る彼らの背中に向かってグラスを掲げた。
君たちが生きている限り、この楽しいゲームは終わらない。




