第27話:街道の誘惑と、賢き者の選択
時計の針は正午を回り、太陽が頭上からじりじりと熱を注ぎ始める頃。
私とリナ、そして今回の依頼人代理であるヘンリック氏は、拠点の街の南門をくぐり、新たな護衛任務の旅路についた。
今回の護衛対象であるヘンリック氏は、手慣れた様子で御者台に座り、手綱を握っている。
「いやあ、良い天気ですな。雨上がりのぬかるみも乾いて、馬車への負担も少なそうだ。カイトさん、リナさん、揺れるかもしれませんが、荷台の『皇帝薔薇』を頼みましたよ」
「ええ、任せてください。……揺れよりも、この暑さが敵ですね」
「ふふ、南への街道は日陰が少ないですからな。ですが、かつては多くの商人が行き交った道です。魔物が出るとはいえ、私の経験上、昼間ならそう危険はありませんよ」
穏やかな老紳士の言葉に、リナは真剣な表情で頷き、剣の柄に手を添えて周囲を油断なく見回している。
「はいっ! 私、頑張りますね。カイトさんも、ヘンリックさんも守ってみせますから!」
リナの頼もしい言葉に、私は頬を緩める。
この分なら、平和な旅になるかもしれない。
そう思った矢先だった。
「ひゃうっ!?」
荷台の奥から、リナの可愛らしい悲鳴が上がった。
振り返ると、麻袋から這い出した『皇帝薔薇』の蔦が、リナの足首に絡みつき、そのままスカートの中へと侵入しようとしていた。
「や、やだぁ……! だめですぅ、入ってこないでぇ……!」
「こら、ローズ。悪戯が過ぎるぞ」
(よくわかってるな、もっと、もっと見せてくれ!)
リナは涙目になって身をよじるが、皇帝薔薇は嬉々として蔦を動かしている。私は苦笑しながら、その蔦を優しく、しかし強引に掴んで引き剥がした。こいつは私の言うことなら聞くはずだ。
だが、引き剥がしたその一瞬。
抵抗して捲れ上がったリナのスカートの下から、昨日、買い出しに行った際に彼女が購入していた、清潔な白木綿の布地が目に飛び込んできた。
(……ッ!!)
見えない。素肌が見えない。
だが、その事実が逆に、私の脳髄を強烈に刺激する。
今まで「何もない」ことが当たり前だった場所に、「隠すもの」がある。その薄い布一枚の向こう側に、確かにリナの柔肌が存在しているという事実。
直に見るよりも遥かに扇情的で、背徳的な光景がそこにあった。
「うぅ……もう、いじわるしないでください……」
リナはスカートの裾をギュッと押さえ、少し潤んだ瞳で私を見上げる。その頬はほんのりと朱に染まっていた。
……よかった。リナは植物の悪戯に羞恥を感じているだけで、その隙にスカートの中が私に丸見えだったことには気づいていないようだ。
もしバレていたら、私の首と胴体が泣き別れになっていたかもしれない。
私は内心で冷や汗を拭いながら、平静を装って皇帝薔薇を袋へ押し戻した。
†
(……見てた。カイトさん、今、私の下着を見てた)
私はスカートの裾を握りしめながら、ドクドクと早鐘を打つ心臓を抑えるのに必死だった。
植物のひんやりした感触のあとに感じた、カイトさんの熱っぽい視線。
それが、私の足の付け根あたりをじっと這うように見つめていたのを、肌で感じてしまった。
(恥ずかしい……。でも……嬉しい)
昨日、お店で一生懸命選んで買った下着。
これを穿いていれば、カイトさんはまた私を見てくれるかもしれない。そんな期待が、現実になった。
カイトさんは私が「気づいていない」と思って、安心して見ていた。
もし私がここで「気づきましたよ」って顔をしたら、カイトさんはきっとバツが悪くなって、もう二度と見てくれなくなるかもしれない。それは嫌だ。
(だから、私は気づかないフリをするの。そうすれば、カイトさんはこれからも、私をいっぱい見てくれるから……)
私は小さく息を吐き、わざとらしく「もう、びっくりしました」と呟いてみせる。
カイトさんの安堵したような気配を感じて、私は心の中で小さくガッツポーズをした。
†
夕方になり、日は西の空を朱色に染め始めた。
初日ということもあり、私たちは早めに野営の準備を行うことにした。街道沿いの開けた場所に馬車を止め、焚き火を熾す。
夕食は、昨日メルテの市場で買い込んだ堅パンと干し肉、そしてチーズだ。
焚き火を囲み、私とリナ、ヘンリック氏の3人で簡素な食事をとる。
「ふぅ、労働の後の食事は格別ですね」
「ですね。少し固いですが、よく噛めば味が出ます」
「いやいや、野外で食べる飯というのは、不思議と美味く感じるものですな。カイトさん」
ヘンリック氏は満足そうに目を細め、堅パンを水で流し込む。
私は自分の食事を終えると、水袋を持って荷台へ向かった。
皇帝薔薇の入った袋を開け、水を注いでやる。こいつの悪戯には閉口するが、枯らすわけにはいかない大切な荷物だ。蔦が私の手に擦り寄ってくるのを適当に撫でてやり、私は見張りの位置へと戻った。
夜間の見張りは、私とリナで交代しながら行うことになった。
焚き火の爆ぜる音だけが響く静かな夜。
幸いなことに、魔物の襲撃もなく、夜明けを迎えることができた。
†
翌朝。
簡単な朝食を済ませ、私たちは再び目的地へと馬車を走らせる。
昨日と同じく、魔物除けの香を焚いているおかげか、魔物の姿は見当たらない。
「静かなものですね。この辺りは魔物が多いと聞いていましたが」
私がそう呟くと、御者台のヘンリック氏が、眼鏡の位置を直しながら語り始めた。
「ええ、魔物除けの効果でしょう。ですがカイトさん、世の中にはこの『結界香』への出費を惜しむ冒険者も多いのですよ。あれは一包みで銀貨5枚ほどしますから」
(銀貨5枚……約5,000円か。安くはないが、命には代えられない額だ)
「彼らは自分の腕を過信し、その銀貨5枚を浮かすために無防備で街道を行くのです。そして、運悪く通りがかった強力な魔物……例えばオーガやキメラなどに遭遇し、成す術もなく蹂躙される。後には食い散らかされた死体と、浮かせたはずの小銭が転がっているだけ……。銀貨数枚を惜しんで命を落とす、笑えない話ですが、よくあることなのです」
ヘンリック氏の言葉には、考古学者として多くの遺跡や死を見てきた重みがあった。
私とリナは顔を見合わせる。
「……耳が痛い話だな。私たちも気を引き締めないと」
「はい。慢心は死、ですね。カイトさん」
リナが神妙な顔で頷いた、その時だった。
街道脇の茂みが激しく揺れ、巨大な影が飛び出した。
「グルゥゥゥッ!!」
現れたのは、牛ほどもある巨大な狼だ。
鼻孔から荒い息を吹き出し、凶暴な眼光でこちらを睨みつけている。
「なっ……馬鹿な! 結界香を焚いているのに!?」
ヘンリック氏が驚愕の声を上げる。
「恐らくはぐれ魔物です! 強力な個体は、稀に香の効果を無視して襲ってくることがあります!」
「くっ、運が悪かったということか……! 下がってください、ヘンリックさん! ここは私が!」
私は剣を抜き、前に出る。
狼が巨大な牙を剥いて飛びかかってくる。速い!
私は剣を振るうが、身体能力の差は歴然だ。狼は空中で身をひねり、私の剣を軽々と躱すと、その剛腕で私を吹き飛ばした。
「ぐはっ!?」
「カイトさん!」
地面を転がる私を尻目に、狼は次の標的をリナに定める。
だが、リナは既に疾走していた。
「はぁっ!!」
銀色の閃光が走る。
リナのショートソードが狼の爪を受け流し、火花を散らす。
激しい攻防。リナは狼の懐に潜り込み、目にも止まらぬ速さで連撃を叩き込む。
その激しい動きに合わせて、彼女のスカートがふわり、ふわりと舞い上がる。
(……あ)
命のやり取りをしている最中だというのに、私の目は吸い寄せられてしまう。
ひらめくスカートの奥、躍動する太腿に食い込む白の布地。
昨日見た静止画とは違う、戦闘中だからこその無防備な露出。
リナの動きが、ふと大胆になった気がした。
狼の爪をバク宙で回避した瞬間、その白い聖域が完全な形であらわになる。
(カイトさん、見てる……!)
リナは視線を感じ、わざと大きく動いて見せつける。
(……すごい)
恐怖と興奮がない交ぜになった奇妙な感覚。
私がそんな不埒なことを考えている間に、リナの必殺の一撃が決まった。
「せいっ!!」
リナの剣が狼の喉元を深々と貫く。
巨体がドサリと崩れ落ち、土煙を上げた。
リナは剣を払い、乱れた髪をかき上げる。
肩で息をしながら、彼女は私の方へ駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか、カイトさん!?」
「あ、ああ……。すまない、役に立たなくて」
「ううん、カイトさんが注意を引きつけてくれたおかげで、隙ができました!」
リナは満面の笑みを浮かべている。
よかった、戦闘に必死で、自分のスカートの中が丸見えだったことには気づいていないようだ。
あの白い布が私の目に焼き付いていることを、彼女は知る由もない。私は罪悪感と興奮を胸の奥に押し込み、震える足で立ち上がった。
狼との戦闘で時間を取られたため、私たちは少し早めに今日の行程を切り上げることにした。
街道脇の木陰で、二度目の野営準備を始める。
目的地である旧王都ロストリアまでは、あと1日。
焚き火の明かりを見つめながら、私はまだ見ぬ遺跡に思いを馳せた。
【現在の借金状況】
借金総額:54,921,437円
(※魂の限界まで残り:2,225,887円)
将来利息プール:2,225,887円
次回、生命力徴収開始予測:あと約97時間(約4日と1時間)
現在の利息:毎秒 約6.36円




