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第26話:旅立ちの身支度と、隠された肌の魅力

 商工ギルドの応接室。

 『金貨50枚』という巨額の契約が成立した直後のことだ。


 前金である250万円が、私の『将来利息プール』へと吸い込まれ、手元には虚無だけが残った。スラムの自宅に残してきた小銭を除けば、今の私の所持金はゼロだ。


「……なぁ、今回の依頼だが、経費はどうなってる? これだけの大型依頼だ、全部自腹ってわけじゃないだろ」


 私が尋ねると、向かいに座る幹部のクラウスは、薄い唇を吊り上げて笑った。


「もちろんですとも、カイト様。先ほどの説明通り、今回は隠密行動となります。身分を偽装するための衣服や装備品、カモフラージュ用の商隊馬車の手配費用、そして長旅に耐えうる保存食や野営用具一式。これら全てを依頼主側で負担します」


 クラウスがテーブルに置いたのは、革袋だった。中を確認すると、鈍く光る『金貨』が1枚入っている。


 金貨1枚(100,000円)。

 私とリナ、そして合流予定の依頼人の分を含めた、計3名分の偽装工作と旅支度を整えるには十分すぎる額だ。


「これはあくまで『経費』です。私的な流用は認められませんよ? 領収書代わりの明細も、帰還後に提出していただきます」

「分かってる。……それと、移動用の馬車も手配してくれ。カモフラージュ用ってことは、普通の商隊に見えるやつだな?」

「ええ。荷台の広い、ありふれたほろ付きの商隊馬車を手配しましょう。……魔物除けの魔道具も必要ですね?」


 クラウスは私の思考を先読みするように付け加えた。


「ああ。魔法の類いは使えないから、置いておくだけで効果があるやつを頼む」

「でしたら、標準的な結界香を用いたタイプのレンタル手配をしておきましょう。費用はこの経費とは別枠で処理しておきます。正午に裏口の搬出エリアへご用意しますので、遅れないように」


 クラウスの目は笑っていなかった。逃げようなどと考えるな、という無言の圧力を背中に感じながら、私はリナを連れてあわただしく退室した。



 †



 ギルドを出た私たちは、そのまま市場へと繰り出した。


 まずは食料と野営具の調達だ。

 保存の利く堅焼きパンと干し肉。それから、今回の護衛対象(VIP)のために、少し値の張るワインとチーズも購入する。


 さらに重要なのが水だ。


「水袋を5つくれ。一番大きいやつだ」

「へいよ。兄ちゃん、砂漠にでも行くのかい?」

「似たようなもんだ。連れが水を大量に飲むんでな」


 私は苦笑しながら代金を支払う。


 『連れ』と言っても人間ではない。あの気難しい『皇帝薔薇カイザー・ローゼ』だ。あいつは移動中、定期的に水を与えないと機嫌を損ねる。枯らすわけにはいかないし、不機嫌になって暴れられても困る。


 ついでに、野宿に備えた毛布や簡易テントなどの野営用具一式も買い揃えた。


 金貨を崩したため、私のふところの革袋は、釣り銭の銀貨でずっしりと重くなっていた。


 次は装備だ。

 私たちは冒険者御用達の衣料品店へと足を踏み入れた。


「リナ、服を選ぶぞ。今回は『商隊の護衛』に化けて移動する。スラムの住人丸出しの格好じゃ怪しまれるからな」

「なるほど、変装ですね! じゃあ、それっぽい服を選べばいいんですね?」

「ああ。店員さんに事情を話して、護衛らしく見えて、かつ動きやすいものを選んでもらえ」


 私が促すと、リナはおずおずと店員の老婆に声をかけた。


 店員は私たちの薄汚れた格好を一瞥いちべつしたが、私が支払いのために、先ほどの買い物で膨らんだ銀貨の袋を振ってみせると、すぐに商売人の顔つきになった。


「あいよ。お嬢ちゃん、こっちに来な」


 店員はリナの体格を見ると、いくつかの候補を持ってきた。リナは目を輝かせながら試着室へと消えていく。


 しばらくして、リナが新しい装備に身を包んで出てきた。


 革製の胸当てに、動きやすさを重視したショートパンツ風のボトムス。いかにも駆け出しの冒険者や商隊護衛といった風体だ。これなら怪しまれないだろう。


「どうですか、カイトさん! これ、すごく軽いです!」

「ああ、いいんじゃないか。これなら護衛としてはくがつく」


 私が頷くと、店員がぶっきらぼうに言った。


「兄ちゃん。その子、下着をつけてないだろ? 今までの布服ならともかく、革鎧を直に着たら擦れて血だらけになるよ。ちゃんとした肌着も買いな」

「……あー、そうか」


 言われてみれば、その通りだ。

 金がなくて買えなかったという事情もあるが、今までは柔らかいボロ着だったから問題なかっただけだ。だが、硬い革の防具となれば話は別だ。


 歩くたびに素肌が革に擦れれば、戦闘どころではなくなるだろう。


「分かった。それも必要経費だ。サイズが合うやつを見繕ってやってくれ」


 店員は頷き、清潔な木綿の肌着セットをリナに手渡して、再び試着室へと押し込んだ。


 カーテンの向こうで衣擦れの音がする。

 私は腕組みをして、ふと奇妙な喪失感を覚えた。


(……これで、見納めか)


 風が吹くたび、あるいは戦闘で動くたびにチラリと見えていた、あの健康的な素肌。


 その光景は、この白い布によって物理的に遮断されることになる。男として、正直に言えば非常に残念だ。


 だが、同時に別の感情が頭をもたげる。


 想像してみる。

 あの薄い布一枚の下に、リナの滑らかな肌が包まれている様を。


 直接は見えない。見えないが、確実に『ある』。


 今まで無防備に晒されていた場所が、『隠されている』という事実。それはつまり、彼女を一人の女性として意識させる『境界線』が引かれたということだ。


「カイトさん……」


 カーテンがおずおずと開き、リナが顔を赤らめて出てきた。


 服の上からでは分からない。だが、私だけは知っている。今の彼女が、経費で買った下着を、その身に密着させていることを。


 その事実に、以前よりも背徳的で、熱いものがこみ上げてくるのを感じた。


「なんか、包まれてる感じがして、安心します!」

「そうか。なら良かった」


 無邪気に笑うリナ。

 私は咳払いを一つして、こみ上げる興奮をごまかしながら会計を済ませた。



 †



 買い物を終え、商工ギルドの裏手にある搬出エリアに戻ったのは、ちょうど正午を告げる鐘が鳴る頃だった。


 手配された馬車はすでに到着しており、御者台の横にはレンタルした魔道具の箱が積まれている。


 馬車は地味な色合いで、どこにでもありそうな商隊用の荷馬車に見える。これなら目立たずに街道を進めるはずだ。


 そして馬車の前には、一人の人物が立っていた。


 上質な旅装束に身を包み、知的な眼鏡をかけた初老の男だ。

 今回の護衛対象である。


「お待たせしました。準備は完了しています」


 私が声をかけると、男は穏やかな笑みを浮かべて振り返った。


「時間通りですね。紹介された通りの優秀な方のようだ。私は考古学者の『ヘンリック』。今回の依頼主代理といったところかな」

「カイトです。こっちは相棒のリナ」

「よろしくお願いしますっ!」


 ヘンリックは馬車の荷台を確認し、満足そうに頷いた。


 広めの荷台の奥には、すでに厳重に梱包され、『皇帝薔薇カイザー・ローゼ』が収められた木箱が積み込まれている。外から見れば、ただの荷物にしか見えないだろう。


「行き先は聞いていますか?」

「いえ、ただ遠方としか」

「目的地は、南へ馬車で3日の距離にある『旧王都ロストリア』です」


 南。

 聞いたことのない地名だ。私は首をかしげた。

「ロストリア? すいません、地理には疎くて。どんな場所なんです?」

「今はもう廃墟になっている、古代遺跡の街ですよ。実はこの『皇帝薔薇カイザー・ローゼ』は、元々あそこの遺跡深部で発見された種でしてね。ある時期に、故郷の土へ戻して『活性化』させないと、魔力を失って枯れてしまうのです」


 なるほど、それで考古学者とこの植物の組み合わせか。

 里帰りの護衛というわけだ。


「事情は分かりました。……ところで、御者は?」

「ああ、商人に化ける私が務めますよ。昔からフィールドワークで慣れていますからね。君たちは護衛として、周囲の警戒をお願いします」


 ヘンリックは慣れた手つきで御者台に足をかけた。

 私は胸をなでおろした。馬車の操縦などしたこともない私には、荷が重いと思っていたところだ。


「承知しました。必ず送り届けます」


 私は荷台の後方へ乗り込む。

 リナが軽やかに屋根の上へと陣取る。


 ヘンリックが手綱を握り、馬たちに合図を送った。

 車輪が軋み、馬車がゆっくりと動き出す。


 目指すは南。

 私の命と、リナの新しい下着という密かな秘密を乗せて、私たちの旅が始まった。

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